表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第三章 オリハルコン争奪戦
274/576

245.一匹の魔狼と、一人の鬼

 初めにレイバーンを見た時、鬼族(オーガ)の王であるオルゴが抱いた感情は侮蔑。

 よもや仇敵である魔狼族と、自分達鬼族(オーガ)の特徴を色濃く継いだ存在が居るとは思ってもみなかった。


 思い出されるのは、幼少期。

 自分の父親が、偽物の鬼武王の神爪(レクエルド)を用いて王の座に君臨していた時代。

 一人の鬼族(オーガ)が、とある主張をしていた。魔狼族と争うのではなく、手を取り合うべきだと。

 身の毛がよだつような提案をした男だった。


 ……*


 男は生来の優しさから、戦闘には向いていなかった。

 鬼族(オーガ)の恥さらしだと揶揄されるような存在だった。

 王である父が罵倒するものだから、オルゴも男を蔑んでいた。


 だが、オルゴの父にとってこの男は使い道があった。

 彼は当時の魔狼族の長。獣魔王の神爪(レイシングスラスト)の継承者である女王との対話に成功していたのだから。


 彼らの馴れ初め。魔狼族と鬼族(オーガ)にとってはいつも通りの場所。

 強いて言えば、その日は大雨が降っていたぐらいだろうか。

 魔狼族特有の発達した嗅覚が役に立たない。だから、鬼族(オーガ)が戦闘を仕掛けた。

 

 いがみ合う両者が入り乱れる戦場で、傷付いた同胞を懸命に治療する男。

 無防備な背中を晒しているにも関わらず、魔狼族の女王は彼の背中に爪を立てる事を躊躇った。


「どうして、刺さない?」


 背を向けたままで、男は問う。

 自分の存在には気付いているのかと、女王は嘆息した。

 

「情けを掛けている訳では無い。戦と獣の(ケルノス)神は、不意打ちのような卑怯な真似を嫌うだけだ」

「そうか。なら、魔狼族の神に感謝するべきなのかもしれないな」


 仲間の治療を終えた男は、女王の顔を見るべく振り返る。

 雨を滴らせていても、よく分かる。漆黒の毛と、顔に一本伸びている流星模様の白毛は彼女のトレードマークだ。


 戦場を駆け回る一等星は、魔狼族にとっては希望の象徴。

 だが、鬼族(オーガ)にとっては、畏怖の対象だった。

 男にとってもそれは変わらず、彼はここで命を失う事を覚悟していた。

 

「悪いが、倒れている同胞は見逃してくれないか?

 友人なんだ。彼は気絶している。それとも戦と獣の(ケルノス)神は、寝込みを襲うことは認めているのかい?」


 それならお手上げだと、彼はおどけて見せる。

 仇敵である魔狼族を前にして、この胆力。目を点にしながらも、女王は笑みを溢す。


「……おかしなやつだ」


 そっと白銀の爪を地面へ下ろす女王。

 命拾いをしたと男が尻餅をつくと、彼女はまた笑みを漏らしていた。


 ……*


 それから男と女王は、時折邂逅を果たしていた。


鬼族(オーガ)と魔狼族が争う必要なんて、ないじゃないか」

 

