259.王女たちの帰還
雲ひとつない快晴。
ミスリア王都では、今日も訓練場で鍛錬に勤しむ者達の声がこだまする。
「ハアッ!」
オルガルが持つ木槍から繰り出される鋭い突きは、最短距離でイルシオンへ迫っていく。
一方で、速さこそはあるがどこか軽さを感じる一突き。
「させるかっ!」
イルシオンは木剣を払うよう振り、木槍の起動を逸らそうと試みる。
木槍の絵に触れた瞬間、あまりの手応えの無さに見立ては間違っていなかったと確信する。
抵抗するのではなく力を受け流すようにした木槍は、オルガルの手元へと引き寄せられる。
木剣を払った事で生まれた隙を逃さず、イルシオンの胸元へと再び木槍を突き立てる。
「まだ、だぁっ!」
イルシオンは歯を食い縛り、大地を強く踏みしめる。
魔術大国ミスリア、その五大貴族の跡取りに足るだけの強い魔力。淀みのない魔力操作から繰り出される身体能力。
天賦の才による彼の強みが、先端が身体に触れるよりも速く懐に潜る事を可能とする。
風に靡く紅の髪が、まるで燃え盛る炎のようだった。
「なっ!?」
一瞬で詰められる間合いに、オルガルは驚きを隠せない。
体勢を崩しきれたとは思っていなかったが、よもやここまでとは。
射程距離による優位性が潰され、イルシオンの間合いになる事を嫌ったオルガルは、後方へと跳躍する。
しかし、イルシオンの踏み込みはオルガルが捻りだした距離さえも潰してしまう。
首元に突き付けられた木剣を見つめながら、オルガルは小さく息を吐いた。
「バクレイン卿、今日はオレの勝ちだな」
「はい、今日は僕の敗けですね」
笑みを浮かべるイルシオンの前に、降参の印として両手を上げるオルガル。
手から離された木槍はカランと音を立て、地面へ転がった。
「はえー……。イルさん、すっごいですねえ……」
素振りをしながら二人の手合わせを見ていたイディナが、感嘆の声を漏らす。
同じ木剣を扱っているのに、イルシオンに比べれば自分はただ型どおりに振っているだけ。
もっと実践的な動きを覚えた方がいいのだろうかと、彼の動きを模倣する。
「ええと。ここから、こうなって――」
「イディナ。なにふざけてるんだ?」
イディナの眼前に現れるのは、腕を抱えて自分を見下ろすヴァレリアの姿だった。
一日でも早く一人前の騎士に育てようと日々精進を掲げている彼女にとって、イディナの動きは遊んでいるようにしか見えなかった。
「ヴァレリア先生!? ぼく、ふざけてるわけじゃ……」
イルシオンの切れ味鋭い動きとは違うように見える。とても、戦っている者の姿ではない。
これが彼と自分との差なのだと、イディナは痛感する。
が、ふざけていると言われるのは心外だった。自分はいたって真面目なのだと反論を試みるが、ヴァレリアには通じない。
「つべこべ言うな! そんな様子なら、今日の手合わせはライラスにするぞ!
ふざけてるわけじゃないなら、その動きでライラスに勝ってみろ!」
「すっ、すいません! それだけは!」
「……おい」
まるで罰ゲームのように自分を扱うヴァレリアと、間髪入れずに拒否をするイディナ。
あまりの扱いの悪さに、筋骨隆々の男も流石に傷ついた。
「いっ、いえ! 違うんですよライラス先生!
ぼくは決してライラス先生と手合わせをするのが嫌なわけじゃないですっ!
