249.地底の攻防
突き立てられた真紅の刃は、邪神と言えどただでは済まない。
鉱石のような色合いを持つ身体が熱を持ち、印を刻み込むかのように橙色に染め上げていく。
「――――!!!」
『強欲』は、悲鳴だけで振動を引き起こす。
フェリーとリタは襲い掛かる不快な音に、思わず耳を塞ぎそうになる。
地底湖の水面は揺れ、自然の影響を色濃く受け継いでいる洞窟は奇跡的に保っていたバランスを崩し始めた。
壁が、天井が、ボロボロ分離していく。
二人に生まれる焦燥感。『強欲』を仕留めなくては、この場から脱出する事もままならない。
「こっ、のおぉぉぉぉぉ!」
灼神に魔力を込め、右脚を灼き切ろうとするフェリー。
上半身は霰神によって動きを止めている。
それでも尚、邪神は止まらない。苦悶の声を轟かせながら、自らを消滅させんとする脅威に抵抗を試みる。
模倣によって創られたのは、巨大な魔力の塊。
本質までは生み出す事が出来ない『強欲』が創り出したのは、魔力で複製された巨大な岩石だった。
「えっ!? ちょ、ちょっと!」
自分の真上に岩石を生み出した『強欲』。
当然、密着しているフェリーを狙ったものとなる。
このままでは、圧し潰されてしまう。一刻も早く『強欲』の脚を斬らなくてはならない。
危機を前にしても退かないフェリーの選択は、追い詰めているはずが逆に追い詰められようとしている事に気が付いていない。
「フェリーちゃんっ!」
妖精王の神弓で魔力による岩石を撃ち抜くリタ。
接収から呼び出したものであれば。ただの岩石であれば、彼女の矢を前にして形を保っていなかった。
けれど、模倣で創り出したものはあくまで『強欲』の魔力によるもの。
高密度の魔力を前にしては、神器といえど一度矢を放った程度では破壊しきれない。
フェリーへ向かって落下する岩石。
ギリギリまで踏ん張っていたフェリーだが、灼神と霰神を収める。
『強欲』の腹筋を思い切り蹴り、離脱を試みる。
「そんなアブないの、あたしはムリだからね!」
四肢を破壊しきれないと踏むと、フェリーは『強欲』の自滅を狙う。
灼熱の刃によって高熱で深く焼かれた右脚に、氷結の刃によって自由を奪われた腕。
回避は間に合わない。『強欲』は、避けきれない。
「……っ!?」
しかし、『強欲』にはそもそも避ける必要がない。
魔力で創られた岩石は、霰神によって『強欲』の表面に張り巡らされた氷を砕く。
フェリーの目論見では、そのまま自らが生み出した魔力の塊に圧し潰されるはずだった。
だから、想定外だったのだ。『強欲』の体表に触れた途端、魔力の塊が還っていく事など。
これならば、身を屈めていればよかったのではないか。
下唇を噛むフェリーに、追撃の体勢を整える間は与えられなかった。
次に迫ってくるのは、模倣によって創られた剣。
人間にとっては大剣だが、鬼族ほどの巨体を持つ『強欲』にとってはむしろ小さい。
それでも『強欲』は、大剣を目いっぱい横薙ぎに振った。自分を痛めつけた、不老不死の少女目掛けて。
「つぅ……!」
咄嗟に灼神と霰神。魔力の刃によって、フェリーは大剣を受け止める。
あるいはただの剣であれば、灼神によって灼き斬られていただろう。
純然たる魔力の塊は、その質量だけで二本の魔導刃・改による破壊を免れていた。
「フェリー、ちゃ……」
力任せに振るわれた巨腕が生み出したのは、破壊力だけではない。
風の魔術かと見間違うほどの風圧は、狙いを定めたフェリーだけではなくリタにも影響を及ぼしていた。
弧を描いた『強欲』の腕。軌道の延長線上にいたリタは、生み出された風圧を一身に浴びる。
小柄な妖精族の少女は神弓を構える事はおろか、両足が地面から離れないようにするだけで精一杯だった。
「まだ、まだぁ……っ!」
模倣の大剣には『強欲』の腕力と、遠心力が加算されている。
人間の少女が受け止めるには、あまりにも大きすぎる力の差。
彼女の咆哮も虚しく、やがてその足は地面から離れてしまう。
一度浮いてしまえば、最早フェリーに成す術はない。
灼神は僅かに大剣に亀裂を生むに留まり、フェリーの身体は洞窟の壁へ力任せに叩きつけられてしまう。
先刻とは質の違う轟音が鳴り響く。肉の潰れる音がはっきりと聞こえなかったのは、リタにとって幸いだった。
飛び散る鮮血に加え、そんな音まで聞かされていたら彼女の精神は今以上に平静さを失っていただろう。
「フェリーちゃん!」
妖精族の少女が取り乱すのは当然だった。
リタは知っている。不老不死の少女が、これぐらいでは死なないという事を。
リタは知っている。あくまで死なないだけで、痛みははっきりと彼女の身に刻み込まれている事を。