 男は元々、争いが好きではない。意味が判らないのだ。

 山を手狭にしている訳ではないし、生活も決して困窮はしていない。

 悪戯に命を失うだけではないかと、常々考えていた。


「だから、私から和解を持ち掛けろ。そう言いたいのか?」

「そうだよ。鬼族(オーガ)は僕の話に耳を傾けるはずがない。

 けれど、君は違うだろう? 魔狼族の女王なら、魔狼族を纏め上げることはできるじゃないか。

 そこを皮切りに、鬼族(オーガ)を説得するんだ」


 さも名案のように鼻息を荒くする男だが、女王は違う。

 呆れるように首を左右に振りながら、男へと反論した。


「魔狼族からの反発は必至だな。最悪、内乱が起きる。

 それに、仮に和解の方向で纏まったとしよう。今度は鬼族(オーガ)が増長するのは目に見えている」

鬼族(オーガ)が?」

「分かりやすく言うと、魔狼族(われわれ)が屈服したと考えるだろうな。

 鬼族(オーガ)が魔狼族を蔑むようになるのは目に見えている。そうなれば、また争いだ」


 女王は「そうならない為に、私の身柄や神器を寄越せとぐらいは言ってくるかもしれないが」と付け加えた。

 同じ鬼族(オーガ)として「それは考えすぎじゃ」と言えないのが、男の辛い所でもあった。


 尤も、女王とて鬼族(オーガ)が憎い訳ではない。現にこうやって隠れて鬼族(オーガ)の男と逢瀬を重ねている。

 鬼族(オーガ)という集団ではなく、個で見れば分かり合える者はいるのだと彼女は学んだ。


「どうしてもというのなら、お前も鬼族(オーガ)を説得しろ。

 私はあくまで魔狼族の女王だ。勝手に鬼族(オーガ)まで纏めさせるな」

「仰る通りで……」


 呆れる彼女を前にして、男は頭が上がらない。

 男と女王は何度も、何度も話し合った。この不毛な争いを、どうにか終わらせる事は出来ないかと。


 その傍らで、いつしか互いに惹かれあっていた。

 争いを終わらせたいと願う理由が、また増えた。


 尤も、その願いは個の話となる。

 鬼族(オーガ)という集団も、魔狼族という集団も彼らの願いに賛同する事は無かった。


 そして、彼らが出会った時と以上に激しい雨が降り注ぐ日。

 魔狼族の嗅覚と嗅覚がその効力を失う日。男と女王に、今生の別れが訪れた。


 ……*


「……姉さん? 雨がすごいのに、出かけるの?」


 雨で冷える一方、湿度だけが上がっていく洞窟。

 その一室で、女王の妹ははっきりとしない眼を擦った。


 こんな大雨の日に、外で出ようとしているのだから尋ねるのも無理は無かった。

 女王年の離れた妹に頬ずりをしながら、優しく語った。


「少し出てくるだけだ。すぐに戻るさ」

「そう、気を付けてね」


 ならば何も心配がないと、妹は再びまどろむ。

 一定のリズムで打ち付ける雨音が、彼女を眠りへと誘っていた。

 それが姉と、最後に交わした言葉なのだと気付く事は無かった。

 

 女王は雨が好きではない。嗅覚も聴覚も殺され、感覚が大いに鈍る。

 気が乗らないにも関わらず、外へと出たのは鬼族(オーガ)の男と会う為。

 あの男は雨だろうが雪だろうが、必ず約束を守る。愚直に待ち続けるから、自分も行かざるを得ない。

 そんな真っ直ぐなところにも惹かれているのだと、女王自身も自覚している。

 だから、地面がぬかるんでいようと、毛が雨水を取り込んでいようと足取りは軽かった。


 ……*


 クスタリム渓谷で、男と女王が逢瀬を重ねている場所。

 他に誰も知り得ないはずのその場所に群がっているのは、鬼族(オーガ)

 

「どういうことだ……!?」


 初めに現れた感情は、驚愕。信じられないと目を見開く女王。

 続いて、憤怒が顔を現わした。豪雨に掻き消されながらも、彼女は懸命に叫ぶ。


「貴様ら! どうしてこの場にいる!?」


 女王は、決して男を疑ってはいなかった。彼はそんな事をしないと、理解している。

 事実、女王の見立ては正しかった。男は、決して同胞(なかま)に女王との関係を話してはいない。

 ()()()()()()()のだ。


「ちょっと跡を付けさせてもらっただけだ」


 一人の鬼族(オーガ)が言う。彼は、男と女王が初めて出逢った時に治療を受けていた鬼族(オーガ)

 死を覚悟していたというのに、まんまと生き延びた。しかも、こんな弱い男に抱えられる形で。

 

 訝しんだ鬼族(オーガ)は、王へと相談した。

 雨の日ならば尾行しても気付かれないだろうという指示の下、仲間を連れて決行へ移したのが今日だった。

 

 直前で気付いた男が抵抗を試みても、戦闘能力は圧倒的に劣っている。

 何より、心根の優しい彼は同胞(なかま)を全力で傷付ける事など出来ない。向こうがそうでないと、知っていても。

 

 かつての友人が促すと、仲間の鬼族(オーガ)は男を渓流の中へと放り込む。

 慌てて駆け寄る女王は何度も瞬きをする。眼前の光景を、受け入れられなかった。

 切り傷、打撲、火傷。明らかに腫れあがった男の身体は、自分の知らないものへと変貌していた。

 極めつけは、止めどなく川に溶け込んでいく大量の血液。彼の赤い血が、増水した川で薄まっていく。


「すま――い。きみにめ――をか――、つも――」


 喉まで潰されているのか。掠れるような声で、男は懸命に声を出す。

 豪雨に掻き消されて、はっきりと声が聴きとれない。それ以上に、無理をしてまで声を出して欲しくなかった。

 

