262.その身の限界
シンが身体を横へ向けた事により、槍の先端が捉えるべき面積は減っていた。
いくら高速の突きを得意とするオルテールでも、老いた身体が精密さと疾さを両立させるには限界がある。
現にシンは必殺の突きを躱し、その柄を掴んでいる。
「こうしてしまえば、アンタの突きも繰り出せないだろう」
「この儂の突きを、若の前でよくも……ッ!」
以前の戦いとは違い、柄を通して二人は力比べを始めている。
一度ならず二度までも必殺の突きを照準を合わされた事は、少なからず衝撃だった。
過去での戦いも、今回の手合わせも。オルテールは確かに冷静さを欠いていた。
全盛期より衰えた身体。冷静さを欠いている。理由はいくらでも見つけられるが、目の前の現実を受けられないほど耄碌はしていない。
この男は視えている。かつて砕突のオルテールと呼ばれ、恐れられた突きを見切ろうとしている。
オルテールは幼少期から見守っていたオルガルの羨望を一身に受けるシンへ、嫉妬していた。
シンより上の実力者であると示す事は、彼にとっては大きな意味を持つ。
一方で、シンの実力を認めている自分がいる事も確かだった。
そうでなければ嫉妬などしない。ましてや、イディナに「見ておけ」などと言うはずがない。
魔力に頼らないのか、頼れないのか。鍛え上げられた身体が繰り出す身体能力。
彼も恐らくは、イルシオン達のような魔力に優れた人間とは別の、肉体だけによる限界が訪れるだろう。
オルテールも魔力による身体強化を全て否定するつもりはない。自分だって、少ない魔力で強化している。
だが、同時に経験則で知っている。鍛え上げた自分の肉体で感覚を掴む事の重要さを。
より鮮明に自分の身体が動くイメージが、魔力による恩恵を何倍にも膨れ上がらせる。
その下ごしらえとして、見て欲しかったのだ。シンの戦いを。
ある意味では、オルテールはシンの実力を一番正確に評価していた。
肉体は勿論、発想力と前に進む意思の強さを認めざるを得ない。
(妙だ……)
シンが木槍の柄を掴んだ事で始まった力比べ。
開始から止めどなく突き続けられていたオルテールの動きが止まり、彼に思考させる猶予を与えた。
たった数秒の均衡が、オルテールの思考が冷静さを取り戻すには十分すぎるものだった。
木槍の動きこそ止まったが、両手で柄を掴んでいるオルテールが優勢だった。
だからと言って、シンもされるがままではない。オルテールが槍を引こうとすると、力を込めて抵抗の意思を見せる。
オルテールが抱いた違和感は、彼の体勢にあった。
シンは身体が横を向いて、左手一本で掴んでいる。抑えつけるように、体重を乗せて。
片腕にしては、よく持ちこたえている方だと思う。両腕ならば、奪えたかもしれない。
だから、おかしい。
自分から武器を奪う千載一遇の好機に、どうして抵抗をしているだけに留めるのか。
右手から木剣を離し、両腕で柄の引っ張り合いをするだけで済むというのに。
疑念の答えをオルテールへ与えたのは、シンではなく周囲に居る観客だった。
声を出すのは不公平だと思ったのか、誰もが息を殺した。
それでも、全員が条件反射までは抑えきれない。何が起きたか理解しているからこそ、息を殺すという選択肢が現れたのだから。
「小僧! やはり貴様は、油断ならん奴だ!」
槍の柄から手を離したのは、オルテールだった。
狙いが悟られたと察したシンは、舌打ちをする。
自由になったオルテールの手が新たに掴んだ物。それは、シンが持っていたはずの木剣だった。
頭上に舞い落ちてくる木剣の柄を正確に掴み、己の得物とする。
身体を横向けて突きを躱した時に、既にシンの頭の中で絵は完成していたはずだった。
右腕を徹底して隠し、左手で掴んだ槍の柄に体重を乗せる。
オルテールの視線が下へ誘導された瞬間に、シンは木剣を上空へと投げていた。
木槍の柄をずっと左手のみで掴んでいたのは、木剣を手放した事を悟られない為。
両手で持ってしまえば、放り投げた木剣の位置をオルテールは間違いなく探す。地面に転がせない以上は、隠し通すしかなかった。
同時に彼の動きを足止めする意図もあった。いくらシンでも、上空に投げた木剣が当たるよう彼の動きを誘導する事は難しい。
そのまま止まっていてくれた方が狙いやすいという判断の元、生まれた奇策。
「発想力は褒めてやろう。周りに人が居なければ、気付くのが遅れたわい」
