233.『強欲』の邪神
小人族の王、ギルレッグは当てもなく洞窟内を彷徨っていた。
足取りは重く、地底湖から逸れた細道をフラフラと歩いている。
レイバーンやリタが居なければ、魔狼族の長へ殴りかかっていたかもしれない。勝てるはずもないと知りながら。
命は拾ったのかもしれないが、ギルレッグは感情の置き所を見失っていた。
それだけではない。怒りに身を任せてしまった、短絡的な行動。シンやフェリー、長老にどう説明をするべきか。
魔硬金属の材料となる鉱石を集め次第、直ぐに帰ると勝手に決めた事を怒るだろうか。
「いや、そんなヤツらじゃねぇんだよなぁ……」
ギルレッグは知っている。自分を糾弾するような者は、決して居ないのだと。
仮にマレットが同行していたとしても、結果は同じだろう。ちょっと揶揄われるぐらいだ。
人の気持ちを汲み取ってくれる、善い奴ばかりだと改めて実感する。
だから、心苦しい。自分が彼らの足を引っ張ってしまう。
特にレイバーンには悪い事をしたと思っている。
次に顔を合わせた時に、素直に謝れるだろうか。
仮に出来なかったとしても、きっとレイバーンは豪快に笑って許してくれる。
彼の優しさを知っているのが辛い。甘えてしまいそうな、自分が情けない。
髪や髭が白く染まるほど歳を食ったというのに、情けないとしか言いようがない。
「ただ、まあ……。いつ帰れるかは結局わからねえんだけどよ……」
道中で見つけた鉱石に片っ端から触れて、鑑定していく。
どれも様変わりで、色んな用途が見つかりそうだ。
小人族の先祖がこの地に腰を下ろしたのもよく判る。
本来ならもっと心が躍りそうだというのに。
ため息を吐いては、魔狼族さえ居なければと呟く。
相当に病んでいると自覚しても、それで怒りが収まるはずもない。
「……なんだ?」
右へ左へ。とにかく魔狼族が通れそうもない道を歩いていたギルレッグはその足を止める。
細く狭い道の向こうが騒がしい。聞きなれない声は、魔狼族が発しているものだろう。
魔狼族が通りそうもない道を歩いていたはずなのに、結局は彼らと遭遇する。
憂鬱になるが、致し方ない。現在は彼らの縄張りなのだから、どこに居ても不思議ではない。
踵を返すべきかと逡巡するギルレッグだが、レイバーンと鉢合わせるのではないかと踏み留まる。
今はまだ、顔を合わせ辛い。心の準備が出来ていない。
立ち止まってはうろうろと、進むべき方向に悩む小人族の王。
こんな情けない姿を同胞に見られていないのが、不幸中の幸いだった。
「な、なんだ!?」
ギルレッグの進路を決定付けた決め手は、喧騒の音。
驚きと、悲鳴と、怒り。それがの入り混じった声が道の先から聞こえてくる。
魔狼族だけのものではない。反響した音にシンやフェリー、レイバーンの声までも乗せられていた。
レイバーンが自分を追い抜いている事にも驚いたが、彼は自分を追った様子はない。
つまり、純然たる別の事情でこの先に立っている。
この時、ギルレッグの心は揺らいでいた。
レイバーンも、魔狼族もまだ見たくはない。だが、この先で何かが起きている事は間違いない。
きっとリタだって、その場にいるだろう。自分だけがそこに居ない。
「ああ、もう!」
ギルレッグは兜を脱ぎ、剥き出しになった白髪をぼりぼりと掻く。
どんな顔をして、どんな言葉を紡げばいいのかはまだ決まっていない。
感情の整理がつかないまま、ギルレッグは前へと歩み始める。
仲間と悪意の待つ、地底湖へ続く道を。
……*
ギルレッグが地底湖へ赴くと決意をする数分前。
