240.再戦へ向けて
自分達がどれだけ求めようとも、一切応えてはくれない神器。
いともたやすくそれを掲げる獣人の姿に、魔狼族は息を呑んだ。
尤も、一部の者は薄々とそうではないかと勘付いてはいた。
この場に本物の獣魔王の神爪があるという事実。
黒狼と共に取り囲んだ者は、神器の存在を主張している光景を目の当たりにしていたのだから。
「イ、インチキだ!」
声を荒げるのは、幾度となく挑戦をしてきた魔狼。
自分がどれだけ祈りを捧げても、力を込めてもびくとも動かない神器。
それを軽々と持ち上げたレイバーンを素直に受け入れる事が出来なかった。
「もう、だから私が持ち上げてみせたのに……」
リタは呆れを隠そうともせず、大きなため息を吐いた。
半ば予想していた事とはいえ、実際に目の当たりにすると見苦しいと言うほかない。
「ならば、お主が持つか?」
ある程度は話の流れを聴かされていたからこそ、レイバーンは獣魔王の神爪を魔狼の手へ乗せる。
神器は邪な想いを過敏な程に察知し、魔狼の前脚を巻き込みながら地面へと沈ませていく。
「あだだだだだだっ! 解った、解ったからどけてくれ!」
言われるがまま、レイバーンは再び獣魔王の神爪を手に取る。
このまま素直に認めてくれればいいものの、魔狼族は中々引き下がらない。
「テメェ、そこの妖精族と同じようにただ持ってるだけなんしゃ――」
次の言葉を予測していたのだろう。
魔狼が言い終えるよりも先に、レイバーンをは獣魔王の神爪の爪を思い切り洞窟へと打ち付けた。
「これで満足したか?」
巨大な爪痕と共に、ガラガラと崩れ落ちる鉱石の欠片。
壁に刻まれた四本の線が、魔狼族の戯言を否定する。
魔狼族は言葉を失った。もう、認めるしかない。
突如現れたこの混ざり者は、まごう事なき神器の継承者なのだと。
「お主らは先ほど、神器の継承者が王だと言ったな。
ならば、余が魔狼族を束ねることになるが――」
一斉にレイバーンへ浴びせられるのは、激しいブーイング。
洞窟の中で反響し続ける拒絶の声に、リタやフェリーは思わず耳を塞いだ。
「ふざけんな! どうして、神器がテメェみたいな混ざり者を選ぶんだよ!」
「そう言われても、事実として余が継承者なのだが……」
折角信じたのにと、レイバーンは肩を落とす。
言質を取ったにも関わらず、混血のレイバーンにその資格があるという事実を魔狼族は受け入れそうにない。
結局のところ、自分達が納得出来る落とし所ではないという事なのだろう。
「お前たちが言ったんだろう。神器の継承者が、新たな王だと」
「それはそうだがよ……。だったら神器はオレたちを、魔狼族を見棄てたって言いてえのか!?」
痛い所を突かれたという自覚はあるのか、魔狼は僅かに狼狽えた。
けれど、まだ受け入れ難いようでもあった。獣魔王の神爪が、魔狼族を継承者として扱わない事実が。
だが、魔狼の言葉にレイバーンは違和感を覚えた。
神器に対する認識に齟齬があるような気がしてならない。
「つかぬことを訊くが。どうして余が獣魔王の神爪を持つと、魔狼族を見棄てたことになるのだ?」
「なんでって……。そりゃ、オメェ。獣魔王の神爪は魔狼族の神器だろ。
別のモンが継承者になったということは、オレたち魔狼族はもうおしまいってことだ」
さっぱり分からないと言った風に、レイバーンは首を傾げる。
リタだけが唯一、似たような立場である為に魔狼族へ共感をした。
魔狼族は神器を王たる証。つまりは上に立つ資質を証明するものとして扱っている。
神器の継承者が存在しないということで、一族が見棄てられると思っているのは流石に飛躍しているが。
「だが、龍族が賜った神器は人間が所有しておるぞ?」
魔狼族は互いの顔を見合わせ、一斉にレイバーンの顔を見上げた。
余程信じられなかったのか、全員が同じように目を丸くしている。
「嘘じゃないよ。蒼龍王の神剣も、紅龍王の神剣も、黄龍王の神剣も。
今はミスリアっていう、魔術大国に預けられている。元々、神器は相応しい者が受け継ぐ形だから。
もしかすると、いつかは妖精王の神弓も妖精族以外の手に渡るかもしれないし……」
リタとてそうなるのは少しばかり寂しいが、未来の事は判らない。
今、自分達が知っている神器に関する事を魔狼族へ伝えていく。
彼らの顔が戸惑いの色を強めていくのが、目に見えて判った。
……*
誰にでも神器の継承者に成り得る。その事実には、魔狼族は理解を示しつつあった。