オルテールの言葉通り、シンにとって仇となったのは観客の存在。
徹底して眼前の老人の意識を逸らす事に注力したシンだが、どうしても周囲からは自分の行動が丸見えになってしまう。
木剣を投げた瞬間、釣られて視線を動かした者が数名。特にフェリーやイディナといった、素直な人間の動きが顕著だった。
「それでも当たると思ったんだけどな」
シンも当然ながら、周囲の反応で気取られる危険性は加味していた。
頭に血が上っていた彼なら、気付かないだろうという見積もりが甘かった。
木剣がオルテールの手に渡った事により、シンは自由となった木槍を手に取る。
「おいおい、武器が入れ替わったぞ」
またシンがおかしな事をしていると、マレットがケタケタと笑う。
「フェリーさん。シンさんは、槍も扱えるのですか?」
「んーと……。見たコトはないケド……」
ずっと旅を続けている間、シンは剣か銃、時折ナイフを手に取るぐらいだった。
長物を扱う姿を見るのは初めてだった。
どうなんだろうと小首を傾げるフェリーをよそに、シンがオルテールとの距離を取る。
穂先を彼へと向け、静かに木槍を構えた。
「む……」
シンの構えを前にして、オルテールの眉が微かに動いた。
「あれは……!」
同様に、観客としてこの戦いを見守っていたオルガルもシンの構えに反応を見せた。
「お? どうかしたのか?」
「あの構え。そしてあの間合い……」
「いいから早く言え」
栗毛の尻尾を垂らしながら、マレットが問う。
含みを持たせずに早く言えという圧が、オルガルへと向けられる。
「間違いなく、素人です……!」
「やっぱり、そうですよね」
「あの感じはそうだよなあ……」
なんとも言い難い顔をするオルテールの傍で、アメリアとヴァレリアが納得をしていた。
自分達も騎士として槍を嗜んでいたからこそ、言い切れるものでもあった。
「因みに、あのジイさんは剣を扱えるのか?」
今度はオルテールに剣は扱えるのかと、マレットが問う。
扱えないのであれば、条件は五分だろうと思っての事だった。
「じいやは剣も得意だよ。一時期、僕にも教えていてくれたぐらいだし」
「だとすれば、射程の差を加味しても、シンさんの不利は否めませんね」
オルガルは思い出す。シンに救われ、彼への憧れが最も強かった頃、自分に剣の手解きをしてくれていたのはオルテールだった。
苦虫を噛み潰した顔をしながらも、オルテールは一切手を抜かなかった。彼の真摯な態度は、オルガルが生きる上でひとつに指標となっている。
(別に、じいやの事も尊敬しているのになあ……)
どれだけ落ちこぼれても、オルテールだけは自分についてきてくれた。
彼の忠誠心と、武術の腕前。今も尚、神器に認められ続ける程の気高き魂。
オルガルにとっての憧れは、シンだけではない。オルテールもまた、彼にとっての目標だった。
この手合わせの経緯を思い出す。
舞い上がってシンにばかりくっついていたのは、彼を不安にさせてしまったのだろう。
後できちんと、誤解を解かなくてはならない。
(ただ、これはこれで……。見終えてから……)
ただ、今はその時ではない。眼前で行われているのは、自分が己を鍛え上げようとした切っ掛けの再現。
この手合わせだけは、どうしても見届けないと思うオルガルだった。
「どうやら、槍は不得手と見える! この勝負、儂には結末が見えた!」
主君が見守る中、オルテールは勝利を確信した。
素人丸出しで構える槍は、素人そのもの。間合いすらも掴めていないのが明白だった。
明らかに下がり過ぎたその位置からは、目いっぱいに腕を伸ばしても突きは届かない。
届かないのであれば、更に射程が短くなる足払い等に意識を割く心配も無くなる。
迂闊に飛び込まず、カウンターを狙えば必ず勝てる。自分ならそれが出来ると言う自信が、オルテールにはあった。
「そうとも限らないだろう」
だがシンも、決して勝負を諦めた訳ではない。
投擲による奇襲が失敗した事は痛手だったが、武器を完全に失った訳ではない。
今ある手札で出来る最大限の事を、脳内で組み立てる。
「虚勢を張るでない!」
「虚勢かどうかは、その身で確かめてくれ」
シンは木槍を目いっぱい伸ばし、突きを繰り出す。
オルテールの見立て通り、明らかに距離が長すぎる。
腕が伸びきっても尚、オルテールには届かない。
「焦ったな、小僧!」
後は槍を引くタイミングに合わせて、剣で彼の呼吸を乱す。
