239.新たな王が誕生するとき
鬼族の居城にて、自分の背丈にはあまりにも大きすぎる玉座で胡坐をかく男。
アルジェント・クリューソスは頬杖をつきながら、色眼鏡の向こうに居る更に小さな存在へ問う。
「で、ジイさんよォ。魔硬金属は、造れそうなの?
オレっち、段々とこうしてるの飽きて来たんだけど」
「そう言われましても……。魔硬金属は繊細なバランスで成り立っていますので……。
わしも造ったことはありませんし、気長にお待ち頂けないでしょうか……?」
鉱石をひとつひとつ手にとっては、吟味していく小人族の長老。
老体に鞭を打ちながら、迅速に心掛けているつもりでも若者にとっては欠伸が出来そうになる動きだった。
「あのさァ。本当に造り方知らねェの? オレっちを謀ってんじゃなくて?」
「滅相もない……。今となっては失われた技術ですので……。
どうかそう、怒らないでください……」
「本当かねェ……。まァ、オレっちじゃどうにもならないから信じるしかねェんだけどさ」
首を傾げ、拳が頬を。肘が太腿に埋まる。明らかに機嫌は良くないが、アルジェントの言葉に偽りは無かった。
実際、彼は魔硬金属が何たるかを知らない。
生み出したと言う小人族の主張を、受け入れるしかなかった。
無論、この小人族が嘘をついている可能性も考慮している。
どう見てもひとりでは何も出来そうにない白髪塗れの老人という見た目に反して、自分を一度欺いて見せた。
状況を把握し、咄嗟に偽りの言葉を並べ、自分が納得した後も警戒を怠らなかった。
自分が出来る事を全て精一杯やり遂げたこの老人を、アルジェントは少なからず評価をしていた。
少なくとも、偽物の神器を振りかざして暴力に訴えるだけの野蛮なケモノ達よりは。
だからこそ、アルジェントは長老が発する言葉を信じ切れていないという側面もあるのだが。
魔硬金属の製造方法を知っているにも関わらず、仲間の救出を信じて時間稼ぎを行っているパターン。
本当に魔硬金属を造れず、焦って集中力を欠いている。結果、答えが遠のくパターン。
現状では、彼の心境を知り得る事が出来ない。
ただ、その点に関してアルジェントは大した問題だとは思っていない。
元々、小人族は既にこの地に存在しないと思ってやってきたのだ。
小人族を見つけて、魔硬金属製造の可能性が存在するだけで儲けもの。
「とにかく、材料が判ったら教えてくれよ。
鬼族がいくらでも集めてくれるからさ」
「は、はいぃ……」
口元こそ笑っているが、色眼鏡の奥ではどんな顔をしているのか。
彼の本心がまるで判らず、小人族の長老は震えた声を絞り出した。
実際、彼はこの山で採れるありとあらゆる鉱石を鬼族へ集めさせた。
握り潰せば果実の如く身体中の汁を吹き出しそうなほど矮小な存在に、どうして指図をされなくてはならないのか。
人間へ対する不満を抑え込んでいたのは、鬼族の王。オルゴ。
振りかざす漆黒の爪は、神器と彼が吹聴している得物。
偽物の鬼武王の神爪を御旗に掲げる彼は、配下である鬼族へ語った。
「実際、アルジェントが中に侵入してくれたおかげで魔狼族は大慌てじゃねぇか。
聞くところによると白い犬ッコロがやられてるにも関わらず、魔狼族は知らん顔だったそうだぜ。相当に、ビビってたんだろうな!
