235.真の王を決める術
いつもとは違う気迫。
向かい合う鬼族と戦いを繰り広げながら、感じたもの。
神器を持ったオルゴが、自ら矢面に立っているからだろうか。
爪を立てられようとも、牙を喰い込ませようとも。決して鬼族は魔狼族に引けを取らない。
「くっ、怯むな! たかが鬼族、押し返すぞ!」
もしかすると、自分の心情が原因かもしれない。神器に対する後ろめたさが、躊躇いを生んでいるのではないか。
結局、黒狼は自らに生まれた違和感の正体を正確に把握する事は無かった。
「なんだ。まだやってんのかよ」
首を慣らしながら現れたのは、リュコスにとって知らない人間。
色眼鏡を掛けた紺色の髪を持つ男。アルジェント・クリューソス。
「なんだ……!? 貴様、どうやって中から現れた!?
中の者は、何をしている!?」
自分達の縄張りの内側から現れた人物は、奇妙奇天烈な姿をしていた。
瑪瑙の模様を象ったような右腕。対照的に左脇に抱えているのは、小人族の老人。
この老人は知っている。魔獣族の王を名乗る者と同行していた、小人族。
そして、男の従者であるかの如く彼に付きそう怪物。
鬼族と同等の体躯を持ちながら、鬼族よりも禍々しい威圧感を発する存在。
神器を持った長が、因縁に決着をつけに来た。
只ならぬオルゴの気迫から、初めはそう考えていた。
次に、眼前の男が小人族を抱えて現れた。
やはり、レイバーン達は鬼族と繋がっていたのだはないかと考える。
しかし、それもこの男が縄張りの内側から現れた説明には至らない。
仮にそうだとして、何故同行しているのが小人族の老人だけなのか。
間者であるなら、レイバーン達もここが引き時であるはず。
「どうやって? そりゃあ……」
顎を右手で撫でながら、アルジェントは黒狼へ視線を向ける。
警戒心を強めながらも、決して短絡的に自分の懐へ飛びかからない。
「いや、やっぱ止めだ」
鬼族との戦いで消耗をしたからか。もしくは、自分と背後に立つ『強欲』に気圧されたか。
どちらにしろ、自分の話に耳を傾けるつもりはありそうだ。
ならば、侵入経路よりももっと興味深い話を魔狼族へ与えてやる。
「犬ッコロたちよ。オレっちのことよりももっと面白い話をしてやんよ」
「なんだと? どういう意味だ!?」
黒狼は眉を顰める。他の魔狼達も、一斉に眼光をアルジェントへと向けた。
無数の敵意を前にしても、アルジェントは怯まない。ただ、この矛先を向けるべき相手を示してやるだけ。
「いやさ、お前さんたちの親玉。キレイな銀色の毛を持った狼いたじゃん?
アイツが持ってた神器、なんとニセモノだったんだよ。コイツでも扱えちまったんだぜ?」
色眼鏡の奥で顔をにやつかせながら、アルジェントは『強欲』の身体をコンコンと叩いた。
どよめく魔狼族は、互いの顔を見合わせる。嘘か真実か、その答えをもう一頭の長へ求めるのは自然な事だった。
「でっ、出鱈目を言うな!」
この場でただ一頭、真実を知る魔狼族の長。黒狼に戦慄が走る。
一体なぜ。どうして知られてしまったのか。銀狼はどうなったのか。
「これは鬼族の策略だ! お前たち、このような戯言に耳を貸すな!」
強く吠え、配下を従えようとするリュコス。
アルジェントの言葉を何が在っても肯定する訳には行かなかった。
今まで重ね続けて来た嘘が、一瞬にて瓦解する。
神器を所持していないのだと、鬼族に知られてしまう。
真実だと認めれば、魔狼族は内と外の両面からの圧力に耐えられない。
「だったら、銀狼を呼べばいいじゃないか。
相手も神器を持ってきているんだ、神器同士でぶつかり合えばいいだろう」
ある魔狼が、ぽつりと呟いた。
彼は主張する。神器に対抗できるのは神器ではないかと。
「そうだ! ヴォルクを呼べ!」「神器の力を見せろ!」「なんだったら、おれたちにも触らせろよ!」
投じられた一石は波紋となって広がっていく。
捲し立てられるのは魔狼族の長である黒狼。
因縁深い鬼族でも、突如現れた得体の知れない男でもない。自分達を率いて来た、同胞に向けてのもの。
「お頭。なんだか知らねぇけど、好機じゃねぇか!?」
内部分裂寸前の敵を目の当たりにして、赤い身体の鬼族がオルゴへ進言する。
今なら、簡単に魔狼族を制圧できるのではないか。長きにわたる因縁に終止符を打つまたとない機会。
「やめとけって。こういうのはさ、放っておいた方がいいんだよ。
下手につついたら、『まずはお前たちからだ!』なんて言い出しかねないぜ。な、オヤビン?」
「あ、ああ。アルジェントの言う通りだな」
士気を上げていく鬼族を止めたのは、他でもないこの状況を作った張本人。
アルジェントが肩を竦めて見せると、オルゴは彼の言う通りに頷いてみせた。
実際、オルゴにとっては他人事ではない。
偽物の神器を用いて玉座にふんぞり返っているのは、自分も同じだ。
アルジェントの言葉には含みがある。「自分の立場が惜しかったら、言う通りにしろ」という圧を鬼族の王は感じ取っていた。
「ヤツらの神器が偽物なら、畏れるに足らん! 落とすのはいつでもできる!
