241.突撃、鬼族の城
朝日が昇り、クスタリム渓谷を中心に向かい合うふたつの山が橙色に染まる。
魔獣の純血種。その末裔である、魔狼族。
魔族と巨人族の混血である、鬼族。
かつてクスタリム渓谷に住まう小人族が姿を消してから今までの間、戦いを繰り広げて来たふたつの種族。
永遠に続くとも思われた争いは、転機を迎えていた。
突如現れた、闖入者達によって。
……*
「本当にお主らも来るのか? 余たちは、別に鬼族の制圧が目的ではないぞ」
レイバーンは、自分達と共に並ぶ魔狼達へ問う。
決して魔狼族の代理として戦闘を行うつもりはないにも関わらず、二頭の魔狼が横並びに立っていた。
一頭は銀狼と共に魔狼族を纏めていた黒狼。もう一頭は、最後まで獣魔王の神爪の継承者の座を諦めなかった魔狼、カスピオ。
昨日のレイバーンの言葉から、自分達との違いをこの眼で確かめたいという理由で同行を申し出た。
「鬼族はあの男と手を組んでいる。貴様たちにとっても、悪い話ではないだろう」
黒狼は素っ気なく、レイバーン問いに応える。
事実、鬼族が敵として立ちはだかる可能性は非情に高い。
アルジェントが侵入した際、鬼族が陽動をしていたのが何よりの証明となる。
「リュコスの言う通りだ。鬼族の城に着いたらオレたちはオレたちで好きにやらせてもらうぜ」
「ふむ。まあ、お主らがそれでいいのなら……」
個人的な感情を言えば、レイバーンは鬼族とも話をしてみたいと思っていた。
今まで全く意識をしてこなかったが、自分の先祖かもしれないと言われれば興味も沸く。
ただ、彼も理解はしている。邪神の一味がいる以上、淡い期待を抱く訳には行かない。
まずは小人族の長老を救出するのが、最優先なのだと。
「そろそろ、行こう」
シンとフェリーはそれぞれの魔狼に。リタはレイバーンの背中へ身を預ける。
魔狼達は背中に重みを感じると同時に、力強く大地を蹴った。
目指す先は、鬼族の居城。避けられない戦いが、今始まる。
……*
広すぎる玉座で横たわっているアルジェントが、閉ざされていた瞼を持ち上げる。
鬼族の体重を支える為、強固に造られた座具は眠るには聊か硬すぎる。
「はぁぁぁぁぁ……。オレっち、やっぱベッドじゃないと無理だわ」
腕を上げ、背筋を伸ばしながら息を大きく吸う。
脳に酸素を行き渡らせながら、アルジェントはぼやいた。
任務中で致し方ないとはいえ、流石にベッドが恋しくなってくる。
疲れが抜けなければ、必然的にパフォーマンスは落ちる。モチベーションだって、下がってくる。
そして何より、昨日は熟睡をしたとは言い難い。
シン達が仕掛けてくるなら、深夜だと思って気を張っていたからだ。
嗅覚に優れる魔獣族の王が居るならば、奇襲をかけるにはもってこいの条件。
にも関わらず、結局夜中の襲撃は起きずじまいだった。
諦めたとは考えていない。彼らはそんな性格ではない事を、散々聞かされている。
実際に遭遇したサーニャの評だが、アルジェントも同意見だった。
あれだけ他国の出来事に首を突っ込んできた人間が、この程度でおめおめと引き下がるはずもない。
いくら邪神に適合していたとしても、彼らはそれを撃破している。
早い所離脱をして、亀裂の入った『強欲』の右腕もじっくりと修復に当てたい。
その為には、魔硬金属の入手が必要不可欠だった。
(さて、あのジジイは――)
ふと、この間に残る小人族へ目配りをする。
必要とあらば叩き起こす必要があると考えていたのだが、杞憂に終わった。
「魔硬金属の硬さは確か……」
ブツブツと呟きながら石に手を伸ばす小人族の姿は、鬼気迫るものがあった。
並べられた鉱石ひとつひとつに手を取り、魔硬金属の性質に近いかを吟味する。
該当したと感じた物と、そうでない物を仕訳けているのだろう。既に、相当な大きさの山が積み上げられていた。
職人の魂に火が点いたのか。命の危険を感じているのか。真意は小人族の老人にしか判らない。
けれど、小人族の矜持に掛けて手を抜くような真似は一切しないという気概を感じた。
この老人は初めから、自分に出来る事を全てやり遂げようとしている。その点について、アルジェントは彼に好印象を抱いていた。
自分が改めて尻を叩く必要はない。
専門家に任せようと、再び玉座に腰掛けようとした矢先。
強い衝撃が、鬼族の城を揺らす。
一発。二発。ガラガラと崩れる瓦礫の音の重量感から、かなりの威力による攻撃だと窺えた。
「ま、そうなるよな」
アルジェントは色眼鏡を掛け、視線を隠す。
集中の糸が切れ、身体を小刻みに震わせる小人族の頭をポンと叩いた。
