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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第四章 その日へ向けて
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幕間.姉と妹

 朝から。いえ、昨晩から。嘘を吐きました、もっと前からです。

 私はずっと、緊張しているのです。


 何故なら今日は、夢にまで見たお茶会の日。

 可愛い妹であるフローラと、彼女と姉妹のように育ったアメリアとオリヴィアが私を待っている。

 

 心臓の動悸が治らず、頬は血色が良いを通り越して紅く染まる。

 何度深呼吸をしても、喉を通ったはずの冷たい空気は火照った私の身体を冷ましてはくれない。


「ロ……ロティス兄さん! 私、何かおかしなところはございませんか!?」


 彼女たちはまた、妖精族(エルフ)の里へと帰ってしまう。

 次はいつ会えるか分からない。精一杯、着飾った私。

 全身全霊の私でおもてなしをしなくては、次のお茶会は永遠に開催されない。

 

「そうですね。まず、挙動がおかしいです」

「よかった……。服やお化粧は大丈夫なのですね!」


 私な心の底から安心をした。ロティス兄さんは、服や化粧について何も告げようとはしない。

 流石は王宮に仕える侍女(メイド)の仕事と言ったところでしょうか。

 いつもより軽く仕上げたと思いましたが、あくまで姉妹で仲良くお茶を飲むだけですからね。畏まる必要はありません。

 目元だけは入念にオレンジのコンシーラーを塗っていたのも、きっと匠の技なのでしょうね。


 今日に備えて、昨日はいつもより早くベッドへ入りました。

 瞼を閉じ、静寂の中で時計の針が進む音に聞き入っていました。

 朝もすぐに目が覚めたのです。きっと緊張していたのでしょうね。早く横になって正解でした。


「イレーネ様。もう少し落ち着いてください」

「心配には及びません! 私、これでも今日に備えて色々と考えて来ましたから!」


 作法は勿論、フローラたちの好みはフィロメナ様へ調査済みです。

 最高級の茶葉を沢山用意しましたから、きっと喜んでもらえることでしょう。


 茶器も揃っている。何度も数え直したのだから、足りないなんてことはあり得ません。

 準備を整えていくうちに、私は段々と冷静になってきました。

 妙にそわそわしているロティス兄さんの姿が、よく見えます。


 フローラにとってアメリアやオリヴィアがいるように、私にもロティス兄さんが居ます。

 小さな頃からずっと兄のように慕ってきたのですから、ロティス兄さんを連れていかないわけには行きません。

 ただ、女性。それも美しい女性ばかりだからなのでしょうね。ロティス兄さんが落ち着かないのは。

 大丈夫ですよ。私が、ついていますから。


「イレーネ様。本当に大丈夫なのですか?」

「勿論です。さあ、行きましょう」


 眉を下げるロティス兄さんへ微笑み、私たちはフローラの待つ部屋へと向かう。

 ああ、やはり私の部屋は暑かったのですね。廊下に漂う冷たい空気が、とても心地よいです。


 ……*


「ごきげんよう、イレーネ姉様」

「えっ、ええっ。ごきげんよう、フローラ」


 フローラはスカートの裾を摘まんでは、持ち上げる。

 アメリアやオリヴィアへは絶対にこんな畏まった挨拶をしないでしょうに。

 羨ましい……。私もきっと、あの娘たちのようにフローラともっと親しく……。


「イレーネ様。今回はこのような場にお招きいただき、感謝致します」


 深々とお辞儀をするのは、フォスター家の次期当主。アメリア・フォスター。

 彼女はいつも礼儀正しい。まるでロティス兄さんのようだ。


 アメリアはフローラにも同じように接しているところを見ました。

 だから、私に対して警戒心を抱いているわけではないはず……。


「本日はお呼び頂きまして、ありがとうございますっ!」


 (アメリア)と同じように深く頭を下げているにも関わらず、どこか茶目っ気を隠せない少女。オリヴィア・フォスター。

 オリヴィアの心の内は、よく分からない。フローラの護衛を務めていることもあって、私にいい感情を抱いていない時もあったはず。

 でも、フローラはオリヴィアととても仲がいい。私にもきっと、仲良くなるチャンスはあるはず。

 

