250.小人族救出
時は少しだけ遡る事となる。
鬼族の城。玉座の間で相対するのは、凡そ玉座にそぐわない者達。
『強欲』の適合者。アルジェント・クリューソスは薄気味悪さを感じていた。
疑似魔術を何度も放ち、魔力を奪うはずの自分を翻弄し続ける魔導具を巧みに扱う青年。
重厚さを感じさせる銃口が、シンの鋭い眼光と共に自分へと突き付けられている。
左腕に抱えている小人族の老人は、アルジェントにとって利用価値が大きいはずだった。
魔硬金属へと繋がる存在。いざとなれば、人質としても扱える。
眼前の男が引鉄を引くよりも早く、ナイフの切っ先は老人の皺を増やせる。
何もかもが自分に有利な状況であるにも関わらず、胸騒ぎが収まらない。
色眼鏡の奥で揺れる視線と真逆のものを、眼前の男が持っているからだ。
アルジェント・クリューソスは芸術が盛んな国、クンストハレで生まれ育った。
オルゴやヴォルクの持つ神器が贋作であると見抜いた件についても、様々な芸術品を見て目が肥えていたという過去が少なからず影響している。
その一方で、彼はあまりにも真作に触れすぎて来た。
かつて芸術の道を試みたが、若くして挫折を経験する。
どれだけ描いても。どれだけ創っても。
自分の作品は存在した誰かの劣化品にしかならなかった。
認められるはずも、売れるはずも無かった。
一方で、上辺だけをなぞった贋作はすぐに買い手が見つかった。
贋作だと見破られる事も少なくはない。けれど、買い手自身も本物である事に執着はしていなかった。
誰かが模す程の芸術品という事実だけで、真作は更に価値を高めたからだ。
丹念に創り上げた渾身の作品は、誰かの劣化品で価値が生まれない。
雑に表面をなぞっただけの贋作は、誰かの模造品にも関わらず価値を見出された。
どちらが懐を温めたかは、言うまでもない。
結局自分に価値はなくて、誰かの上澄みを掬ってでしか生きていけない。
アルジェントは日に日に荒んでいく。誰かの上澄みを掬っては、はした金を握り締めて賭場へと赴く。
皮肉な事に彼は芸術の才に恵まれなかったが、賭博の才には目を見張るものがあった。
他人が汗水流して働いた上澄みを、他人の上澄みを掬っただけの自分が掻っ攫っていく。
この時、アルジェントは漸く気がついた。
自分が最も幸せになる為の最短距離は、他人にあるのだと。
彼の持つ接収も、『強欲』の持つ模倣も。
歪んで尚、欲しがる事を止めなかった彼に相応しい能力だった。
……*
(コイツ、本気か……?)
数多の芸術品を見て来た。数多の金に群がる人間を見て来た。
それでもアルジェントは、シンの心の内が見えなかった。
向けられる銃口は、間違いなく本物。疑う余地もない。
不可解なのは、彼の表情だった。その瞳に一片の曇りも存在していない。
必要とあらば、引鉄を引くという強い意思が込められている。
自分が人質を構えているにも関わらず、だ。
シンは間違いなく言ってのけた。
人質に対して「取り返す」と。
矛盾した行動が、色眼鏡の奥で迷いを見せる。
多くの人間を見てきた結果、アルジェントは人間の汚さに触れたつもりだった。
美術商も、博徒も。利己を求め、他人を陥れる事に躊躇いの無い人間達だった。
世界再生の民を束ねるビルフレストだってそうなのだ。人は自分の為なら、他の何かを切り捨てられる。
アルジェントが19年で得た人生観。それは単に、彼がそういう世界しか触れていないというだけの事。
上澄みばかりを見てきた、上澄みばかりを掬ってきた彼には解らない。
その心の奥にあるものが、必ずしも同じではないという事を。
誰もが、気持ちと行動に矛盾が生じるという事を。合理性を追求する人間の胸中が、非合理である事など珍しくもないのに。
