269.ウェルカでの再会
シンとフェリーが魔術粘土の採取とミシェルの情報を求めてラットリアへと向かっている間。
少年は、かつて自分が冒険者登録を済ませた街へと顔を出していた。
かつて人間が魔物に変貌し、大惨事を起こした街。ウェルカ。
邪神の『核』で強制的に『扉』を開こうとしたものを、シンが魔導石による大爆発で阻止をした。
シンが重症を負い、アメリアが後始末をしていた事もあってピースはこの街に二ヶ月程滞在をしていた。
今の身体に生まれ変わり、この世界で訪れた最初の街。故郷が存在しないピースにとっては、思い出深い街でもあった。
「お久しぶりです、セレンさん」
「あら、ピースくんじゃないですか。お久しぶりです」
冒険者ギルドの受付で、二人は向かい合う。
巻かれたベージュの髪を微かに上下させ、ギルドの受付嬢であるセレンは笑みを浮かべる。
覚えられていたと喜ぶ反面、ピースは驚きを隠せなかった。
「ピースくん? どうかしましたか?」
「いえ、まさか覚えていてくれているとは思ってなくて……」
自分から話し掛けたにも関わらず、ピースは忘れられているだろうと高を括っていた。
セレンはこの街の冒険者ギルドの受付の中でも人気だ。
ちょっとだけ滞在していた新規の冒険者など、忘れられていてもおかしくはない。
駄目で元々だっただけに覚えていてくれた事が素直に嬉しかった。
「失礼ですね。自分が担当した冒険者ですから、きちんと覚えていますよ」
「その節はどうも、大変お世話になりました」
「そんなに畏まらなくてもいいですよ。お仕事なんですから」
深々とお辞儀をするピースを前に、セレンがくすくす笑う。
周囲の男衆から鋭い視線を浴びせられるが、ピースは全く意に介していなかった。
「今日は旅の途中で寄られたんですか? それとも、何か依頼を?」
「ああ、えーっと。セレンさんに挨拶をしたいっていうのは勿論あったんですけど……」
ばつが悪そうに、ピースは頭をぽりぽりと掻く。
ピースが王都を離れてこの街を訪れたのには、理由があった。
砂漠の国でイルシオン達がアルジェントの策略に乗せられて以降、砂漠の国では戦争の機運が高まっていると情報が入った。
元々、砂漠の国はミスリアとは不仲だ。
攻め入る大義名分を手に入れたとでも思っているに違いないとヴァレリアがぼやく。
イルシオンはその件について深く反省をしていたが、彼が国境沿いに棲息していた魔物を退治した事には違いない。
魔物に変わった人間だって、救う手立てはない。イルシオン達には、他に手段を持ち得なかった。
向けられる悪意のベクトルが、ミスリアへ誘導されてしまったという話。
この様子なら、テランから聞かされた他国にミスリアを攻めさせるという策もそう遠くないうちに実現してしまうだろう。
尤も、魔術大国であるミスリアへ喧嘩を売るというのであれば砂漠の国も相応の代償を覚悟しなくてはならない。
ミスリアも防衛に関しては先手を打っている。紅龍族との同盟を発表し、防衛線上に龍族を配置する事で他国への牽制と健在をアピールしていた。
それでも、裏に世界再生の民が噛んでいるのなら砂漠の国は止まらないだろう。
シン達の向かったラットリア周辺はまだ、争いが始まろうとは夢にも思っていない状況だった。
ピースがウェルカを訪れたのは、同様にミスリア国内の状況を確かめるよう頼まれたからでもあった。
騎士団よりも身軽な冒険者であるピースの方が生の情報を得やすいと考えたヴァレリアが、手持無沙汰にしていたピースへと依頼する。
特にピアリーからウェルカまで、邪神の創造を研究していた施設はエステレラ家の管轄となる。
次期当主のビルフレストと深い繋がりがあったからこそ、邪神の研究は進められていた。
第一王子を連れてミスリアを離れたビルフレストが、再び姿を現す事は期待できないだろう。
現に、研究に関わる施設はその全てが破壊されていた。彼らや邪神の痕跡は、何ひとつとして残されていない。
エステレラ家の現当主であるサルフェリオは、体調不良を理由に雲隠れしている。
いくら追及してもビルフレストの行動は知らない、自分に野心などないの一点張り。
第二王女の護衛を務めているロティスが「そういった企みが出来るような男ではありません」と語っていたが、人柄ではなくあくまで器の話だ。
ビルフレストが信頼を容易に集めていったのも、サルフェリオとは対照的に有能だったからとも言える。
サルフェリオ自体は脅威ではない。強いて言えば、エステレラ家に僅かながら王家の血が混じっている事が面倒だった。
王家にもしもの事があれば。その万が一を求めて、彼を擁護する勢力は確かに存在するのだ。
そういう事情もあり、ヴァレリアが己の持つ権限で騎士団を動かしても面倒な事になりかねない。
悪く言えば体のいい使い走りなのだが、ピースはこれを快く了承した。
ミスリアの東部は、ウェルカからポレダまで世話なった街が多い。他人事だとは思えなかった。
勿論、久しぶりにセレンへ挨拶をしたいという気持ちも動機のひとつではあったのだが。
「ええとですね。最近、変わったことありましたか……?」
打って変わって、今度はセレンがきょとんとする。
カウンターを挟んで、向かい合う二人。少しの間、沈黙が二人の仲を取り持つ。
(ヘタクソかっ! もうちょっと、なんか言い方あっただろう!!)