「オリヴィア。第二王女様がいらしてくれたのですから、きちんとしなさい」

「いっ、いいのです!」


 妹を嗜めるアメリアを見て、私は思わず制止してしまった。

 だって、もしこの場でオリヴィアが畏まったりしたのであれば……。

 一瞬にして堅苦しい雰囲気になることは避けられません。


 今日の目的は、妹たちと楽しくお茶会をすることなのです。

 ムードメーカーのオリヴィアには、是非ともこのまま私と打ち解けて欲しいのです。


「イレーネ様。ですが……」

「ふ、フローラが貴女たちを姉妹のように慕っていることは当然把握しています。

 でしたら、わっ、私にとっても妹のようなものですから! しっ姉妹が畏まらないのは当然のことです!」


 い……言ってしまいました。妹のように思っていると、はっきり、私の口から。

 フローラはどう思っているのかしら。迷惑だと思っていなければ、良いのですが……。


「姉様、そのお考えはとても素敵ですね。

 では……。ロティスは私にとって、兄様のような存在ということになりますわね」


 嬉しかった。天にも昇るようなほどに、私は舞い上がりそうでした。

 ロティス兄さんは、私にとっては大切な存在。フローラが好意的に捉えてくれたことは、至福の極みとしか表現が出来ません。

 

「そ、そうですわね! アメリアやオリヴィアが私の妹なのですから!

 ロティス兄さんは、皆にとって兄ですわね!」

「兄ってそんな急に生えてくるものでしたっけ?」

「オリヴィア」


 再びアメリアがオリヴィアを嗜めていますが、私の耳はあくまで音を拾っているだけ。

 振り向いた先に佇むロティス兄さんへ笑みを送ると、彼は困ったような顔をした。

 オリヴィアと同じような考えなのでしょう。心配には及びません。私たちなら、きっと上手く行きますから。


「でしたら、ロティスさんもぜひこちらへ。一緒にお茶を楽しみませんか?」

「名案ですわね、アメリア」


 さりげなくお茶会への参加を促すアメリアを見て、私は強く頷いた。

 この場でロティス兄さんだけが除け者だなんて、私にとっても心苦しい。

 兄妹水入らずの時間を過ごした方が、良いに決まっています。


「自分は遠慮しておく。護衛が本分なのでな。茶会は、皆で楽しむといい」

「相変わらず、融通が利かない人ですね」

「……オリヴィア」


 渋い顔をしながら、オリヴィアが毒づく。またすぐにアメリアに窘められていましたが。

 きっと同じ護衛としての立場で、ばつが悪いのでしょう。フローラが許しているのですから、あまり深く考えなくても良いのですが。


「さあ、今日は私がお茶菓子を用意いたしました。妖精族(エルフ)の里でイリシャさんに教わった、焼き菓子です」


 そうこうしている間に、フローラが皆の前へお茶菓子を並べていく。

 バターの香ばしい匂いの中に混じっているのは、アーモンドの香り。私の眼前に現れたのは、フィナンシェ。


 ……フィナンシェ!?


「こっ、これをフローラが!?」

「はい! イリシャさんにとても丁寧に教えて頂きましたの。

 まだ作れるお菓子は少ないですが、これからも沢山教えてもらおうと思っています」


 私は開いた口が塞がらなかった。

 フィナンシェって、料理人が作るものですよね?

 つまりフローラは、既に料理人の領域にまで達してしまった……?