まずは内部へ潜り込んだアルジェントから、詳しい話を聞かせてもらうぞ!」
(うんうん。自分の立場が理解できてるようで、何よりだ)
撤退の指示を出すオルゴを見て、アルジェントはうんうんと頷いていた。
ヒビの入った瑪瑙の右腕。『強欲』の制御。
共に限界は近い。このまま戦闘を継続すれば、自分の身も危うくなる。
まずは身体を休め、この小人族に魔硬金属を造ってもらう。
無理だとしても、魔硬金属に繋がるヒントを得る。
彼にとってやる事はまだまだ山積みで、鬼族と魔狼族の覇権争いは二の次だった。
強いて言えば、内部崩壊をするふたつの種族は少し見てみたいと考えているが。
次々と洞窟の中へと入り込んでいく魔狼を尻目に、鬼族は帰還する。
勝誇った顔をする配下を、自分の嘘もバレてしまわないかと不安な顔をする王が引き連れるという歪な形で。
……*
一度生まれた流れは止める事が出来ない。
魔狼族にとって、帰っていく鬼族よりも自分達の長が紛い物だった。
その事実の方が重いのだと、黒狼は思い知る。
洞窟を駆ける魔狼を止める術がない。
今更何を話そうと、共犯者を庇っているとしか見られない。
段々と充満していく血の臭いに釣られながら到達した先は、地底湖だった。
黒狼はそこで、信じられない光景を目の当たりにする。
「おいおい、なんだこれ! 見た目の割には、軽いじゃねぇか!」「マジか? オレにも貸してくれよ!」
まるで玩具を取り合う子供のように、魔狼が次々と偽物の獣魔王の神爪を振り回す。
神器に認められた継承者以外は扱えないはずの代物。その前提は、どうに崩れ去っていた。
「おい、どういうことだ?」
「そ、それは……!」
黒狼と共に鬼族と交戦していた魔狼族は、蔑むような視線を向ける。
奇妙な男が話していた内容が、事実である証明。認めず、取り繕うとした黒狼は狼狽える。
代わる代わる玩具にされる獣魔王の神爪。
一方で、魔狼族はもうひとつ群れを形成していた。
獲物を逃がさないように、輪となって取り囲んでいる。
その中心にいるのは、魔狼族の長。銀狼と、一人の少女。
「妖精族。そこから離れろ!」
「ま、待って! まずは、治療しないと!」
真っ白な毛を紅に染める銀狼。
目は虚ろで、呼吸も浅い。一刻も早く治癒魔術による応急処置が必要にも関わらず、同胞である魔狼族がそれを許さない。
「そんなものは不要だ! この男は、我々を騙していた!
