266.教会で語られる過去は
ナタレ鉱山でミスリルの素材となる魔術粘土の採取は、滞りなく終わった。
一時は山賊が棲みついて周辺の村にまで影響を及ぼしていたが、ミスリア国内を放浪していたイルシオンとクレシアによって討伐されている。
イルシオンに感謝する村人の声に、どこか誇らしげなイディナを尻目に三人はラットリアへと足を運んだ。
……*
「ここがラットリアです!」
両手を大きく広げたイディナが、満面の笑みで二人に紹介をする。
短期間での凱旋となるが、やはり何度帰っても故郷の空気は心を落ち着かせる。
エトワール本家の屋敷があるこの街は、心地よい風が流れる事で有名でもあった。
金色の髪が舞いフェリーの頬を撫でると、くすぐったそうにしながらはにかむ。
「いいトコだね」
にぎやかではあるが、生き生きとしている街の人を見たフェリーが呟く。
思い返せば、ミスリアに訪れた時は戦いに明け暮れていた。
王都周辺や国境付近は慌ただしいけれど、まだこの周辺にまでは剣呑な雰囲気が押し寄せてはいないようだ。
たまにはこういう雰囲気に触れるのも、悪くない。
イディナの努力が実を結んだ結果、シンとフェリーの痴話喧嘩は収まった。
この街でミシェルが居るという教会へは、三人で顔を出す。
部外者である自分が同行しても構わないのかというイディナの問いに、肯定で返したのはフェリーだった。
「ミシェルさんと知り合いなら、いっしょに来てほしいかな」
イディナは逡巡した。明らかにナイーブな話なのは、火を見るよりも明らかだからだ。
前回、フィアンマと共に訪れた際からもそれが窺える。
「あのう、シンさん。フェリーさんはこう仰ってますけど……。
本当にいいんですか? ぼくは案内だけして、実家に帰っても……」
困り眉を見せるように、イディナはシンの顔を見上げる。
彼も少し悩んだ様子を見せたが、やがてフェリーと同じように肯定をした。
「あまり、面白い話にはならないと思うが。フェリーが来て欲しいなら、ついてやってくれ」
(で、ですよね)
目を細めながら、イディナは「わかりました」と返す。
断片的にしか判らないが、良い話であるのならそもそも喧嘩する必要が無い。
天幕でフェリーが本音を漏らした後、イディナはシンの説得も試みた。
ミシェルに逢う事は了承してくれたから、あまり喧嘩はしないで欲しいと。
ダメ元で「自分も気まずい」と伝えてみたイディナだが、意外にもそれが決め手となった。
シンも元々、フェリーと喧嘩をする事は本意ではない。イディナに対しても、軌道修正が上手く行かず申し訳ないと思っていた。
多少のぎこちなさは残るが、旅だった時のような険悪な空気は鳴りを潜めた。
自分に同行を願ったのも、そのぎこちなさが原因なのだろうとイディナは推測する。
フェリーはずっとシンの様子をちらちらと見ているし、シンはシンで申し訳ないと思いつつもここで折れるとミシェルと逢う話が消え入りそうだと懸念している。
イディナが二人の間に入る事で、二人は空気を読もうという気になっている。
(ああ、ユーウツだよ……)
決して声には出さないが、フェリーが嘆く。本来なら今回の旅の楽しいものにはるはずだった。
またシンと一緒に採取の旅に出る。クスタリム渓谷では邪神と遭遇したからこそ、今度こそはという思いが強まっていた。
それなのに、今回は喧嘩から始まる旅だ。自分も愛と豊穣の神へ祈りを捧げ、仲を取り持ってもらえないだろうかと言いたくもなる。
焼きたてを合図するパン屋の匂いにも、煌めく宝飾品や仕立て屋の看板も、シンに相手では意味を成さない。
彼は目的地に向かって、確実に歩みを進めていく。対照的に、重くなっていくのはフェリーの足取り。
それにも関わらず歩調がずっと合っているのは、シンが流行る気持ちとフェリーの気持ちを天秤にかけているから。
一歩下がった位置にいるイディナには、二人が互いを想っている事がよく分かった。
……*
何も知らないラットリアの教会は、今日もいつも通りの一日を過ごしていた。
いつものように礼拝者が訪れたのかと、修道女は金色の髪をベールからはみ出しながら扉へと駆け寄っていく。
