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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第四章 その日へ向けて
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258.転移魔術、完成する

「それで、今は邪神の核を研究してるんだ? ベルちゃんも大変なのね」


 頬に手を当てながら、イリシャはカップに食後の珈琲を注ぐ。

 今、マレットはイリシャが子供たちと住む家へと足を運んでいる。


 家事の負担を減らす為に導入した魔導具の点検と、子供達の玩具を修理するというのが建前。

 本音は、彼女の作った昼食を相伴に預かろうという魂胆。


 研究所に籠っていれば、シンやピースが食事を用意してくれる。

 それはそれで、マレットにとってもありがたい。二人の味付けは、マレットにとっても慣れ親しんだ味だ。


 けれど、イリシャの料理は彼らとはまた違う。

 カタラクト島でシンとピースが共に不在の時、イリシャに誘われた事が切っ掛けだった。

 長年作り続けたからか、一工夫加えられた料理はたった一度でマレットの胃袋を掴んだ。


 それ以来、理由を作ってはマレットはイリシャの元へと顔を出している。

 イリシャと共に子供の世話をしているコリスの様子を見る事も、勿論忘れてはいない。

 出来ればイリシャから料理の手解きを受けて欲しいと、常々思っているぐらいだ。

 

「どっちにしろ、調べるつもりだったからいいんだけどな」

 

 立ち昇る湯気に乗って、甘い香りが鼻腔を擽る。

 カップを口に着けた傍から、強い酸味と強い苦みがマレットの口内を覆う。

 一方で、喉を通した途端にすっきりとした後味が彼女の頭の中をクリアにしていく。

 

「ふふ、それならいいけど」


 クスリと笑みを浮かべるイリシャから溢れる母性は、マレットにとって新鮮なものだった。

 自分の周囲ではあまり得られない感覚も、足を運びたくなる理由なのかもしれない。


「リントリィさん。子供たちは、ちゃんとお昼寝しましたよ」

「ありがとう、二人とも」


 ゆっくりと台所へ足を踏み入れるのは、二人の少女。

 ミスリア第三王女、フローラとかつて邪神の顕現の分体を呼び出すべく利用された少女、コリス。

 マレットがコリスに軽く挨拶をすると、コリスも会釈で彼女へ応える。


「それじゃあ、始めようかしら」


 エプロンを身に着け、二人が持って来た紙袋から材料が取り出される。

 小麦粉、卵、バター、そして妖精族(エルフ)の里で採れる果実の山。

 それらを必要な分だけ量り、小皿の上へと取り分けられていく。


「何してんだ?」


 口ではそう言うが、流石のマレットでも料理を作ろうとしている事ぐらいは判る。

 彼女が知りたいのは、昼食も終えたこのタイミングでどうして料理をしようとしているのかという事だった。

 夕食を作るにしても、まだ時間が早すぎる。


「お菓子作りを二人に教える約束をしていたの。

 子供たちがお昼寝しているうちにやらないとね。よかったら、ベルちゃんもどうかしら?」

「アタシはいいや。食べる専門で」


 マレットは手を震わせ、イリシャからの誘いを断る。

 研究や何かを造るのは好きだが、あくまで彼女が興味を引くのは魔導具。

 美味しい物を食べたいという欲求はあるが、作りたいとまでは思わない。


「そう? じゃあ、二人とも始めましょうか」


 少しだけ肩を竦めながら、イリシャはフローラとコリスへお菓子作りを教え始める。

 まるで頬杖を突きながら、監視しているかのようなマレットを前にして妙な緊張感が二人に襲い掛かっていた。


 ……*

 

「リントリィさん。後で混ぜるのに、どうしてこんなことを?」


 ぎこちない動きで小麦粉を篩に掛けながら、フローラが首を傾げる。

 粉は飛ぶし、洗い物が増えるだけなのではないかという疑問を抱いているようだった。


「篩にかけると粉が空気を含むので、きちんと生地が混ざり合うんですよ。

 そのまま小麦粉を混ぜてしまうと、塊が残ったままなのでうまく混ざってくれないんです」


 イリシャは知っている。

 フローラの疑問に対する回答もそうだが、彼女が真剣だからこそ質問をしているのだと。

 彼女が王女という立場である関係で、今まで自らが料理するという機会は無かった。

 誰も教えてはくれなかった。故に何も知らなくて当然なのだ。


 だから、イリシャは彼女の疑問に全て答える。

 曖昧な回答ではなく、きっちりとした理由を教えれば納得をしてくれる女性(ひと)だと彼女は知ってる。

 