ふつうに戦ってもライラス先生には勝てないのに、無茶だって言いたくって!」
「よしよし、イディナは気遣いが出来る娘だな。本当に、偉いぞ」
ライラスは子供をあやすかのように、分厚い手でイディナの頭を撫でる。
力加減が分かっていないのか、押し付けられたイディナの髪は彼の掌によってかき混ぜられていく。
「ライラス先生、子供扱いはしないでください! ぼくだって、騎士見習いなんですから!」
持ち上げるようにライラスの手を頭からはずすイディナだが、既に遅い。
ボサボサとなった髪を目の当たりにしたヴァレリアが、お腹を抱えて笑っている。
相当掻き乱されたのだと察したイディナが、自らの指で慌てて整えていく。
「悪かった悪かった。イディナは立派な騎士見習いだもんな」
「……分かってない気がします」
イディナが頬を膨らませると、ヴァレリアが「そういうところだぞ」とまた笑みを溢していた。
自分を子供扱いするのは、何もライラスに限った話ではない。
稽古でも一生懸命で、終わった後も周囲の人間へ率先してタオルや水を渡していく。
食堂の看板娘を務めていたからこその気配りは、ヴァレリアの地獄のような稽古の後では皆の癒しとなっていた。
平民だという身分は関係ない。最年少であり、背丈の小さい彼女がちょろちょろと走り回るその姿は、明日も頑張ろうという気にさせてくれる。
だからこそ、イディナはおろかイルシオンも知らない。
先日、彼に同行してイディナが不在の間は地獄だったという事を。
地獄のようなヴァレリアのシゴキから、次に待ち受けているのもヴァレリアのシゴキ。
イディナという癒しが必要なのだと察した騎士見習い達とライラスは、彼女の帰還を心待ちにしていた。
一方で、不可抗力とはいえイディナを連れ出したイルシオンに反感が集まっていたのは別の話である。
「若。相手を仕留めるつもりではないと気取られては意味がありませぬ。
本日の敗北は、そう言った気の緩みから生まれてくるものですぞ」
「じいや。ごめん、解ってはいるつもりなんだけど……」
イルシオンとオルガルの手合わせに立ち会っていたのは、オルテールだった。
今回の手合わせで悪かった点があれば窘め、良かった点があれば褒める。
オルガルとオルテールにとっては、いつも通りの稽古の風景。
「小僧もだ。魔力が高いのも、身体操作に優れているのも嫌という程見て来たわ。
だが、魔力に頼った戦い方ではいつ足元を掬われてもおかしくない」
「そう言われても、癖というか……。どうしても出てしまうんだが……」
「癖を矯正するのも、稽古のうちじゃ」
ミスリアに滞在している間、彼は神器の継承者としてイルシオンの事を目に掛けている。
同じ神器の継承者であるオルガルと手合わせをさせる事で、互いにとって良い影響を与えようとしている節があった。
「二人ともあんなに凄いのに、オルテールさんには怒られちゃうんですね……」
自分からすれば雲の上のような存在だというのに、まだ足りないと言われている。
だが、イディナも理解はしている。オルテールが決して、ただ叱り倒している訳ではないという事ぐらいは。
事実、砂漠の国で出逢った奇妙な右腕を持つ男。彼が持つ邪神の能力は、常軌を逸している。
ヴァレリアやイルシオンから聞いた話によると、他にもまだ邪神の能力を持つ人間は存在するらしい。
いつ、どんな方法で足元を掬われるか分からない。そうなってからでは遅いと、オルテールは伝えようとしているに違いないと。
「オルテール殿の言っていることも、解ってはいるんだけどな。
魔力が尽きた時、どうしても身体が重いからな」
ヴァレリアは頷きながらも、難しい顔をしていた。隣でライラスも同意をしている。
力むと、どうしても魔力を込めてしまう。特にヴァレリアやライラスは魔力を込めた強力な一撃を武器にこれまで戦ってきた。
一撃必殺と言えば聞こえはいいが、燃費は悪い。空振りなんてした時には、目も当てられないぐらいに。
「自分も何度、アメリア嬢に助けられたことか」
「普通、そこはお前が助ける側だろ。馬鹿」
途端にヴァレリアは、ライラスに同意されている事が恥ずかしくなった。
これでも自分は緩急をつけている方だ。ライラスのように常に全力で振り回している訳ではない。
グロリアにはよく荒っぽいと注意を受けていたが、断じてライラスと一緒にされたくはなかった。
「魔力に頼らない方法……」
イディナは自分の両手を広げて見せる。毎日剣を振り続けたせいで、掌にはマメが出来ている。
努力による勲章だと誇りに思う一方で、イルシオンやヴァレリアに比べて魔力が遥かに足りない証拠でもあった。
先刻イルシオンが見せたような、魔力を爆発させる動きは自分には出来ない。