「あはは。シスター、また来ちゃいました」
「あら、あらあら。イディナ、どうかしたの?」
少し前に再会したはずのイディナが、また目の前に現れた。
王都の騎士見習いというやつはそんなに暇なのだろうかと、修道女は口元に手を当てる。
「……アンタが、ミシェルか?」
しかし、そういう訳ではない事を修道女はすぐに悟る。
ぎこちない笑みを浮かべるイディナの傍に立つ、一組の男女を見たからだった。
決して揺らがないであろう強い眼差しをも持った、黒髪の青年。
対照的に、どうすればいいのかと表情に影を落とす金色の髪を持つ少女。
「貴女は……」
「えと、その。フェリー、フェリー・ハートニアって言います」
伏し目がちな少女の姿とその名を聞いて、ミシェルはすぐに悟った。
フィアンマが自分に尋ねた『フェリー』という少女が、自分の目の前に現れたのだと。
見間違ったというのも無理はない。フィアンマの言う通り、確かに若い頃の自分に似ている。
艶やかな金色の髪も、顔立ちも。目は彼女の方がぱっちりとしているが、目元辺りはそっくりだ。
自分が持つ紅の瞳と違って、碧い眼もよく似合っている。更に言うなれば、妹の方がより近い顔立ちをしていた。
初対面のはずなのに、赤の他人だとはとても思えなかった。
「そう、貴女が……。フィアンマから、軽く話は聞かせてもらったわ。
私とよく似た少女に逢ったって。久しぶりにフィアンマと逢ったのも驚いたけど、こっちにも驚いちゃった」
「あ、えと、ハイ。あたしも……、ビックリしてます」
正直に言うと、フェリーも驚きを隠せない。
修道服に身を包んで隠れてこそいるが、まじまじと見ればどことなく自分と顔立ちが似ている。
それでいて壮年の女性は今も尚、どこか気品を感じさせる。一目見て、素敵だと思った。
自分も不老不死でなくなれば、彼女のようになるのだろうか。
シンと一緒に歳を重ねる事が出来れば、そんな日は訪れるだろうか。
過去に興味を持てないフェリーは、彼女を見て未来をぼんやりと思い浮かべていた。
「悪いが、アンタに訊きたいことがあるんだ」
「……ええ、そうね。でも、私はフェリーさんのことをフィアンマに教えてもらうまでは知らなかったわ。
貴方たちが望むような話は出せないかもしれないけれど……。少しだけ、お話しましょうか」
立ち話もなんだしと、教会の中へと案内をするミシェル。
この時、誰も気付いては居なかった。爪が食い込む程に、シンの拳が強く握られていた事は。
……*
「まず。フェリーさんのことを知らなかったように、私に子供はいないわ」
「ああ」
ずっと黙り込んでいるフェリーに代わって、シンが頷く。
元よりフェリーは、この話に興味が持てない。下唇をきゅっと噛んで、時間が早く過ぎるのを願っている。
「だが、妹がいると聞いた。……あまり、話したくなさそうだったとも」
「フィアンマ、そんな所まで話しちゃってるのね。困ったさんだわ」
身内の恥が外部に漏れていると知って、ミシェルは肩を竦めて見せた。
けれど、眼前の少女は部外者ではないかもしれない。そう思うと、彼の行動を責める気にはなれない。
「妹……。クロエはね、とても活発な娘だったわ。
冒険者に憧れていてね。家族は危険だから止めてたんだけど……。
ある日突然、家を飛び出していっちゃった。書置だけ残して」
突然、妹が消えたミシェルの家族は大騒ぎだったと彼女は続ける。
目撃情報はないか、冒険者ギルドに登録はしていないか。お触れを出して捜索をしたが、ついに彼女が見つかる事は無かった。
家族がすぐに探すだろうからと、国外へ飛び出していったのだと後日、クロエ本人の口から語られたという。
「本当に勝手な妹だと思ったわ。急に家を飛び出したと思ったら、唐突に戻ってはお金の無心をしているんだもの。
ウチにだけなら良かったけど、付き合いのある人達にまで借りていたみたいで……」
何よりミシェルが憤っていたのは、顔が似ているからと自分に扮してクロエは周囲から金銭を借りていたという事だった。
後日、返済を求められた際に全てを悟ったが「妹のやったことだから知らない」と突っぱねるのは、ミシェル本人とその両親が良しとしなかった。