時間にして数秒。だが、ピースにとっては地獄のような時間。
常套句のようなありきたりな再会の挨拶から、雑な話題の振り方。
いくらなんでも酷過ぎる。セレンの前では作り笑顔を浮かべる裏で、脳内で悶え苦しむ少年がそこにはいた。
「そうですね……。ピースくん、夕方空いていますか?」
「はへ?」
帰ってきた答えはピースの予想から大きく外れたものだった。
あまりの出来事に気の抜けた声が漏れ出てしまう。
「いえ、無理にとは言いませんが。今日は仕事が夕方には終わるので、よろしければご一緒出来ればと」
「だっ、大丈夫です!」
背筋を伸ばし、カクカクと首を上下に振る。
思ってもみなかった展開に、胸の高まりを感じるピース。
その裏では、殺気へと進化した男衆の視線が槍の雨のように突き立てられていた。
……*
「お待たせして、すみません」
小走りで駆け寄るセレンの姿は、見慣れた冒険者ギルドの制服とは違っていた。
髪を一本にまとめ、動きやすそうなラフな服装。
これはこれで、自然体の彼女が見られて素晴らしいとピースはひとり頷いていた。
「いえ、全然ですよ。ケレナ草を採って戻るのに、ちょうどいいぐらいでした!」
セレンを待っている間、ピースは冒険者ギルドで次々と男に絡まれた。
鼻先がくっつきそうなぐらいまで顔を寄せられ「勘違いするな」だとか、「このマセガキが」と言われたい放題だ。
余裕ぶって鼻で笑おうものなら、砂漠の国より先にこの場で戦争が勃発しかねない。
彼女の人気がよく窺える出来事ではあったが、笑って受け流し続けられるほどピースの精神力は強くなかった。
この場から逃げるようにして、ピースはケレナ草の採取依頼を請けて時間を潰す。
腕試しを兼ねて討伐依頼でも受けようと思っていたのだが、どうにも依頼が少ない。
この時のピースは、今は平和なのだろうかと呑気に構えていた。
「それで、仕事終わりにおれとなんて居ていいんですか?」
「ええ、何か問題でもありましたか?」
「あー、いや。ははは……」
どうやらセレンは、冒険者ギルド内で向けられている好意に一切気が付いていないようだ。
冒険者ギルド内に佇む哀れな荒くれ者達の姿を思い出し、ピースは黙祷をした。
「少し、案内したいところがあるんです。仕事中だと、ずっと外出しておくわけにもいきませんから」
「はあ……?」
何を意味しているのか解らないと首を傾げつつ、ピースはセレンの後ろをゆっくりとついて行く。
誰も意地汚く追跡しようとする者が居ない事だけは、ピースは荒くれ者を素直に見直していた。
……*
セレンに案内された場所は、ウェルカにある一番大きな屋敷。
かつての騒動で命を落とした領主、ダールのものだった。
廃墟となった屋敷は、窓や壁があちこち壊されている。
金になりそうなものは全て盗まれた。そんな様子が、視ただけでも伝わってくる。
勿論、邪神の痕跡を消す為のフェイクが元なのだろうが。
「領主様は、とても善い人でした。それが亡くなったら、こんな風に荒らされてしまうんですね……。
あの事件で、皆さんが苦しい思いをしているのは解っていますが……」
やるせない顔を浮かべるセレンに、ピースは掛ける言葉が見つからなかった。
領主のダールは決して善人ではない。むしろ、街の人を魔物へと変貌させた張本人だ。
アメリアの部下もその多くが命を落とした。双頭を持つ魔犬を召喚したのも、恐らくはダールだ。
セレンが抱いている人物像とは、対極に位置している。
それでも、真実を伝える事は憚られた。
伝えた所で、セレンにとって利がある訳でもない。むしろ、真実を知る事で危険に晒される可能性がある。
彼女はこの冒険者ギルドで人気の受付嬢。それだけで十分だった。
「それとですね、こちらの方へ進むと――」
「あっ、待ってくださいよ」
徐に歩き始めるセレンを、ピースは速足で追いかける。
広がった視界の先に佇むのは、この街に配備された騎士と龍族。
エステレラの管轄していた範囲では、どこで邪神に関わる情報を拾うかが判らない。
国境沿いのカッソ砦よりも多くの戦力が、ミスリアの東部には割かれていた。
