229.小人族の大きな怒り
この山でいくら鉱石を発掘してもいい。
好きなだけ持って帰っていい。
銀狼と黒狼が見返りに求めるのは、魔獣族の王が勝手な行動をとらない事。
具体的には、クスタリム渓谷へは顔を出さない。鬼族と邂逅する恐れがあるからだ。
獣魔王の神爪はあくまで銀狼の持つ物が本物なのだと、魔狼族へは通達する。
最後に、彼らが最も重要視している事。それは、レイバーンはあくまで獣人。魔狼族の側だと配下の魔狼へ説明をする。
「余からすれば、魔狼族とも鬼族とも敵対する理由がないのだが……」
などとぼやくレイバーンだったが、ここは大人しく魔狼族の決定に従う。
本来の目的は魔硬金属の材料の採取であり、円滑に進むのであればそれに越した事はない。
「でも、勝手だよ! 神器を騙ったり、混ざり者だなんてバカにしたりして!」
尤も、納得しているのはあくまでレイバーンだけ。
同席していたリタはずっと憤っている。頭から湯気が出るのではないかと、レイバーンは心配していた。
「魔狼族にも色々あるのだろう。この山から出てまで吹聴する気はないようだし、余としては構わぬ。
魔硬金属の材料が足りなくなった時も、都合をつけやすくなるであろう?」
「そうかもしれないけどさぁ……。レイバーンは優しすぎるよ」
リタは不満げに頬を膨らませる。
優しい彼が好きである事には違いないが、なんでも相手の要求を聞き入れるとは違うのではないか。
それとなく伝えてみても、彼は豪快に笑うのみ。懐が広いといえば、それまでなのだが。
「それに、何も悪いことばかりではないであろう?
獣魔王の神爪へ祈るべき神の存在を教えて貰えるのだぞ。
余としても、この地を訪れた目的が果たせそうで何よりだ!」
「それはそもそも、ちゃんと伝わってないのがおかしいよ……」
どうして自らが信仰すべき神の名を知らないのか。
力を借りておきながら、無頓着にも程がある。
リタは何度聞いてもその事実が受け入れられない。ミスリアの神器もそうだったというのだから、妖精族が特殊なのだろうかとさえ考えてしまう。
「でも、小人族はむしろ新しい神様にも見初められてたしなぁ……」
知っている者と知らない者。
一体どちらが正しいだなんて分かりはしない。
リタは、諦め混じりのため息を吐いた。
……*
――小人族をこの地から追いやった存在が魔獣族だとしても仲間を憎む理由にはならない。
シンから懸念を聞かされた時、小人族の王は確かにそう答えた。
実際、今でも正しいと思っている。
自分だって知っている。
レイバーンがどれだけ身を粉にして居住特区に尽くしてきたのか。
小人族の里に戻る自分達を、幾度も護衛してくれた魔獣の姿も。
偽りのない言葉だった。自分は魔獣族を憎んでいないと。
それなのに。
ギルレッグは、まだ自分に実感が湧いていなかっただけなのだと気付いた。
眼前に映る光景を、想像出来ていなかったからだった。
錆びついた槌。粉となって消えた、赤黒い膜。
魔力の結晶に取り込まれた白い塊は、恐らく骨。
小さな身体に深く刻み込んだはずの決心が揺らぐ。
レイバーン達は気に入っている。それは今も変わらない。
けれど、魔狼族は赦せない。名も顔も知らぬ同胞の無念を思うと、赦してはならない。
「王……?」
立ち止まり、身を屈めるギルレッグ。
彼を心配して小人族の長老が覚束ない足取りで近付く。
「一体何がぁ……っ!?」
彼の足が止まり、砂利の擦れる音が地底湖に響く。
長老も気付いてしまった。かつての仲間が、友がこの地に住んでいたという証を。
知ってしまった。自分達を故郷から追いやった存在を。
「長老……」
ギルレッグは顔を上げ、長老の顔を見る。
彼は小人族に残る唯一の当事者。
王として情け無いと思いつつも、相反する感情の落とし所をギルレッグは彼へ求めた。
「……!」
願いとは裏腹に、長老の姿は見るに堪えない程に弱々しかった。
茫然自失という言葉が正しいのだろうか。
元々老体だった事を差し引いても、力無く垂れ下がった髪や髭。
拳を何度も閉じては開き、彼もまた感情の行先を求めている。
同じなのだ、自分と。いや、同じというのは烏滸がましい。
魔石に埋もれた骨。転がっているにこびり付いた血痕。
それらが彼の知人である可能性が、あるのだから。
「あ、あぁ……」
震える手を差し出す彼の姿を瞳に映したギルレッグは、無意識に足を動かしていた。
魔狼族の長。銀狼、黒狼の元へ。この憤りをぶつけるべく。
