253.その手は傷付け合わなくとも
魔硬金属で造られた、偽物の獣魔王の神爪。
銀狼に馴染むよう造り替えるべく、ギルレッグは小人王の神槌を打ち続けていた。
その中で、彼の脳裏にこびりついているものが在る。
白銀の爪を繋ぎとめていた革を剥ぎ、四枚の刃に分けた時だった。
刃の根本に刻まれていたのは、小人族の文字。
手入れを行っていないであろう魔狼族からは決して見えない箇所に、綴られていたは魔狼族へ向けた言葉。
――ありがとう。君たちの手にいつか、神の加護が戻ることを願っている。
紡がれた言葉は、自分が魔狼族へ抱いた感情とは真逆のものだった。
怒りや憎悪ではなく、感謝。小人族は決して、魔狼族を恨んではいないという証左。
気恥ずかしさを現わしているかのように、隠されていた言葉。
小人王の神槌でどれだけ魔硬金属を打ち付けようとも、この文字だけは槌で打つ事を躊躇った。
もしも潰してしまえば、この爪を生み出した先人達の想いも踏みにじってしまうような気がした。
「なあ、お前さんたちは本当に小人族のことを――」
「しつけぇよ。知らねぇつってんだろうが」
繰り返し尋ねられる質問に、半ばヴォルクは呆れていた。
彼はなにひとつとして偽ってはいない。本当に知らないのだ。
偽物の獣魔王の神爪が生まれた経緯も。
小人族がこの地で住んでいた事も。どうして、命を落としたのかも。
知らないからこそ、他人事だからこそ、ヴォルクは小人族の怒りを簡単に流して見せた。
今この瞬間も、それは変わらない。
「……すまねえ」
口では不服そうに返すギルレッグだが、心が軽くなっていくのを感じる。
小人族の真意は判らないが、偽物の獣魔王の神爪には魂が込められていた。
「悪いな、同胞。アンタらの傑作、儂がもうちょっとだけ良い物に変えさせてもらうぜ」
魔狼族へ贈られた言葉を残し、白銀の爪は姿を変えていく。
王を偽り役目は、もう必要ない。ただ純粋に、魔狼族を護る為の武器として。
……*
意識が朦朧とする中、『強欲』の男はシンを見上げた。
かつて、自分は常に誰かを見上げ続けていた事を思い出す。
ある時は、高尚な美術品へ憧れの眼差しを。
ある時は、自分の作品を買い取ろうという美術商へ懇願の眼差しを。
擦れてしまい、『強欲』に適合し、彼は他人を見下す立場へと変わっていた。
絶対的な強者である愉悦を得たはずだった。
それなのに。
彼を支えるものが崩れ、再び這いつくばる立場へと戻っていく。
自分だけではない。自信の裏付けとなる『強欲』も、身体が崩れ始めている。
「……っざ、けんな」
認められない。受け入れられない。戻りたくない。
このまま、朽ちたくはないと強く願った時だった。
水面が荒立つ。巨大な身体が、地底湖の底から姿を現す。
王の証を失い、鬼族の恥。その象徴となった、オルゴ。
肩で息をしており、怒りと怖れが入り混じった眼光をうっすらと光らせる。
最も早く反応をしたのは、シンだった。
魔導砲の銃口を向けると共に、アルジェントへ放った銃を手繰り寄せようと縄を手繰り寄せる。
瀕死のアルジェントに電流が走る。
自分はまだ詰んでいない。『生』への執着心が、最後の悪足掻きを閃かせた。
「……オレっちのナイフは、返してもらうぜ」
括りつけられたナイフごと、銃を手繰り寄せようとしたシン。
彼の妨害をするかの如く、アルジェントはナイフへ手を伸ばした。
接収を使用できる『強欲』の右手ではなく、生身の左手で。
刃が立ち、掌が割かれる。ボタボタと血が滴り落ちようが、お構いなしに。
気付けのつもりか。それとも朦朧として正常な判断が出来ないのか。
シンは縄を引いた。しっかりと握られたナイフだけが、アルジェントの手元へ残る。
彼の掌からは、止めどなく血が流れている。
本来の狙いではないが、痛みは彼にとって丁度良かった。
意識を失わないで済む。悲鳴を上げるかの如く、アルジェントは叫んだ。
「オルゴォ! テメェも、もう居場所ねェんだろ!?
死にたくなければ、オレっちを連れて逃げやがれェ!!」
「お、おう……!」
アルジェントの叫びに反応し、オルゴは彼の元へと走り始める。
シンによって銃弾が放たれるが、分厚い筋肉によって致命傷へは至らない。
「何を企んでいるのだ?」
「わかんないけど……急がなきゃ!」
嫌な予感を察知し、大地を蹴るフェリー。数秒遅れて、リタを抱えたレイバーンがフェリーの後を追った。
「ご、ごめんね。レイバーン……」
神へ捧げる祝詞を詠みあげる間、リタは己の魔力を限界まで妖精王の神弓へ注ぎ込んだ。
枯渇とまでは行かないが、急激に魔力を消費した事により強い立ち眩みが彼女を襲う。
「何を言うか。お主のお陰で、助かったのだ!
