247.銃口に、迷いはなく
アルジェントにとって、眼前の男は今までに戦った相手とは違っていた。
大抵の相手は『強欲』の右腕を恐れ、警戒をする。
当然の事だ、自慢の武器や魔術が成す術もなく奪われてしまうのだから。
魔力を宿したものは、総てが自らの力に成り得る。
強者であればあるほど、魔力との関係がより密接となっていく。
自分はただ、それを奪うだけ。大した労力も割かず、右手を翳すだけ。
たったそれだけで、他人の人生の上澄みが自分のものとなる。
『強欲』が彼へ齎すのは、病みつきになるほどの快感。
例外を挙げるとすれば、神器の存在ぐらいだろう。
認められた継承者ではない自分を、神器自身は拒絶する。
そう、神器だけであるはずだった。
眼前の相手は、決して神器の継承者などではない。
自身が魔力を持たずとも、魔導石という魔力の塊に頼っている男。
シン・キーランドの手数は封じる事が出来る。
逆に自分は、用意した手札から相手の不意を突けばいい。
相対した時にアルジェントが組み立てたシナリオは、至極単純なものだった。
ただひとつの問題。シンが、自分の想像以上に接収を理解している事を除いて。
「くっそ……がァ!」
左手に持ったナイフが風を纏い、見えない刃となって周囲を斬り刻む。
シンの身体へ無数の切り傷が作られるが、決して彼は怯まない。
冷静に左腕の内側へ自らの右手を潜り込ませては、風の方向が外へ逃げるようにと促した。
そのままアルジェントの腕を伝うように、魔導砲の弾倉を当てる。
懐へ潜り込むと同時に充填されていく魔力。至近距離で向けられる銃口。
『強欲』の右腕を伸ばして魔導砲に触れるには、僅かに届かない絶妙な距離。
左腕は完全に利用され、間に合わない。魔力の塊を受ける為に、アルジェントは右手を射線上へ翳す事を余儀なくされる。
「撃てるモンなら、撃ってみな!」
強がってはみせるものの、接収で札へ変える為に、他の札を持つ事は出来ない。
もしも魔導砲の一撃を奪えない状況下であるならば、シンは躊躇なく引鉄を引くだろう。
結果的にアルジェントは、シンの魔導砲を封じると同時に自らの切り札も封じられた。
自分の能力を警戒するあまり実力が発揮できないと目論んでいた彼にとって、最大の誤算。
シンはここまでのやり取りで接収に限らず、アルジェント自身についても理解をしつつあった。
浮遊島で戦ったジーネス程の戦闘力を持ち合わせている訳ではない。
札によって手軽に防御と攻撃が出来る点から、自らの魔術も積極的に扱わない。詠唱を破棄してくる可能性となれば、更に下がるだろう。
アルジェントと戦うにおいて、最も安全な距離がゼロ距離なのだと悟る。
「その必要はない」
「ッ!」
アルジェントの足元を払い、重心を崩す。
重力に導かれているかの如く下がる頭を、シンの左拳が捉える。
「ぐうッ!」
一瞬だが、真っ白に飛ぶ視界。口の中に広がる血の味は、屈辱の証だった。
外へと払われていた左腕をシンの肩へ強引に絡ませ、アルジェントは倒れる事を拒絶する。
そのまま背中へナイフを突き立てようとするアルジェントを、振りほどこうとするシン。
「――ッ!」
完全に避けるには至らず、刃はシンの背中を斜めに斬り裂いた。
純粋な刃だけではなく、風の魔術付与で傷は抉られていく。
背中に走る激痛と滲む鮮血が、傷の程度を報せてくる。それほど、深くはない。
動かすにあたって、なにひとつ問題はない。痛みは喰いしばって、堪えられる。
手傷こそ負わせたが、アルジェントの体勢は崩れたままだった。
銃口を向けるシン。身体が地面へ吸いつけられながらも、咄嗟に瑪瑙の模様が施された右手を翳し直すアルジェント。
一瞬での判断力が問われる場面。指の隙間から見えたのは、向けられた銃口が自分ではなく天を向き始める動作。
「しまっ――」
釣られたと察した時には、もう遅い。
アルジェントの身体が地べたを這いつくばると同時に、天井へ向かって放たれる魔導砲の一撃。
緑色の暴風が、鬼族の城へ風穴を開ける。