王妃や騎士団長にとっては、民を護る為に必要不可欠な人員。けれど、護られている者がそれを知る事は無い。
「騎士様や龍族が、ずっと佇んでいるんです。街の反対側や、隣町。
美味しい小麦が採れる事で有名な、ピアリーの村にだって配備されているんですよ」
「それは、また大勢の魔物が襲ってくるかもしれないから……。
ほら、ポレダっていう港町にも異常発達した魔物が見つかりましたし。
最近は何かと物騒ですから、皆を護ってくれているんですって!」
周知の事実を並べて、何とか納得をしてもらえないかと言葉を並べていくピース。
セレンにとっては彼が自分を元気づけているように見えたのか、苦笑をしてみせた。
「そうかもしれませんね。けれど、難しい問題もあるんです。
冒険者ギルドに討伐依頼があるのは、ギルドが自警団を兼ねている所もあるんです。
勿論、ミスリアの場合は犯罪者を最終的に騎士団へ預けますが……。
こうやって騎士様が常駐されると、どうしても依頼は減ってしまいます」
ピースは冒険者ギルドでの出来事を思い返す。
言われてみれば、掲示板に張られている依頼が少なかった。
加えて、自分に絡んだ面々もずっとギルド内に居た理由。
単にセレンと会いたいだけではなく、少なくなった仕事を取り合っていたのかもしれない。
「勿論、明確な境界線はありません。この間の騒動みたいな場合は、騎士様たちに居て欲しいとさえ思います。
けれど、犯罪者の中には元冒険者という人も珍しくありません。
段々と冒険者としての仕事を失っていき、やがて悪事に手を染めるような――」
セレンの言いたい事は、恐らくこうだ。
冒険者ギルドは今、騎士と龍族の常駐によって不景気となっている。
考えてみれば当たり前の話だ。騎士はともかく、龍族を前にして我が物顔で歩く魔物や犯罪者などそうはいない。
空気の読めない魔物や犯罪者が居たとしても、騎士にしょっ引かれてしまう。
結果、探索や採取を目的とした冒険者以外にとっては閑古鳥が鳴いてしまう。
需要と供給のバランスが、崩れてきているのだ。
「領主様が亡くなった以上、エステレラ家が治めるはずなのですが、サルフェリオ様も今は療養中と聞き及びます。
指導者が不在で手薄になった東部を狙って、マギアが戦争を仕掛けると言う噂さえも出回っています。
表向きこそ平和ですが、ウェルカ領の……。東部の人間は内心ではずっと怯えているんです」
ピースは彼女の話を、じっと聞き入れた。そして、ある種の確信を得た。
マギアが戦争を仕掛けるかもしれないという話が出回った時点で、世界再生の民が一枚噛んでいると。
冒険者ギルドが不景気で、荒くれ者どもが犯罪者に成り下がる程度なら副次的なものだと判断しただろう。
けれど、マギアとの戦争だなんて突拍子もない話はどこから出て来たのか。誰かが、火を起こして煙を焚いたに違いない。
あるいは、ビルフレスト達が脱出する前の置き土産か。どちらにせよ、はた迷惑な話だった。
一方で、漠然とした不安を抱えている事が判ったのは収穫だった。
特に騎士団や龍族の件を絡めた具体的な要素まで、彼女は教えてくれた。
判断をするのは王妃や騎士団長だが、話せば彼女達もきちんと民の事を考えてくれるだろう。
こうなれば、今の自分に出来る事は限られている。
夕焼けでセレンの頬が赤く染まる中、ピースは彼女を見上げた。
「セレンさん、大丈夫です。あんな凄惨な事件があったから、皆の気が立っているんです。
きっといつか、元通りになります。その時は、もっと楽しい話をしながら街を散歩しましょう」
「……そうですね。ピースくんはやっぱり男の子ですね」
「え?」
彼女の言わんとしている事が判らず、ピースは首を傾げる。
「段々と逞しくなっていると思います」
「そですかね? 自分では、よく分からないです」
にこやかな笑顔を見せるセレンを前にして、ピースは気恥ずかしくなる。
逃げるように視線を空へ移すと、夕焼けが目に染みた。
邪神によって色んな人の人生が歪められている。
直接的なものだけではなく、間接的なものまで。
せめて何も知らない人達は、そのままでいて欲しいとピースは切に願った。