227.偽りの神器
一体どうしてこうなってしまったのか。
その答えを納得する形で出せる者など、シン達の中にはいなかった。
シン達は今、クスタリム渓谷の両脇に存在している山。その一方に存在する洞穴へ足を踏み入れた。
魔狼の里となっている山へ招き入れたのは、群れの先頭を務めていた黒狼だった。
初めは侵入者に対する警戒。だが、今ははっきりと憎悪に満ちている。
「だから、これは本物だと何度も言っておるだろう!」
獣魔王の神爪を見せた途端、魔狼達の顔色が変わった。
尤も、その感情の矛先は神器ではない。あくまで、レイバーン自身に向けられている。
「黙れ!」
眼前で自分達を見下ろすのは二頭の魔狼。
雪のように美しい銀色の毛に覆われた銀狼王、ヴォルク。
暗闇の象徴であるかのように漆黒に覆われた黒狼王、リュコス。
二頭の長により統率の取られた種族。魔狼族はそうやって、この地で生き延びてきた。
そして、その矛先が自分達へ向けられている。里へ招き入れたのは、あくまで周囲を取り囲む為だった。
向けられていた眼光から、いい話だとは全く思えなかった。
危険が高いにも関わらず、魔狼族の里へ足を踏み入れたのには理由がある。
獣魔王の神爪を見せた瞬間から、殺気立った相手を宥めるのは困難を極めるだろうと判断したのはシン。
囲まれていた訳ではないが、引き退ってしまえば魔硬金属の材料は手に入らない。
口に出した以上は、その意思を全うする必要があると提言をした。
もうひとつは、小人族をこの地から追いやった存在。
十中八九、魔狼族の仕業だとシンは判断している。今後に取ってプラスになるかは判らないが、確定した情報が欲しい。
本音を言えば、別の種族であって欲しかったと思いつつも。
しかし、シンの思惑や魔硬金属は蚊帳の外となる。
現在、取り囲まれている状況は専ら獣魔王の神爪の存在についてだった。
魔獣族に伝わる神器が、魔獣の間で争いを起こしかねない。理由すらも、判らないまま。
「貴様のような混ざり者が、よもや神器の継承者を騙るなどと!」
ヴォルクが声を荒げると、賛同するかのように周囲の魔狼が雄叫びを上げる。
洞穴の中で反響する魔狼の声。小人族の長老に至っては、迫力にすっかり威圧されてしまっている。
「騙るも何も! 獣魔王の神爪は余が歴とした継承者だ!」
レイバーンが白銀の爪を掲げると、力強い光が洞窟の中を明るく照らした。
彼にとっては、正当な継承者だと証明する為の行動。
「獣魔王の神爪は、そんなニセモンじゃねぇ!」「恥を知れ!」「獣人風情が、調子に乗るなよ!」
周囲を取り囲んでいる魔狼が、次々と罵詈雑言を並べていく。
魔狼族にとっては、あり得ない事象。
「〜〜っ! 偽物なんかじゃないです! レイバーンが持っているのは、紛れもなく神器です!
それに、どうして獣人をバカにするんですか!? 同じ、魔獣から生まれた一族じゃないですか!」
レイバーンへ向けられる嘲笑に耐えきれなくなったのは、リタだった。
妖精王の神弓を構え、光の矢が生成される。
明確に発せられる強大な力に魔狼は一瞬慄くが、威嚇だと気付くとまた蔑むような言葉を並べた。
「それはあくまで、貴様らが言っているだけに過ぎぬ」
「だったら、偽物って言っているのも魔狼族だけじゃないですか!」
下唇を噛み、鼻息を荒くするリタに感化されたフェリーも爆発寸前だ。
次の一言で、今度は彼女が飛び出しかねない。
正直な話、魔狼族の振る舞いにはシンも頭に来ている。
フェリーとリタが怒りを露わにしているから、踏み止まっているに過ぎない。
だが、彼女達のおかげでシンは冷静になれた。
この場で発生している妙な認識の齟齬に、いち早く気がつくことができた。
何故、獣魔王の神爪を偽物と断定するのか。
何故、周囲の魔狼がここまで吠えているにも関わらず、二頭の長は強硬策には出ないのか。
仮説を確信へ変える為に、シンは二頭の魔狼を見上げた。
「……アンタらは、俺の話を聴くのと俺の質問に答えるの。どっちがいい?」
突拍子のない発言に味方すらも目を丸くする。
特にフェリー、レイバーン、リタの反応は顕著だった。
「シン、どしたの……?」
「シン……!?」
「シ、シンくん?」
自分でも説明が足りないとは思う。けれど、ここはあくまで魔狼族が住まう地。
二頭の長が自分のメンツを大切にするのであれば、きっと意図は伝わるはずだとシンは信じる。
「人間風情が、一体何を――」
「ヴォルク」
蔑む視線を送るヴォルクだが、リュコスが彼を制する。
シンの眼を見るように促され、銀狼はその通りに従った。
彼は真っ直ぐに自分達を見上げているだけではない。