感謝してもしきれぬ!」
「……ありがと」
傷だらけになりながらも、いつも通りの笑顔を見せるレイバーン。
自分が回復をしたら、治癒魔術を掛けなくてはいけない。そう思いながら、リタは彼へ身体を預けた。
瑪瑙の右腕ではなく、生身の左手を差し出したアルジェント。
彼にはそうせざるを得ない理由があった。既に使用している途中だったのだ、接収による札への変換を。
「オレっちは敗けてかもしれねェ。けど、最後には嗤ってやんよ……」
一枚の札から現れたのは、呆れるほどに細く長い土の棒。
取り出されたそれは、自重によって崩れていく。武器としては、とても役に立ちそうにない代物。
アルジェントの目的は、札で呼び出した土そのものではない。
接収によって、掘り出した穴が、彼の本命。
底が見えない程深く掘られた穴へ、ナイフを放り込む。
魔力を込め、魔術付与が発動した状態で。
「なっ、なに!?」
立っているのがやっとな程、強い振動が鬼族の城へと襲い掛かる。
ガラガラと崩れた瓦礫が、大穴から零れ落ちてくる。
ナイフはあくまで鍵だった。彼が掘った先にある、岩漿を噴出させる為の。
アルジェントが創り出した火口から溢れ出した岩漿は、瞬く間に洞窟内を熱していく。
「オルゴ、逃げるぞ。テメェも、オレっちと一蓮托生だァ」
「お、おう!」
居場所を失ったオルゴにとって、アルジェントは最後に手を差し伸べてくれる存在だった。
仮に自分が逃げる為に利用しているのだとしても、断る理由が存在しない。
血だらけのアルジェントを担ぎ上げ、オルゴは開いた孔から地上への脱出を試みる。
シンが銃を放つも、決して振り返りはしない。銃弾が身体を掠めても尚、オルゴは走り続けた。
「……逃がしたか」
これ以上は撃っても無駄だと、銃を下ろすシン。
奥歯を噛みしめる彼をよそに、フェリーが声を荒げた。
「それよりも、あたしたちも逃げないと!」
霰神で凍り付かせられないかと試したが、次から次へと溢れる岩漿は彼女の氷をものともしない。
次々と蒸発させていき、白い煙が洞窟内から鬼族の城へと立ち昇っていく。
「フェリーの言う通りだ。皆、余にしっかり掴まっているのだぞ!」
リタだけではなく、シンとフェリーを抱えるレイバーン。
爪先で大地を踏みしめ、大腿を肥大化させるとバネのように己の身体を弾いた。
溶岩が地下の洞窟内を覆い尽くしたのは、彼らが脱出した直後の事だった。
……*
「な、なんなんだよ!?」
繰り広げられている魔狼族と鬼族のせめぎ合いも、大きな揺れと共に中断を余儀なくされた。
その地震が自らの魔力による咆哮と近い性質を持ったものと、黒狼が察する。
間髪を入れずに充満する白い煙と、漂う硫黄臭は警鐘を鳴らせるには十分なものだった。
「――逃げろ! この城は、岩漿に呑み込まれるぞ!」
声を荒げる黒狼には、それが決して酔狂で言っているものではないと伝えるだけの凄みがあった。
魔狼族も鬼族も関係なく、一斉に城の外へと逃げていく。
「こういう時は、どいつもこいつも変わんねぇってことか」
意図せず殿となったカスピオは、ぽつりと呟く。
背後から奇襲をしかけるつもりも起きない。どういうつもりか、鬼族は途中から戦意を失っているように感じたからだ。
押し寄せるという岩漿に起因したものではない。不思議な話ではあるが、援軍が訪れて彼らは戦意を弱めていったのだ。
「ん? 今なんか通ったような気がすんな……」
一体なんだったのかと首を傾げるカスピオの視界に、小さな人影を見た。
影を追った先に居るのは、小人族の老人。真っ白な髪と髭を蓄えた男は、見た事がある。
「ひっ!」
「お前、あの混ざり者たちが救けようとしていた……」
魔狼族に見つかったと、身体を強張らせる小人族の長老。
若干失礼だなと毒づきながらも、カスピオは長老を自らの背に乗せた。
「別に、獲って喰おうってんじゃねぇよ。お前さんを救けるために走り回ってるやつらがいるんだ。
このまま岩漿に呑み込まれたら元も子もねぇや。オレが連れてってやるから、しっかり掴まってろよ」
長老の返答を確かめる事なく、カスピオは鬼族の城を後にする。
振り落とされそうになるのを必死にしがみつきながら、小人族の長老は呟いた。
「あ、あの……。ありがとぅ、ございます……」
「ん? あぁ、気にすんな。大した重みでもねぇし」
あっけらかんとした態度で、カスピオは走り続ける。
シン達との再会を果たしたのは、山を下りた先。クスタリム渓谷での事だった。
……*
噴出した岩漿が、あらゆるものを呑み込む。
クスタリム渓谷へと流れ出る溶岩は、このままでは魔狼族の縄張りにまで侵食しかねない。