「やりやがったなッ!」
身体を起こすのは間に合わない。
シンを捕まえようにも、彼は血痕を垂らしながらも後方へと逃げてしまった。
降り注ぐ大量の瓦礫に、魔力は宿っていない。自分へ襲い掛かる、不可避の砲弾。
アルジェントに残された選択肢は、札の解放しか残されていなかった。
当然、シンも彼が札を取り出す事は読んでいる。
札を弾くべく、金色の稲妻を放つ。
「なめんなよッ!」
尤も、次の一手を読んでいるのはお互い様だった。
地底湖で一度、金色の稲妻により妨害されている。
同じ轍は踏まないとナイフの魔術付与が、小さな竜巻を生みだした。
十分な威力を充填出来ていない金色の稲妻を竜巻は呑み込む。
札の中身を解放するだけの時間は、十分に稼ぐ事が出来た。
刹那、階段の踊り場に巻き起こるのは激しい竜巻。
風の最上級魔術である、颶風砕衝は踊り場一体を覆いこんでいく。
天井から降り注ぐ瓦礫も、周囲の壁さえも暴風は砂粒のように砕いていく。
颶風砕衝の外に居るシンを、砂塵と暴風が襲い掛かる。
剥き出しになった晴天が、この竜巻の異常さを伝えているようだった。
「ぐ、ぅ……」
狂飆の波はシンをその場に踏み留まらせる事すら許さない。
決して巻き込まれまいとしていたシンだったが、ついにはその身体を浮かされてしまう。
一度舞い上がった身体は、既に自分の制御下ではなくなっていた。
風の流れに呑み込まれ、遠心力によって城の外へと放り出される。
「くそっ……」
されるがまま鬼族の城から離される訳には行かないと、シンは魔導砲の銃身から縄を出現させる。
このタイミングで颶風砕衝が解除され、アルジェントが姿を現したのは決して偶然ではない。
彼は再び、接収によって颶風砕衝を消して見せた。
「いやァ、アンタ本当に面倒だわ。悪いけど、オレっちはイチ抜けだ」
瑪瑙の右手には新たな札が握られている。
撃ち落とすのは間に合わない。彼の右手から放たれたのは、またも無数の凍撃の槍だった。
二人の間に出現する氷の矢。互いの姿を分断すると同時に、凍撃の槍はシンへと襲い掛かる。
この時点でシンは、魔導砲への充填を諦めていた。
ひとたび充填をしてしまえば、弾丸の切り替えが出来ない。
充填を必要としない魔導弾で、突破する事を選択する。
放たれるのは爆裂弾。凍撃の槍へ着弾すると同時に、爆発音が鳴り響く。
向こう側。鬼族の城への道が拓けるまで、シンは爆裂弾を撃ち続ける。
爆発によって生み出された熱が、砕けた氷を融かしていく。
霧のカーテンが視界を再び視界を覆うのを見計らい、シンは魔術付与による縄を伸ばした。
「……どこへ逃げた?」
崩れた城壁へと括り付け、霧を突っ切ったシンは眉根を寄せる。
待ち伏せを警戒し、銃を構えるものの、既にアルジェントの姿が見当たらない。
恐らくは凍撃の槍で互いの視線が遮られた時。
彼はこの場から姿を消したのだろう。
周囲に目を配らせながら、シンはアルジェントの行先を探る。
踊り場から上がったのか、下がったのか。
フェリーとリタを狙うのであれば、地下へ降りた可能性もある。
思い返すのは、アルジェントの言葉。
――オレっちはイチ抜けだ。
確かにあの男はそう言った。
彼や邪神の一味にとっては、鬼族と魔狼族の争いなどどうでもいいのだろう。
鬼族を焚きつけようとも責任は持たないし、必要以上に慣れ合うつもりもない。彼らにとっては、現地調達の捨て駒。
しかし、シンはこのままアルジェントを逃がす訳には行かなかった。
小人族の長老が捕らえられたまま行方を眩ましてしまえば、追跡の術を持たないシンはお手上げとなる。
シンは懸命に頭を回し続ける。背中の痛みに構っている暇はない。
フェリーとリタが地下へ行ったにも関わらず、アルジェントの顔色に焦りは無かった。
長老が地下に幽閉されている可能性は薄いと考える。
「……二階か」
ぽつりと呟くと同時に、違和感も覚えた。
地下帝国で彼が顕現した邪神の分体。『強欲』が、一向に姿を見せていない。
