225.魔狼と鬼と悪意
東へ進み続けて、二週間ほどが経過した。
果てなき荒野を駆け抜けると思えば森や山、草原だって存在する。
沼地だってあるし、中々一筋縄では行かない旅となっている。
人間の住む世界だって深い森や朽ちた遺跡は大量に存在する。
それでも、まだ整地されている方なのだと思い知った。
戦車のおかげで移動が楽になったとはいえ、移動時の揺れは激しい。
気を抜くと小人族であるギルレッグや長老が外に放り出されかねない。
曳いている魔犬の負担も考慮すると、速度は落とさざるを得ない。
食糧の問題もある。
詰め込んだ量には限りがあり、とても往復は出来ない。現地調達は必須だった。
道中に立ち寄った他種族の集落で分けて貰えた場合はいい。
しかし、外から見ればこの歪な集団がネックとなる事もある。
魔獣族に妖精族、小人族。そして人間。
一体どの種族がどの種族を売り捌きに来たのだと、訝しまれる事も少なくない。
心外ではあるが売りに来たと噂されてしまうのは、人間と魔獣族のツートップだった。
「もう、シツレーだよ!」
「本当だよね! レイバーンもシンくんも、とっても優しいのに!」
フェリーやリタは憤慨していたが、シンはある程度の理解を示していた。
接点のない種族が急に訪れたのだ。それも複数も。警戒をするのが普通の反応だ。
アルフヘイムの森から離れるにつれ、居住特区の存在を知る者は減っていく。
単一の種族で集落を作るのは珍しくない。自分達だって、基本的には人間だけで構成された街や村に住んでいるのだから。
「ま、仕方がねぇことよ。レイバーンなんて背丈はワシらの倍以上あるんだ。
摘んで連れて来られたって言われても納得しちまうだろ」
「レイバーンはそんなことしません!」
「わ、悪ぃ……」
場を和ませようとしたつもりだったが、今のリタに冗談は通用しない。
逆に火に油を注いでしまう結果となってしまった。
「す、すまぬなギルレッグ。そんなつもりではないと、リタもきちんと分かってはいるのだが……」
「気にすんなって。ワシもデリカシーが無さすぎた。
お前さん、愛されてんな。大切にしてやれよ」
「無論だ!」
白い歯を見せるギルレッグを前にして、自らの胸をドンと叩くレイバーン。
こんな光景も威圧しているように見えるのだろうかと、シンはぼんやり眺めていた。
……*
更に二週間が経過した。
旅が進み、稀にではあるが自分たちを受け入れてくれる集落が増えてきた。
アルフヘイムの森から離れて行っているにも関わらず、だ。
「ふむ。この魔獣族の王である余と、友人であるシンに襲い掛かろうなどとは」
「その説明だと、俺はなんの枠なんだ」
受け入れてくれた集落には、時折罠が潜んでいた。
寝静まった頃を見計らって、追い剥ぎやその身を売り払おうと企てる者達。
周辺で見かけない種族であるから、足はつかないだろうと考えの事だろう。
彼らにとって不幸だったのは、喧嘩を売ろうとした相手に魔獣族の王がいたという事。
その身分を明かし、命乞いをしたとしてももう遅い。あっという間に、返り討ちに遭ってしまう。
尤も、レイバーンは心根の優しい男だ。
命乞いをする者が御涙頂戴の話を持ちかけると、絆されそうな場面もあった。
温情に塗れて動きが鈍る彼とは正反対に、シンは一切の容赦をしない。
流石に血が流れれば、フェリーやリタも夜中に何かが起きたのだと察してしまう。
彼女達を心配させまいと振る舞った結果なのだが、それが逆に悪漢に精神的外傷を植え付けてしまったらしい。
「そこのヒトたち、すっごくやさしかったね!」
「うん、こんなに食べ物も貰っちゃったし。帰りに、改めてお礼をしないとだね」
戦車の中で呑気に話しているフェリーとリタ。
野営とは違い、気を張らずに済むという安心感から彼女達はゆっくりと睡眠を摂る事が出来たようだった。
厚意で貰ったと思っている物の大半は悪漢が命乞いをした結果とは露知らず、他人の厚意に感謝をしていた。
「昨日は、そうだったんだな。その、いつも悪いな……」
疲れを残しているシンとレイバーンの様子を見て、ギルレッグは大方の事情を察した。
嗅覚と聴力に優れているレイバーンはともかく、人間であるシンはどれだけ気を張っているのだと心配にすらなる。
自分も助力できればとも考えるのだが、小人族は戦闘に向いた種族ではない。
足を引っ張ってはいけないと、自重している。
「気にするな。どうせ放っておいても俺が気になるだけだ」
「そうか……。苦労をかけるな」
だが、何も悪い事ばかりではない。
こういった輩が現れる一方で、気になる話を入手する事もあった。
