263.牢から出た先に
土と木で出来ている檻は脆いと思いきや、多少の事ではびくともしない。
得意の魔術は妖精族の精霊魔術によって封じられている。
牢屋に閉じ込められてから、何ヶ月が経っただろう。
初めは尋問を試みた黒髪の青年や妖精族の男も、今ではすっかり姿を見せない。
流石に高圧的な態度を取り過ぎたかと、今になって反省をする。
話し相手すらいないのは、想像を絶するほどの苦痛だった。
格子の内から見続けた風景は、目を閉じても鮮明に思い浮かべる事が出来る。
染みのひとつすら、再現できる程に。
その魔術師は捕らえられてから、なにひとつ語ろうとはしなかった。
外界と隔離されながら、ただ無意味に過ぎていく時間に耐えるだけの日々。
かつてギランドレと手を組み、妖精族を連れ攫おうとした魔術師、ディダ。
死ぬまで続くと思われたこの退屈な日々は、唐突に終わりを告げる。
……*
その日はいつもと違っていた。
規則的なリズムで刻まれている足音が、大きくなっていく。
食事の時間にはまだ早い。
三食きっちりと出してくれるし、体感では時間に極端な差が発生する事はない。
腹に収めた朝食が消化しきってない今、食事の線は薄かった。
ならば、誰がどういった理由で訪れるのか。
同居人が増えるのだろうかと、ディダは眉を顰めた。
尤も、可能性はそう高くないだろうと心の中では理解しているが。
共に捕らえられたレチェリと自分は隔離されている。
共謀していたのだから当然だろうが、それを差し引いてもこの牢に二人は狭すぎる。
見知らぬ同居人と狭い牢屋で四六時中過ごせとなれば、流石の自分も精神の限界が訪れるかもしれない。
気が合わない相手だとすれば最悪だ。新たに誰かが投獄されるのだけは、勘弁してくれと心の内で切に願った。
他に可能性があるとすれば、久方ぶりの尋問だろうか。
尋問については、何をされようとも口を割るつもりは無い。
邪神の事も、自分の背後にミスリアの貴族が存在してる事も。
ディダは特別忠誠心が高い訳ではない。
世界再生の民に与した他の者と変わらない、今の自分の立場に不満を持っている者。
彼は人間社会に於いて、ただ普通に生きていくだけでは起こり得ない人生の逆転を求めていた。
幸い師は組織内でも重宝されていた。与えられた任務をこなす姿を、自分も追従していた。
勝ち馬に乗って目に見える成果を残せば、後の人生は安泰だと信じていた。
そう思っていたのに、現状はどうだ。
捕らわれの身では、その願いが享受される可能性は極めて低い。
いっそ話してしまった方が、楽になれるのではないか。
膨大な時間で重ねていった自問自答で、幾度となく浮かび上がってくる選択肢。
話してしまえば、少しは待遇が改善されるかもしれないと淡い期待を抱く。
一方で、諸刃の剣であるという事も重々承知していた。
万が一仲間に知られてしまえば、自分の居場所を完全に失う。
普段は師の後ろに。ギランドレが侵攻した際には、ガレオンの後ろに。
常に誰かを盾にしていた男は、全ての責任が圧し掛かる選択を決断できないでいた。
口を割らなかったのも、決して硬い意志を持っていたからというだけではない。
矢面に立たされた経験の少ないディダは、自分へ向けられた矛先をのらりくらりと逃げているだけだった。
足音が止まると同時に、ゆっくりと扉が開けられた。
久方ぶりの来客はどのような用件なのか。まさかの同居人なのか。
差し込む光を前にして、ディダは目を細めた。
「やあ、久しぶりだね」
やけに軽い口調で話す魔術師の姿を、ディダは知っている。
見間違うはずもない。この魔術師は、自分の上役であり魔術の師。テラン・エステレラなのだから。
「……師匠!?」
一体何があったのかと、ディダは眉根を寄せる。
眼球をせわしなく動かし、テランの姿をまじまじと観察した。
細く、僅かに青みが掛かった群青の髪も。対照的に、紅みを帯びた瞳も。
記憶にあるテランの姿と一致している。
強いて挙げるならば、彼らしくない点はふたつほどある。
金属の手甲に覆われた右手だけは、魔術師である彼に必要なのだろうか。
そしてなにより、テランは自分の顔をフードで覆ってはいない。
ビルフレストの右腕として、淡々と任務をこなすだけの彼からすれば『己』を必要としていなかった。
故に彼は、顔をフードで隠す事が多かった。元々が貴族の出なので、顔を覚えられてはまずいという意味合いも兼ねてだろうが。
どう言った心境の変化があったのだろうか。
何より、どうして師は妖精族の里に現れたのだろうか。
楽観的に考えるのであれば、自分を救出しにきてくれた。