「……そうだったのですね!」


 驚きと感心が半々だが、フローラは彼女の言葉が真実だと素直に受け止める。

 イリシャが常々言っている。「ひと手間掛けた方が、絶対に美味しくなる」と。

 どの料理にも共通する極意なのだと、フローラは固唾を呑み込んだ。


 実際、篩に掛けられた小麦粉が細かな粒子となり積みあがっていくのを見ると、彼女の言っている意味が理解できたような気になる。

 袋から無造作に出された小麦粉の山。それらも粉の塊には変わりない。

 けれど、自分が手間暇かけて篩に掛けたものはどうだろうか。それよりももっときめ細やかで、儚くも感じる。

 見比べると一目瞭然で、心なしか愛着まで湧いてくる。


「これが、料理の極意なのですね……!」

「ちょっと違うような気がします……」


 隣でフローラと同じように小麦粉を篩っているコリスが、苦笑いをしていた。

 ある意味ではイリシャの姉妹弟子にあたるからだろうか、仲睦まじい様子をマレットの眼前で繰り広げる。

 

 尤も、今の彼女に二人のやり取りは目に入っていない。

 頬杖を突いたまま、イリシャの放った言葉を頭の中で反芻をしていた。


(空気を含む……)


 小麦粉を篩に掛ける意味を語った言葉が、楔となって彼女の中に撃ち込まれる。

 何か大きなヒントになるのではないかという直感が、彼女を深い思考へと落としていく。


 前提として彼女の頭の片隅に置かれているのは、ジーネスが使用していた破棄(キャンセル)

 魔力を消し去るという驚異的な能力ではあったが、()()()()()()()()()()()()()


 マレットがその疑念に行きついたのは、浮遊島でピースが経験した内容に基づいている。

 破棄(キャンセル)の能力が解除された後、彼は魔力によって強化されていた身体能力を取り戻している。

 つまり、魔力が体内から失われた訳ではない。そもそも消し去られたのであれば、一度でも浴びてしまえば魔術を扱うだけの魔力が体内に残っていないだろうという仮説。


 根拠はある。帰ってきたピースの『(フェザー)』を見た時、戦闘による破損は見えたが、魔導石(マナ・ドライヴ)に関する機構はそのまま生きていた。

 この事から、マレットは『怠惰』の能力が魔力を消し去るのではなく()()。もしくは、範囲内にある魔力の活動を()()するものだと考えた。


 ただ、この仮説が正しければ受け入れなくてはならない事実が存在する。

 シンの話を聞く限り、『怠惰』(ベルフェゴール)が顕現したのはジーネスとの戦闘の後。

 破棄(キャンセル)の影響を受けていては顕現出来なかった可能性が浮上する。


 自分がコリスと出逢った邪神顕現の儀式では、大量の魔石を必要としていた。

 これらが意味する内容は、邪神の分体は大量の魔力を必要とする。その一方で、邪神の『核』は魔力を必要としていない。

 そうでなければ、ジーネスの放った破棄(キャンセル)は真っ先に自分の『核』の動きを止めてしまう。


 前例がない訳ではない。神器は、神への祈りを力へと転化して本来の能力を発揮する。

 共に本質的には魔力を必要としていない武器。人の悪意と呪詛が生み出した存在は、着実に神へ至る道を歩んでいる。

 そんな物が自分以外の人間から創られたという事実に、少しばかり嫉妬してしまう自分がいた。


(っと、今はそれどころじゃないな)