 彼女に比べて私は、精々ティーカップを温める程度のことしか出来ない。

 プロの料理人たるフローラとは、離される一方。

 可愛い妹は、私の手が届かない高みへと昇り切っていた。


 し、しかし私にとっても待ちに待ったお茶会。フローラには届かずとも、出来る限りの研鑽は重ねました。

 それに、私は姉なのです。妹を褒め称えつつ、姉として相応しい振舞いを見せれば良いのです。


 ……姉らしい振舞い?


 姉らしい振舞いって、どのようなものなのでしょうか?

 私が知っている姉の振舞は、第一王女(フリガ姉様)のみ。

 

 フリガ姉様? いえ、あの方は唯我独尊でした。絶対に真似をしてはなりません。

 いくら何でも、それぐらいは判ります。

 

「姉。姉……」

「あの、イレーネ様? 大丈夫ですか?」

「え、ええ。心配には及びません。お心遣い、感謝いたします」


 譫言のように呟いていると、アメリアが心配そうに私を見つめているではありませんか。

 彼女の清廉さはよく知っていましたが、直に接すると余計に意識してしまいますね。


 そうです。姉としての見本なら、アメリアがいるじゃないですか。

 丁度オリヴィアへの接し方を反芻して――。


 駄目です。オリヴィアは、アメリアに窘められてばかりでした。

 オリヴィアならいざ知らず、フローラにそのような落ち度が存在していません。

 同じように接したら、フローラが困惑するだけではないですか。


「では、イレーネ姉様。姉様の淹れた紅茶、とても楽しみです」

 

 お茶菓子を並べ終えたフローラが微笑む。

 彼女の柔らかな笑みは、ストロベリーブロンドの髪と相まってとても美しい。

 小さい頃から仲が良ければ、あの髪を梳いてあげたり出来たかもしれないというのに……!


「……イレーネ様。本当に、大丈夫ですか?」


 またもアメリアが、心配そうに私の方を見つめる。

 いけません。フローラの美しさに、思わず見惚れてしまいました。


 次の機会も、きっと訪れるはず。

 可愛い妹たちに落胆されないよう、まずは美味しいお茶を淹れるところから始めなくてはなりません。


「心配には及びません。私の淹れたお茶を、是非堪能してください!」


 立ち上がった私は茶器を並べ、ポットからお湯を注いでいく。

 カップから立ち昇る湯気が、時間の経過をゆっくりに感じさせてくれる。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。まるで景色がお湯の中へ溶け込むように……。


 と、思ったのですが。本当に世界が揺れています。

 茶葉を掬ったスプーンが、震えてテーブルへ舞い降りているではないですか。


 地震? 地震なのですか?

 こんな日に限って地震が起きるなんて、どんな確率なのでしょうか。

 

 地震でなければ、ヴァレリアとライラスが訓練で暴れ回っているのでしょうか。

 あの二人が手合わせを始めると、力任せに周囲の物が破壊されてしまいます。

 何度呆れながら、ロティス兄さんが止めたことか。


 ……ではなく、今は地震が止まる事を祈らなくては。

 皆も目を見開いているではないですか。解りますよ、突然地震があれば誰だって驚きます。


 しかも、揺れが段々と大きくなっているじゃないですか。

 視界がぐるぐると回って、立つことすらままなりません。

 あんまりです。これだけ楽しみにしていたお茶会なのに、どうしてこんな――。


 私は天を仰いだつもりでした。それが決め手だったのでしょう。

 己の頭すら支えきれず、重力に引っ張られる私の身体。


「あ、ら……?」

 

 ぼやけた視界に映るのは真っ白な天井と、宙に舞う茶葉。

 ああ、折角良いものを取り寄せたのに。だいな、し……で、す……。

 