自惚れではあるが、ディダは魔術の才に自信があった。
世に知られてないような構築を施された闇の魔術を扱えるという事実が、彼の自尊心を満たしていた。
尤も、テランに言わせれば基礎構築からディダが成し遂げた訳ではない。
他人の構築に沿って、己の魔力で実行したに過ぎない。
転移魔術や流水の幻影と言った独創的な魔術を創り続けるオリヴィア・フォスターという本物と比べれば、比べるまでもない。
ただ、ディダを全く評価していないといえば嘘になる。
魔術発言までの道のりは他人が用意したとしても、彼自身が期待以上の威力を引き出しているのは事実だった。
これは彼自身の魔力よりも、詠唱の言葉や結果を鮮明にイメージする力が長けている証明でもあった。
今回テランが牢屋に捕らえられているディダを訪れたのは、彼の長所に目をつけたからでもある。
「師匠、一体どうやって妖精族の里に……」
楽観的な理由の直後に、自分を始末しにきたという悲観的な理由をディダは思い浮かべた。
淡々と任務をこなす彼が失敗した者を切り捨てる姿の想像など、ディダにとっては容易だった。
もしそうであるならば抵抗したいところだが、生憎自分は魔術を封じられている。
なるようになるしかないと開き直りつつ、ディダはテランへと問う。
直後、ディダは目を丸くする。テランの返答が、想定外のものだったからだ。
「思うところがあって、ビルフレストの元を離れてね。
今はシン・キーランドやフェリー・ハートニアと共に妖精族の里で厄介になっている」
「……マジすか?」
「君にわざわざ嘘を吐くほど、僕も暇じゃないよ」
苦笑交じりに話すテランを見て、ディダは鳥肌が立った。
自分の知っている師は、もっと淡々と冷たく言い放つ。仮に笑みを見せたとしても、それは邪悪な薄ら笑いだ。
眼前に居る男は本当に師なのかと、ディダは己の眼と耳を疑った。
「……まあ、師匠がそういう人じゃないのは知ってます。
でも、シン・キーランドやフェリー・ハートニアって……」
その名を忘れるはずもない。
ピアリーの騒動から始まり、ウェルカ、妖精族の里と悉く自分達の邪魔をしてくれた流浪の二人組。
特にフェリーについては、ビルフレストが興味を抱いたはずだ。
実は彼女をビルフレストへ差し出す為の密偵なのではないかと、自分の持っているテラン像となんとか照合を試みる。
「君が捕らわれている間に、僕たちを取り巻く世界は大きく動いたということさ」
テランがまたも薄く笑みを浮かべる。
鳥肌を立たせるディダを他所に、テランはこの数ヶ月で起きた出来事を掻い摘んで話した。
……*
師の口から語られた真実はあまりにも濃厚で、ディダは吐き出さないように呑み込むのが精一杯だった。
第一王子がミスリアを攻め入れた事までは理解できる。そう遠くないうちに実行される計画だった。
問題はその後。ミスリアを疲弊させども落とす事は出来なかった。
結果的に、ミスリアの人間は妖精族、魔獣族、小人族といった亜種との同盟を結ぶに至る。
ビルフレストを裏切った師が妖精族の里で滞在している理由は、ミスリアに戻った事もあるがシン・キーランドを気に入ったからだという。
ディダからすれば信じがたい事だった。シンは蝕みの世界の中でも平然と動き回る狂人という印象しか持っていない。
色々と驚きを与えてくれるテランの話だが、極めつけは邪神だろう。
未完成とはいえ邪神が顕現を果たしたどころか、邪神の分体が少なくとも二体撃破されている。
マーカスが捕まったせいで、劣化した状態で研究が進められていたのではないかと思いたくなるぐらいだった。
「そして、君にこの話をしたのには理由がある」
「……ですよね」
ディダは知っている。師が意味もなく他人へ情報を漏らす真似をしないという事は。
この辺りの仕草は自分の記憶にある師の姿に近い。ある意味では、安心をした。
ただ、この理由というものが非常に曲者だ。
間違いなくテランにとっては意味が。もっと言えば利益がある話だろう。
だが、ディダから見た時に有意義であるかどうかはまた別の話となる。
極論、自分が妖精族の里で信用を得る為にガス抜きとして私刑されろと言われる可能性すらあるのだ。
「邪神を退けたはいいものの、ミスリアも当然疲弊していてね。
ミスリアの騎士団に魔術師として仕える気はないかい?」
テランの口から語られた理由は、自分の理解の外側にあった。
ディダは驚きのあまり閉口する。よもや潰そうとしていた国を、今度は守護する立場になれと言われるとは。
「……いやいや。それで解放してくれるなら喜んで首を縦に振りますけど!