オルテールの意識が前を向いた瞬間。
「なんだとっ!?」
限界まで伸びきったはずの穂先が、更に推進力を得る。
大地を蹴り、前へと踏み切ったタイミングに合わせ、木槍の穂先はオルテールへと接近する。
長い柄の延長線上。オルテールの視線は木槍の終点を捉えた。
本来ならば、それまでに存在しているものがない。シンは、木槍を手放していた。
「次から次へと、やってくれる!」
オルテールは逡巡する間もなく、投げられた木槍を剣で弾く。
ここで引いては、真の意味で勝利は得られない。勝利を積み重ねて来た彼の矜持が、退く事を許さなかった。
シンもオルテールなら、真っ直ぐに投げられた槍を弾くだろうと読んでいた。
彼の性格上、この手合いで得るべき勝利には彼なりの終着点がある。
オルガルからの羨望を得る事が目的ならば、退く姿勢は絶対に見せないだろうと判断してのものだった。
「アンタはそういう人で、本当に良かったよ」
オルテールから見て右寄りに投げられた木槍は、右手に握られた木剣によって弾かれる。
槍が軌道を逸らす一方で、シンは既に回り込んでいた。彼の右腕からは真逆の左側へ、死角を狙うように。
「この期に及んでお主が退かぬ事ぐらい、儂にも判るぞ!」
しかし、退かないというのはお互い様だった。
彼が剣を振る事で生まれた死角を狙ってくる事は、オルテールも予測済みだった。
左足を軸に、オルテールは己の身体を回転させる。
投げられた木槍を払った右手がそのまま弧を描き、横薙ぎにシンへと迫る。
「っ!」
蹴られた砂が風に乗り、観客の視線を遮る。
身体回転させていたオルテールと、回り込んでいたシン。
双方の影が、砂煙の向こうで止まっていた。
「シン!」
思わず身を乗り出すフェリー。
強く握られた拳と不安げな視線は、早く砂煙が散る様にと強く念じる。
「おい、シン。まさかジイさんなんかに敗けてないよな?」
マレットがぽつりと呟く。
徐々に消えていく砂煙が、再び二人の姿を観客の前へと晒す。
「ぐ、ぬぬ……」
その先に居るのは歯軋りをするオルテールと、ふうと息を吐くシン。
下げた視線が捉えたのは、オルテールの木剣をシンが両の掌で挟み込むようにして抑え込んでいる姿だった。
「白刃取り!」
「なにソレ!? カッコいい!」
ピースのテンションが、これ以上ないぐらいに上がる。
言葉の響きに釣られて、フェリーが意味も判らず高揚するピースに当てられる。
「次から次へと、やってくれるな。小僧……ッ!」
「そっちこそ、全部凌いでおいてよく言う」
必ず引き抜いて、一太刀浴びせようというオルテール。
この手を離せば、もう手詰まりだと木剣を抑え込むシン。
退く事を知らない者同士の戦いは、次の瞬間にあっけなく終わりを迎える。
「だが、武器を持っている儂がゆう――ガッ!?」
「じいさん!?」
急に力が抜け、オルテールはその場へと崩れ落ちる。
こんなつまらない嘘を使うような人間ではないと、シンも木剣を抑え込む手を離し、身を屈める。
「こ、腰が……」
「……そうか」
発端は彼への嫉妬。それから先は、純粋にこの男に勝ちたいと願った結果。
オルテールは己の身体を省みずに全力を出し続けていた。結果、彼の腰は限界を迎える。
「小僧、手を貸せ! いててて……」
「あ、ああ。解った」
さっきまで己の培った全てをぶつけていた相手の手を借りる。
自分の威信をかけた、オルテールの大一番は思わぬ形での幕切れとなった。
「じいや……」
「あのジイさん。やっぱアホだろ」
途中まで手に汗握る攻防を見ていたのにと、オルテールは両手で顔を覆う。
昔から早合点をする直情型の老人だったが、この歳でも変わらない事にマレットは呆れていた。
……*
「オルテールさん、大丈夫ですか?」
「ありがとうよ。やはり、イディナの魔術は素晴らしいな……」
「こんな使い方しているの、オルテールさんにだけですけどね」
イディナが苦笑しながら、オルテールの背中に魔術で作った石を並べていく。
野営の際に石かまどを造る要領で、熱を持った石はオルテールの身体を温めていく。
「全く、じいやは無茶をするんだから」
一方で、オルガルは大きくため息を吐いた。
オルテールの事も尊敬していると伝えようとしたのだが、ここに来てまたオルテールが早とちりをする。
「わ、若! 今回は決着がつきませんでしたが、儂は決してあの男に引けを取っておりませぬぞ!