炎の最上級魔術、紅炎の新星によって焼かれつつも失った意識を取り戻した銀狼。
「絶対に……殺す……」
その身を焼いた男に、かつてない程の殺意を向ける。
よりにもよって自分達の縄張りで恥をかかされた。
一族の長たる彼の心境は、纏っている魔力とは対照的な憤怒の炎で燃え上がっていた。
アルジェントを八つ裂きにしようと、偽物の獣魔王の神爪を向けるヴォルクには、彼の抱えている小人族の長老など眼中に入っていない。
「ちょっと待って! 小人族のおじいちゃんがいるんだよ!?」
「知ったことか! こんな男に捕まる自分の間抜けさを、悔やんでいろ!」
止めようとするフェリーの言葉は、ヴォルクにとっては意味を成さない。
彼にとっては本質的にどちらも同じだった。唐突に現れた、縄張りに混乱を齎す者。
小人族の老人に人質としての価値は無い。
そうはさせまいとシンは魔導砲の弾倉を回転させ、魔力を充填する。
リタも同様に妖精王の神弓を構え、光の矢を形成する。
フェリーとレイバーンに至っては、ヴォルクの言葉を皮切に既に飛び出していた。
霰神を握り締め、透明な刃を創り出すフェリー。
魔狼族との契りを反故にしないよう、その身のみで距離を詰めるレイバーン。
「んー。流石に、全員いっぺんにってのはキツいな」
「何をごちゃごちゃと!」
獣魔王の神爪を横薙ぎに払うヴォルク。
魔狼族以外の総てを敵とみなしている彼は、ここで重大なミスを犯した。
「あっ!」
「……くそっ」
巻き込むように横薙ぎに払われた腕は、結果的にフェリーからアルジェントを隠す。
白銀の爪に小人族の長老を巻き込む訳には行かないと魔導砲を向けるが、引鉄は引けない。
ここで引いてしまえば、全てが台無しになる。魔硬金属を得る為に、魔狼族と全面的に争う危険性。
レイバーンの立場を考えると、それだけはなんとしても避けなくてはならなかった。
「シン、案ずるな! 余が居る!」
瞬く間に距離を詰めていくレイバーンに対して、アルジェントは既に一枚の札を取り出していた。
接収で札に変えていたものは、巨大な鉱石。
「――なんだ!?」
突如現れた巨大な鉱石は、レイバーンとアルジェントを分断する。
渾身の拳を繰り出すが、あまりの硬さに自分の拳が砕ける音がした。
鬼族の城が存在する山にも同様に存在している、魔力を含んだ鉄鉱石。
その巨大な塊を、アルジェントは接収で札へ変えていた。
あわよくば持ち帰り、アルマやビルフレストに献上しようとしていたものだが問題はない。
この場を片付けた後に、改めて接収で回収すればいいだけの話なのだから。
『強欲』の能力だと判らず、突如あらわれた鉱石に動きが封じられるレイバーン。
彼の後方に居るリタも同様だった。この魔力濃度が濃い場所では、ミスリアと違って相手の正確な位置が把握できない。
結果、引いた弦を離すタイミングが無い。視界が奪われたこの状況で、アルジェントだけを撃ち抜くのは至難の業だった。
アルジェントはこの時、ほんの僅かだが妖精族の女王に射抜かれる可能性を考慮していた。
彼女はミスリアの王宮で、床や壁を突き破ってビルフレストだけを射抜いた達人だと聞かされている。
瑪瑙の右腕を使うなら、リタであるべきなのではないかと思慮していた。
けれど、リタは撃つ気配が無い。アルジェントはコンマ数秒の逡巡を以て撃てないものだと思考を切り替えた。
一種の賭けではあったが、博徒の彼にとっては自身を興奮させるものとなる。
そして、彼の賭けは成功した。後は銀狼にだけ注意をすればいい。この中で最も、あしらうのが容易な存在。
