244.『強欲』が造り出すもの
「ううむ……。中にも大量に鬼族がいるではないか。
当然といえば、当然なのだろうが……」
魔狼族の助力により城内へ突入したレイバーンだったが、あまりの敵の多さに辟易した。
突破した直後こそ、リタ達の匂いを追っていたが一度鬼族に見つかってからはそうも行かない。
体格差を利用して一撃離脱を繰り返してきた彼女達とは違い、鬼族とほぼ同サイズのレイバーンはどうしても目立つ。
加えて、魔狼族を彷彿とさせる顔立ちと野性味に溢れた毛並みにより、敵も同胞だと見誤る事がない。
遭遇した相手をいちいち相手にしていてはキリがない。
レイバーンが頼りにしたのは、他の種族よりも自分が優れていると自負しているもの。
人間よりも遥かに発達した嗅覚と、聴覚だった。
鼻がスンと動き、周囲の空気を取り込んでいく。
汗の臭い。血の臭い。焦げ付くような臭い。様々な臭いが、彼の鼻腔を擽る。
耳をピンと立て、振動を受け止めるかの如く鼓膜を揺らす。
怒号と罵声。力強く地面を蹴る音。壁が崩壊する音。
屋内かつ大量の鬼族が列挙している為か、期待したほどの精度は発揮できなかった。
それでも、ある程度は欲しかったものが把握できた。
一際強い発汗と、集団を成していると思われる足音。
シン達にしては重すぎるそれが、鬼族の一団だと理解できる程度には。
レイバーンは戦闘を避けるかの如く、忍び足で鬼族から遠ざかっていく。
結果的にシン達との距離が開いて行っている事に、彼はまだ気付いていない。
……*
シンが作った爆弾により、生み出された煙。
アルジェントの視線を遮っている間にシンが促したのは、地下へと潜る事。
言葉を発しては気取られてしまうと、送られたのは強い眼差し。
逡巡する間もなく、フェリーとリタは忍び足で階段を下っていた。
「シン、だいじょぶかな……」
自分達には高すぎる階段を見上げながら、フェリーは呟いた。
小人族の長老を手分けして探す為というのもあるだろうが、どうしても心配はしてしまう。
今回、邪神の適合者と戦うのは自分だと、シンは珍しく譲らなかった。
リタとレイバーンは納得していたが、未だにフェリーへははっきりとした答えが提示されていない。
シンは教えてはくれない。リタとレイバーンは、温かい視線を送るだけ。
「フェリーちゃん、あの人はシンくんに任せよう? シンくんの話を聞く限りじゃ、その方が良さそうだし」
「そうかもしれないけど……」
シンが仮説を立てた瑪瑙の右腕は、一時的に魔力を「捕らえる」もの。
実際に、昨日は奪われた妖精王の神弓の矢が今回は札へ変えられる事は無かった。
彼の仮説は正しかったのだという証拠。
シンも魔導砲や魔導弾により、魔力を有した攻撃を放つ。
高火力の武器が自由に使えないデメリットはあるが、その点を差し引いてもシンが一番適任である事に間違いない。
奪われた物以外でアルジェントが持っている札には、何が入っているか判らない。
咄嗟の判断を強いられるのであれば、きっとシンが一番判断を誤らない。
後は、シンの個人的な事情。
リタはその点に関して口を割らないように気を付けながらも、フェリーを説得した。
彼が心配である事には変わりないが、フェリーは渋々と納得をする。
とはいえ、二人の少女もただ戦闘を避けている訳ではない。
元々、上か下かの二択を強いられていた。偶々戦闘が重なったに過ぎない。
自分達が降りたこの地に、果たして小人族の長老はいるのだろうか。
どうか居て欲しいと願いながら、少女達は歩み始める。
「あれ? この辺は魔狼族の山と似てない?」
ぽかんと口を開けたまま、フェリーが周囲を見渡す。
彼女の言葉通り、リタも既視感を抱いていた。この場所は昨日、邪神の適合者と交戦した天然の洞窟によく似ている。
魔狼族の縄張り同様、地盤から漏出した魔力が鍾乳石のように突起となって生えている。
鉱石や魔石だけではない。澄んだ水が広がる地底湖でさえも。
ここが鬼族の棲まう山だと知らされなければ、誤解する程に瓜二つな場所。
「……本当だね」
リタは周囲に目を配りながら、鍾乳石の先端へ指先を伸ばす。
魔力の浸透を感じた鍾乳石が、彼女の魔力に触れて淡い光を灯した。
「もしかすると、小人族は両方の山から材料を採ってたのかもしれないね。
これだけたくさん資源があったら、いろんな物が造れるだろうし」
「なるほど! いっぱいあったほうが、うれしいもんね!」