というよりは、そうせざるを得なかった。実際に、目の前で見せつけられているのだから。
魔狼族の問題はもうひとつある。神器の継承者が王として振舞う、風習について。
「だがよ。そうだとしても、いきなり混ざり者が王ってのは……」
示し合わせた訳ではないにも関わらず、魔狼族は全員が腑に落ちないと言った顔をしていた。
この場ではずっと平行線の問題なのだろうと感じたレイバーンは、己の心のままに魔狼族へ語り掛ける。
「突然現れた余が、王だと主張することに抵抗があるのは判る。
安心するがいい。余は、元より魔狼族を束ねるつもりはない」
「本気で言っているのか?」
王の証を持つ者が、権利を放棄する。
混血である獣人が自分達の上に立たないという安堵と同時に、空席となった玉座をどうするかの問題が浮上する。
「本気も何も。余は別に祖先の顔を見に来ただけだからな。
余にも配下は居るし、仲間も居る。元よりこの地に永く留まるわけにもいかぬのだ」
レイバーンは語る。自分の大切な存在を。
リタをはじめとした妖精族。人間や小人族の友人。
獣人や魔犬といった配下。皆が彼にとって、かけがえのないもの。
それらを差し置いてまで、この地で魔狼族の王として君臨する気は毛頭ない。
「余たちは寄り添って生きている。お主達のように、完全に統率が取れているわけではないだろう。
だがな、楽しいぞ。外の世界はなにも敵ばかりではない。
衝突することもあるが、分かり合えることもあるのだ。実際に、体験してみないとこの楽しさは解らぬであろうな!」
屈託のない笑顔を前にして、魔狼族は言葉を失った。
決して玉座に座れないからといってやけっぱちになっている訳ではない。
心から言っているのだと、伝わってきた。
黒狼は納得をした。混血の獣人は、自分達よりも広い世界を見ている。
血に、生まれに囚われる事もなく。自由に、心のままに誰かと触れ合って生きて来たのだと。
そんな彼だからこそ、同じような仲間に巡り合えたのだと、少しだけ彼の事を理解できた気がした。
「――それに、あくまで余の印象だがな。ヴォルクやリュコスも同じだと思うのだ」
「なんだと!?」
偽りの玉座に居座っていた二頭の魔狼の名を耳にしたとたん、魔狼族の表情が変わる。
彼らへの怒りはまるで収まっていない。偽物の神器を扱っていた。同胞を騙していたのは、揺るぎない事実。
「オメェ。オレらがどんだけこいつらに振り回されてきたか――」
「無論、お主らの怒りも正当なものなのだろう。
だがな、ヴォルクとリュコスは偉そうにしていただけなのか?
お主らの遠吠えを聞いた途端、揃って走っていったぞ」
魔狼の群れは、じっと銀狼と黒狼を見つめる。
心当たりがあるからだ。彼らはいつも、矢面に立って鬼族と交戦していた。
銀狼は氷を纏い、雪化粧に隠れ。
黒狼は大地を操り、火山すらも起こして見せた。
同胞を巻き込まないように、たった二頭のみで戦いに挑んでいた事もあった。
今までは、当然だと思っていた。
神器の継承者を交互に生み出してきた血統なのだから、実力の違いを見せつけているだけなのだと。
けれど、神器は偽物だった。
つまり、彼らは単に身体を張っていただけだった。
鬼族から、同胞を護る為に。
「……チッ、余計なこと言いやがって」
ヴォルクは苛立ちから、舌打ちをする。
実力を疑われないように、敢えて力の差を見せつけるように振舞っていた部分は確かにある。
しかし同時に、彼は無駄な血が流れる状況を極力避けていた。この事は、彼と黒狼しか知り得ない事実だった。
「まぁ、全くお咎めなしというのはお主らも納得しないのかもしれぬが……。
話し合いは大事だぞ。その辺りは、きちんと意思疎通をした方がいい。
お主らは余の祖先でもある。いがみ合って、血が途絶えていくのは心苦しいのでな」
レイバーンは最後に「神器の継承者としての頼みだ」と付け加えた。
魔狼族の王となる資格を持つ男が、その威光を振りかざした最初で最後の瞬間だった。
……*
「魔狼族のみんな、あれからずっと話し合ってるね」
円陣を組むかの如く話続ける魔狼族を尻目に、フェリーが声を漏らした。
レイバーンの言葉に従ったのか、そうするべきだと悟ったのか。
ずっと声が途絶えない。尤も、銀狼と黒狼はその輪から外れてはいるが。
「心の底では、皆解っていたんだろう。偉そうにしているだけじゃないってことは」
「そっか。……で、シンはなにを作ってるの?」