だからよ、ここは功労者の顔を立ててやろうぜ。なぁ、いいだろオメェら!」
口で語る内容とは裏腹に、彼の真意は「つべこべ言わず、オレ様に従え」
神器を掲げるという事は、そういう意味だった。
不満を募らせる鬼族もいるが、王の言葉は絶対。
神器の継承者という事は、神に選ばれし存在だというのが鬼族の教え。
尤も、それは先代の王であるオルゴの父が言い出し始めたものだった。
元々、王の証である鬼武王の神爪を操る時点で発言力は他の鬼族と比べるまでもない。
受け入れざるを得ない言葉は、いつしか当たり前のように鬼族へ刷り込まれていった。
それが偽物の神器を担ぎ出し、自分達が未来永劫鬼族を支配しようという欲から生まれたという事を彼らは知らない。
世襲制ではないからこそ、誰もが王に成り得る。その慣例を全て茶番にしてまで、息子に全てを与えてやろうとした。
その強欲さが、長い年月を経て悪意によって生まれた『強欲』に呑み込まれるなどと知る由もなく。
「いやァ、鬼族の王が協力的でオレっちも助かるよ」
自分の玉座に居座っている男は、パチパチと手を叩きながら大口を開く。
オルゴはその態度が何から何まで気に喰わない。
鬼族が主張して、自分が抑えつけた感情と同様のものを彼も抱いている。
「テメェ……」
遥か上から見下ろす、黝い身体を持つ鬼族。
巨体の影に隠れた小人族の老人は、威圧感からその身を震わせている。
怒りの形相は、言葉以上に感情をアルジェントへ伝えてくれる。
誰が好き好んで人間に従うかものかという意思は、まだ自分が王であるという事への矜持。
「まァ、そういきり立ちなさんな。お前さんも、魔狼族みたいになりたくはないんだろ?」
オルゴは何も言い返せない。
彼は聞かされている。偽物の神器を振りかざした、魔狼族の長について。
誰一人として救けようとしなかった。凶刃に貫かれ体温を失っていこうとも、手を差し伸べる同胞は存在しなかった。
魔狼族の神器も偽物だった事は驚いたが、同胞の反応にオルゴは戦慄した。
自分も同じように蔑まされるのではないか。むしろ、謀反を起こされて命が奪われてしまうのではないか。
最悪の状況ばかりが脳裏を過る。気性の荒い鬼族であれば、それは決して被害妄想ではないという確信も持っている。
「なに、オルゴのダンナはオレっちがバラすと思ってんの?
やだなァ、安心してくれよ。オレっちは別に鬼族の権力争いには興味ないの。
ちょーっち力を貸してくれたら、すぐに帰るから。それまでは辛抱してくれよ。
そうなったら、内部分裂した魔狼族をさっさとやっつけたらダンナの天下じゃんよ」
オルゴは固く握った拳を、振るう場所が存在しない。
アルジェントの言う通り、このまま彼の機嫌さえ損なわなければ丸く収まる。オルゴにとっては、それが最適解。
今頃、魔狼族は内部分裂の危機だろう。その点に関しては素直にアルジェントに感謝している。
一方で、自分がいつまでも弱みを握られているという事実は揺るぎない。
たとえ今回、アルジェントが満足して帰ってきても二度と目の前に現れないという保証はない。
オルゴにとって眼前にいる男は、生きている限りは永遠に急所と成り得る。
「本当に、テメェの目的は魔硬金属だけなんだな?」
だが、それらを全て解決するような妙案をオルゴは持ち得ない。
結局のところ、アルジェントへ協力する事が彼にとって一番利益を生み出す。
「くどいっての。そりゃそうだ、オレっちだってこんな所にいつまでの居たいとは思ってねーっての」
色眼鏡の奥で、彼がどこまで本気で言っているかは判らない。
それでも、オルゴは僅かながら安心をした。
「チッ。おい、そこの小人族! だったら、さっさと魔硬金属を造りやがれ!