真似をしてみても、きっとあの境地まではたどり着けない。
自分なりの戦い方を、きちんと見つけていかなくてはならない。
「……ふむ」
そんなイディナの想いを、オルテールは感じ取っていた。
彼女は勤勉で、真摯に剣と向き合っている。砂漠の国で見た戦いからも、才能は間違いなくある。
ただ、魔術大国で生きていくにはその魔力は並なのだろう。
いくら彼女が望んでも、歴戦の勇者と同じ道を歩む事は叶わない。
甲斐甲斐しく世話をしてくれた恩もある。
どうにかして、彼女にあまり魔力を必要としない戦い方を見せられないだろうか。
イルシオンとオルガルの稽古を見守る傍らで、オルテールは頭を悩ませていた。
ここまでは、彼らにとって普段通りの一日だった。
変化が起きるのは、これから先。第三王女と、その従者達が帰還した事から始まる。
……*
前触れもなく第三王女が帰還した事から、ミスリアの王宮は慌ただしかった。
「すみません、お母様。ご連絡する手段がありませんでしたので……」
「いいえ、元気な顔を見られて嬉しいわ。おかえりなさい、フローラ」
王妃は久方ぶりに会った娘を、全身で受け入れる。
フローラもまた、母への想いを両の腕へと込めた。
(お母様……)
以前よりも細くなった腰回り。顔が少しやつれたように見えたのは、気のせいでは無かった。
国王の死を国民へ隠し続けている現状と、いつ第一王子派が襲い掛かってくるか分からない不安。
見ていなくても、解る。不安と重圧に圧し潰されそうでも、気丈に耐え続けているに違いないと。
「フローラ。無事でなによりです」
護衛のロティスに背中を押された第二王女は、緊張をしていた。
親子水入らずの邪魔をしてしまってはいないだろうか。自分は自然な笑顔を出せているだろうか。
本当は自分も可愛い妹に再会出来て嬉しいはずなのに、過去のせいでどうしても気後れをしてしまう。
「イレーネお姉様も、ご無事でよかったですわ」
「え、ええ。ありがとう、フローラ」
柔らかな笑みを浮かべてくれるフローラの顔を見て、イレーネは頬を綻ばせた。
無事に再会できたならば、言いたかった事がある。今なら、言ってもいいのではないかとイレーネは勇気を振り絞る。
「フローラ、妖精族の里がどういうところだったか聞かせてもらえないかしら?
勿論立ち話なんかじゃないわ。お茶をしながら、ゆっくりと教えて頂戴。アメリアやオリヴィアも一緒にどうかしら。
こう見えて私、最近はお茶を淹れる練習をしていてね。貴女たちはよくお茶会をしていたから、感想を聞かせて欲しいの。
ロティス兄さんは、いつも気を使って『美味しい』と言ってしまうから。忌憚のない意見が欲しいの」
イレーネは緊張のあまり、酸素を求めて大きく肩を上下させる。
淀みなく言えただろうか。一緒にお茶をしたいという意図が伝わっただろうか。
折角会えたのだから親交を深めたいという気持ちが、迷惑ではないだろうか。
冷や汗を流すイレーネとは裏腹に、フローラはまたも柔らかな笑みで答える。
その笑顔は知っている。いつもアメリアやオリヴィアに向けていた、姉妹がじゃれ合うようなものだった。
「ええ、是非お願いします。イレーネ姉様がお茶を淹れるのでしたら、私がお菓子を作りますね」
「えっ……」
嬉しさと困惑で、イレーネの動きが止まる。
自分の知っている限りで、フローラは料理などした事もない。
一体妖精族の里で、何があったのか。
とてつもない進化を遂げている妹を前にして、イレーネは戦慄していた。
「……時に、妖精族の里ではそういう文化があるのか?」
部屋の片隅で、ロティスがアメリアとオリヴィアへ問う。
貴族。ましてや王族が料理を作るなど、ミスリアではあり得ない。
妖精族の文化に従ったと言われればそれまでだが、ロティスは純粋に興味があった。
「いえ、フローラさまが自主的に学びに向かわれました。
どうやら料理をするのは楽しいみたいで、私たちとしても良かったと思います」
「そうか。なら、アメリアとオリヴィアも覚えたのか?」
「ええと、それは……」
途端に言葉を濁すアメリアと目を逸らしているオリヴィアを見て、ロティスは笑いを堪えていた。
見方によってはミスリアを追い出した形になると懸念していたが、どうやら杞憂に終わったらしい。
「ふふ、そうか。それは中々、難しい立場だな……」
「え、ええ。その件は……、そうですね……」
「言わないでください、ロティスさん。わたし、ちょっと気にしてるんですから!」
彼女達は異文化に触れて、人として成長をしようとしている。
どんな所なのだろうかと、ロティスは個人的にも興味が沸いてきた。
いつかイレーネの事も妖精族の里へ連れて行ってやりたいと伝えると、アメリアはにこやかに微笑んだ。