フェリーは納得をした傍らで、視線をシンの手元へと移動させる。
彼は先刻からずっと、小瓶に砕いた粉を詰め込んでいる。
時折、銃弾から火薬を映しているような仕草も見受けられた。
瓶は判る。イリシャが持たせてくれた、治療薬が入っていたものだ。
砕いた粉も、この山で採れた鉱石を砕いているのを見かけた。
ただ、それが何を意味しているのはさっぱり分からない。
「邪神の適合者ともう一度戦うんだ。ある程度の準備が必要だろう」
「それが、これ?」
出来上がったものは、粉や火薬の入った瓶。
栓には包帯が紐のようにして括りつけられているが、ぶら下げれば栓が抜けてしまいそうだった。
シンは自分が見た範囲で、アルジェントの『強欲』の能力を皆に説明した。
魔力を伴った物質を、札へ変えて自分の物としてしまう恐ろしい能力。
札を翳せば、奪った物をそのまま扱えるというのが何よりも厄介だった。
「そっか、それで妖精王の神弓の矢も……」
「霰神がとられそうになったのも、そういうコトだったんだ……」
「あくまで、俺の予想だがな」
フェリーとリタは同時に眉を顰める。自分達にとっては、非常に相性の悪い相手だと悟ってしまった。
妖精王の神弓は元々、攻撃に適した神器ではない。威力は殆ど、リタの魔力に依存している部分がある。
彼女より更に深刻なのが、フェリーだった。魔導刃を扱わないと、自分は話にならないと頭を抱える。
「ならば、あの男は余が――」
「いや、俺がやる」
手を挙げるレイバーンを、シンは遮る。
この場で最も相性がいいと思われるのはレイバーンだという事は理解している。
シン自身、通常の銃弾は効果があったとしても魔導砲や魔導弾は奪われる危険性がある。
彼の攻撃手段も、ある意味では奪われている。にも関わらず、彼は譲らない。
「あの男が呼び出した邪神の分体。『強欲』と言ったか。
アイツはレイバーンと同じぐらいの体格を持っている。それに、鬼族も襲ってくる可能性があるんだ。
相手取れるとすればレイバーンしかいない」
フェリーも、リタも、レイバーンも眉を顰める。互いの顔を見合わせては、首を傾げていた。
尤もらしい事を言っているが、何かがおかしい。らしくない。
シンは自分が身体を張る選択をする事が多い。少なくとも、一方的に身体を張る事を要求したりはしない。
「シン、もしかしてなにかオコってるの?」
なんとなく。フェリーはシンへ尋ねた。
彼女の予想は当たっている。シンは、アルジェントに対して強い怒りを覚えていた。
灼神で振り被った際に、小人族の長老を盾にした事を。
フェリーの精神的外傷を抉る行動。
岩盤から脱出した彼女が浮かべていた涙痕。アルジェントは、シンの逆鱗に触れた。
「……やられっぱなしは、性に合わないだけだ」
「ウソだ! シン、後ろにいたんだからそんなにやられてないじゃん!」
「それでも、やられたのには違いないだろ」
「どっちかというと、やったのは邪神じゃん! やっぱシン、ヘンだよ!」
ピンと伸ばした人差し指をシンへ向けるフェリー。そっぽを向くシン。
二人のやり取りを見て、リタとレイバーンは苦笑した。
フェリーの為に取ろうとしている行動なのだと、彼らは気が付いた。
「まあまあ、フェリーちゃん。そう言うなら、シンくんに任せようよ。
あの人もいやらしい戦い方してくるし、レイバーンだったらうっかり騙されちゃうかもしれないもん」
「リタの言う通り……。って、いくらなんでもひどくないか!?」
「あはは、ごめんごめん」
くすくすと笑うリタに同調するレイバーン。
どうして二人は納得したのだろうと、フェリーは小首を傾げる。
「むぅ。じゃあ、ゼッタイにケガしないでね。
終わったら、もっかいちゃんと魔硬金属の材料集めるんだからね」
「ああ。このまま帰ったら、マレットに何を言われるか判らないからな。
そっちこそ、相手は邪神だ。絶対に無理だけはしないでくれ」
「勿論だ」
「それはお互い様だよ、シンくん」
胸を強く叩くレイバーンと、真似をするリタ。
血相を変えたギルレッグが、白銀の爪を引き摺りながら持ってきたのは、その直後の事だった。
彼は語る。偽物の獣魔王の神爪が、魔硬金属の特徴に極めて近い事を。
その上で、こうも言った。
「ワシは必ず、魔硬金属の謎を解き明かして見せる。
だから、すまねぇ。長老を、ワシの同胞を救けてくれねぇか……」
ギルレッグの願いを前にして、首を横に振る者は一人も居ない。
やるべき事ははっきりとした。後は、勝つだけ。