234.悪意は奪い、壊していく
細く狭い道を抜けた先の光景は、鮮血が飛び散る様だった。
引き抜かれた白銀の爪から溢れる血は、銀狼の白毛を紅に染める。
「なんだ? この状況はよ……」
事態がまるで呑み込めないと、ギルレッグが声を漏らす。
小人族が造りし偽りの神器が、小人族を追いやった魔狼族に一矢報いた。
「がああああああっ!」
なのに、胸騒ぎがする。ちっとも心が晴れやかにならないのは、その痛々しい光景を目の当たりにしたからだろうか。
苦痛の声を漏らし、小さく身体を跳ねらせる魔狼族の長。
まるで心臓の鼓動のように、規則正しく跳ねるその様は命の灯が消えかけようとしていた。
真っ白な身体に悪趣味な四肢を持つ怪物は、血で汚れた獣魔王の神爪を飽きた玩具のように投げ捨てる。
金属が岩に擦れ、火花が散る。刃に伝っていた血痕が、新たな寄生先を求めて飛び散る。
大きな紅の雫を受け取ったのは、小人族の王の小さな身体だった。
「ん? まだ小人族いるじゃん?」
手元に居る老人よりは幾分か若そうな小人族を見つけたアルジェントがぽつりと呟く。
同時に、ギルレッグも気付いてしまう。得体の知れない男が、同胞を抱えている事に。
「ちょ、長老!?」
身体を鮮血に染める銀狼。得体の知れない怪物。色眼鏡の男に捕まっている同胞。
あまりの情報量に、ギルレッグの脳は正しい答えを導き出せない。
「ん? ジイさん長老なんだ?」
アルジェントの問いに、長老は顔を逸らす事で返事をした。
新たな小人族を見つけたアルジェント。
どうにか彼も連れ帰れないだろうかと思案するが、中々思惑通りに事は進まない。
「貴様ッ! なんということを!」
アルジェントと『強欲』の元へ最も早く辿り着いたのは、魔獣族の王。
砕けた右拳から血を流しながらも、はち切れんばかりに膨張した大腿から繰り出される跳躍で距離を詰める。
残った左拳を固く握りしめ繰り出した一撃は、アルジェントには届かない。
偽物の獣魔王の神爪を投げ捨てた『強欲』が、自身の本体を持つアルジェントを護るべく受け止めた。
「ぐ……! 邪神か!」
体格に差はなくとも、邪神の分体が持つ力は想像を絶する。
受け止めた拳を握りつぶさんとする『強欲』。骨の軋む音と共に、激痛が彼を襲う。
「レイバーンっ!」
気付けばリタは、妖精王の神弓から矢を放っていた。
脳裏に浮かんだのは三日月島で傷だらけになった彼の姿。あの痛々しい様子を、もう一度見たくはないという魂の叫び。
「その手を、放してっ!」
同時に逆方向から迫るのは、灼神と霰神から刃を形成したフェリー。
両面から攻められるアルジェントだが、彼に焦りは無かった。
その中でシンだけが、まだ攻撃態勢に移っていない。
一斉に襲い掛かられているにも関わらず、不敵な笑みを浮かべる男。
邪神の分体を顕現させたとはいえ、いくらなんでも余裕が過ぎる。シンが警戒心を高めるには十分すぎる理由。
リタの矢が、フェリーの刃が到達するまでに生まれた数瞬の時を熟考に費やす。
偽の神器を消失させ、再び出現させた。
彼が見せる余裕は、間違いなく瑪瑙の右腕に起因している。
(レイバーンを直接相手取らなかったのは、俺達の反撃に備えて……)
逆に言えば、レイバーン一人を相手取るより自分達三人を相手取る方が楽だと判断した事になる。
右拳が砕け、獣魔王の神爪を所持していないレイバーンよりもだ。
(――だとすれば!)
抱いた疑念は答えへの道標となる。シンはアルジェントの持つ『強欲』の能力を、ほぼ正確に把握しつつあった。
しかし、彼が思考に費やした数瞬の間にも戦況は動いている。
妖精王の神弓の矢はアルジェントの目前まで迫っており、続けて炎と氷の刃を持つフェリーが到達しようとしていた。
もう間に合わないと判断したシンは、危険を承知で魔導砲の弾倉を回転させる。
威力は低くてもいい。一発撃てるだけの魔力を求めて。
(邪神が防いでも、フェリーちゃんが斬ってくれる!)
(止めても避けても、ゼッタイに逃がさないから!)