返済が終えた後、逃げるように王都から引っ越したのにはクロエからの被害を拡大させない目的でもあった。
「……金を欲した理由は?」
「分からないわ。あの子、毎回言っていることが変わっていたもの」
ある時は、冒険で負傷した知人の治療費。またある時は、依頼中に壊した物の弁償をしなくてはならない。
ありとあらゆる理由を用いて、クロエは金の無心に訪れていたという。その中に、子供が生まれたという理由は含まれていなかった。
「それ以来、もうずっとクロエには逢っていないわ。
フィアンマに渡したメモも私たちが引っ越す前のものだから、今も居るかは分からない」
リオビラ王国、ジルリア。
かつてクロエが冒険者として活動をしていたという街。
「リオビラか……」
そこはミスリアのあるラーシア大陸ですらない。
リオビラ王国に足を踏み入れた事はあるが、ジルリアという街に立ち寄った事はない。
ミスリアから向かうのであれば、海路で何日掛かるかが判らない。
本心ではシンは行きたいと思っているが、フェリーはそれを良しとしないだろう。
どこで邪神の魔の手が伸びているか分からない中、反対するフェリーを押し切ってまで強行は出来ない。
流石にマレットもいい顔はしないだろう。リタに至っては、黙って旅へ出た事に憤慨するかもしれない。
フェリーにとっても大切な人達を放り投げてまで、シンは己の我欲を押し通せなかった。
「ごめんなさいね。楽しい話でもなければ、貴方たちへヒントが与えられるわけでもなくて」
「……ううん、ありがとう。ミシェルさん」
じっと話を聞いていたフェリーが、苦笑する。
あまり面白い話では無かったけれど、クロエが自分の親だと言い切れるようなものでも無かった。
何も変わらない、今まで通り。フェリーにとっては、それで良かった。
「シンも、これでいいよね? ミシェルさんもおうちのコト、あまり言いたくないのに教えてくれたんだし……」
「……ああ」
いつになく弱々しい笑顔を見せるフェリーを前にして、シンは頷いた。
……*
その後、重い空気を取り返すかのようにミシェルが話題を明るくしようと努める。
自分には娘がいないから、よく似たフェリーに逢えた事自体は嬉しいらしい。
フェリー自身も顔が似ていると言われるのは悪いと思っておらず、当時はどんな服装をしていたか等を積極的に尋ねていた。
雲行きが怪しくなったのは、帰路についての話である。
シンがフェリーへ気付かれないように、小声でイディナへと話し掛ける。
「イディナ。すまないが、この後フェリーのことを頼んでもいいか?」
「それってどういう……」
予定ではこの後、イディナの実家である食堂へ顔を出す。
宿を取るのも勿体ないからと、イディナが是非泊って欲しいと提案をしてくれていた。
客間はひとつしかないので、自動的にシンに泊まってもらう事となる。
イディナ自身は自分の部屋でフェリーと過ごすつもりだったのだが、彼の眼差しが求めているものは明らかに違っていた。
「俺はまだ、ミシェルと話足りない。後で、もう一度会いに行く」
「え? ええっ?」
この人は何を言いだすんだと、イディナが目を丸くする。
大人しくミシェルの話に耳を傾けていると思えば、どうやらまだ腹に据えかねるらしい。
「それって、フェリーさんを連れては……」
「行けないから、頼んでるんだ」
「ですよね……」
フェリーを連れていけない内容とは、一体何を言うつもりなのだろうか。
聞こうとも思ったが、万が一フェリーに漏らしてしまえば道中の喧嘩どころでは済まないかもしれない。
ただひとつ。確実に言える事は、シンは本気だ。真剣な声色からも、それが窺える。
「……分かりました。やってみますけど、失敗しても怒らないでくださいね?」
「無理を言っているのは俺だ。迷惑を掛ける」
「あと、シスターとの話が終わったらフェリーさんに優しくしてあげてくださいね」
「……やってみる」
シンが顔を顰める。今回の件は、流石に自分も悪い。
子供のイディナにまで言われるとは、自分は相当に切羽詰まっているらしい。
反省こそするが、シンは立ち止まらない。
ミシェルの身の上話だけで納得できるほど、シンは大人では無かった。