幕間.娯楽施設が欲しい!
おれは意を決して、研究所の扉を開いた。ある望みを叶えるために。
そんな要望を出せる状況ではないとは判っている。
けど、仕方ないじゃないか。こんなに美女揃いなんだからさ。
……*
「『ぷうる』ぅ? なんだそれ?」
初めて耳にした単語を前にして、図面を引いているマレットの手が止まる。
なんだかんだ、マレットはおれの話には興味を持ってくれる。だから、勝算を見出したわけだけど。
「ええっと、プールっていうのはこう広いスペースに水を貯めて――」
おれは真っ白な紙に絵を描きながら、懸命にプールについての説明をする。
その先にある狙いを悟られないよう慎重に。
「要するに、水中訓練場かい?」
テランが考え得る限り最も堅い回答を出してきた。
マレットとギルレッグによって造られた義手が耐えられるだろうかと気にしているようだ。
因みに、テランが装着している義手の関節部分は魔導石を使用している。
『羽』の技術を応用して、魔力の繋がりで本物の腕のように扱えるそうだ。
魔力を封じられているテランだけど、転移魔術への貢献が認められて少しだけ封印を弱められた。
といっても、関節を動かせる程度の魔力が出せるぐらいだけど。
テランは魔力の使用が許されると、すぐに義手の扱いに慣れたらしい。
多分アイツも、おれより上手く『羽』が扱えるんだろうな……。
おっと、話が逸れてしまった。
皆がおれより上手く『羽』を操るもんだから、少しばかり嫉妬してしまった。
「いや、そういう使い方も出来るけど。もっとフランクっていうか……。
どっちかっていうと、メインは水遊びかな。浅いところも造れば子供たちも遊べるしさ」
「水遊びなら、泉があるじゃないですか。リタさんが時々、入ってるやつ」
「神聖な場所を、子供の遊び場にしないでくれ……」
「ストルはお堅いですねえ」
仮にも神へ祈りを捧げる場所だと主張するストルを、オリヴィアは「お堅い」の一言で一蹴する。
ストルは眉を顰めて言葉を失っているけど、多分お前の方が正しいぞ。
「で、ピースはなんでこんなもんが欲しいって言いだしたんだ?
流れる水にのって、水の中に飛び込むのがそんなに楽しいのか?」
おれの描いた絵を見ながらも、マレットは真剣に向き合ってくれる。
多分ウォータースライダーとかに興味を持ってくれたんだろうな。「水が流れる」って単語に反応してるし。
「海で遊ぼうと思ったら小人族の里まで行かないとないしさ、子供は危なくて中々連れていけないだろ?
プールを造れば沖に流される心配もないんだよ!」
力説するおれを前にして、テランやストルも耳を傾けてくれるようになった。
ここまでくればあと一押し! のはずだったのだが、おれの前に立ちはだかるのは師匠の妹。
「とりあえず、ピースくんがその『ぷうる』とやらを欲してるのは分かりました。
わたしも実家が海の近くだったので、水遊びをしたいっていう気持ちはよーくわかります」
「でしょ!? 水遊び、楽しいですもんね!」
腕を組んで同意のポーズを見せていたオリヴィアだったが、首を縦に振る動きが止まる。
彼女が頷いていたのはあくまで最初だけだった。
「けど、やっぱり妖精族の里に造るのは難しいんじゃないですか?」
「えっ?」
多分おれは、間抜けな声を出していたと思う。
これだけ広大な土地があるのに、何が難しいのだろうか。
「だって、その『ぷうる』とやらは建造物なんでしょう?
ベルさんが魔導具を造るのなら、ある程度はノリでなんとかしちゃいますけど。
建てるとなったら小人族の皆さんに頼まないとダメじゃないですか」
言われてみればそうだ。
おれが提案した物をマレットが再現してくれることはある。けれど、それはどれも魔導具の範疇に収まる物ばかり。
今回みたいに建造物を造った事は、流石のマレットもない。
「だったら、構造をちゃんと話し合わないといけないですけど。
ピースくん、その『ぷうる』とやらの構造をきっちり説明できます?