フェリーとリタは、仮に妖精王の神弓による一射が不発に終わろうとも構わなかった。
二の矢はフェリー自身。彼女がアルジェントを、『強欲』を斬れば戦況はこちらへ傾く。
何より、後ろにはシンが控えている。絶対に逃がしはしないはずだった。
「さて、と。こっからは賭けだなァ」
先に迫る光の矢へ、アルジェントは瑪瑙の右手を差し出す。
シンが感じた不敵な笑みと、そこから導き出した結論は間違っていない。
尤も、この選択はアルジェントも綱渡りだった。
この一射が、砂漠の国で交戦したオルテールやイルシオンを同質のものであれば彼は敗れていた。
彼にはリタの一射を『強欲』で受け止めるという選択肢もあった。
そうしなかったのは、賭けに成功した時のリターンが大きいと踏んだから。
魔力の高い種族である妖精族が放つのであれば、八割以上の確率で魔力が含まれているだろうと腹を括っていた。
「えっ……!? ど、どういうこと!?」
驚嘆の声が、リタから漏れる。
自分の放った矢が、瑪瑙の右腕へ触れた瞬間に消失してしまう。
目を凝らしても、光の矢はどこにも存在しない。
結果として、アルジェントは賭けに勝利した。
リタが放った妖精王の神弓の矢には、魔力が含まれている。
彼女は祈りによる神器の力に、魔力を上乗せして放っている。
つまり、接収によって札へ変換できる攻撃。
「だいじょぶだよ、リタちゃん! あたしがっ!」
光の矢を札へ変える瞬間。背中には熱気と冷気が同時に迫ってくる。
アルジェントが振り向いた瞬間には、魔力の刃はもう目前。
だから彼は、手にした札をそのまま翳した。
妖精王の神弓の矢で、フェリーの身体に風穴を開ける為に。
「――ッ!?」
札が封じ込められていた光の矢を解き放とうとした瞬間だった。
一筋の稲妻がアルジェントの右手から札を弾き飛ばす。
金色の稲妻。
魔導砲最速の弾を用いて、小さな札だけをピンポイントで弾く。
刹那、札から現れた光の矢は照準を狂わせ、洞窟の天井へと突き刺さる。
威力とを証明するかの如く、洞窟の岩盤に亀裂が生まれる。
(……消せるのも出せるのも、右手だけか)
目論見は上手く行ったのだと、シンは安堵する。
はっきり言うと、かなり分の悪い賭けだと覚悟をしていた。
札を解放する瞬間でも、新たに魔力を封じ込めるなら。
金色の稲妻までも奪われる最悪の事態。
あくまで封印を可能とするのが右手で、左手からでも解放が出来るのだとしたら。
小人族の長老を離した瞬間に札を持ち替えられる。
結果として、やはり金色の稲妻は奪われてしまう。
これまでの戦闘から、消失と出現は同時に出来ないと仮定した。
もし同時に出来るのであれば、身体能力の高いレイバーンも同時に相手取ればいい。
もっと効果的なタイミングで、『強欲』を動かせばよかった。
現に一度、鉱石を出現させる事で足止めをしてみせたのだから。
誘導されている可能性も懸念していたが、悩んでいる間は無い。
最初に出した結論でそのまま動いた事が功を奏した。
しかし、シンの判断で介入ができるのはここまで。
この先のフェリーは、もう止まらない。
フォローに入るべく込めるのは、通常の銃弾だった。
「こンのヤロウ……!」
シンが焦るのと同様、アルジェントは狙いが外された事に怒り心頭だった。
今ならサーニャの言っていた事がよく分かる。この集団で一番鬱陶しいのは、一番何も持たないこの男だと。
本当に不老不死か確かめるべく、フェリーの身体に風穴でも開けてやろうと思ったのに。
舌打ちをするアルジェントに迫るのは、フェリーの刃。
炎と氷。どちらを相手取るべきか。瑪瑙の右腕を構えながら、アルジェントは金色の髪を揺らす少女を見た。
「てえぇぇぇぇぇいっ!」
「仕方ねェ。まずはこっちだな」
灼神を持つ右手に向かって、アルジェントは抱えていた小人族の長老を差し出す。
目も見開かせる老人の姿。下ろした腕は止まらない。
「っ……!」
真っ白か髪と髭を震わせながら、震える小人族の姿。
アルジェントはいとも簡単に、利用価値があると認めた存在を盾として差し出す。