「ジイさんはそのままだ。救けがアンタまでたどり着くと思わないほうがいいぜェ。
あんま期待しすぎると、反動がデケェからよ」
不敵な笑みを浮かべるアルジェント。
小人族の反応を見る事なく、彼は部屋を後にした。
「アルジェント! 奴ら、攻めてきやがったぞ!」
「んなもん、見なくても判るっての」
部屋を出た先で待ち構えていたのは、鬼族の王。オルゴだった。
偽りの王と知られているからだろうか。小人族と比べると、巨体に似合わずあまりにも弱々しい。
血相を変えて現れる仕草ひとつとっても、情けないとアルジェントは辟易した。
「ここで完膚なきまでに蹴散らして、オレっちが魔硬金属をゲットすりゃお前さんも晴れて自由の身だ。
最後のデケェケンカかもしれねェんだ、気張れよ。オレっちも協力してやるから」
アルジェントは鼓舞するかの如く、オルゴの尻を強く叩いた。
一度、偽物の鬼武王の神爪を奪った瑪瑙の右腕は、凡そ人間のものとは思えない感触をしていた。
否が応でも、オルゴにとって苦い記憶が蘇る。
「お、おお……!」
だが彼の言う通り、魔狼族を駆逐する最大の好機である事も否めない。
漆黒の刃を装着し、オルゴは鬼族の元へと姿を現す。
偽りの神器を翳すと、条件反射のように士気を上げていく鬼族達。
余りにも滑稽な光景に、アルジェントは声を殺すのに精一杯だった。
……*
「リタ、そろそろ邪神の適合者が現れるかもしれない」
「うん、分かった!」
魔導砲と妖精王の神弓による射撃で、城壁や設置されていた投石器を破壊するシンとリタ。
リュコス曰く、鬼族は大雑把な生き物。城の体裁こそ保っているが、防衛を計算されて造られた物ではないという。
建造物自体も岩を雑に積み上げているので、見た目より遥かに脆いと言っていた。
その言葉に偽りはない。いくつかの城壁によって魔狼族を足止めし、投石器によって攻撃すると単純な防衛手段を採用していた。
尤も、鬼族にとっての投石器であるので人間だと即死級の岩石が振ってくるのだが。
何れにしろ、雑に組み上げられた城壁はいとも簡単に崩れ去る。
城そのものを破壊しなかったのは、小人族の長老の救出が完了していないから。
加えて、あまりやり過ぎるとアルジェントに高火力の一撃を奪われてしまう事を懸念してのものだった。
「この! 犬ッコロが!」
居城を護るべく駆け付けた鬼族が、砕いた岩石を手に取る。
力の限り放り投げるが、シン達へは届かない。
魔導砲が、妖精王の神弓が自分達に迫る危機を正確に撃ち抜いていた。
「もう! ずっと石投げられるの、ジャマだよ!」
自分は何もできない。黒狼にしがみついているだけだと、フェリーが声を荒げた。
灼神で灼こうにも、霰神で凍らせようにも味方の邪魔となってしまう。
シンから出番はまだだと言われても、もどかしくなってしまう。
「確かに、このままだと鬱陶しいな」
シンも頭上に聳え立つ鬼族を見て、毒づいた。
確実に距離を詰めてはいるが、同時に投げつけられる岩石による反応も要求される猶予が短くなっていく。
マレットのお陰で連射出来るのが幸いだった。単発式なら、リタの負担がもっと増えていただろう。
(鬼族を直接狙うか? だが――)
もう少し城を破壊するべきかと、シンは思案する。
不気味なのが、アルジェントが姿を見せていないという事実。
小人族の長老も場所が判らない。やはり無理は出来ないと、奥歯を噛みしめる。
「所詮は木偶の坊が石を投げているだけだろう。ここまで近付けば、こちらのものだ」
フェリーを背に乗せた黒狼が、フンと鼻を鳴らす。
刹那、周囲に鳴り響くのは魔狼の遠吠え。魔力が籠った声は、大地の形を変えていく。
シン達から頭上を護るかの如く、盛り上がった大地は岩の傘を形成した。
「わわっ!?」
急に現れた傘に、フェリーは思わず頭を屈める。
創土弾や灰色の土壁に似た性質を持つそれは、自分達と鬼族を瞬く間に遮った。
唯一違うところがあるとすれば、その場にある大地を利用しているのだろう。進路の邪魔にならない程度の距離で、足場が窪んでいた。
「これなら、たとえ狙われたとしても問題はない。急ぐぞ」
リュコスは淡々と迅速に、戦場を駆けていく。
姿が捉えられない鬼族を尻目に、シン達は鬼族の城へ侵入を果たす。
「相変わらず、すばしっこい犬だな。けどよ、もう逃げ場はないぜ」
しかし、攻め入られている事は鬼族も把握している。
城門の向こうで待ち構えているのは、無数の鬼族。
斧に棍棒、大剣と言った大型の武器を抱えながら立ち尽くす姿は、城壁よりも強固な壁のようだった。