視界に入らねぇんだから思わず踏みつぶしそうになっちまうんだよ。鬱陶しい!」
「は、はいぃ……」
威圧的な鬼族の態度に、小人族の長老は身を丸めながら隅へと寄る。
思い通りに行かない。自分に従わないというフラストレーションを、自分より弱い存在へぶつける事で溜飲を下げる。
短絡的で粗暴な行為を、玉座に座るアルジェントは呆れた顔で眺めていた。
……*
何度瞬きをしても、何度目を擦っても。レイバーンは眼前の状況が理解できない。
自分の神器に群がる魔狼族の姿は、異様ともいえる熱気を生み出していた。
「うおおおおお! 戦と獣の神! オレだ、五度目の交信を心みるこのオレに! 力をぉぉぉぉぉ!!!」
「いけ! そろそろ、誰か持って見せろよ!!」
神への祈りに咆哮を添え、獣魔王の神爪を持ち上げようとする魔狼。
ここまであまりにも持てる者が居なかったが故に、魔狼族の中では妙な一体感が生まれていた。
この神器は本物だ。扱えた魔狼こそが、真の王だと誰もが心の中で認めようとしていた。
魔狼の昂りとは裏腹に、獣魔王の神爪は沈黙を保ち続けている。
数十秒の叫声を聴き終えると、魔狼は舌を出して大きく頭を上下させていた。
「ところでリタよ。これは何の祭りなのだ?」
「ええっと、怒らないで欲しいんだけど……」
ばつの悪そうな顔で、リタはこうなった経緯をレイバーンへ語る。
その間に二頭の魔狼が獣魔王の神爪へ挑戦し、呆気なく撃沈していた。
「――というわけなの。ごめんね、勝手に獣魔王の神爪を持ち出しちゃって」
伏し目がちにしながらも、リタはちらちらとレイバーンの顔を見上げる。
きっと怒らないと思ってとった行動だとしても、やはり少し緊張はする。
もしもレイバーンにとって、越えてはいけない一線だったらどうしよう。いざ本人を目の前にすると、そんな不安が押し寄せていた。
「そうか! リタもヴォルクのために精一杯やってくれていたのだな!」
明朗快活な笑みを浮かべたレイバーンの大きな手が、そっとリタの頭に乗せられる。
自分の心配は杞憂に終わった。その事が判ると、リタは胸を撫で下ろした。
「ただね、思ったよりも神器に盛り上がっちゃって……」
リタは予想していなかった状況に頭を抱える。
残る問題は、この盛り上がっている魔狼族をどう諦めさせるか。
「ふむ。余が普通に持っては、いけないのか?」
「混ざり者が王として認められると思っているのか?
大したツラの顔の厚さだ。恐れ入る」
首を傾げるレイバーンを一括したのは、一匹の魔狼だった。
白く美しい銀世界のような毛は見る影もなく、泥と血。そして焦げ付いて斑となった不格好な姿の銀狼。
リタの治癒魔術によって一命を取り留めた彼が、黒狼に支えられながらこの場へと現れる。
「もう! またそんなこと言って!」
治療中も、譫言のように混ざり者と口にしていた。黒狼も似たような事を言っていた。
何度も何度も混ざり者と言われて、いくらレイバーンの祖先といえどリタは彼らにずっといい印象を抱けない。
そんなヴォルクを諫めたのは、彼を連れて来たリュコスだった。
「ヴォルク、いい加減にしろ。お前がいくらいきり立っても我々の言葉に耳を傾ける者はいない」
「……おうおう。誰かと思えば、ニセの王とその相棒サマじゃねぇか」
「ったく、どのツラ下げて来たんだ?」
リュコスの言う通り、ヴォルクが現れてこの場の空気は一変した。
今まで自分を騙していた者へ対する、蔑むような視線が空間に充満する。
無関係であるリタやフェリーでさえ、居心地の悪さを感じるほどに。
「シ、シン。こういうトキって、どうしたらいいの?」