「フェリーちゃん、だめっ!」
「フェリー、やめてくれええええっ!」
リタとギルレッグの悲痛な叫びが洞窟内に響き渡る。
フェリーはありったけの魔力を注ぎ込んでいる灼神の、魔力供給を咄嗟に止める。
空気すらも灼く真紅の刃は、小人族の長老へ触れる直前にその姿を消し去る事が出来た。
「はあっ、はあっ……」
故郷で大切な人達を焼き尽くした精神的外傷がフラッシュバックする。
心臓が激しく動悸する。喉が渇く。吐き気がする。掌の汗が、灼神を滑り落としそうになる。
斬らなくてよかった。焼かなくてよかった。
目の前に敵が居るにも関わらず、フェリーの思考はそれだけで埋まっていた。
うっすらと潤んだ瞳を溢さないようにするのが精一杯だった。
「おォ、あそこから消せるのか。便利だなァ」
「――っ! あなたは、ゼッタイにゆるさない!」
頭上から聞こえる能天気な声は、悪意に染まっていた。
フェリーの頭に血を登らせる為の挑発。けれど、冷静さを失ったフェリーには効果的な言葉。
「フェリー、待て!」
シンの制止も届かず、フェリーは残った霰神を振るう。
小人族の長老が居ない、アルジェントの右腕を目掛けて。
「いやァ、お嬢ちゃんは扱い易そうで助かるぜ」
瑪瑙の右手が、氷の刃に触れる。魔力で形成された刃は、当然接収によって封印が可能な物。
もっと言えば、彼女が振るっている魔導具を含めて札へ収める事が出来る。
魔導刃・改。中に組み込まれている魔導石には、非常に興味があった。
「あ……。ま、待って!」
「待つわけねェじゃんかよ」
霰神でも凍り付かない右腕を見て、フェリーは冷や水を掛けられたかのように冷静さを取り戻す。
リタが放った妖精王の神弓の矢も、不思議な力で消えてしまった。
霰神も例外ではないのだと、誘い出されたのだと気付いた時にはもう遅い。
取り返しのつかない事をしてしまったと悔やむフェリー。したり顔のアルジェント。
だが、事態はそう単純では無かった。
フェリーに宿る無尽蔵の魔力。その源泉は、彼女の奥に潜む魔女から得たものなのだから。
「――なんだっ!?」
急激に上がる熱が、アルジェントを襲う。
不可解な事態を前にして、アルジェントは咄嗟に右手を霰神から離す。
イルシオンによって傷付けられた瑪瑙の右腕。その亀裂が広がり始めたからだった。
それだけではない。移植した右腕の境目から肩にかけて、彼の肉体は炎に焼かれたかの如く焦げ付いていた。
接収はその性質上、右腕で他の魔力を一度取り込む。
他者に触れられる事を拒み、その禁を破った者を魔女は決して許さない。
瑪瑙の右腕が威力を相殺しつつも、アルジェント自身の身体が悲鳴を上げていた。
結果的に中途半端な形で接収が消えてしまい、霰神はフェリーの左手に残ったままとなる。
「……何をした、テメェ!?」
「えっ? あ、あたし!?」
色眼鏡の向こう側で、目を吊り上げるアルジェント。
フェリーは決して魔女を使役している訳ではない。
アルフヘイムの森も、三日月島も、カタラクト島も。故郷でさえ、魔女はフェリーの意思と関係のない所で魔力を解放する。
意図せぬ所で現れた魔女が生み出した隙を、シンは逃さない。
魔力を纏わない、通常の弾丸をアルジェントへと放つ。
「――ちっ!」
魔女に焼かれ、動きの鈍くなった右肩を銃弾が貫く。
流れる赤い血と、痛みに堪えるアルジェント。生まれた隙は、まだ終わりを見せていない。
「フェリー、今だ!」
「う、うん!」
シンの声で我に返ったフェリーは、再び霰神に魔力を込める。
形成された氷の刃を、もう一度アルジェントの右手へと薙ぎ払った。
また接収で札にしようとすれば、きっと燃やされてしまう。
アルジェントに刷り込まれた、魔女への警戒心。
絶好のカモであるはずの魔力が、これ以上ない脅威となって襲い掛かる。
「く、そ、がァ!!」
札に封印できないならと、アルジェントは一枚の札から武器を出現させる。
炸裂の魔剣。使用回数に限度はあるが、強烈な爆発を生み出す剣。
五回撃てるうちの一回は鬼族に対して使用している。