妖精王の神弓の矢を、我武者羅に放った。
彼女の血を浴びた大剣を。それを持つ両手を。『強欲』の脚を、目を、腹を。
リタは走りながら、光の矢を射続けた。フェリーへと近寄る為に、『強欲』の意識を彼女から逸らす必要があった。
「古より生きる光粒の使徒よ。ここに集い、我を守護する道となれ。光精の帯」
詠唱を呟きながら、指先に込めた魔力で魔法陣を描いていく。
洞窟内に存在する魔力が光を放ち、自分達と『強欲』を遮断する帯を生み出す。
『強欲』が大剣を光精の帯へ振り下ろすが、光の帯は剣を通して『強欲』の身体へと巻き付いていく。
強引に引き千切ろうとする『強欲』。創る事に成功した時間を、リタは全力で走り抜ける事へ注力する。
「フェリーちゃん! 大丈夫なの!?」
「リタ……ちゃ……。えへへ、だいじょぶ……だよ」
はにかんで見せるフェリーと対照的に、周囲の風景が凄惨さを物語っていた。
洞窟の壁は衝撃によって生み出された窪みは、赤く染められている。
左腕から壁に激突したのだろう。服は擦り切れ、腕はおろか肩口や左脚まで窪みと同じ色に染め上げられている。
「待ってて。今、治癒魔術を……」
「ううん、だいじょぶ。見た目ほどはイタくないから」
「え……?」
そんなはずはない、痩せ我慢だとリタは彼女の左腕を持ち上げる。
あらぬ方向へ曲がっている左の肘や手首に血の気が引くリタだったが、ひんやりとした感触が彼女から伝わってくる。
よく見れば、彼女の身体から足元へかけて氷の破片が転がっている。
「霰神の氷でガードしたから」
氷をクッションにしたと、フェリーは右手でピースサインを作って見せる。
だから見た目ほど痛くはないと主張する彼女だが、そんなはずはない。
もし霰神で防御していなかったら、もっとひどい結果になっていただけだ。
「痛くないわけないよ! 早く治癒魔術を!」
「ううん。治癒魔術はいいよ、あたしは治るから。
それよりも――」
痛みはあるはずだと、早急な治療を試みるリタ。
対してフェリーは、自分の体質なら大丈夫だと申し出を断る。
決して開きなった訳ではない。フェリーは、リタに余分な魔力を使って欲しくなった。
まだ、あの怪物との戦闘は続いていく。治癒魔術に使う魔力を、別の事に回して欲しいとフェリーは懇願した。
「~~っ。わかった、わかったけど! 痛いなら、痛いって言っていいんだからね!」
「あはは。ホントは、ちょっとイタいかな……」
「言わんこっちゃない」と呆れながら、リタはフェリーの胸当てから全身へ魔力の籠った指を滑らせていく。
詠唱を唱えながらフェリーの身体の表面へ完成させる魔法陣は、『強欲』の動きを止めた光精の帯だった。
先刻は『強欲』を拘束する為に使った魔術だが、本来は自分や仲間の身に対して使用する精霊魔術の一種。
巻き付いた光の粒子が、敵の攻撃を受け止める役割を果たす。
「ありがと、リタちゃん!」
「でも、気休めだからね。無茶はしちゃダメだよ」
半ば無理だと思いつつも、リタは伝えずには居られなかった。
光精の帯を詠唱している間に、フェリーの傷はみるみる塞がっていった。
彼女の体質を知らない訳ではない。けれど、何度目の当たりにしても信じられない再生力を誇る。
だから彼女は無茶をする。守護魔術を求めたのだって、傷を負わない為ではない。
多少の事で自分の脚が止まらないようにする為だ。シンが心配する気持ちも、痛い程によく分かる。
フェリーが再び灼神と霰神を手に取る。
想いきり叩きつけられても、ふたつの魔導刃・改は問題なく起動する。
自分が無茶な使い方をすると、マレットも踏んでいたのだろう。頑丈に作ってくれた彼女に、フェリーは感謝する。
視線の向こう側では、光精の帯に捕らわれていた『強欲』が光の帯を引きちぎっていた。
飽きてしまったのか。もしくはずっと出現させてはいられないのか。その手に大剣は握られていない。
まだ立ち上がっているフェリーを見て、口が裂ける程に悍ましい笑みを浮かべる。
「『強欲』はゼッタイ、あたしたちでやっつけなきゃ!」
真紅の刃と透明の刃を掲げ、フェリーは大地を蹴る。
『強欲』がリタの矢を模した模倣を生み出す。
放たれた矢は、フェリーの後方からリタによって軌道を逸らされる。
間髪入れずに生み出される矢を、リタは最低限の威力で軌道を逸らすに留める。
前進するフェリーを止めないように、自分が出来る援護。正確に放たれる矢に、『強欲』は苛立ちを覚えた。
「――オアアアァァァァッ!」
ならばと、次に模倣によって生み出されるのは巨大な岩石。
