27.『器』と『扉』
炭化した双頭を持つ魔犬の身体がボロボロと崩れていく。
その牙から解放されたフェリーは本日二度目の尻餅をつき、魔犬の最期を瞳に焼き付けた。
恐らくオルトロスも、最後は自身の限界を超えていたのだろう。
魔導刃の高熱に長時間耐えたのも、魔犬が持つ魔力を全て防御に注いだからなのかもしれない。
オルトロスがそんな事を出来るのか、今となってはそれを知る術は無い。判っているのは脅威のひとつは去ったという事実。
もうひとつの脅威はどうなっただろうか。
フェリーは立ち上がると、爆発の起きた方角を確認する。
「え……」
その光景は想像していたより凄まじく、フェリーは言葉を失った。
地面は抉られ、爆心地を中心から数メートルは焼け野原のようになっていた。
爆風に吹き飛ばされた石畳の破片がそこら中に転がっているし、広場に設置されている噴水なんて水が漏れてしまっている。
唖然とするフェリーだが、幸いあの重圧の元となった漆黒の球体は見当たらない。
シンが破壊に成功したのだと喜ぶが、その彼が何をしたかは見当もつかなかった。
(魔導弾でもこんな爆発するやつ……なかったよね?)
高熱弾も稲妻弾も、風撃弾だってこんな事にはならない。
フェリーが首を傾げていると、重い足取りで歩いてくるシンの姿を見つけたので駆け寄った。
「シン!」
「フェリーか。あの球はどうなった?」
「だいじょぶ、ゼンゼン見当たらないよ」
それを聞いて、シンは安堵した。
大きな犠牲を払っただけあって、ちゃんとした成果を得られて良かったと心の底から思う。
「あのさ、シン。さっきの爆発って……どうやったの?」
「あー……。それはだな……」
「?」
シンが言い辛そうにしている理由がフェリーには判らなかった。
まだ気付いていないのだ。
「……撃ったんだよ」
「や、それはわかるよ」
フェリーは「いくらなんでも、そこまでバカじゃない」と頬を膨らませる。
「いや、撃ったのはあの球じゃなくてな」
「??」
未だフェリーには話が見えてこない。シンは一体何をまごまごしているのだろうか、らしくもない。
「マナ・ライドをだ」
「…………え?」
今度は言っている事の意味が判らず、フェリーの頭はフリーズする。
言われてみればマナ・ライドはこの辺りで降りた気がする。
周囲をよく見渡すと、マナ・ライドの破片らしきものも周囲に転がっていた。
「マナ・ライドを撃って、魔導石を誘爆させた。
その爆発であの球を壊したんだ」
「え? そんなコトできるの?」
フェリーはまだ半信半疑だった。
周囲に飛び散る破片がマナ・ライドの破壊を証明しているようなものだが、まだ受け入れられなかった。
正しくは受け入れたくなかった。
マナ・ライドには沢山の思い出がある。
側車に乗って、シンと旅をした事。風を切っていく感覚が気持ちよかった。
荷物も沢山積み込めたので、かなり重宝した。
「ええっと……。いちおー、訊くケド……積んでたものは?」
「俺もそれを確かめようとしたが、全部無くなったみたいだな」
現実は残酷だった。
もう、マナ・ライドは飛び散っている焦げた破片。それしか残っていないというのだから。
「え……えええぇぇぇぇぇぇっ!!?」
あの中にはお気に入りの服や食器など旅のお供が積まれていた。
それが木っ端微塵になった。今目の前にいる男は、確かにそう言ったのだ。
「ちょっとシン! あたしの服は? コップは!? 取っといたおやつは!!?」
おやつなんか隠し持っていたのか。と思いつつも、シンは首を横に振る。
「そ、そんな……。確かに壊してってお願いしたケド、他に方法なかったの!?」
フェリーに言われるまでもなく、シンも出来る事ならそうしたかった。
二人が旅に使用していたマナ・ライドは改造品だ。通常より出力を上げたり、どんな道でも走れるように改造していた。
マナ・ライドだけではなく、自分が積んでいた魔導弾や弾丸も全て無くなってしまった。
特に魔導弾は、貴重だったのだが、最早僅かな手持ち分しか残っていない。
それでも、あの球体を破壊する事を優先しなければと思った。
フェリーも同じ考えだったからこそ、自分へ破壊を任せたのだ。
あの漆黒の球体にはそうしなければいけないと思わせる何かがあった。
「悪い、そんな余裕はなかった」
「うぅ……」