特にこの、滑っていく部分について」
「できないです……」
要するにオリヴィアは「ただ水を貯めておくだけの場所じゃないんですよね?」と言いたいようだ。
彼女の指摘は的確で、仮に抽水は魔術や魔導石で生み出すにしても排水が問題だ。
おれはその構造まできっちり小人族に説明して、再現してもらう自信が無い。
ウォータースライダーに関しては、更に難易度が跳ね上がる。
滑り台の自重に耐え得る構造は勿論、どれだけの荷重に耐え得る設計が求められるのか。
身長制限だってそうだ。生前にアトラクションで見かけた身長制限が、なにを基準に決められているのかおれには解らない。
小人族から魔獣族。特にレイバーンまで使うことを想定した設計なんて、おれにはとても出来ない。
頭の中ではふわっとイメージがあるんだけどね。すっげぇふわっとしたやつが!
やっぱり難しいのかと項垂れる。
そんなおれの様子など知らんと言わんばかりに、オリヴィアの追撃は止まない。
「構造もそうですけど、やっぱり水。特に泳げるほどの深さなんですから、水難事故にも気を付けないとダメですよ。
沖に流されないと言っても、溺れる可能性はありますから。大勢の子供が遊ぶのなら、ちゃんと視ておくひとが必要でしょう。
海へ遊びに行くみたいな特別な時は注意できるかもしれませんけど、日常となれば話は別ですよ」
「はい。仰る通りです……」
オリヴィアは前世の事情でも知ってるのか? そう言いたくなる程、的を射た指摘ばかりしてくる。
確かに海でもプールでも、万が一に備えて監視員は存在する。あの人たちは対価があるからきちんと仕事をしているわけで……。
もう既に心は大分折れかけている。
けれど、オリヴィアはまだ止まらない。ごめんて、おれが何でも我儘言い過ぎたって。
「何より! 寒くなったら使わなくなるでしょう?
いくら妖精族の里に土地があるからって、一年の半分を遊ばせておくのは流石に叱られると思います!」
「はい。すいませんでした……」
それはその通りだと、ストルが頷いた。
彼女自身、魔術の研究者だからだろうか。この上なく理詰めで来られておれはぐうの音も出ない。
プールを造るという野望は、呆気なく終わりを迎えた。
「こないだピースくんが言っていた、ヤキュウとかサッカーはいいと思いますよ。
道具さえ作れば、皆で愉しめそうですし」
オリヴィアがフォローを入れてくれる。
落ち込んでいると思われたのだろうか。いや、実際に落ち込んではいるんだけど。
「確かに、君の作った玩具も子供たちに人気だったしね」
同意するようにテランが頷くのは、玩具の銃のことだ。
以前カルフットと作った円盤銃の他、水鉄砲やコルク銃を玩具として提供した。
因みに、おれは一丁しか作っていない。カルフットがおれより何倍も高いクオリティで量産してしまうからだ。
玩具の銃は危険も少ないし、切り株闘技場を失った子供たちの間で人気を博している。
子供たちが家の中で水鉄砲を撒き散らして、おれに苦情が飛んで来ること以外は概ね好評だ。
「私には異世界の話というのが未だによく分かっていないが……。
こうやってどこにも存在しない文化が不意に生まれるのは、面白いかもしれないな」
ストルの言う通り、おれが教えた玩具に関しても子供たちは新しい遊び方を考えたりしている。
全員が手探りだからこそ、知識を持っているという変なマウントも生まれない。
ま、おれの方は子供にねだられて段々とネタが切れつつあるわけだけど!
「ふーむ。そうなると、『ぷうる』とやらも造る価値があるってことでしょうか?」
「だが、オリヴィアの言っていることも正しい。土地を遊ばせておくこともそうだが、構造上の安全が確保されないことには」
「けれど、それこそ魔導具で対処する方向を考えられないかい?
ピースはそもそも、自分の世界にある方法だけで再現を目指しているわけでもないだろう」
「なるほど、こっちの技術で補完してやるっていう話ですか」
オリヴィア、ストル、テランの三人がプールの建造について再考を始める。
おや? 雲行きが変わってきた? もしかして、プールを造る方向に戻ってきた感じ?