「もういい! 無理をするな!」


 女王の懸命な叫びも、男ははっきりと聞き取れない。

 けれど、どちらにしろ同じだった。


 彼は悟っている。自分の命はもう尽きようとしていると。

 ならば、きちんと伝えなくてはいけないではないか。


 心から振り絞った声は、雨音に掻き消されたはずだった。

 腫れあがった顔で、視線も女王を捉えてはいないにも関わらず、はっきりと伝わった。

 彼と心から理解し合えた、魔狼族の女王にだけは。


 ――愛している。


 男の身体が、力を失う。巨大な身体が、ぐったりと渓流に横たわる。

 女王は哭いた。くすんだ空へ、身を凍えさせる雨へ。悪夢のような出来事を、振り払うかのように。


「心配すんな、アンタもすぐに同じ場所へ送ってやるからよ!」

 

 魔狼族の女王を、獣魔王の神爪(レイシングスラスト)の継承者を亡き者にせんと襲い掛かる鬼族(オーガ)

 彼らが細切れの肉塊へと変わるまでに、そう時間を必要とはしなかった。


 喪失感を振り払うかのように。

 怒りを自分以外の場所へ移すかのように。

 女王は獣魔王の神爪(レイシングスラスト)を振り続けた。


 纏わりついた血は、直ぐに雨が洗い流した。

 相対する鬼族(オーガ)を殺し尽くした彼女は、肩で息をしながら男の亡骸へと寄る。


「……すまない。お前とあれだけ、語り明かしたというのに」


 雨粒と見間違うような、大粒の涙を溢した。

 男は何も応えてはくれない。雫が、また渓流へ溶け込んだ。

 

 感情のままに、力を振るった。

 神器が自分を見棄てないのが不思議なほど、負の感情に支配されていた。

 心の奥に眠る本心が情愛でなければ、きっと神器は女王を見棄てていたであろう。


 女王は、哀しみに支配された頭で懸命に考える。

 これから、自分はどうするべきなのかを。


 怒りの赴くまま、鬼族(オーガ)との戦いへ身を投じるべきか。

 男の願いを叶える為に、孤独な戦いを始めるべきか。


 どちらもやりたくて、どちらもやりたくない。

 立ち尽くす彼女を、運命は待ってくれなかった。


 止めどなく振り続ける豪雨で、渓谷の水位が上がっている。

 溢れ出た水が、鉄砲のように女王と鬼族(オーガ)達を呑み込んだ。


 この日、魔狼族の女王と獣魔王の神爪(レイシングスラスト)が魔狼族の元から失われた。

 同時に数人の鬼族(オーガ)が姿を消した。この事実は、両者に決定的な溝を生んだ。

 真実を知る者は、両者の間には存在しない。


 ……*


 数日後。

 クスタリム渓谷で、何度も吠える魔狼の姿があった。

 真っ黒な毛並みを持つ、黒狼。彼女へ付きそうのは、古くから付き合いのある銀狼。

 