「逃げ場? 何を言っているんだ? 攻められているのは貴様たちだろう。
全く、図体だけの単細胞は状況が全く見えていないらしい」
「カッカッカッ! ちげぇねえ!」
蔑むような視線を見せるリュコスと、怒りで顔を赤く染めていく鬼族を見て笑い転げるカスピオ。
たった二頭の魔狼に好き放題言われては、鬼族の沽券に関わる。
「テメェら! 今日という今日は、ケリつけてやるからな!」
「我らも、元よりそのつもりだ。いい加減、貴様らの顔も見飽きたんでな」
言葉を交わせば交わす程、怒りの感情が強まっていく魔狼族と鬼族。
一方で、レイバーンは初めて見る鬼族の姿をまじまじと見ていた。
(確かに、余に似ていると言われれば……)
魔狼族に言われた通りだった。体毛こそ生えていないが、彼らの体躯は自分とよく似ている。
銀狼や黒狼が、自分の存在を訝しむのも得心が行った。
「シン。リタとフェリーを連れてお主は長老を探すのだ」
「レイバーン!?」
突然の提案に、声を裏返らせたのはリタだった。
これではまるで、自分がこの場に残ると言っているようなものではないかと、レイバーンの顔を見上げる。
「お主たちは鬼族や余たちに比べて小柄だ。城の中を探すにはもってこいだろう。
こちらはこちらで、この鬼族を足止めしておくぞ」
そして、リタの予想は当たっていた。
レイバーンはこの場に残ると言っている。視界に広がる鬼族を、食い止めると。
「分かった」
「シンくん!」
レイバーンと二頭の魔狼だけで、大量の鬼族を相手取るのは無茶だと。
自分達も戦うべきだと、リタは主張をしたい。けれど、レイバーンの表情が口にする事を許さない。
目的はあくまで、小人族の長老の救出。見誤ってはならないと、眼差しが訴えてくる。
リタも判っている。この先には邪神の適合者も、邪神の分体も待ち受けている。
レイバーンだけが苦難を選んだ訳ではない。ただ、順序が最初に訪れただけ。
自分がここで我儘を言えば、結果としてシンとフェリーに負担が掛かってしまう。
「~~っ! レイバーン、ぜったい、ぜったいに無事でいてね!
フェリーちゃん、シンくん、急ごう!」
「うん。レイバーンさんも、リュコスさんとカスピオさんも気を付けてね」
葛藤の末、リタは喉に詰まっていたものを呑み込んだ。
ここで我儘を言った分だけ、手遅れになる可能性が高まる。
ならば、一秒でも早く終わらせるべきだと苦虫を噛み潰したような顔をしながら決断をした。
「うむ。それはお互い様だ!」
握り拳を胸に叩きつける音が合図となり、シン達はその場を走り出す。
鬼族の群れは、持っていた得物を振り被る。矛先は、矮小な人間と妖精族。
「行かせるかよ!」
「ジャマ、しないでよね!」
フェリーは霰神から透明の刃を形成し、氷を床へと走らせる。
足元が凍り付いた鬼族は体勢を崩し、前へ進めない。
シン達は鬼族の群れを突破し、城の内部へと入り込んでいく。
「クソッ、待ちやがれ!」
「まぁまぁ、余たちが退屈はさせぬから。安心しろ」
氷を叩き割り、シン達を追い掛けようとする鬼族の肩を掴んだのは、魔獣族の王。
膨れ上がった力こぶから繰り出される一撃が、鬼族の顔面を捉えた。
「お主たちの相手は、ここだ」
「別に、お前さんも行って良かったんだがなぁ。あの嬢ちゃん、嫌そうな顔をしてたじゃねぇか」
ぐるぐると肩を回すレイバーンに、カスピオが笑みを溢した。
元より、彼にとっては魔狼族と鬼族の喧嘩のつもりだった。
レイバーンの参戦は、二頭の魔狼にとっても想定外の出来事。
「なに、リタは心優しいのでな。余の心配をしてくれていただけだ。
余こそ、獣魔王の神爪の継承者なのだ。お主らの王ではないが、少しばかり魔狼族を護る役割果たす必要があると思ったのだ」
どよめきが起きる鬼族。偽物の獣魔王の神爪で、魔狼族は崩壊寸前だと聞かされていた。
現に、この場に現れた魔狼族はたったの二頭。大地を操る黒狼はいるが、数で押し切れると考えていた。
だがここに来て、獣魔王の神爪の継承者を名乗る獣人が現れるとは思ってみなかった。
「へぇへぇ、律儀なこって」
軽口を叩きながらも、カスピオは内心では嬉しく思っていた。
誰よりも獣魔王の神爪へ挑戦していた彼は、レイバーンの言葉に思うところがある。
騙していたとしても、銀狼と黒狼は確かに魔狼族を護っていた。
真の継承者であるレイバーンも、獣人でありながら魔狼族の為に戦おうとしている。
ならば、自分も精一杯戦うのが筋ではないかと考えていた。
魔狼族と鬼族。
ふたつの種族による最後の争いの、幕が上がる。