尤も、当のヴォルクはそう考えてはいない。
偽物の獣魔王の神爪を横薙ぎに払い、等間隔に開いた白銀の爪で不快な男を斬り刻まんとする。
アルジェントから見れば、張り子の虎が必死な形相で喧嘩を売っている。滑稽な様子にも関わらず。
「はい、ご苦労様でした」
身体を反転させ、瑪瑙の右腕を獣魔王の神爪へと差し出すアルジェント。
奇妙な右腕ごと刻もうと、更に力を込めるヴォルク。
『強欲』の右腕が獣魔王の神爪へ触れたその瞬間に、勝負は決していた。
「……な、なんだと!? 何が起きた? オ、オレ様の獣魔王の神爪はどうした!?」
忽然と姿を消す獣魔王の神爪。
確かに持っていたはずなのに。直前まで感じていた重みは、既に霞となって消えている。
代わりに存在するのは、瑪瑙の右手に挟まれた一枚の札。そして、肩を震わせながら笑っているアルジェントの姿。
魔狼達も互いの顔を見合わせては、情けない姿を晒しているヴォルクへ視線をやる。
神器による破壊の一撃を見られると期待したが、見せられたのは消えた神器に狼狽える長の姿。
普段の高圧的な態度が残っていても、威厳は失われつつあった。
「シン、なにがあったの……?」
「判らない。が、恐らく右腕が奴の能力なんだろう」
ヴォルクが横薙ぎに払った事により、シンとフェリーは一連の出来事を目で追えていない。
辛うじて判るのは、突如レイバーンの前に現れた鉱石の塊。そして、逆に忽然と姿を消してしまった偽物の獣魔王の神爪。
出現と消失。接収の本質に、シンはまだ答えを出せないでいた。
妖精王の神弓の一射によって鉱石を砕いたリタとレイバーンも、同様だった。
肝心な部分は見えていない。シン達同様の情報しか持っておらず、狼狽える銀狼の姿にただただ困惑するのみだった。
戸惑っているが故に、迂闊な一歩を踏み出せない。
まだまだ愉しめそうだと、アルジェントは困惑するヴォルクの顔へそっと近づいた。
「お前さん、さっき言ってたなこのジイさんを『間抜け』だって。
本当にそう思うかァ? オレっちは逆だけどなァ」
彼が紡ぐ言葉は、偽りなき本心だった。
小人族の長老は咄嗟の判断で、自分を欺こうと懸命だった。
結果的に失敗はしてしまったが、外的要因によるものだ。少なくとも、この老人は致命的な失敗を冒してはいない。
苛立ちを感じなかったと言えば嘘になるが、立派なものだと評価も上げた。
対して、偉そうにふんぞり返っている銀狼は情けないとしか言いようがない。
現れてはふんぞり返って、人間だからと舐めてかかる。
一度苦汁を舐めさせられたにも関わらず、無策で怒り任せの攻撃。
アルジェントにとっては、銀狼の方が遥かに間抜けと評したい。
「オレっちにいいようにやられて、また怒り任せの攻撃だもんなァ。
挙句の果てに武器まで失くしちゃったね。さ、どうすんのさ?」
「だ、黙れッ! 貴様、オレ様の神器をどこへ隠した!?」
「え? アレ、いるの?」
「当然だ! オレ様の神器を、返せッ!」
自分が情けない姿を晒しているとは一切考えず、未だ威圧による支配が成立すると考えているヴォルク。
ここまで行くともう矯正できないだろうなと、アルジェントは肩を竦めて見せた。
アルジェントは視線を流し、配下の魔狼がざわめいている様子を確認する。
細工は流々といったところだろうか。後は、種明かしをするだけでこの種族は瓦解する。
自分がこの場から脱出する余裕も、生まれるだろう。
「でも、おっかしいよなァ。神器って、所有者を選ぶんだろ?