責められないのはフェリーも理解している。
シンがきっちり漆黒の球体を破壊してくれたからこそ、今こうやって会話が出来ている事も理解している。
だからこそ、気持ちの行き場に困っていた。
「それで、街の人はもう大丈夫なのか?」
ハッとしたフェリーが周囲の様子を見渡した。
ピースが避難している人達を騎士団の生き残りに預けたようで、こちらへ駆け寄ってくるのが見える。
彼も満身創痍でその足取りは重かったが、目立った外傷は無いので大丈夫だろう。
勿論、魔物になってしまった人や、この戦いで命を落とした人は少なくない。
それでも自分達の故郷のように全てを失ったわけではない。その事に安堵した。
「うん。街の人もピースくんも、だいじょぶみたい」
「そうか」
シンはその言葉を聞いて、ほっと一息をつく。
終わったのだと、感じた。
そして――。
「それなら、よかっ――」
そのまま、シンはフェリーへと倒れこむ。
「ちょ、ちょっと!」
フェリーが慌てながらシンの身体を支えるが、ぬるっとした感触が彼女の右手を覆った。
恐る恐る自分の右手を確かめると、それは掌を真っ赤に塗りつぶしていた。
双頭を持つ魔犬との戦いで受けた傷口が、開いたものだった。
「え……」
慌ててシンの顔を覗き込むが、既に彼は意識を失っていた。
彼もとうに限界を超えていたのだ。
フェリーも心の奥底では解っていた。服を真っ赤に染め、いつもより重い足取り。
そんな状態で怪我をしていないはずがない。
ただ、彼は弱音を吐かない。だから頼ってしまった。
何があろうと弱音を決して吐かない事も、自分は知っているのに。
「ま、まって」
シンを抱きかかえたまま、ゆっくりと腰を下ろす。
白くなった肌、速い呼吸。普段と違う彼の全てが、フェリーを狼狽させる。
「おねがい、だめ……。だめだってば!
やくそく……してるでしょ。あたし、ころすって……。
シンは守ってくれるって、あたし……しってるもん!」
ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら、傷口を抑え込む。
そんな事をしても意味はないと思いつつも、フェリーはその手を紅に染めていく。
「シンさん!?」
様子がおかしいと、疲れ切った身体に鞭を打ってピースが駆け寄ってくる。
泣き続けるフェリーと、彼女に抱えられて横たわっているシンの姿が言葉による説明を不要とした。
「――っ」
ピースは即座に踵を返し、ありったけの力で声を出した。
「誰か! 誰か治療が出来る人はいませんか!?
大怪我をしている人がいるんです! 誰かっ!!」
ふらついて転ぼうと、ピースは叫ぶ事を止めなかった。
昨日今日逢った仲だけど、この人はこんな事で死んでいいはずがない。心からそう思っていた。
治癒魔術の使える魔導士がすぐ傍で避難民を誘導していたのは、僥倖だった。
シンが一命を取り留めたと聞いて、フェリーは一際大きな声で泣きじゃくった。
……*
「そんな馬鹿な……」
双頭を持つ魔犬はおろか、自らの最終手段でもあった漆黒の球体を破壊されたダールは愕然としていた。
持てる全ての力を使い切ってしまい、彼に残るのはアメリアから奪還した『核』の石のみだった。
これだけは、何があっても失うわけにいかない。
「まだだ、まだ私は負けていない……」
ダールが今すぐに動かせる駒は、シンの稲妻弾を浴びた上級悪魔のみ。
今更、上級悪魔一体でどうにか出来るとは思えない。
幸か不幸か、戦いは終わったと街中が安堵のムードへと切り替わろうとしている。
その隙にこの街を去れば、身を隠す事は可能だろう。
「ダール公」
突如、背後から聞こえた男の声にダールは肝を冷やす。
慄きながら振り向くと、そこにいるのは自分の仲間の姿だった。
「お、おお! 貴方様でしたか!」
命拾いをした。と、ダールの表情が明るくなる。
これで安全に逃げる事が出来ると、気が楽になった。
だが、ダールに投げかけられた言葉は彼が思っている内容とは正反対のものだった。
「失態だな」
「――は?」
重く、冷たく言い放たれた言葉は自分が思い描いていたものではない。
信じられないと言った様子で、ダールは目を丸くする。
「街をこのような混乱に陥れて、どうするつもりなのだ?」
「そ、それは……! マーカスが邪神様の『器』を破壊されたからで……!