重い空気が、人間達には広すぎる空間で幅を利かせる。
瞬きの瞬間ですら、開いた時には銃弾が放たれていると思うと気が気では無かった。
けれども、シンは動かない。
背中から滴り落ちる血は、床に出来た染みを広げていく。
アルジェントの脳裏に、ある期待が過る。
ナイフでつけた傷は、自分の想像以上に深いのではないか。
風の魔術付与によって抉られた背中は、彼に多くの血を失わせたのではないだろうか。
しかしそれは、あくまで希望的観測。
シンがいざ行動に移すまで、アルジェントに真実が判る事は無い。
次第に彼は、シンが銃口を構えたまま動かない理由を推察し始める。
傷が浅くないのであれば、隙を突いて小人族を救出する事は困難を極める。
ならば、彼は待っているのではないだろうか。援軍が現れるのを。
不老不死の少女と妖精族の女王がこの場に現れる可能性は極めて低い。
彼女達は今、『強欲』を相手取っている。
そうなると共に突入してきた魔狼族か、魔獣族の王が現れる事に期待しているのかもしれない。
魔狼族が現れる可能性は低いだろう。自分達の城を我が物顔で歩く魔狼族を、鬼族が受け入れられるはずもない。
レイバーンに関しても、あの巨体が近付いてきて気付かない訳がない。
結局、援軍の線も薄いという結論に至ってしまう。
「よォ。さっきから固まってるけど、やっぱビビったのか?」
「お前こそ、他人を見下す態度ばかり取る割にはだんまりだったな」
アルジェントの顔が引き攣る。
冷静さを失わせようと舌戦を仕掛けようとしたが、この男がブレないと判断した。
シンもまた、自分が向き合ったものは全力で取り組む男だ。
世界再生の民で彼と相対した人間からも、散々聞かされた。
小人族の長老同様に、為すべき事を為そうとする人間。
ある意味では、アルジェントはシンを高く評価していると言っても過言ではなかった。
そう、彼はシンを認めているのだ。
だからこそ、眼前の彼を前にして安易な行動に移さない。
一方で、彼はシンを認めているからこそ気付くべきだった。
眼前に現れた男は、とうに仕込みが終わっている可能性に。
「――っ、なんだァ!?」
大きな音と振動が、玉座の間に襲い掛かる。
爆音と共に崩れたのは、玉座の間の壁。爆発により僅かに壁に孔を開け、黒煙が侵入をする。
向かい合う二人。特にアルジェントにとっては自分より後ろにある壁が破壊された事になる。
突然の出来事に、脳が辻褄合わせを求める。
(魔獣族の王? いや、違う。気配は何も無かっただろうがッ)
侵入に成功したレイバーンが、奇襲を仕掛けるべく壁を破壊したのか。
最初に浮かんだのは闖入者の可能性だったが、即座に自ら否定をする。
それならばもっと近くから侵入をすればいい。距離の離れた位置で壁を破壊するのは、悪戯に小人族への危険度を高める。
何より、あの煙には覚えがある。
シンとの邂逅時、彼が投げつけた簡易的な爆弾。同様のものが爆発をしたのだと、アルジェントは察した。
腑に落ちない点は、どうやって爆発をさせたのか。
他人を陥れ、上澄みを奪ってばかりの彼は考えずに居られなかった。虚を突く手段は、一体何であるのか。
解く必要もない謎が、アルジェントから脳のリソースを奪う。
答えはシンが栓を抜く用途で取り付けた包帯にあった。
アルジェントの気配を移動中に感じていたシンは、隣の部屋に簡易的な爆弾を逆さに取り付ける。
包帯には、背中から滴る自分の血をたっぷりと吸わせた。
血を吸った包帯は、その重みで徐々に栓を緩めていく。
後は栓が抜け、擦れた入口で生まれる火花により着火するのを待つだけだった。
ぶっつけ本番、爆発するかも怪しい賭けではあった。