「ゼンゼン止まらないんだけど!?」
「諦めるな、絶対にここで食い止める」
霰神による氷も、魔導砲による水色の氷華も流れ出る溶岩を完全に止めるには至らない。
黒狼は吠え、大地に起伏を生み出す。溶岩を受け止めようとしても、すぐに満たされてしまう。
「まだだ、溶岩を堰き止めさえすれば!」
レイバーンは壁を造るべく、ありとあらゆる岩石を集める。
シンの創土弾で生み出された物から、周辺にあるものまで。
傷だらけの身体を圧して、ふたつの種族へ背中で語り掛ける。
魔狼族と鬼族。同じ者が、自分達の王であるべき証を所持している。
その事実を正しく認識できない者も、受け入れられない者もいた。
けれども、護ろうとしている意思は伝わった。身体を張るレイバーンの姿に、次第に両種族ともに感化されていく。
「人間と犬ッコロに負けてられるかよ!」
「あぁん? こっちのセリフだ! 木偶の坊と一緒にすんじゃねぇよ!」
口で罵り合いを続けながらも、その矛先は互いではない。
迫りくる溶岩。共通の敵を前にして、いがみ合っていたふたつの種族は初めて手を取り合った。
むず痒いと思う者もいるかもしれない。
いつ背中から刺されると、警戒する者もいるかもしれない。
けれど、誰もそんな事は口にしない。野暮な言葉は必要ないと、解っているからだった。
(よかったね、レイバーン)
リタは言葉を詰まらせていた。
小人族をこの地から追いやったと、怒る仲間の姿を見た。
先祖かもしれないふたつの種族は、長きにわたり傷付け合っていた。
彼にとってこの旅は、良きものとは言えなかっただろう。
それでも折れずにいた彼を待ち受けていたのは、手を取り合うふたつの種族。
後は、それが永遠に続く様に手を貸すだけ。
妖精王の神弓へ祈りを込め、リタは土の壁を射っていく。
魔力によって創られた壁が、神器によって補強されていく。
これからもレイバーンの傍にいて彼を支えたいと思ったからこそ、湧き上がる力でもあった。
「こっ……のおおおぉぉぉ!」
壁に霰神を突き立て、フェリーは冷気を浸透させていく。
表面では、シンの水色の氷華も同様の働きを見せていた。
確実に溶岩の勢いは削がれているが、まだ足りない。
精根尽き果て、黒狼も新たな壁をさせる魔力が残っていない。
他の者も同様だった。争い、疲れ果てた身体は心とは裏腹にその動きを鈍らせていく。
「このままでは……」
リュコスが諦めにも近い言葉を漏らそうとしたその時だった。
眼前を、銀色の美しい毛並みが通り過ぎる。その背に、小人族を乗せて。
「あ、アイツは……!」「ヴォルクじゃねぇか……」
自分達に幾度となく立ちはだかってきたその銀狼に、慄く鬼族。
対する魔狼族は、言葉に言い表せない複雑な感情を彼へと向ける。
「おい、ジジイ。テメェの腕前、見させてもらうからな」
「へっ、後で儂に頭を垂らす準備だけしときゃいいんだよ」
ヴォルクとギルレッグは軽口を躱し、やがて聳え立つ壁を前にした。
両の前脚に取り付けられた爪は、鉤爪ではなく真っ直ぐに伸びている。
杭を打つように打ち込んだ白銀の爪から、銀狼は己の魔力を流し込む。
純血たる魔獣。その中でも高い魔力を有する銀狼の全力を、魔硬金属はいとも簡単に受け入れる。
彼の身体に適した形状から流れる冷気は、溶岩を抑え込もうとするシンやフェリーにとってこれ以上ない心強い援軍となった。
「シン!」
「ああ、これなら――」
シンやフェリーだけではない。
銀狼に負けじと、誰もが全力を尽くしていく。
クスタリム渓谷で向かい合う山。
そのひとつを破壊した岩漿は、漸くその動きを止めた。
「やっ……た……」
ペタンと尻餅をつくフェリーの頭に、そっと手が乗せられた。
見上げた先には、傷だらけのシンがいた。
「おつかれさま、シン」
「ああ。フェリーも、よく頑張ったな」
「えへへ」
周囲を見渡して、フェリーははにかんだ。
歓喜に沸く魔狼族と鬼族。その輪の中に、レイバーンやリタ。更にはギルレッグまでもがいた。
「フェリーちゃんも、シンくんも。こっちにおいでよ」
手招きをするリタ。彼女も相当疲れているはずなのに、笑顔が絶えなかった。
「だって?」
「俺はいいと。柄でもない」
「むぅ。そんなのカンケーないじゃん。みんなでヨロコぼうよ」
強引にシンの手を取り、輪の中へと入るフェリー。
シンはため息を吐きながらも、決して振りほどきはしなかった。
魔狼族と鬼族の長きに渡る争いは、終わりを告げる。
ふたつの種族が最後に傷付け合ったこの日は、最初に手を取り合った日でもあった。