……*
向かい合う二頭の狼。
銀狼と黒狼は共に険しい顔をしている。
「意味ないのは知ってっけど、あの狼人に見覚えは?」
「……あるわけがないだろう。あんな混ざり者など」
「だよな」
分かりきった答えに、銀狼は大きなため息を吐いた。
生まれてから今日まで、彼らは行動を共にしている。
離れる事があっても、精々互いの匂いが感じられる距離まで。
自分の知らない事を、相手が知っているはずがない。
余裕を含んだ口ぶりを見せたが、内心で一番焦っているのはリュコス自身だ。
獣人ならまだ良かった。純血ではないとはいえ、そう珍しい存在ではない。
よりにもよって、あの巨体である事が問題なのだ。
これではまるで、過去に自分の血縁者が鬼族と契りを交わしたようではないか。
(違うか……)
頭を左右に振りながら、己の考えを振り払う。
黒狼も、向かい合う銀狼もほぼ確信をしている。
レイバーンはリュコスの、黒狼の血筋に連なる者だと。
覆しようのない事実として、レイバーンは本物の獣魔王の神爪を所持している。
つまり、自分の先祖が所有者である時代に離反した。よりにもよって、鬼族を番として。
突如失われ、探し求めていた神器。
焦りから彼らの祖先は、獣魔王の神爪の複製品を造り出した。
鍛冶に長けた種族である、小人族を使って。
そして、完成の後に小人族は命を落とした。真実を知る者を、消す為に。
尤も、小人族の存在を銀狼と黒狼は知らない。
代々伝えられてきた内容は、あくまで獣魔王の神爪が偽物であるという事のみ。
造った手段など、魔狼族にとってはどうでもいいのだから。
配下の魔狼に、敵対する鬼族に、決して知られる訳にはいかない。
知られてしまえば、今までの苦労が水の泡になる。
彼らを取り囲んだ魔狼には他言無用と念を押したが、効果は期待できない。
彼ら自身に訝しまれている節があるのだから。
銀狼の判断も仰ぐべく、中へ招き入れたのは失敗だったかもしれない。
あの時は獣魔王の神爪の存在とレイバーンを、鬼族に知られたくないと思って取った行動。
それが結果的に自分達の首を絞めている。
招き入れてしまった事から、短絡的に始末する選択肢すら取り辛い。
「本当に、何故このようなことに……」
リュコスは頭を悩ませる。
魔狼族のしきたりから言えば、王となるべき者はレイバーンだ。
獣魔王の神爪が認めた以上、覆る事はない。
だが、ここでも問題が発生する。レイバーンは純血の魔狼ではない。
宿敵たる鬼族と混ざった可能性のある魔獣。
そんな歪な存在を、同胞が認めるはずもない。
同時に、長きに渡って偽物を祀り上げてきた自分達に居場所はないだろう。
むしろ、全ての魔狼族から命を狙われる立場となる。
魔狼族は劇薬によって、存亡に関わる場面に面していた。
「考えても仕方がない。あの狼人の機嫌さえ損なわなければ、これまでと何も変わらない」
不幸中の幸いは、レイバーンが魔狼族の統治に興味を持たない事だった。
彼が妙な気を起こしていれば、既に魔狼族は崩壊している。
しかし、レイバーンに執着するあまり、銀狼と黒狼は見えていなかった。
今までずっと敵対し、片時も目を離さなかった相手。鬼族に起きる異変を。
そして、受け入れた者に自分達への怒りで腑を煮えたぎらせている者がいる事を。
……*
小柄な身体に詰め込まれた筋肉の鎧。
見た目以上の質量を持つそれが、怒りの感情によって踏み締める一歩に呼応する。
爪先が沈み、足跡が天井から溢れる雫の受け皿となる。
目標は決まっている。小人族の王として訊くべき相手だ。
小さな歩幅で一歩、また一歩と確実に近付いていく。
「……小人族? 何の用だ?」
天然の洞窟を歩いた先に居るのは、ギルレッグにとっての目標。銀狼と黒狼。
彼らの堂々とした佇まいに、戦闘に長けないギルレッグは威圧される。
「……テメェらに、訊きたいことがある!」
ギルレッグは恐怖で逃げ出しそうな身体に喝を入れるかの如く、声を荒げた。
ここで引き下がる訳には行かない。哀しみに溢れる長老に、顔向けができない。
「かつて、この地に住んでいた小人族を……。
ワシらの先祖をここから追いやったのは、魔狼族か!?」
小さな体に似合わない大きな声が、魔狼の鼓膜を揺さぶった。
……*
ギルレッグが怒りの感情を魔狼の長へぶつけたのと同時刻。
レイバーンとリタもまた、彼らを求めて洞窟内を進んでいた。
「それにしても、この山はすごいな」