 懸命に小麦粉を篩い続ける少女達の姿を見て、マレットは我に返る。

 邪神がどの領域にまで至っているかは今は問題ではない。

 転移魔術に使用する魔導具が問題なのだ。他人が人の理を超えようとしていても、自分の目指すところはそんなものではない。


 篩に掛けられた小麦粉は、細かい粒子となって宙に舞う。

 イリシャはその際に、空気を含むと確かに言った。お菓子作りで小麦粉に空気を含ませる理由は、マレットにはよく分からない。

 聞けば教えてくれるのだろうが、食べる専門の自分としては美味しくなるのであれば方法は問わない。


 ただ、その空気に含ませると言うのは天啓が舞い降りたような気分に至る。

 『怠惰』の核を調査した結果、完全とまでは行かなくても部分的に魔力の動きを止める事は出来そうだ。

 マレットが破棄(キャンセル)の本質を分解か停止と仮定した理由も、再現できそうだと思ったからだった。


 分解した魔力に絶縁体で被せる案は、悪くないと思った。

 本来ならそのままで計画を進める予定であったが、ここに来てマレットは新たに閃いてしまう。

 絶縁体の上のもうひとつ、魔導具を仕込むという案を。


「……悪い、アタシ行くわ! イリシャも、姫サマも、コリスも! あんがとな!」


 思いついてしまったからには、天才発明家たるベル・マレットは止まらない。

 勢いよく立ち上がり、皆の度肝を抜く。次の瞬間には、彼女はもう台所から飛び出そうとしていた。


「あ! お菓子(それ)が完成したら、アタシにも分けてくれよ!

 甘いモンをとにかく喰わないといけなくなりそうだ!」


 返答を待つ事なく、マレットは姿を消していく。

 揺れる白衣と栗毛の尻尾が、彼女のせわしなさを現わしているようだった。


「……どうかしたのでしょうか?」


 さも当然のように厚かましい要望を残して、マレットは嵐のように去っていった。

 一体なんだったのだろうかと、フローラとコリスはお互いの顔を見合わせては首を傾げる。


「きっと、何か閃いたのよ」


 くすくすと笑みを浮かべながら、イリシャはマレットを見送った。

 逢って間もないが、彼女は人生を魔導具の開発に費やしている。

 自分が便利な魔導具を要求すると、実現可能かどうかは置いておいて、まず再現可能かどうかを考えてくれる。

 きっと今も、そうだったのだろう。


「お菓子は欲しいみたいだから、後で差し入れに持って行ってあげましょうね」


 手をパンと合わせ、イリシャは微笑む。

 篩に掛けられたきめ細やかな小麦粉の山は、卵やバターと言った様々な素材と溶け合っていく。

 共に暮らし、沢山の刺激を得ながら溶け合う妖精族(エルフ)の里のように。


 ……*


「――というわけで、一旦ミスリアへ戻るぞ!」


 数日後、マレットは高らかに宣言をした。


「じゃあ、ベルさん……」


 久方ぶりに故郷であるミスリアへ帰る事に、オリヴィアは落ち着かない様子だった。

 マレットがミスリアへ戻ると言った意味を、一番理解しているのが彼女でもあった。


「ああ、魔導具は完成した。次はミスリアで、実際に起動するかを確かめる番だ」

 

 ここから先は魔力が濃いドナ山脈の北側では測れないと、彼女は語る。

 