シンの裾を掴み、安心を求めるフェリー。
「これは魔狼族の問題だ。俺たちにはどうしようもない。
リタやレイバーンに危害が加わらないようにだけ、気を付けるしかないだろう」
「そ、そっか。リタちゃんたちはアブないもんね」
隅にいる自分達とは違い、彼らは魔狼族に挟まれている。
万が一、争いに巻き込まれるなら救出しなくてはならない。
だが、フェリーの不安を他所にこの状況を動かそうとする者がいた。
魔獣族の王であり、獣魔王の神爪の継承者。
レイバーンは、両手を強く合わせて張り詰めた空気を一変させた。
「うむ。剣呑な雰囲気はよくないぞ。
折角の仲間なのだ、袂を分かつにしても一度は互いの意見に耳を傾けるべきだ。
現にリタなど、余と初めて逢った時は怯えていたが話せばすぐに仲良くなったのだからな!」
「ちょ、ちょっとレイバーン!」
唐突に馴れ初めを語りだしかねない恋人を止めるべく、リタはぎゅっと彼の足を摘まむ。
顔を真っ赤に染めたリタへ、レイバーンは再び手を当てる。
彼は「心配するでない」と言ってくれたが、その「心配」に対する認識が一致しているかどうかが心配だった。
「混ざり者と妖精族の馴れ初めなんて、興味ねぇんだよ!」
案の定、魔狼族からは怒号の声が飛ぶ。
確かにリタ自身も馴れ初めを赤裸々に語られたくはないが、間髪入れずに否定されるのも複雑な気持ちだった。
「そうではない。形はどうあれ、お主達は共に寄り添って生きて来たのだ。
互いの言い分も聞かずに、一方的に離縁を突きつけるのはあまりにも忍びないと思ってだな」
「余計なお世話だ! こちとら、神器の継承者だから従ってたにすぎねぇんだよ!
ニセモノを使って、騙していたようなヤツを今更仲間だと思えるか!?」
魔狼族の怒りは、至極当然の物だった。
銀狼と黒狼は何代にも亘って、神器の所有者を騙り続けて来た。
それは神器を与えてくれた戦と獣の神を侮辱する行為にも等しい。
レイバーンはきっと、話し合いで解決をさせたかったのだろう。
けれど、頭に血が上っている魔狼族ではきっと話は纏まらない。未だ高圧的な態度を崩そうとしないヴォルクとも反目するだろう。
「なら、ヴォルクとリュコスは誰がどう裁くんだ?」
ならば仕方がないと、シンは魔狼族へ問う。
どうして人間がそんな事を訊くのかという疑問はあったが、魔狼族は反射的に声を張り上げた。
「んなもん、王に決まってるだろう! だから、こうやって神器の継承者を探してるんだよ!」
シンはその言葉が聞きたかった。
言質さえとってしまえば、レイバーンも動きやすくなる。
「だ、そうだ」
「お主、そういうところは本当に抜け目がないな……」
レイバーンの方も、シンの意図にはすぐ気が付いた。リタは眉を顰めつつも、心の中では感謝をしている。
一度辛酸を覚めさせられている銀狼と黒狼も同様だったが、今回はきっと自分への不利益はないと黙っていた。
フェリーだけが理解できていないにも関わらず、皆が納得している状況に乗っかろうとコクコクと頭を上下させる。
「魔狼族よ。その言葉に偽りはないと信じるぞ」
一歩ずつ獣魔王の神爪へ近付くレイバーン。
神器へ群がる魔狼族は、その巨体避ける為に左右へと割れる。
「獣魔王の神爪よ。お主の神は、戦と獣の神というのだな。
今まで知らなくて悪かった。こんな余だが、今まで通り共に歩んでくれると嬉しいぞ」
魔狼族がしきりに読んでいた神の名を、レイバーンは呟いた。
ずっと傍に居て、見守っていてくれた神へ新たな感謝を込める。
誰にでも分け隔てなく与えられる優しさと心の強さに反応した獣魔王の神爪は、魔獣族の王によって高々と掲げられた。