「姉さん、居たら返事をして!」

「女王様!」


 いくら声を張り上げても、女王の姿は見つからない。

 どれだけ匂いを探っても、大雨と洪水によって洗い流されてしまっている。


 魔狼族の中では、女王は命を落としたという声が強まっていた。

 黒狼も内心では覚悟をしている。彼女を傷付けたのは、女王の生死よりも神器の有無を心配する魔狼族の存在。

 彼らはこの期に及んでも、同胞(なかま)より神器が大切なのだ。隙あらば王の座を射止めんとしている事を隠そうともしない。


「おい、なんかヘンな匂いがするぞ」


 信じがたい結果を、黒狼が半ば受け入れようとしていた最中。

 普段とは違う匂いを捉えたのは、銀狼だった。

 匂いに導かれるまま、二頭の魔狼は渓谷に出来た裂け目を進んでいく。


「ひっ!」


 進んだ先居たのは、筋肉質な身体の割に非情に小さい生き物だった。

 小人族(ドワーフ)。かつてこの地に住んでいたが、魔狼族の台頭によって姿を消した種族。

 生き残りなのか、逃げ遅れたのか。数名の小人族(ドワーフ)が、小さな集落を作って営みを続けていた。


「なんだ、小人族(ドワーフ)か」


 つまらなさそうに声を漏らす銀狼だが、初めて見る種族の姿に興味が無い訳ではない。

 視線を流しながら、彼らの営みを確かめる。そこで彼が目にしたのは、丹念に造られたナイフ。

 到底自分達が扱うような代物では無いが、一目良いものだと判ってしまうだけの魅力が詰め込まれていた。


「このナイフ、お前らが作ったのか?」

「え、ええ。まぁ……」

「そっか。そうか。なら――」


 銀狼は黒狼へ提案をする。自分達が王になる為の術を。

 銀狼は小人族(ドワーフ)へ提案をする。いつ戦場になってもおかしくないこの地で、貧弱な小人族(ドワーフ)が生き延びる為の術を。


 ……*


 頭にもやがかかったように、思考が纏まらない。

 非常に気持ちの悪い中、一頭の黒狼は瞼を持ち上げた。


 潮の匂いが、鼻腔を擽る。

 海岸に打ち上げられた巨体を持ち上げ、べったりと塗りたくられた砂を振り払う。


 魔狼は徐に、周囲を見渡す。大切そうに抱えている、白銀の爪が視界に入った。

 どうしてこんな場所にいるのか。どうしてこんな物をもっているのか。

 彼女はなにひとつ理解していない。


「……ここは? ……私は一体何なんだ?」

 

 かつて女王だった魔狼は、全てを忘れてしまっていた。

 呆然と立ち尽くす彼女。どうすればいいのかさえも、分からない。

 

 けれど、身体は正直だった。

 漂流し続けた身で下がった体温。鳴りやまぬ腹の虫。

 自分は生きようとしているのだと、魔狼は悟った。


「ふ、ふふ……」


 笑みを溢しながら、魔狼は歩み始める。

 思うがままに西へ放浪する彼女は、行く先々で魔獣と出逢った。


 困っている魔獣を白銀の爪で助けてやると、いつの間にかついてくるようになった。

 何か思い出しそうになったが、深くは考えなかった。


 やがて、自分のお腹が大きくなっている事に気が付いた。

 同行している魔獣によると、どうやら子を宿しているらしい。


 記憶を失ってからは、身に覚えが無い。

 少し不安だったが、とても愛おしいものに思えた。


 生まれてきた子は、魔狼ではなく獣人だった。


 流石に仲間の魔獣も驚きを隠せなかったが、直ぐに受け入れてくれた。

 白銀の爪も、心なしか祝福をしてくれているように思えた。


 ……*

 

 そして現在。

 女王の子孫が、白銀の爪を振るう。


「お主は、魔狼族と戦う以外に選択肢はないのか!?」

「あるわけが、ねぇだろ!」


 ぶつかり合う白銀の爪と、漆黒の爪。

 神器である獣魔王の神爪(レイシングスラスト)と、紛い物である鬼武王の神爪(レクエルド)

 漆黒の爪は、交わる度にその刃が欠けていた。


「クソ、がっ!」


 毒づくオルゴ。いくら粗暴な鬼族(オーガ)といえど、流石に気付いてしまう。

 レイバーンの持つ神器は、正真正銘本物なのだと。


 このまま自分の神器が破壊されてしまえば、配下の鬼族(オーガ)にどう思われるか。

 偽りの王と知られてしまうのではないかという不安が、脳裏を過る。


「なんで、テメェなんかが神器を持ってやがるんだ!」


 右腕でレイバーンの喉を掴み、壁へと叩きつける。

 折角、銀狼(ヴォルク)の持つ神器が偽物だと知ったのに。千載一遇の好機だと思ったのに。


 結局、本物が現れてしまっては意味が無い。

 怒りのあまり、頭がおかしく鳴りそうだった。


「誰も彼もそう言っておるが、余には知り得ぬことだ!

 それよりも、余はお主に訊きたいことがあるのだ!」

「オレ様にはねぇよ!!」


 オルゴを振りほどこうと、抵抗を試みるレイバーン。

 決して離しはしないと力を込めるオルゴ。


 両者の巨大な力に耐え切れなかったのは、二人ではなく壁の方だった。

 ガラガラと崩れる瓦礫の向こうには、全く手入れのされていない薄暗い部屋が広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