走るフェリーの眼前に生み出された魔力の塊は、咄嗟に放った矢では決して破壊出来ない。
「ならっ!」
しかし、『強欲』の取った手段は悪手だった。
自分の思い通りに行かないがあまりに、ただ妨害する事によって快感を得ようとした。
結果、魔力の塊が『強欲』の視界からフェリーを隠す。
『強欲』の右側から地面を伝って走る氷。左側からは、炎。
霰神と灼神により繰り出された左右の攻撃に、『強欲』の注意が削がれる。
どちらか囮で、どちらかが本物。『強欲』は左右両方に気を配る。
靡く金色の髪を決して見落とさまいと目を凝らす『強欲』だったが、却って視野は狭くなっていた。
右眼へ迫る光の矢に、直前まで気が付かなかったのだから。
「――――!」
妖精王の神弓による矢が、邪神の右眼を貫く。
苦しみ悶え、思わず顔を上げる『強欲』。
削がれた意識は更に視野を狭める。
奪われた視界の反対側。揺らめく炎の奥で不老不死の少女が剣を構えている事に、邪神は気が付かない。
「てえぇぇぇぇぇいっ!」
チリチリと空気を灼く音を耳にした時には、真紅の刃は既に迫っていた。
彼の左腕を掻い潜り、『強欲』の脇腹を両断せんと振るわれる灼神。
飛び散る火花が、邪神の身体を灼き斬るべく熱を伝えていく。
苦悶の表情を浮かべながらも、自分に抗う少女へ『強欲』は憎しみを向ける。
模倣によって創られた矢が、フェリーを貫こうとしている。
「ダメ……だってば!」
自分の矢を模した物でフェリーを貫く事は、絶対に認められない。
過去の後悔はリタへ弓を引かせるには十分な理由だった。
咄嗟に放たれた光の矢は、正確に漆黒の矢の穂先を捉える。
軌道を変え、天井へと突き刺さる漆黒の矢。再び洞窟内が、衝撃によって大きく揺れる。
その間にも灼神は、『強欲』の腹へ更にその身を喰い込ませていた。
痛みで顔を歪めながらも、『強欲』は左腕をフェリーの背中へ向ける。
光精の帯が邪悪や左手を拒絶しようものなら、今度はそれを掴んだ。
「えっ? ちょ、ちょっと! わわっ!」
強引に光精の帯ごとフェリーを持ち上げる『強欲』。
そのまま力任せに腕を振るい、地底湖に向かって彼女を投げ棄てる。
「いくらなんでも、ゴーインだよっ!」
地底湖に落ちてしまえば、リタを独りにしてしまう。
霰神を湖の表面に触れさせ、凍らせる事で足場を創り出すフェリー。
足をつけても投げられた勢いは殺しきれない。透明の刃を突き立て、フェリーは漸く氷の上にその身を落ち着けた。
「フェリーちゃん、危ないっ!」
息をつく暇もなく、『強欲』の追撃はフェリーを襲う。
散々邪魔をされた漆黒の刃では効果が薄いと判断したのか、次に彼女へ迫ってくるのは黒い竜巻。
模倣によって強引に真似をされた颶風砕衝は、地底湖の氷を削り取る。
フェリーだけではなくリタをも巻き込む魔力の渦を前にして、互いが自分の身を護るのに精一杯だった。
精霊魔術により魔力の壁を生み出すリタ。削り取られていく防御壁を、妖精王の神弓によって強化する。
「ちょっと、待って……てば!」
魔術による防御が出来ないフェリーは、霰神を地底湖に突き立てるのが自分の取れる最大の防御策だった。
湖を凍らせ、巨大な氷の壁で黒い竜巻を受け止める。削れていく氷が竜巻にのって、周囲へと積らせていく。
前にも後ろにも進める事が出来ず、湖の上に立ち往生を要求されるフェリー。
やがて黒い竜巻は天井をも削り始める。
散々負荷を与え続けられた壁や天井が、ついには悲鳴を上げた。
一度入った亀裂は、颶風砕衝によって広がっていく。
まるで掘り進むかのように地表へと伸びていく亀裂は、ついには大きな孔を開けた。
尤も、原因は地底での攻防だけではない。
地表に聳える鬼族の城自体が、限界に達していたのだ。
「えっ?」
黒い竜巻が消えると同時に、振ってくる巨大な影がふたつ。
鼠色の身体を持つ魔獣族の王、レイバーン。そして、黝い身体を持つ偽りの王、オルゴ。
「れ、レイバーン!?」
鬼族の城。その一階から地底湖に張られた氷へ向かって落ちてくる二人。
強い衝撃が、氷の板を傾けさせる。
「わ! ちょ、ちょっと!」
バランスを崩しそうになったフェリーが、思わず天を仰ぐ。
彼女はそこで、新たな影を捉えた。レイバーンとオルゴよりはひと回りもふた回りも小さな影。
だけど、フェリーは知っている。それが誰なのかを。
「シ……シン!?」
「フェリー!?」
振ってくる影は、シン・キーランド。
そしてもう一人。『強欲』の適合者、アルジェント・クリューソス。
魔硬金属を、そしてふたつの種族を巡る争い。
その発端となった部外者達が、一斉に地下へと集まった。