私は『核』を取り戻したのです!」
ダールは悪意を煮詰めたような、ドス黒い石を差し出す。
男はそれを受け取ると「ふむ……」とその機能が破壊されていない事を確認した。
「確かに、本物のようだ。それは評価しよう」
「では――」
男はダールの言葉を遮る。
「しかし、それにしてはやり過ぎではないのか?
人間と取り込ませるのでは効率が悪い。そのために貴公が研究していた、ヒトを魔物へと変貌させる研究。
更にはそれを媒介とした魔物の召喚術。その技術を不用意に晒すのは、聊か思慮が浅いように思えるが?」
「そ、それは計画に一番重要な『核』を奪還する為で……!」
シンやフェリーの暗殺を企てた件は、決して口に出すまいとダールは言葉を選んだ。
息子の復讐については完全に私情だ。悟られる訳にはいかない。
「ミスリアを甘く見るなよ。これだけの情報があれば、魔術式を解読される恐れがある。
魔法陣まで晒しているのだ、じきに我らの狙いも勘付くだろう」
「うぅ……」
男は続ける。
「極めつけは、『扉』だ。貴公、邪神様を顕現させようとしていたな?」
「う……」
最後にシンが破壊した漆黒の球体は、この世界とは違う世界へと繋がる『扉』を発現させる物だった。
そこに居るとされている、邪神を召喚する為にダールや男達が研究を続けているモノ。
双頭を持つ魔犬などより遥かに強大で、現れるのであればこの世の終わりをも覚悟しなくてはならないモノ。
歴史上、はっきりとその存在が確認された事はない。
それだというのに一部に強い信仰を集め、それは間違いなく居るとされている。
「受肉させる肉体もなく、邪神様を顕現させるとはどういう了見なのだ?
ピアリーで育てていた『器』も、今はこの様だ」
石となった『核』を、ダールの前に出すと彼は言葉を失う。
奴は今、一連の失態を清算出来る言い訳を考えている。こういう狡い人間だという事は男も知っていた。
男は最初から、ダールを赦すつもりなど無かった。
「き、聞いてくださ――」
ダールはまたも言葉を言い終わる前に、遮られる。
しかし、次に彼の言葉を遮ったのは剣による物だった。
「……え?」
いつ抜いたのか、いつ斬られたのかを認識できないまま、ダールはその頭を地に転がす。
「わ、わたしの、あ、あたあた、あたま――っ!?」
切り離された胴体を眺め、ダールは悲鳴を上げる。
眼を見開き、無様な顔を曝したながらダールは絶命した。
「……念のため、こっちも処分しておくか」
「ギッ!?」
もう一振り、剣を振るうと上級悪魔もその身をふたつに分ける。
瞬く間に灰となった事を確認し、男は踵を返した。
――それにしても。
男は遠目より監視していた広場での戦いを思い返す。
――あの女は『器』として使えそうだな。
幾度となく致命傷を受けながらも、立ち上がるフェリーの姿に男は興味を引かれていた。
ピアリーで研究していた彼女や、『核』を魔物に喰わせたものよりも遥かに頑丈かもしれない。
邪神の『器』として扱うのならば、肉体がその力に耐えられる事は絶対だ。その点であの女は期待が持てる。
何より、計画の予備はいくらあっても不都合はない。
まずは彼女について調べよう。
再び相見える、その日に備えて。