時折、視線を獣魔王の神爪へ流している。
取り囲んでいる魔狼には見えないよう、自分達にだけ訴えていた。
まずはリュコスが。続いてヴォルクが彼の言わんとする事を察する。
この男は自分達が隠している事に気がついている。好き勝手に話をさせてはいけないと悟った。
「……お前は、何が訊きたい?」
周囲の魔狼からどよめきの声が漏れる。普段から相手を高圧している銀狼からは、考えられない発言。
思い返せば、ここまで連れてきた黒狼もだ。何故、こうも消極的なのかと頭を悩ませる。
力付くでの口封じではない事。加えて質問に答えると言った事から、シンは自分の目論見が上手く行ったのだと確信した。
ならばと、シンはここへ来た本来の目的。魔硬金属の原材料を尋ねる。
「さっき話した通り、俺たちは魔硬金属の材料となる鉱石を探している。知らないか?」
「知らぬ。興味もない。見つければ、好きに持っていけばいいだろう」
魔狼族にとって、これは本心だった。
魔硬金属は元々原材料となる鉱石に小人族の技術が合わさって出来上がる金属。
小人族ほどの知識もなければ、製錬技術のない魔狼族にとっては路傍の石と変わらない。
「訊きたいことはそれだけか?」
「いや、もうひとつある」
黒狼の言葉を、返す刀でシンは制止する。
魔硬金属も重要だが、結局はこの問題を放置してこの場が収まるはずもない。
欲を言えば小人族を追いやった種族を訪ねたかったが、この場では火種にしかならないとこの場は堪えた。
「どっちが、獣魔王の神爪の継承者なんだ?」
シンの投げた巨大な爆弾は、この場にいる全員を閉口させるには十分だった。
洞窟を通る風の音が、いやに耳に入り込んでくる。
「え? どゆこと?」
レイバーンの持つ獣魔王の神爪と、シンの顔をフェリーは交互に見返す。
シンは至って真剣で、冗談を言っているとは思えない。そもそも、こんな冗談を言う性格ではないと知っている。
フェリーは状況が掴めず、ただただ混乱するだけだった。
「シン。お主は一体、何を言っているのだ……!?」
混乱しているのはフェリーだけではない。レイバーンも動揺のあまり瞬きを繰り返す。
獣魔王の神爪は間違いなく自分の持つ神器。魔狼族の長が持っているはずもない。
狼狽える仲間とは正反対に、周囲を取り囲んでいる魔狼の様子がおかしい。
あれだけレイバーンが本物だと主張していても、嘲笑うだけだったのに今回はそれが起きない。
むしろ、感心しているかのような声すら聞こえて来る。
「……オレだ。オレが正真正銘、本物の獣魔王の神爪の継承者だ」
歯軋りをしながら、銀狼が取り出したもの。
白銀の爪を携えた武器。それは、紛れもなく獣魔王の神爪だった。
全員の視線が、一斉にヴォルクの持つ獣魔王の神爪へ集まる。
遠目では、レイバーンの持つ神器を瓜二つで区別がつかないだろう。
「え? どゆコト?」
「シン、お主は知っていたのか!?」
何が何だか判らないと、フェリーは頭をぐるぐると回す。
レイバーンに至っては、シンへ思わず詰め寄ってしまう程だ。
「あれだけ偽物だと断定していたんだ。本物の在処を知っていないと不自然だろう」
「あ、そっか」
偽物だと蔑んでいたのは、魔狼族が本物を持っていたから。
得心がいったと、フェリーがポンと手を合わせる。
「む、では余の獣魔王の神爪は本当に偽物だったということか……?」
「落ち着け。そういう意味じゃない」
シンはあくまで、魔狼が偽物だと断定する理由を語ったに過ぎない。
実際にレイバーンの持つ神器が偽物だったとすれば、魔狼族にとって話はもっと単純だったのだ。
シンの仮説を後押ししたのは、実際に神器を操る二人。
リタとギルレッグは、シンの意図に合わせるべく非常に小さな声で呟いた。
「レイバーンの持っている方が、本物だよ。あっちは神の意思を感じないもん」
「リタの言うとおりだ。魔狼族が持っている神器は、明らかな模造品だな」
妖精王の神弓を持つ妖精族の女王と、小人王の神槌を持つ小人族の王。
彼らは見た目ではなく、実際に神器を感じ取っていた。神に祈りを捧げ、認められたからこそ判る感覚だった。
「じゃあ、どうしてあのワンちゃんたちは神器を持ってるってウソつくの?」
自分だったら、偽物の魔導刃を受け取っても嬉しくない。
ちゃんと使える武器を持てばいいのにと、フェリーは小首を傾げる。
「……それは、色々と事情があるんだろうな」
シンは再び、二頭の魔狼を見上げる。
その片割れである銀狼。自称、神器の継承者は苦虫を噛み潰したかのように端正な顔を歪めていた。
(やられた、この人間……!)