報いを受けるべきだ!」
「ちゃんと、ヴォルクの言い分も聞いてあげて!」
本音を言うと、リタもこんな事をしている場合ではない。
レイバーンが。シンとフェリーが、岩石に埋もれてしまっている。
一刻も早く救け出したいのに、目の前の命を見棄てる事が出来ない。
ならばせめて、治癒魔術だけでも唱えさせて欲しいと懇願しているのに聞き入れられない。
「偽りの神器で我らを欺いていた者が何を語ろうとも、意味はない!」
魔狼族の力強い言葉は、「そうだ!」「よく言った!」という声と共に同胞を呑み込んでいく。
怒号は咆哮となり、リタの小さな身体を震わせる。
「ヴォルク!」
瀕死の相棒を前にして、黒狼は思わず駆け寄った。
魔狼族の憎悪の視線。その対象が、銀狼から黒狼へと移る。
「リュコス。テメェも、知ってたんだよな? ずっと一緒にして、知らないわけがねぇよな?
神器はずっとニセモンで、オレたちはテメェらにアゴで使われてたってわけだ」
「そ、それには理由が……!」
「あぁ!? どんな理由だ!?」
黒狼は閉口した。言えるはずもない。
自らの先祖が神器を失った。知られる訳には行かないと、取り繕った結果だとは。
鬼族に攻め入られない為、知られる訳に行かないと言う大義名分はあった。
けれど、自分達が玉座を失いたくないという思いがあったのも、また事実だった。
「言えねえなら、オレたちを騙していたってことじゃねぇのか!?」
「だが、我々は魔狼族を守るために……!」
「オレたちも矢面に立ってただろうが! テメェらだけで護ってたような口ぶりすんじゃねぇ!」
「っ!」
もう何を取り繕うと、魔狼族の心は動かない。
次々と獣魔王の神爪を手にしては、地面へ投げ捨てられる。
誰にでも扱える玩具が、ハリボテの王であった事を揺るぎない事実として突き付ける。
「もうテメェらの言うことは聞かねえ! 王の資格もねぇのに、ふんぞり帰ってんじゃねえ!」
「ま、待て!」
王の資格。一体、誰がどうやって次の王を決めるというのか。
転がっている偽物の獣魔王の神爪では、王を定める事が出来ない。
二頭の魔狼が受け続けた恩恵を欲しがる魔狼は山ほどいるだろう。
覇権をめぐって、血みどろの争いになる事は目に見えていた。
だから、彼女は動いた。
一縷の望みを掛けて、言葉を発した。
「――だったら、次の王様はどうやって決めるの?」
リタはそっと銀狼の身体に触れる。
微かに温もりはある。まだ、治癒魔術は間に合う。
すぐにこの場を纏めれば、治癒が出来る。
「アァ!? 妖精族には関係ねぇだろうが!」
「あるよ。私も、妖精族の女王だから」
吠える魔狼。震える鼓膜。歯を食い縛りながら、小さな身体でリタは立ち向かう。
怯んでいる暇はないと、妖精王の神弓から光の矢を形成する。
「妖精王の神弓。こんなことに使って、ごめんね」
申し訳なさそうにぽつり呟くリタに、妖精王の神弓は答えた。
淡く輝く光が、偽物の獣魔王の神爪へ放たれる。
「テメェ、なんのつもりだっ!?」
例え女王と言えど妖精族が独り暴れた所で、いずれは食い破られてしまう。
リタは決して力で屈服させたい訳では無かった。その証明を、矢の放たれた獣魔王の神爪で証明をする。
偽物の獣魔王の神爪は決して神器ではないが、魔力を通す。
かつてシンが持つミスリルの剣へ行ったように、獣魔王の神爪に纏う魔力を収束させる。
四枚の爪は一本の刃となり、その神々しさに魔狼族は思わず息を呑んだ。
「……今のは、私の神器の力を見てもらいたかったの。私の持っている弓が神器だと、信じてもらいたくて」
獣魔王の神爪はすぐに元通りとなり、改めて魔狼が手にしていく。
誰がどう扱っても、先刻のような神々しさは引き出せない。無論、黒狼であっても。
「……オメェが神器を持ってるのは分かったよ。で、それを魔狼族に見せてなんだってんだ?」
「魔狼族は、神器の継承者を王だと認めるんだよね?」
「そうだがよ、神器があったらの話だろうが。ここにあるのは、ニセモンだ!」
リタは固唾を呑む。レイバーンの許可を得ずに、勝手な事をしている。