シンが銃口を構えて微動だにしなかったのは、爆発までの時間稼ぎと同時に代案に思考を巡らせていた事による。
結果、爆弾は起動した。小人族の長老を救うべく、シンはついに一歩を踏み出した。
アルジェントの右腕を狙って投げつけられるのは、またしても小瓶。
散々見せつけられた爆弾を前にして、アルジェントは思考を止める。
「何度も何度も、ワンパターンかよッ!」
思考よりも反射の求められる場面。
アルジェントは銃声が聞こえると同時に身体を回転させ、小人族の長老を盾にした。
銃弾が投げられた小瓶を撃ち抜く。アルジェントとの間に滑り込んだ小人族が、恐怖で瞼を閉じる。
ほくそ笑むアルジェント。救おうと無茶な行動をした結果が、最悪なものに変わる瞬間を瞳へ焼き付けようとしていた。
だが、何も起きない。起きるはずもない。
シンが投げたのは、ただの小瓶。それを銃弾で撃ち抜いたに過ぎない。
嫌という程刷り込んだ爆弾への意識が、嘘である可能性を薄めていた。
「――ッ、ざけんなッ!!」
謀られたと気付いたアルジェントが逆上する。
小人族の長老を盾にした事により、体勢は崩れている。
何より、無防備な左脇腹をシンの眼前に差し出している事がまずかった。
当然のように、シンは魔導砲の銃口を向ける。
「そう、何度も思い通りいくかよッ!」
アルジェントは左腕を下ろし、小人族の長老で自らの脇腹を遮る。
シンが引鉄を絞るよりも早い行動。反応速度より、タイミングが重要な場面で起こしてしまったミス。
魔導砲の銃口は、小人族の長老の身体が下がるのを見た瞬間に向きを変えた。
下がったアルジェントの左腕に対して、銃口の角度は上がる。
狙いは小人族の長老によって遮られていた、風の魔術付与が施されたナイフ。
「ぐうッ!」
正確に刃の腹を撃ち、ナイフを弾き飛ばす。
こうなると小人族の長老を傷付ける手段は、接収によって創られた札を用いるしかない。
けれど、取り出した瞬間に狙われるのは火を見るよりも明らかだった。
ここまでシンは、通常の銃弾を二発放っている。接収を警戒して、疑似魔術の類は使用していない。
奪い取れない状況となれば、シンにも躊躇が無くなる。後手に回るアルジェントは、下唇を噛みしめる。
「何もする気がないのなら――」
爆弾による奇襲と、二度の攻防で距離を詰めたシンは既に懐へ潜り込んでいた。
仕掛けた足払いを、アルジェントは身体を浮かせて躱す。
意識が地面へと向いた瞬間、小人族の長老が彼の左腕から離れていった。
「じいさんは返してもらうぞ」
長老へ割かれる意識が減った瞬間。魔導砲の銃身から縄が伸びる。
半ば強引に引き寄せられた小人族は、やや乱暴にその足を地面へと着けた。
「逃げて、どこかに隠れてくれ!」
礼を言う間もなく叫ぶシンに、小人族の長老は強く頷く。
ドタドタと足音を立てながら、玉座の間から姿を消していく。
シンの行動を制限する枷は、失われた。
「後はお前だけだ」
「……いつまでも、調子に乗ってんじゃねェよ!」
歯軋りの音を強く立てるほどの苛立ちを見せるが、アルジェントにとっても勝機が潰えた訳ではない。
彼はこれまでの交戦で気付いている。魔導砲が疑似魔術を放つ際に、予備動作がある事を。
小人族を取り戻す事に注力したあまり、シンは魔導砲に充填を行っていない。
銃弾同様に放たれる魔導弾も、装填する間もなく懐まで到達してしまった。
つまり、魔導砲は疑似魔術を使えない状態で彼の眼前に存在している。接収によって札に出来る、格好の魔導具として。
アルジェントは右手から札を取り出す。
シンは当然、その札を撃ち抜いた。中身が屑石の寄せ集めだとも、知らずに。
「ハハッ! そうだよなァ! 警戒するよなァ!」
元々、使っても役に立たないであろう札。撃ち抜かれて具現化できなくても問題はない。