ジブンが第一王子派に、ミスリアや妖精族の里の情報を伝える危険性があるとか考えないんすか?」
「心配には及ばないさ。リタ女王が君の魔力を覚えている。
痕跡を辿ればビルフレストたちの潜伏先が判るんだ。むしろ、推奨しているまである」
後ろを向いたテランが「そうでしょう?」と尋ねると、扉の向こうから妖精族の少女が現れた。
美しい銀髪を持つ妖精族の女王。リタ・レナータ・アルヴィオラは、人差し指と親指で輪っかを作っている。
「大丈夫。魔力はそこそこあるみたいだし、人間の世界でなら、バッチリ追えるよ」
「というわけで、君がビルフレストの元へ戻ることが僕たちにとっては危険だとは判断していない。
状況が整う前に叩ける可能性があるからね。それに、もしそうなれば君は四面楚歌だ」
「怖っ!」
笑みを浮かべてこそいるが、恐ろしいまでの脅しだった。
遠回しに「仮に脱走をしても無駄だ」と、首輪までつけられている。
こういった腹黒い面を見ると、やはりテラン・エステレラその人なのだと認めざるを得ない。
何より状況が、ディダに選択肢を残していなかった。
このまま牢屋で生涯を終えるか、ミスリアへ寝返るかという二択。
幸い、ミスリアで非人道的な扱いはされなさそうというのが救いか。
置かれている状況は別として、ミスリアの騎士団に推薦されるだけの素質が認められている事は素直に嬉しかった。
「……分かりました。ミスリアの騎士団で、頑張らせてもらいますよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
どこか白々しさを感じる師の笑顔を前にして、ディダは口を真一文字に結んだ。
「よかった。やっぱりね、ずっとご飯あげてるだけじゃね。
レチェリも頑張ってもらってるし、食べた分はきっちり働いてもらわないと」
テランの隣でリタは何度も頷いている。体のいい追い出しだとディダは悟る。
師も大概だが、妖精族の女王も中々喰えない存在らしい。
……*
ミスリアへ到着したディダを迎えたものは自分を取り囲むように囲む観衆と、拍手喝采だった。
全く状況が理解できない彼は、間抜け面を周囲に晒している。
「やった! やりましたよ! ベルさん、ストル! 見ましたか!?」
一際高揚のあまり甲高い声を発し続けている少女がいる。
オリヴィア・フォスター。第二王女の護衛にして、魔術の研究家。
「ああ! ここまで長かったな……!」
感極まっている妖精族にも見覚えがある。
確かストルとかいう男だ。捕らえられている間、何度か自分の元を訪れていた。
「ああ、これで一先ず実験は成功だな」
目つきの鋭い白衣の女には見覚えがない。
ただ、その豊満な身体をずっと見てはいけないと思って反射的に目を逸らしていた。
「さすがオリヴィアたちですね。よくぞここまで、研鑽を重ねました」
「おめでとうございます、オリヴィア」
「フローラさまに、お姉さま……! ありがとうございますっ!」
ミスリア一の騎士と呼ばれるアメリアや、第二王女までこの場に居る。
アメリアとフローラに称えられたオリヴィアの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
他にもシン・キーランドやフェリー・ハートニア。
更にはミスリアの五大貴族であるイルシオン、ヴァレリア、ライラスと言った面々。
よく見れば王妃までいるではないか。
(ここ、本当にミスリアか……?)
周囲の人間が歓声に沸く中、中心に立っているはずのディダだけが孤独を感じていた。
そう思うのも無理はない。彼はつい数秒前まで、妖精族の里にいたのだから。
テランに促されるまま、魔法陣の上に立ったディダは光に包まれる。
光の粒子が自分と師を遮ったと思えば、次の瞬間にはその身が拍手喝采に包まれているという状況。
「いやあ、お前もありがとな。その身を呈して転移魔術の実演に付き合ってくれたんだから!」
マレットがバシバシとディダの肩を何度も叩く。
思わず視線を下へと逸らしたが、その先では腕の上下に合わせて彼女の胸が揺れている。
目のやり場に困ると、ディダは天井を見上げた。
彼女の発言と周囲の状況から、大まかな事情は読み取れた。
オリヴィアが研究を進めていたという転移魔術が、一応の完成を見せた。
実演として、ミスリア王宮と妖精族の里を一時的に繋いでみせたのだ。
その実験体として選ばれたのが、自分だったとディダは察する。
「お前がディダか。大体の話は聞いてる。アンタがここからどういう扱いになるかは、アンタ次第だ」
マレットに代わって、体格のいい女性が自分の元へと現れる。
ヴァレリア・エトワール。騎士団の統括を任されており、ディダを引き受けると決断した女性。
「……お手柔らかに」
体のいい実験台かつ、ミスリアの戦力へ組み込まれる。おまけに古巣へ戻る事すら許されない。
自分は相も変わらず師に振り回されていると、ディダは実感した。
一方で、昔より彼の言葉に嘘がないとも思えた。
元より、邪神の力を以て何かを成し遂げたかった訳ではない。
邪神の分体を撃破したという情報は、勝ち馬に乗りたいディダの心を確かに動かしていた。
だが、彼は知らない。
ヴァレリアは健全な精神は健全な肉体から宿ると言って聞かない事を。
魔術師であるディダも例外ではなく、明日から彼は厳しい訓練に身を置く運命にあった。