けれど、きっと彼もそうすると信じた。祖先である魔狼族が、互いを傷付け合う姿を見たくないはずだ。
誰よりも優しいレイバーンなら、きっとそうする。
「あるよ、神器。本物の、獣魔王の神爪はここにある」
「貴様ッ!」
黒狼の眼光を、リタは視線で止める。
それは幼気な少女のものではない。毅然とした、女王のもの。
「……っ!」
彼女の視線に気圧され、黒狼はその先の言葉を喉へ詰まらせた。
「妨害するなら、他の魔狼族を納得する答えを出せ」と言われている気がした。
リタも必死だった。
本来なら、獣魔王の神爪を勝手に持ち出したくはない。
こんなシンのような真似事も、おっかなくてしたくない。
(いつもフェリーちゃんが驚いたりするわけだよ……)
けれど、決して大切なものを見失わない彼の姿勢に救われた。
真似事でも、やってみる価値はあるとリタは判断した。
「女王サンよ、それは本物なんだろうな?」
ずっと黒狼へ噛みついていた魔狼は、訝しみながらもリタの話に耳を傾けた。
つい先刻まで得体の知れない男と戦っていた獣人の存在を、眼に焼き付けているからだ。
「本物かどうかは、魔狼族のみんなで確かめて。
継承者以外は、扱えないんだから」
魔狼族は互いの顔を見合わせる。言葉はなく、思い沈黙が空間を支配した。
やがて魔狼族は次々と頷いて行き、リタの提案に乗ると声を揃えた。
「分かった。女王サン、神器を持ってるっていうアンタの顔に免じてその話に乗ってやるよ。
だがな、もしもそれが偽物だったら……」
「うん。私もそれぐらいの分別は、ついてるよ」
視線を淀ませないリタを見て、魔狼族は口角を上げた。
「でも、ちゃんとみんなで試してね。もしかすると、本当にヴォルクが継承者かもしれないでしょ?」
そこまで聞いて、黒狼は漸くリタの狙いに気が付いた。
彼女は救おうとしていたのだ。銀狼の命を。
「……チッ。分かったよ、好きにすればいい。
けどな、新たな王がヴォルクを許すとは限らないんだぜ?」
「そこからは、私も口出しできないよ。魔狼族のことだもん」
そう、リタに出来るのはここまでだった。
銀狼の命を繋ぎ、魔狼族の糾弾を一時的に止めるまで。
「リ、リタ……」
「ギルレッグさん、ごめんね。レイバーンたちのこと、お願いできるかな?
今は、顔が見たくないって言ってたけど。ギルレッグさんしか、頼れるひとがいないから」
申し訳なさそうに苦笑をしながら、リタは崩れた岩石の山に目をやる。
生き埋めになっている彼らを一刻も早く救出したいのに、自分ではそれが叶わない。
リタにはそれが悔しくて、堪らなかった。
「あ、ああ。勿論だ、ワシに任せてくれ! それに、その……」
ギルレッグは二つ返事で頷いた。本来であれば、リタの役割は自分にも出来たはずだった。
小人王の神槌を使って、神器の継承者であると証明すれば同様の流れは生み出せた。
それをしなかったのは、魔狼族への嫌悪感が根っこに存在していると認めざるを得ない。
小人族が造った偽物の獣魔王の神爪も、「神器ではない」を理由に玩具のように扱っている。
武器への、製作者への経緯が感じられない行動に拳を強く握るしかしなかった自分が情けない。
一方で、レイバーンには一刻も早く謝罪をしたいと思っていた。
冷たい言葉を浴びせたにも関わらず、彼は小人族を救出する事に躊躇いを見せなかった。
あんな心根の優しい男に「顔を見たくない」と言った自分をただただ恥じた。
「それは、レイバーンに言ってあげて。きっとみんな、無事だよ。
こんなことで死ぬなんて思えないもんね」
「あ、ああ! そうだな!」
強がりから笑みを浮かべたリタだが、それは少なからずギルレッグを安心させた。
……*
治癒魔術による応急処置を終えたリタは、魔狼族を連れて地底湖を去る。
レイバーンの持つ獣魔王の神爪の元へ、魔狼達は消えていった。
「待ってろよ、みんな……!」
独り地底湖に残ったギルレッグは、シン達を埋めた岩石を取り除き始める。
崩落しないようにと慎重に、けれど迅速に作業を進める。
レイバーンと顔を合わせた時、心からの謝罪を受けてもらいたい。
今の彼を突き動かすものは、仲間への想いだけだった。