二対一で戦闘になっていたなら、自分はひとたまりもなかっただろうに。
いくつかの状況が想定される。
そもそも顕現には制限があって、呼び出せない状況。
小人族の長老の護衛をしていて、動かせない状況。
一番可能性が高いと思われるのが、既に顕現していて戦闘中という状況。
適合者と分体はある程度離れても姿を現す事が出来るのは、既に三日月島と浮遊島で体験をしている。
地下へ潜ったフェリーとリタ。或いはレイバーン達が既に交戦している可能性は、十分にある。
提示されない答えに、シンは焦燥感を募らせる。
邪神の分体を任せるとは言ったものの、いざその状況に陥っていると考えると、不安で仕方が無かった。
けれど、小人族の長老を取り戻すのであれば今しかない。彼には一度、救われている。
加えて、アルジェントとは自分が戦うと言った。我儘を押し通した結果が今だ。
決して目的を見誤ってはならないと、シンは階段を昇り始める。後ろ髪が引かれる思いを抱えながら。
……*
「クソがッ! 走っても走っても終わりゃしねェ!」
誰も居ない廊下を駆けるアルジェント。
遠近感が狂いそうになるこの建物を、彼は心底嫌っていた。
痛みを堪えながら走った先は、自分が寝泊まりしている玉座の間。
勢いよく扉を開けると、小人族が鉱石をいくつかの山に分類していた。
「お、おかえりなさい……」
身体同様に、声を小刻みに震わせる小人族の長老。
アルジェントの顔が腫れ上がっている事に目を丸くしたが、恐ろしくて口には出せない。
「よォ。オレっちがいない間も、ちゃんと仕分けしてたんだな。感心感心」
やはりこの老人は全力で仕事をこなす。
住みづらい城に粗暴な鬼族。アルジェントにとって、ある意味でこの老人だけが安心を与えてくれる。
尤も、彼が抱いている感情は一方的なもの。
小人族の長老にとっては、顔を腫らしながらもアルジェントが戻ってきた状況は最悪を想像させるには十分だった。
「あ、あの……。わしの……、仲間は……」
「ん? ああ、殺した」
震える老人が望んでいる答えは、直ぐに解かった。
みるみると青ざめていく小人族。深い絶望が、皺だらけの顔に影を生む。
「悪ィ悪ィ、冗談だ。ちょっち戦ったけど、決着つかなかったわ」
あっけらかんと笑って見せ、長老の背中を強く叩くアルジェント。
どこまで本当かは判らない老人の表情が、明るさを取り戻す事はない。
ただ、彼が気まぐれに発した言葉に縋る事しか出来ない。
「で、どれが魔硬金属に使えそうなんだ?」
仕分けた鉱石を見比べながら、アルジェントは首を傾げた。
よく見れば形や色が違うが、自分では使えそうな鉱石の判別が一切できない。
ただの石コロが山積みになっているだけだ。
「硬さはこれが一番近いと思います。しやなかさはこちら、魔力の伝え方はこちらのような……」
心なしか弱まった声で、小人族の長老は山積みの石を指差していく。
「この鉱石を適切なバランスで混ぜ合わせ、土の魔力で作り上げた窯へ石炭と魔石を――」
「あー。オレっちそういうのは分かんねえから、後でじっくり専門家に話してくれねェ?」
時間稼ぎなのか、それとも職人が蘊蓄を語っているだけなのか。
どちらもあり得るのが、この老人の怖いところだとアルジェントは知っている。
素直に聞き入れまいと耳を塞ぎ、小人族の言葉が侵入するのを遮断した。
「で、この一番積み上げられた石コロはなんなんだ?」
「それは……。きっと、魔硬金属には使わないと思います……」
「ふーん……」
積み上げられた屑石の山は、圧倒的な高さだった。
魔硬金属がどれだけ貴重であるかと、証明するかの如く。
「ま、使えるヤツと使えないヤツで分けて置いてやるかね」
魔硬金属の材料をかき集め、アルジェントは瑪瑙の右手を翳す。
魔力を有した鉱石は一枚の札に収められ、アルジェントの手元へ抑えられた。
使えないと仕分けられた鉱石の山も、魔力を有している。動揺に接収を用いて、札の中へと収める。