「イレーネ姉様!?」


 悲鳴にも似たフローラの声が鼓膜を揺らす一方で、私の視界は真っ暗へと染め上げられました。

 重くなった頭を覆う、柔らかい感触が私に残る最後の記憶。


 ……*


「……ここは」


 開いた瞼。差し込む光。瞳に映るのは、見慣れた天蓋。

 見間違うはずもありません。ここは、私の自室。私のベッドではありませんか。


「起きました?」


 私の顔を覗き込むようにして、フローラが笑みを浮かべる。

 相変わらずストロベリーブロンドの髪とよく似合っていると心から思いました。


「フローラ? 私は、どうしてベッドに……」

「お茶を淹れる途中で、イレーネ姉様が倒れてしまわれたのですよ。

 お医者様は、どうやら睡眠不足のようだと仰っていました。怪我や病気ではなくて、良かったです」

「睡眠不足……?」


 私は眉を顰める。おかしい、昨晩はいつもより早くベッドに入ったはずです。

 規則的なリズムで音を刻む時計の針の音を、どうにか速くならないものかとずっと聞き続けていましたから。


「……あっ」


 そこで漸く、私は気付きました。

 ベッドへ潜り込んで、ただ瞼を閉じていただけ。私は、殆ど眠れていなかったのだと。

 

「ロティスも、『今日は今朝から会話が成立しませんでした。緊張していたのでしょう』って言っていましたよ」

「きん、ちょう……」


 確かに、緊張はしていました。

 けれど、どうしてロティス兄さんがそんなことを……。

 

「あ、あぁぁぁ……」


 思い返した私は、頭を抱えて布団の中へと潜り込む。

 そういえば、「挙動がおかしい」とか言っていた気がします。

 どうして、どうして気が付かなかったのでしょう。不徳の極みではないですか……。


「そっ、そういえば! お茶会、お茶会はどうなったのですか!?」

「イレーネ姉様を放っては置けませんでしたから。今日は、このままお開きですね」


 私の顔からサーっと血の気が引いていく音が聴こえる。

 絶望とは、こういうことを指し示すのでしょうね。

 折角、フローラと親交を深める好機(チャンス)だったというのに。自らその機会を、台無しにしてしまうのですから。


 ひょっとすると、私とフローラは縁が無いのかもしれません。

 悲しい話ですが、人と人の関係にはそのような現象が起こり得るそうです。

 

 一人で空回りをして、ひとりで落ち込む情けない姉。それがミスリア第二王女、イレーネ・ヴェネレ・ミスリア。

 ですが、そんな情けない姉にも救いの手は差し伸べられるようです。

 

「……なので、こちらは体調が良くなりましたら召し上がってください」


 可愛い妹であるフローラは小さなバスケットをひとつ、私にくれました。

 中に入っているのは、彼女が作ったという焼き菓子。フィナンシェが、敷き詰められていました。


「これは……!」

「折角ですから、イレーネ姉様には食べて頂きたかったので。

 まだまだ下手なので、お口に合わなければ棄ててくださって結構です」

「棄てるなんて、とんでもありません! 喜んで、食べさせて頂きます!」

「はい、ありがとうございます。では、今日はゆっくり休んでくださいね」


 フローラはにこやかに微笑むと、そっと私の部屋から出ていきました。

 もう少し話をしたかったのが本音ですが、全ては私の不徳が致すところ。あまり無理を言える立場ではありませんでした。


「フローラの、お菓子……」


 私の両手は、フローラに渡されたバスケットを決して離そうとはしませんでした。

 フローラは、段々と王妃(フィロメナ)様に似て来た気がします。強く気高く、そして優しいあのお方と。


 ベッドの上ではしたないとは思いましたが、私はフローラの作ったフィナンシェをひとつ、口へと運びます。

 噛みしめると同時に、バターとアーモンドが私の味覚と嗅覚を支配する。どこか素朴で、それでいて癖になる味でした。


「……美味しいですよ、フローラ」


 今度はいつか、私の淹れた紅茶を飲んでもらいたい。もっと、楽しいお話をしたい。

 そう願いながら、私はフィナンシェをもう一口頬張るのでした。

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