誰でも使えると、まーずいよなァ?」
ふざけているように放った言葉だが、重く低い声。
良くない事が起きると、本能が訴えてくる。
相手の能力。その詳細は不明だが、捨て置けない。
シンは魔導砲の引鉄を絞り、分割された白色の流星。その一発目を放つ。
「残念、ちょいと遅かったな」
だが、白色の流星がアルジェントへ届く事は無かった。
レイバーンとアルジェントが遮断されたのと同様に、シンとフェリーも彼の呼び出した存在によって射線を分断される。
白い胸と裏腹に金銀、更に瑪瑙のような縞模様が入り混じった四肢を持つ悪趣味な身体。
『強欲』の邪神。その分体である、『強欲』がこの世に姿を現した。
レイバーンと同等の身体は、白色の流星を難なく受け止める。
魔力を極限まで充填しきっておらず、更に分割された一射で傷付けられる相手では無かった。
「シン、あれ……」
放たれる威圧感と禍々しさ。不快感がフェリーの背中を汗で滲ませる。
気付けばフェリーは霰神だけでなく、灼神も刃を形成していた。
「ああ。間違いない、邪神だ」
シンもまた、自らの一射が余った事を悔やんでいる。
小人族の長老に当てる訳には行かない。洞窟を崩壊させてはいけない。
それらの想いから、魔導砲の弾丸を分けてしまった。
この男の能力もはっきりと判らない上に、邪神の分体まで現れた。
彼の手には小人族の長老が居る。悪化していく状況に、シンは下唇を噛む。
だが、色眼鏡で隠しているものの状況が芳しくないのはアルジェントも同じだった。
浮遊島の決戦で邪神の分体を二体も同時に撃破する手練れを相手取るには、顕現したばかりの『強欲』では心もとない。
加えるなら、顕現しておく時間にも限界があると感じている。
シン達は知る由もないが、彼は砂漠の国でイルシオン達と交戦している。
その際に紅龍王の神剣の一撃で、瑪瑙の右腕には亀裂が入っている。
段々と修復はされているが、無理をすればあっと言う間に限界が訪れてしまう状況だった。
だから、アルジェントは退却を軸にした策を躊躇なく選ぶ。
邪神の分体を出した事で、シン達が警戒を強めている今だからこそ。
「な、なんだコイツ! 鬼族の仲間か!?」
突如現れた『強欲』に最も近い銀狼が慄く。
偽物の神器で虚勢を張っていただけの小物だが、退却をする為にはまだ大切な役目が残っていた。
「鬼族よりも、ずっといいモンだっての。
例えば、こんな風になッ!」
瑪瑙の右手に持たれた札は、武器となって姿を現す。
たった今、魔狼族の長から奪った神器の名を騙る偽物。獣魔王の神爪が、『強欲』の腕に装着された。
「ど、どういうコト!?」
意味が判らないと、フェリーは答えを求めてシンの方へと振り返る。
シンは眉根を寄せたまま、微動だにしない。この不可思議な状況を、出来るだけ早く理解しようと試みていた。
(札から武器を出した……。いや、敢えて獣魔王の神爪の形で出した)
瑪瑙の右腕が持つ接収。その答えにたどり着くより先に起きた魔狼族によるどよめきが、シンの思考を遮断する。
その意味はすぐに理解できた。『強欲』が神器を装備している状況が、アルジェントの狙いなのだと。
「しまっ――」
シンがここからいくら声を張り上げようと、もう遅い。
魔狼族に提示されてしまったのだ。継承者以外に扱えないはずの神器を、他者が扱う姿を。
「あれ~? 神器って、継承者しか使えないんだろ?
おっかしいよなァ? 誰でも扱えちまうぞォ?」
「そ、それは……」
わざとらしく、芝居がかった動きで『強欲』へ視線を集めるアルジェント。
視線を泳がせる自らの長を見れば見るほど、魔狼達は理解する。あれは間違いなく銀狼の所有していたものだと。
大方の魔狼族がその思考へ辿り着こうとしていたところ、アルジェントは彼らへ答えを提示した。
「あ、そっか! これ、ニセモンだな。いやァ、折角神器をゲットしたと思ったのに。
オレっち、ニセモン掴まされちまったよ!」
偽物。アルジェントがはっきりとその単語を口にしたのと同時。
『強欲』は、白銀の爪を地面へ突き立てる。
「――ッ!」
シンが白色の流星を連射しようとも、『強欲』の身体は動かない。
その軌道を僅かに逸らすだけ。
フェリーとレイバーンが大地を蹴る瞬間には、白銀に輝いていた爪は赤く染まっていた。
自らをこの神器の継承者と吹聴していた、銀狼自身の血によって。