リタの予想通り、小人族にとって向かい合う山のどちらも大切な採掘場だった。
この地で採れる良質の鉱石と、石炭。クスタリム渓谷の澄んだ水こそが、彼らの財産だった。
魔狼族と鬼族がこの地を支配して以来、山はふたつの派閥に分かれた。
初めこそ小人族のように何か利用できないかと地下への入り口を設けたが、鬼族は手先が器用な一族ではない。
直ぐに飽きてしまって、現在に至る。今では、水飲み場ぐらいにしか考えていなかった。
けれど、今は違う。この地に眠る鉱石によって生み出さされる物を求めている者がいる。
故に彼女達は遭遇をする。戦闘が始まっても尚、鉱石を掘り続ける者と。
「なんだ!? テメェら、一体何しに来やがった!?」
歩くごとに地面を揺らしかねない程の巨体が、洞窟の奥底から姿を現す。
鬼族は両手に大量の鉱石を抱えながら、矮躯な少女達を見下ろした。
「鬼族っ!」
霰神から透明な刃を形成し、臨戦態勢へ入るフェリー。
鬼族は両手に抱えていた鉱石を掴んでは、フェリーとリタへ投げつけようとする。
「させないっ!」
しかし、リタがそれを許さない。妖精王の神弓から放たれた矢が、即座に鉱石を撃ち抜く。
動揺する鬼族。その間に自分の足元が凍り付いている事に、彼は気付いていない。
瞬く間に霰神による氷が、鬼族の身体から自由を奪った。
「……ビックリしたぁ」
数秒の沈黙の後、新手がいない事を確認したフェリーがどっと息を吐く。
鬼族の反応を見る限り、彼も驚いていた。
手に持った鉱石を投げつけようとした事から、彼もこの地で鉱石の採取をしていたのだろう。
「鬼族が鉱石を集めてるってことは、長老さんはいないのかなぁ」
凍り付いた鬼族の足元に転がる大量の鉱石を見ようと、リタが身を屈める。
様々な色や形をした鉱石や魔石が転がっているが、見極めるような鑑定眼をリタは持ち合わせていない。
だが、それは鬼族も同様なのではないかと考えた。
必要なものがはっきりしていないからこそ、我武者羅に鉱石を集めている。
つまりその先にある物を求めているのは鬼族ではなく、邪神の一味。
この鬼族を起こして問い質せば、素直に長老の居場所を教えてくれるだろうか。
敵の密集する場所へ連れていかれるのであれば、手探りで探索をした方がマシなのではないだろうか。
うんうんと唸り、頭を悩ませるリタ。腕を組んで頭を傾ける彼女に釣られ、フェリーも小首を傾げた。
「リタちゃん、どうかしたの?」
「えっとね。もしかすると、この鬼族が長老さんの――」
――居場所を知っているかもしれない。
振り返りながら語るリタの喉は、そこまで言葉を絞り出すに至らなかった。
それよりも遥かに優先するべき状況が、彼女の群青の瞳に映しだされていた。
「フェリーちゃん! 離れてっ!」
「えっ?」
目を丸くするフェリーだったが、次の瞬間には全てを理解した。
背筋が凍るような威圧感。冷や汗が頬を伝う。身体のありとあらゆる器官が、警鐘を鳴らす。
振り向いた先に立っていたのは、悪意の化身。白い胸に悪趣味な模様を象った怪物、『強欲』。
リタは全力で妖精王の神弓から矢を放つ。
神への祈りも、魔力も一瞬のうちで込められるだけを詰め込んだ。
邪神の分体は適合者と似た能力を保持している状況が多く見受けられる。
よって、『強欲』と交戦する場合は魔力を伴った攻撃を放つのは要注意だとシンが言っていた。
だが、リタは魔力を込めた。そんな判断をする余裕も、魔力を伴わない一撃で退けられるとも思わなかった。
気を抜けばたちまち蹂躙されてしまうと、本能が訴えていた。
結論から言うと、リタの放った矢が『強欲』に奪われる事は無かった。
邪神の右腕は、アルジェントと違い何かを奪うような能力は持ち合わせていない。
『強欲』はただ、創り出すだけ。
アルジェントの接収を介して得たものを、悪意によって真似て見せる。
「――!!」
声にならない叫びを上げる『強欲』。不快な音がフェリーとリタの鼓膜を揺さぶる。
刹那、彼は右手を翳した。その先に現れたのは、悪意に染まった真っ黒な矢。
「えっ……!?」
リタは思わず声を漏らした。目の前にある現実と思考が一致しない。
『強欲』が造り出した矢は、全てを塗り潰すような闇。にも関わらず、その形はよく知っている。
自分が放つ妖精王の神弓の矢と、瓜二つだった。
模倣。『強欲』に宿りし、『強欲』の能力。
アルジェントの持つ接収によって、一度札へ封じた物を悪意と魔力によって模倣する。