おれはこの時、心の中でガッツポーズをするぐらいには浮かれていた。
「良かったな、ピース。これで皆の水着姿が拝めるんじゃないか?」
「ああ、もうひと押し……あっ」
ケタケタと笑うマレットを見て、おれは心底自分を責めた。
浮かれ過ぎていた。そうだ、そうだよな。マレットのことだから、おれの考えぐらいお見通しだよな。
けどさ、このタイミングで言うのはひどくない? 諦めかけたものが再燃したのに、また突き落とされるんだぜ?
「……あー、そういうことでしたか。
カタラクト島で、お姉さまとフェリーさんの柔肌を堪能しただけでは足りないと。
そういうお考えでしたか」
すっげぇ冷ややかな視線でオリヴィアがおれを見ている。
水着姿じゃなくて柔肌って言ってる時点で怒ってるのが伝わってくる。
「そういうことなら、私も協力はしかねるな……」
「僕はどっちでも構わないけれど、流れ的には難しいだろうね」
「ハイ……。この話は、忘れて頂けますでしょうか……」
希望の星が再び輝きだしてから数分。またも墜とされてしまう。
儚い夢だった。ダメ元ではあったけれど、本気でショックだった。
……*
「なんでマレットはあのタイミングで言うんだよ……」
本日の研究チームは解散し、研究所にはおれとマレットだけが残っている。
例によって身体計測を受けながら、おれはぼやいた。
「だってさ、お前の目がすっげぇ血走ってんだもん。面白くてさ」
マレットはケタケタと笑いながら、おれの成長記録を付けていく。
そうか、そんなに目が血走っていたのか。だったら、いずれにしろどこかでバレてただろうな……。
「で、オリヴィアの言う通り、フェリーとアメリアだけじゃ足りなかったのか?」
「足りるとか足りないじゃなくて、普通にみんな見たい」
「忌憚のない意見、ありがとよ」
笑いを堪えながら、マレットは計測を続けていく。
嘘は言っていない。灰色の青春時代を思い出して、今なら取り返せるんじゃないかと考えているのも否定はできないけど。
それに、野望こそ潰えたけど話をして良かったと思うこともある。
ちゃんと、建設的な部分で。
「けど、言ってよかったとは思うよ。建築の構造とか言われると、何も考えてなかった。
マレットがなんでも魔導具にしてくれるから、なんでも造れる気がしてた」
「転移魔術で色々と細かい構築が必要だからな。特にオリヴィアは、その辺結構シビアに見てるよ」
術式の根幹部分を担っているからだろうか。皆の期待を背負っているからだろうか。
オリヴィアもオリヴィアで、頭を悩ませているようだ。
おれも願望垂れ流しじゃなくて、ちゃんと実現可能なラインを見極める努力をしよう。
研究室に入り浸っているわけだし、見識を広げる機会はいくらでもある。
「ま、ヤキュウとかサッカーの道具は作れるようになったんだし、今回はそれで手打ちにしてやってくれ」
「そうだな」
プールとは別腹で普通に作ってもらうつもりだったことは黙っておこう。
「……しっかし、シンたちは中々帰ってこないな。
アイツら帰ってこないと、どうにもなんないからなぁ……」
背筋を伸ばしながら、マレットが天を仰ぐ。
シンたちが魔硬金属を求めて旅に出てから、既に一ヶ月以上が経過していた。
研究を進めても、ギルレッグが居なければ魔導具の作成にまでは至らない。彼女も色々と、もどかしいのだろう。
でも、強度問題は解決しても魔力の隠蔽は魔硬金属で解決できないよな。
その辺、どう考えてるんだろ。まあ、まずは魔力の放出に耐えられる魔導具を造る方が先か。
おれも一応、自分の知識が生かせる範囲で考えてみようと思う。
流石に欲望丸出しのプール案は、オリヴィアの心象を悪くし過ぎた。
多分これ、後で師匠にも窘められるパターンだ。
早いうち、挽回しないと……。