「いやァ。やっぱ、オレっちの能力は便利だわ。ジイさんも、そう思うだろ?」
長老にとっては畏怖の対象でしかないのだが、同意以外の選択肢は与えられていない。
まるで玩具のように首を上下に振ると、アルジェントが笑いを堪えていた。
「さて、と。じゃあ、そろそろ帰るかァ。ジイさん、長い付き合いになりそうだけどよろしくな」
「は、はいぃ……」
目線を合わせ、小人族へ手を差し伸べるアルジェント。
威張り散らしているだけの鬼族や魔狼族と違い、全力を尽くそうとした老人へは敬意を示す。
彼にとっての利用価値の高さを、間接的に示したもの。
尤も、長老にとっては名誉でもなんでもない。
ついにその時が来たのだと、小人族の長老は察した。
この手を拒めば、自分は殺されてしまうだろう。
自分だけならまだいい。若く、これからの時代を担う若者にも迷惑が掛かる。
小人族は漸く、新たな生き方を見つけようとしている。
ギルレッグが、リタが、レイバーンが失われてしまえばそれも叶わない。
「あの、最後にお願いが……」
「ん? いいぜ、言ってみな」
口約束など、意味を持たない。
力の無い自分では、たとえ反故にされても抗う術など持たない。
けれども、言わずにはいられなかった。小さな、ほんの小さな楔でも、打ち込みたかった。
万が一にもない、良心の呵責に苛まれる可能性を得る為にも。
「わしの仲間を――」
「その必要はない」
老人の震えた声を遮ったのは、アルジェントでは無かった。
玉座の間に現れたのは、黒髪の青年。服は裂け、身体のあちこちから血を滲ませる。
前方には目立った傷がないのに、足元に滴る血痕が、背中に傷を負っている事を暗に示していた。
「はァ? もう来ちまったのかよ……」
頭をボリボリと掻きながら、気怠そうにアルジェントは向き直る。
自分が姿を消す直前の状況から考えると、ほぼ一直線にこの部屋へ現れた事になる。
勘がいいのか。運がいいのか。どちらにせよ、辟易せずには居られない。
「あ、ああ……」
救出に来てくれた事は、素直に嬉しい。
反対に、ここまで負傷してまで戦っているのだと長老は心を痛めた。
彼が傷付けば悲しむ人がいると、長老は知っている。小人族にだって、彼に懐いている少年がいる。
老い先短い自分よりも、この青年を生かすべきではないかという考えが脳裏を過る。
「で、ですが。その傷……」
「いつものことだ。むしろ、じいさんが無事でよかった。
アンタは絶対に取り返す。ギルレッグにも、そう頼まれたんだ」
長老は下唇を噛みしめる。涙を溢さないようにするので、必死だった。
誰も自分を見棄ててはいない。諦めてはいない。嬉しくて、堪らなかった。
「おうおう、お前さんは強気だねェ。けど、ジイさんはオレっちの手中にあるんだぜ?」
人質である小人族の長老を、アルジェントは左手で持ち上げる。
分かりやすく盾として扱おうとしている。フェリーに、涙を溢させた時のように。
「お前さんの銃は危険だよなァ? すぐ人を殺せちまうからなァ?
ほら、ジイさんの命が惜しかったら武器を棄てろよ」
右手に握ったナイフの刃先を、これ見よがしに小人族へと突き立てる。
裂いてしまわないギリギリの強さで、皺だらけとなった顔をなぞる。
安い挑発だが、シンはこの老人を救出するつもりでいる。効果的だと思っての行動だった。
「出来るものなら、やってみろ」
だが、シンは怯まない。
銃口をアルジェントへ突き付ける。射線上に小人族が差し出される危険性を、背負いながら。
「本気かァ?」
「本気で正気だ。じいさんには悪いが、少しだけ俺に付き合ってくれ」
目を丸くしながらも、小人族の長老はゆっくりと頷く。
元々、自分の命はいつ弄ばれてもおかしくなかった。それならば、信頼できる者に預けるべきだと自身の運命を受け入れた。
アルジェントは眉を顰める一方で、目論見が外れた事に嘆いていた。
武器を棄ててしまえば、彼が自分に抗う術はなくなる。
それを拒否したという事は、彼にはきっと策がある。その事実が、薄気味悪かった。