尤も、あくまで生み出すのは形状と質量のみ。上辺だけをなぞった、自己満足に過ぎない能力。
光と闇の矢がぶつかり合い、魔力による衝撃波が生まれる。闇の矢は軌道を逸らし、天井へと突き刺さる。
直ぐにでも追撃を放つ必要があるにも関わらず、リタの指は新たな矢を形成していない。
高火力の矢を生み出す速度が、『強欲』による模倣の方が早い。
「……っ!」
妖精王の神弓によって形成した矢を放つべきか、リタは逡巡する。
だが、魔力は満足に込められていない。先刻と同じ威力だと仮定した時に、相殺できるだろうかと不安が頭をよぎる。
リタはまだ模倣の本質には気付いていない。
外面だけを取り繕っているが故に、模倣は全く同じものしか生み出せない。
時間差が殆ど発生しないカタクリは、そこにあるのだと。
「リタちゃん、あぶないっ!」
けれど、リタは決して独りで戦っている訳ではない。
金色の髪を揺らし、真紅の刃を持つ少女。フェリー・ハートニアが両者の間に割って入る。
リタが声を上げる間もなく、『強欲』によって漆黒の矢は放たれた。
「こんなもの……っ!」
魔力を灼神を注ぎ続け、炎の刃が矢を受け止める。
周囲の空気をだけではなく、フェリー自身の髪や服を焦がすほどの熱量。
「まけない……からっ!」
歯を食い縛りながらも、フェリーは目いっぱいの力で応戦する。
指先の皮が魔力の衝突によって捲れては、治っていく。
フェリーの執念が実り、闇の矢は灼神によって灼き尽くされた。
「リタちゃん!」
焦げ付いた空気と、開けた視界。フェリーの声が、反撃の合図となる。
一手遅れた。だが、フェリーがカバーしてくれた。故に、魔力を込める時間は先刻よりも多い。
妖精王の神弓による光の矢が、『強欲』へ向かって放たれる。
触れてはまずい。本能で察した『強欲』は回避を試みる。
しかし、邪神の巨体はリタの矢を躱しきれない。左肩を深く突き刺さる光の矢。
「アアアアアァァァァァァ!」
『強欲』の叫びは周囲一帯の空気を震わせる。
左肩に刺さった矢を抜こうと、『強欲』は手を伸ばす。
「そんなにスグ、いらないなんて言わないでよ!」
一瞬の隙をついて、フェリーが距離を詰める。
霰神による氷の刃が、リタの矢を更に深く押し込んだ。
「まだまだっ!」
ここまでの攻防で、フェリーもリタも察していた。
『強欲』は決して、魔力を有する物を奪えない。
思う存分に戦える。
ならば、攻めて攻めて攻め続ける。
フェリーは続けざまに灼神を、『強欲』の大腿へと突き刺した。
「ガアアアアアアアアアァァァァァァッ!」
神器による一撃と、冷気。そして高熱。様々な痛みが『強欲』へ襲い掛かる。
邪神の分体は苦悶の咆哮を上げ続ける。空気を震わせる程度では済まない。地震と見間違うほどの揺れが、二人の身体を揺らした。
……*
フェリーとリタが『強欲』と遭遇する直前。
レイバーンもまた、広々とした部屋である男と対峙していた。
「気持ち悪ぃ見た目しやがって」
嫌悪感を露わにする男は、鬼族の王。オルゴ。
宿敵の黒狼によく似た顔立ちと、鬼族と見間違うような体躯を持つ獣人を前にして床へ唾を吐き出した。
「心外だな。余の仲間たちは、格好いいとか男らしいとか褒めてくれるのだが」
「そういう意味じゃねぇんだよ」
眉根を寄せ、異議を唱えるレイバーン。
微妙に噛み合わない会話は、オルゴを苛立たせた。
「魔狼族のクソどもと殴り込みに来たのは、テメェらだな。
アルジェントから聞いてた通り、胸糞悪ぃぜ」
眉を吊り上げながらも、黝い身体をした鬼族は漆黒の爪を左腕へ装着する。
四枚の連なる刃。その切っ先が、レイバーンへと向けられた。
「まぁ、いい。オレ様もあんなガキに良い様に扱われて鬱憤が溜まってたんだ。
テメェで憂さ晴らしさせてもうらぜ。この鬼武王の神爪でな」
鬼族の持つ武器とは明らかに違う意匠と存在感。
そして、銘のついた武器。
レイバーンは察した。
眼前の男こそが鬼族の王で、装着している爪が王の証たる神器なのだと。
その一方で、レイバーンは鬼武王の神爪と称する武器に違和感を覚えた。
どう形容すればいいのか言葉に詰まるが、見た瞬間に神器だとは思えなかった。
しかし、彼が鬼族の王だというのであれば、またとない好機だった。
彼を通して、レイバーンは訊きたかった。自分の出自について、鬼族は何か知らないかと。
そして、魔狼族と鬼族は互いを傷付け合うだけだったのかと。
魔獣族の王と鬼族の王。
真の王と偽りの王が、衝突をする。