ヴォルクの抱いている感情とは別物だが、思考としてはリュコスもほぼ同じ状態へ辿り着いている。
きっとこの男は、初めから自分達の持つ獣魔王の神爪をこの場に引き摺り出すつもりだったに違いない。
不幸中の幸いなのは、シンが暴くような形ではなく質問形式にしたという事。
この場で万が一にでも自分達の持つ獣魔王の神爪が偽物だと知られれば、魔狼族の統率に影響が出る。
魔狼の群れをひとつの軍隊と呼べるほどに鍛え上げるまで、神器の威光をどれ程使ったか判らない。
真実を知っているのは、自分と黒狼だけ。
隠してきた真実を、たったあれだけの会話で見抜かれてしまった。
それだけの自信から放たれる言葉で、二頭の狼は確信を得た。あの狼人が持つ獣魔王の神爪は本物なのだと。
シンが声を大にしない理由も、二頭の狼は察した。
彼らはこの地を訪れた目的をはっきりと口にしている。魔硬金属とやらの材料となる鉱石を求めたのだと。
客人としてもてなせという意味ではない。邪魔をするなという警告。緩やかな脅しにも似た、交渉だった。
脆弱な種族にいいようにあしらわれ、銀狼の誇りはズタズタだ。
一方で、争う理由までは生まれていない。自分達を崩壊させるつもりはないのだと、はっきりとした意思を示している。
「……よくぞオレが神器の使い手だと見抜いたな、人間」
「そう言う性分でな」
さらりと言ってのけるシンに、二頭の長は思わず笑みを溢した。
これでもまだ、自分達の化けの皮を剥がそうともしない。
ならば相応の扱いをと、ヴォルクとリュコスは自らの居住スペースへ案内をする。
どよめきの起こる魔狼を、銀狼の遠吠えが黙らせていた。
……*
魔狼族の住まう山。その向かい側にある山に建てられているのは、鬼族の城。
黝い身体に、鉄板のような胸板。そして魔力による圧倒的な筋力の増強を携えた鬼族の王、オルゴ。
彼は招かれざる客であるアルジェントを、玉座から見下していた。
「いやさぁ。元々デケェのに、そんなふんぞり返ってたらオレっちなんて見えないでしょ?」
「本当なら、テメェみてぇな虫ケラを見る必要もねぇんだよ。
オレ様の可愛い子分を可愛がってくれなきゃよ?」
アルジェントの眼前に突き立てられるのは、漆黒の爪。四枚に連なる刃が、床を突き抜ける。
鬼族の持つ神器。鬼武王の神爪が、牙を向く。
「テメェみたいなガキ、オレ様の神器で三枚に下ろしてやってもいいんだぜ?
そうだな。まずは子分が可愛がられたように、手首からってのもアリだな」
口元が避けるように開き、牙の隙間から涎が糸を引く。
垂らさないでくれよとは思っているが、アルジェントは決して余裕の笑みを崩さない。
彼はとうに気付いている。鬼武王の神爪が紛い物であると。
「神器、ねぇ……」
自分より遥かに大きな存在を前にしてもアルジェントは一歩も退かない。
それどころか、自らの眼前に突き立てられた鬼武王の神爪へ瑪瑙の右手を伸ばした。
「神器が珍しいのか? 安心しろ、今から泣いて叫んでも味合わせてやるからよ。テメェの肉でよ」
「いや? そんなのは求めてねェけど。ま、ある意味では味わうか」
「ハァ?」
あくまで強気の姿勢を崩さないオルゴを、アルジェントは鼻で笑う。
移植した右腕は、彼に神器の温度を伝える事はない。代わりに、紛い物であるという証拠を彼に伝えた。
「……な、なんだ!? テメェ、何をしやがった!?」
狼狽える鬼族の姿に、アルジェントは笑いを堪える。
一瞬にして、鬼武王の神爪だった物は姿を変えた。
接収によって札となり、アルジェントの右腕に収められている。
「あー、やっぱニセモンだったなァ。
鬼族の王様。これ、どうすんの?
アンタが神器の継承者じゃないなら、後ろをついてきてくれるお仲間はいるのかなァ?」
彼は知っている。人間以外の種族に於いて、神器が王の証とする事は珍しくない。
世襲制ではない種族であるなら、尚更だ。
オルゴの狼狽え方からも、この男には神器が必要なのだと確信をした。
「オレっちが、黙ってればいいんだろうけどな?
それとも口封じしてみる? 失敗したら終わりだろうけどよォ」
煽るように。しかし、確実に効果のある方法で。
アルジェントは鬼族の支配権をその手中に収めようとしていた。
偽りの神器を持つふたつの種族は、意図せず魔硬金属を巡る戦いに巻き込まれようとしていた。