しきりに天井を見上げては、レイバーンが感嘆の声を漏らす。
天然でこれほどの洞窟が出来ている事もそうだが、自分の巨体でも難なく通れているのだから無理もない。
「ほんとにね。私としては、レイバーンだけ置いてけぼりにならなくてよかったかな」
隣ではにかむのは、小柄な妖精族の少女。
リタもまた、嬉しかった。レイバーンはその巨体から時折行動を共にできない場合がある。
実際に彼だけが建物の外から話を聞いていたり、遺跡に入れないからと置いていった過去がある。
彼らの目的は獣魔王の神爪。自らの持つ神器に祈りを捧げるべき神。
その存在を教えて貰う事だった。
自分の知らない神の名に興味を持つリタ。
一人だと手持ち無沙汰なの事もあり、意気揚々とレイバーンの隣を歩いている。
「それにしても、この辺は本当に魔狼族が居ないんだね」
「そうだな。余がいると、面倒なことになるらしいからな」
レイバーンが通れる程広々とした空間にも関わらず、自分達以外が歩いている姿を見かけない。
鬼族と混血の可能性があるレイバーンを見せたくないというだけあって、行動範囲を絞っているのは本当のようだった。
「……レイバーンは、なにも悪くないのにね」
「フハハ。リタはそればかりだな」
レイバーンがどれだけ宥めても、リタの怒りは収まらない。
あまり怒って欲しくはないのだが、自分の為だと思うと愛おしく感じた。
「もう、くすぐったいよ」
大きな手が銀色の髪をひと撫でする。
髪が少し乱れた事よりも、彼の温もりがリタにとっては心地よかった。
リタの歩幅に合わせながら、ゆっくりと洞窟内を探索していく。
普段から暮らしているからか、この中では銀狼と黒狼の匂いが充満している。
レイバーンの鼻が活きず、彷徨ってしまっている。
「すまぬな、リタ」
「ううん、全然平気だよ」
無闇矢鱈に歩かせてしまっていると頭を下げるレイバーンだが、リタは気にしていない。
それどころか、こういうのもたまには良いと思っている。
実際、魔力の濃いドナ山脈の北側ではリタも相手を感知しづらい。お互い様なのだ。
「む、見つけたかもしれぬ」
「本当!?」
「うむ。しかしだな……」
「どうかしたの?」
しばらく歩いての事だった。レイバーンの鼻が、より強い匂いを捉える。
ただ、どうにもおかしい。洞窟内で匂い続けた物とは別の、知っている匂いを鼻腔が訴えてくる。
「……ギルレッグが、居るかも知らぬな」
「ギルレッグさんだけ?」
「うむ。シンやフェリーは居らぬな」
リタは首を傾げる。
全員が戻ってきたのなら兎も角、ギルレッグだけなのは何故なのか。
シンから、レイバーンの先祖が小人族の里を追いやった可能性は聞かされているはず。
妖精族の里に住む魔獣族を憎む理由はないと言ってくれたが、あくまで一緒に住む仲間の話にすぎない。
「ね、ねえ。レイバーン……」
胸騒ぎがしたリタは、レイバーンの歩みを止めようと試みる。
立ち止まったリタに釣られて、足を止めるレイバーン。
しかし、時は既に遅かった。
洞窟内に、ギルレッグの怒号が響き渡る。
「かつて、この地に住んでいた小人族を……。
ワシらの先祖をここから追いやったのは、魔狼族か!?」
「――っ!!」
リタにもはっきりと聴こえる、怒りの咆哮。
明らかに怒りの感情から発せられる怒号は、リタの血の気を引かせる。
(ギルレッグさん、どうして……!?)
クスタリム渓谷で魔狼族と邂逅していた時、ギルレッグは冷静だった。
故に、安心をしていた。確証も無く自分達の故郷を追いやったのだと詰め寄る事はないと。
その安心とは裏腹に、腹の底から発せられる怒りの声。
憶測は妄想で放っているものではない。確証を得たのだとリタが判断するのに時間を必要とはしなかった。
どうするべきかと逡巡するリタ。
しかし、ギルレッグは決して彼女を待ってはくれない。
次なる一言が、奥に居る魔狼に向かってぶつけられていた。
「……追いやっただけじゃねぇ。
テメェら、小人族を何人殺したんだ!?」
「――!?」
どういう事だと、リタは頭が真っ白になる。
空白の思考から一瞬。己を取り戻したリタ、真っ先にレイバーンの顔を見た。
「魔狼族が、小人族を……?」
「……っ」
リタの瞳に映るのは、呆然とするレイバーンの姿。
掛ける言葉を見つけられず、リタは口を閉ざす。
一方で、悪意はゆっくりと進行していた。
揺れる彼らの事情など、まるで意に介さずに。