残り四回の内三回を、今から彼は消費する事となる。
炸裂の魔剣と霰神。互いの刃が接触をする。
全てを凍てつかせる氷の刃へ対抗すべく、強烈な爆発が引き起される。
「んんっ!」
マレットが生み出した霰神に、無尽蔵の魔力を持つフェリー。
傑作とはいえ、魔術付与された剣に遅れは取らない。剣単体の性能では。
アルジェントが狙ったのは、フェリー自身の華奢な身体。
爆風によってフェリーの軽い身体は体勢を崩す。結果として、霰神の切っ先が逸れて氷の刃が地面へ触れた。
「『強欲』! その魔獣族の王を、アイツにプレゼントしてやれ!」
激痛の走る右腕では、これ以上は炸裂の魔剣の衝撃に耐えられない。
小人族の長老を投げ捨て、左手で炸裂の魔剣を持つアルジェント。
同時に彼が『強欲』へ下した命令は、レイバーンをシンへ投げつけろというもの。
「ぬ……っ!?」
アルジェントの邪魔をさせまいと最も身体能力が高いレイバーンを難なく抑えつけていた『強欲』は、彼の巨体を持ち上げる。
『強欲』はそのまま力任せに、レイバーンをシンへと投げつける。
同時に、アルジェントは炸裂の魔剣で洞窟内に爆発を響き渡らせる。シンの逃げ道を、防ぐために。
「っ!」
爆発方向へは回避出来ない。回避は間に合わず、シンの身体にレイバーンの巨体が触れる。
シンを巻き込んで洞窟の壁へと叩きつけられたレイバーン。二人の頭上には、洞窟を走る爆発によって崩れた岩石が次々と落下していく。
「レイバーン! シンくん!」
二人の心配と、自由になった邪神。通じなかった神器の攻撃。
リタは戸惑いながら妖精王の神弓に矢を創るものの、放つ事が出来ない。
「リタちゃん! まだ、だいじょぶ。こいつを倒せば!」
「そうだな。オレっち、アンタは怖くてやってらんねェよ」
爆風に吹き飛ばされたフェリーが、身体を起こす前に。
アルジェントは炸裂の魔剣をもう一度洞窟内に響き渡らせる。
「――っ!」
砕けた岩盤が、今度はフェリーへと降り注ぐ。
シンも、レイバーンも。フェリーさえも、岩に埋もれてその姿が視界から消えてしまう。
「さ、妖精族のアンタはダメ元で撃ってみる? ダメだったら、全部終わりだけど」
「……っ」
アルジェントの挑発。翳される瑪瑙の模様が施された右手。
気味の悪い右手を前にして、その指を離す勇気がリタには無かった。
「撃たないようなら、オレっちはそろそろ帰るかなァ。
そんで、そこの小人族。アンタも一緒についてくるかい?
両手塞がるとこの妖精族に撃たれそうだから、アンタは徒歩だけどさ」
色眼鏡の向こう側で、小馬鹿にするように口角を上げるアルジェント。
ギルレッグは一歩も動けなかった。抱えられている小人族の長老を助けなければならないのに。
「……つれていくのは、わしだけにしてください。魔硬金属も、造ってみますから」
身体を震わせながら小人族の長老はアルジェントへ懇願する。
年老いた自分に価値があるうちに発した言葉。
「あ、そう? そんじゃ、気が向いたらアンタも迎えに来るわ」
長老は余計な事を何も言わない。
ギルレッグが王である事も。神器の継承者である事も。
「ま、待て!」
「やーだよ。オレっち、疲れたもん」
ギルレッグの制止に耳を傾ける事なく、アルジェントは地底湖を後にする。
挑発めいた言葉だが、嘘偽りは無かった。
焼かれ、銃で撃ち抜かれた右肩。亀裂の入った瑪瑙の右手、『強欲』の制御に限界が訪れようとしていた。
出来る限りの事はした、魔硬金属を造る可能性も朧気ながら見えた。
ここが退き時なのだと、アルジェントは決断を下す。
去っていくアルジェントの背中を目掛けて、リタは妖精王の神弓を撃ちたい。撃たなければと弓を引く。
だけど、弦から指が離れない。また奪われてしまえば、全滅は必死だと理解している。抗う術が、リタには解らない。
リタもギルレッグも、悪意を止める事は出来ない。その悔しさで、嗚咽を漏らすだけだった。
一方で、長が倒れたというのに動こうともしない魔狼族。
彼らもまた、その怒りを向けていた。偽りの玉座にふんぞり返っていた、王に対して。