 まず、転移魔術の術式が山を越えても有効なのか。

 妖精族(エルフ)の里では端から端まで移動出来たが、最低限ミスリアまで移動出来ないと使い物にならない。


 次に、魔法陣を投影する為の魔導具は正しく起動をするのか。

 ここで言う起動とは、魔法陣の投影だけではない。魔力の漏出により、存在が察知されないかという懸念点を確かめる意味も兼ねている。


 これらの壁を越えてこそ、本当の意味で転移魔術の完成を意味する。

 本来ならこの後に利用できる人間や設置場所を考える必要があるのだが、まずはこの壁を乗り越えなくては先へは進めない。


「長かった。本当に長かったですよ……」


 オリヴィアは感無量で、思わず涙を溢しそうになる。

 孤独な研究を続けていた時は、あまりに進歩がなくて夢物語で終わるのではないかと不安になった時もあった。

 それが今ではどうだ。仲間に恵まれ、抱いていた夢は現実のものになろうとしている。

 まだ完成していないのだからと自分に言い聞かせても、頬が緩む事を止められない。


「それで、物は相談なんだがな。妖精族(エルフ)も一人、付いてきて欲しい」


 マレットの説明ではこうだった。

 実際に魔導具を設置した際、魔力の漏出はどれぐらいかをきちんと把握したい。

 その為に、魔力の感知に優れている妖精族(エルフ)を連れていきたいと言う。


「アメリアお姉さまは同行しますけど、それでもダメですか?」

「いや、勿論アメリアも欲しい。普段のミスリアとどれぐらい違うかというのを知っているのは、ミスリアの人間だからな」


 アメリアやオリヴィアから見て違和感はないか。

 全体的な魔力の漏出に違和感はないか。

 マレットが知りたい情報はその二点。相手にミスリアの人間がいる以上、違和感を気取られては意味が無い。


「なるほど! じゃあ、私もついて――」

「私が行きます。リタ様は、転移魔術の構築を把握されていないでしょう?」


 これ幸いと手を挙げるリタを遮ったのは、ストルだった。

 転移魔術の構築に携わった自分であれば、問題が発生してもその場で修正を試みる事が出来ると彼は主張をする。


「そっ、そうかもしれないけど! でもストル、あまり外の世界を知らないでしょ!

 ここは経験豊富な私に任せてよ!」

「……リタ様も、自慢できるほど豊富ではないでしょう。

 この間まで出かけていたのですから、今回は休んでいてください」


 頬を膨らませるリタを他所に、ストルはため息を吐いた。

 また人間の国へと行けるかもしれない。淡い期待が打ち砕かれてたまるものかと、リタは躍起になる。


「でも、ストルは妖精族(エルフ)の里で仕事があるでしょ!?

 あまり離れるのは、良くないよ!」

「その大半はリタ様がやるべきことなんですよ」

「……ごめんなさい」


 普段、ストルやレチェリが捌いている業務は、本来であればリタも行わなくてはならない。

 自分が甘えているという事実を突きつけられ、ぐうの音も出なかった。


「それに、私も色々と認識を改めなくてはと思いました。

 一度人間の国を訪れるのも、きっとこれからのことに必要なのです」

「そう言われると、譲らない私が悪者になっちゃうよ……」


 幾度となく我儘を通した自分を支えてくれたのは、紛れもなくストルだ。

 そんな彼の頼みを無下でには出来ない。

 

 何より、リタは嬉しかった。

 排他的な妖精族(エルフ)の代表格であったストルが他種族と関わるだけでなく、外の世界を識ろうとしている。

 転移魔術の研究は抜きに、ただ一人の妖精族(エルフ)としても見てきて欲しいとさえ思う。

 

「じゃあ、今回はストルに任せるね。しっかり、転移魔術を完成させてきて。

 そうすれば、私だっていつでもミスリアへ行けるんだから」

「……たとえ完成しても、程ほどにしてくださいね」


 屈託のない笑みを浮かべるリタを前に、ストルは苦笑した。


「じゃあ、妖精族(エルフ)からはストルだな」


 妖精族(エルフ)であるストルを加え、更にはミスリアの人間であるフローラ、アメリア、オリヴィア。

 テランに関しては、妖精族(エルフ)の里に設置した魔導具をギルレッグと共に調整する役を買って出た。


「後はそうだな。シンとフェリー、ついでにピースもついてこい」

「俺たちもか?」

「場合によっては、頼みたいことがあるかもしれないだろ。

 お前たちなら、気兼ねなく頼めるからな」

「そんな理由なんだ……」

 

 ケタケタと笑うマレットを前にして、フェリーは眉根を寄せる。

 クスタリム渓谷から戻ったばかりで慌ただしいが、断る理由もない。

 彼女の提案をシンが受け入れたことで、同行が決定した。


 再びドナ山脈を越えた先で待ち受けているのは、思わぬ再会と新たな出逢い。

 今のシンにとってはまだ、そのどちらも予想だにしていないものだった。

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