どうか、あの男に過度な憧れを抱くのは!」
勝負そのものはいつしか真剣になっていたが、オルテールにとっては不満の残る結果となった。
このままでは、オルガルの気はずっとシンに引かれたままだと焦りを見せる。
「大丈夫だよ。確かに僕はシンさんに憧れていて、こうやって再会出来たのは嬉しいけれど。
同じぐらい、じいやのことも尊敬しているんだから」
「……なんですと?」
オルガルから伝えられた真実に、オルテールの目が点になる。
「そうですよ。オルガルさん、いつも『じいやは凄い』って言ってるんですよ」
「……なんじゃと?」
イディナの補足に、やはりオルテールの目が点になる。
「今回の件は、まあ僕も悪かったよ。じいやにはもっと感謝を伝えていかないといけないって判った。
僕の師は君だけだ。未熟な僕だけれど、これからも共に居てくれると嬉しい」
「勿体なきお言葉……!」
「ちょっと、泣かないで!」
「泣かずには居られませぬ……!」
感極まったオルテールは、大粒の涙を溢す。
突然老人に泣かれて焦るオルガルと、微笑ましい光景だと笑顔を見せるイディナの姿がそこにはあった。
……*
シンは何度も、己の手を開いては閉じていた。
初めに木剣で受けた突きも、最後の刃を止めた時も。
老人のものとは思えない力強さに、肝を冷やした。
自分とは違い30年以上の年月が経っているにも関わらず、身体の切れは一向に衰えない。
研鑽を一生続けていると口で語る以上に伝わった。尊敬に値する男だと、感じ取っていた。
だが、開かれた口から紡がれる言葉を思い出しては頭が痛くなる。
「すげえ愛憎劇に巻き込まれたもんだな」
「あのじいさん、思い込みが激しすぎるだろ」
ケタケタと笑いながら、マレットが栗毛の尻尾を揺らす。
普通に手合わせをする分には歓迎だが、こんな恨み辛みの籠った戦いはもう勘弁願いたかった。
「あのままやってたら、シンは勝てたの?」
「……どうだろうな」
フェリーの問いに、シンは彼女が求める答えを口には出来なかった。
自分も色々と手を尽くしたが、オルテールは凌ぎ切った。
結果は有耶無耶となったが、武器は彼の手に渡ったままだ。
正直言って、不利は続いていた。それでもシンにも意地はある。
絶対に「敗けた」とは口にしたくなかった。特に、フェリーには。
「お二人とも見事でしたよ。少しばかり、型破りではありましたけど」
「ああ、きっと他の者へいい刺激となっただろう」
苦笑をするアメリアと、強く頷くイルシオン。
観客として見ていた騎士達も、シンとオルテールの戦いに当てられて熱心に剣を振るっているという。
一応この戦いにも意味があったのかと思うと、安堵した。
「……そういえば、私はシンさんと手合わせをしたことがありませんでしたね」
「オレも、改めて手合わせを挑みたいところだな」
「あ、ああ。解った」
シンの眉がピクリと動く。
自分は知らない間に、オルテールだけではなくてアメリアやイルシオンも焚きつけてしまったようだと気が付く。
「あ、あたしもっ!」
「フェリーはやめとけ」
流れに遅れまいと手を挙げようとするフェリーを、マレットが止める。
折角殺す必要がなかったのに、また刃を向けさせるなんて酷な真似をさせたくはない。
「シンはお前を殺したくないんだ。訓練でも、そういうことさせてやるな」
「……うん。マレットの言うとおりだね」
マレットの言う通りだと、フェリーは小さく頷く。
シンにとって特別な存在で居られて嬉しい反面、周囲に少しだけ妬いている自分がいた。