それよりも直線上に魔導砲がある状況を、アルジェントは求めた。
銃弾程度では傷ひとつつかない瑪瑙の右手は、最短距離で魔導砲に触れる。
「貰っちまうぜェ! お前さんの、相棒をよォ!」
瞬く間に札へと変えられてしまう魔導砲。
右手に収められた札を見て、愉悦の表情を浮かべたアルジェント。
刹那、その表情はシンによって変えられる。愉悦から、苦悶へと。
「ああ、奪われると思っていた」
眉ひとつ動かさない仏頂面の男が呟いた。
同時に、アルジェントの身体に激痛と痺れが襲い掛かる。
魔導弾のひとつ、稲妻弾が至近距離で彼の脇腹を撃ち抜いた証だった。
放ったのは、左手に握られた黒い銃。長年共に連れ去った、もうひとつの相棒。
「……ん、だ……と」
膝を崩すアルジェントは、またも釣られたのだと悟った。
自分の最大火力を誇るはずの魔導砲でさえ、奪われる事を厭わない。
武器を棄てるという非合理を突き詰め、合理的な結果を求める。想像の範疇にある策を前に、感服する他なかった。
だが、アルジェントは新たな玩具を手にした。
散々自分を振り回してくれた魔導砲が、手中にある。
直ぐに札から具現化を行い、弾倉を回しては魔力を充填した。
「けどよォ、武器を棄てるのはやりすぎだったんじゃねェか……?」
シンの顔を見上げながら、銃口を向ける。
魔導砲の威力を知っているにも関わらず、シンは顔色ひとつ変えない。
余裕が失われつつあるアルジェントを苛立たせるには、その見下ろす視線は効果的だった。
「そうでもない」
「余裕ブッコいてんじゃねェぞ!」
感情の赴くままに魔導砲の引鉄を引くアルジェント。
だが、何も起きない。疑似魔術も、弾丸すら発射されない。
「な、なんでだ!?」
使い方は間違っていないはずだ。これ以上の複雑な手順は、武器としての体を成さなくなる。
混乱をするアルジェントだったが、彼には知る由もない。
魔導砲を扱えるのは、シンだけ。静脈による認証で、彼以外の人間にとってはガラクタであるという事を。
「悪いな。魔導砲は、お前には扱えない」
銃口を手で覆うシン。撃てばかならず右手を吹き飛ばせる状況でも、魔導砲は一切の反応を見せない。
色眼鏡の奥で、絶望がアルジェントを襲う。魔導砲を握る握力が弱まると同時に、その銃は本来の持ち主へと帰っていった。
絶体絶命の危機。
この至近距離で逃げる事は叶わない。命乞いが通じる相手ではない。
何か手立てはないかとアルジェントは、必死に脳を回す。
颶風砕衝は使えない。
この位置だと、シンも中心部へと入り込んでしまう。自分の逃げ場を失くすだけ。
痺れる身体と、凍り付く背中。
段々を薄く広がっていく煙の臭いが、アルジェントの鼻腔を擽る。
(こうなったら、一か八か……!)
アルジェントは痺れた身体で一枚の札を取り出した。
抵抗させまいと銃を撃つシンだったが、瑪瑙の右腕が銃弾を弾く。
具現化されたのは、魔術付与された剣。
炸裂の魔剣。連鎖する爆発を引き起こす、炎の魔剣。
膝を崩したまま、力任せにアルジェントはその剣を振るう。
受け止めても爆発に巻き込まれるシンは、後ろへ跳ぶ事で回避を試みる。
「クソ……がァッ!!」
それで良かった。アルジェントの狙いは、元々シンではない。
絶望的な状況を打破する為に彼が選んだのは、足場の破壊。
シンが作った爆弾とは比べ物にならない爆発が、玉座の間を破壊する。
彼らは知らない。時を同じくして、地下で『強欲』と交戦を繰り広げるフェリー達。
激化する戦いによって、鬼族の城は既に崩壊寸前だったという事に。
「――ッ!?」
足場が崩れ、二人は落下を余儀なくされる。
地底湖にて役者が揃うのは、それから数十秒後の事だった。