自分達を寝泊まりさせてくれた、好意的な集落。その住民からの話になる。
「アンタらを受け入れる理由? そうさねぇ……」
何事もなく、一泊が出来た次の日。
寝床を提供してくれた鳥人族の女性に、シンは尋ねた。
厚意を受けた相手を訝しむので、フェリーから「シンのあんぽんたん」と呟かれながら。
「ま、東の奴らに比べたら無害そうだったからね。一晩泊めるぐらいなら、別にいいかなと思ったんだよ」
明瞭な笑顔でそう返答する女性。実は、好意的に接してくれた相手から似たような事を何度か言われた。
東の鉱山周辺で群れをなしている種族がとても横暴で、力で周囲を屈服させるような無頼漢なのだと。
彼女から聞いた話では、銀色の体毛を持つ巨大な獣を中心とした群れ。
実物を見た事はないが、雪に姿を隠して奇襲を仕掛ける様は恐怖の対象になっているという。
「……シンくん、もしかして」
リタもシンと全く同じ心配をしているようだ。
元々小人族が住んでいたという方角で群れをなしている獣。
どうしてもレイバーンの祖先と結びつけてしまう。
「まだ、早計だ。実際にこの眼で見る必要がある」
「そ、そうだよね!」
彼女を安心させる為に言った部分はあるが、シンもまた答えを出せずにいた。
似たように東で群れを作る存在が粗暴だという話は、ここ以外でも耳にしている。
にも関わらず、どうにも自分の中で輪郭がぼやけてしまっている。
初めはレイバーンとの関係性を本能的に否定をしてしまった結果、無意識のうちに明確な姿の想像を拒否しているのだと考えた。
情報が増えるにつれて、そうではないとシンは断定した。思い浮かべる姿像がふたつに分かれていくのだ。
ひとつは、巨大な獣の姿をした存在。
銀色の魔獣を首領に据えた魔獣族の群れ。断定はできないが、レイバーンの祖先と関係があるとすればこちらだと考えていた。
その考えも、もうひとつの存在によってシンの考えを惑わせていく。
巨人のような姿を連想させる、ゆうに3メートルを超える身体。
分厚い胸板から繰り出される、金棒の一撃はどんなものであろうと叩き潰していくという。
巨体や力強さを引き合いに出されると、レイバーンとの接点を思い浮かべてしまう。
もしかすると、本当に単一の種族なのかも知れない。
だが、互いの情報を得る時には、もう片方の情報を得る事がないのだ。別の存在である可能性を思い浮かべてしまうのも無理はない。
頭を悩ませるシンをよそに、戦車は進んでいく。
小人族がかつて住んでいたという渓谷までは、もう目と鼻の先まで近付いていた。
……*
旧小人族の里が存在する渓谷。
向かい合う山を縄張りに、ふたつの種族が領地を求めて日夜争いを繰り広げていた。
魔硬金属の原材料となる鉱石には興味を示していない。
互いの矜持が、いつしか憎しみに変わっていがみ合う。
白銀の大狼と漆黒の大狼が率いる、魔狼の一族。
氷を操る銀狼と大地を操る黒狼から成る狼の群れ。
対となる二頭の狼から繰り出されるコンビネーションは凡ゆる獲物を喰らい尽くしてきた。
渓流を凍らせ、動きを封じる銀狼。
雪でも降れば、周囲一体は彼らの領域となる。
対する黒狼は、大地そのものに干渉をする。
魔力の籠った遠吠えは火山を呼び起こし、侵略を試みる外敵から仲間を守る。
向かい合う山に存在する種族は、鬼族。
大昔に巨人族と魔族が交わった結果、誕生した戦闘力に長けた種族。
3メートルはゆうに超える体躯と、頭に生えている角。
各々の魔力特性に応じた体色を持ち、筋肉質な身体も相まって見る者を圧倒する。
彼らはそうやって、この地に蔓延り続ける。
かつて追い出した小人族の事など、代が変わる毎に記憶から薄れていく。
彼らの視線の先に居るのは、専らお互いの存在。因縁の原因ですら、とうに曖昧だというのに。
危険な水準ではあるものの、膠着状態を保ってきたふたつの種族。
このまま永遠に続くかと思われた均衡は、唐突に現れた一人の男によっていとも容易く天秤を傾かせる。
「よォ、オレっちはアルジェントってもんだ。早速で悪ィんだけどよ。
――ちょいと、魔硬金属の材料を分けてくんねェかな?」
敬意も誠意も、何ひとつ感じさせない男。
アルジェント・クリューソス。『強欲』に適合した、人間の男。
鬼族は厳つい顔を更に強張らせ、アルジェントを威嚇する。
自分達から見れば、赤子に等しい存在。触れれば折れてしまいそうな華奢な身体。
右腕に装着している純金の鉄甲から異様な雰囲気を醸し出してはいるが、彼自身の態度で侮られている。
「なァ? オレっちも忙しいのよね。出来れば、サクッと貰えるとありがたいんだけどよォ。
あ、もしかしてその立派な棍棒が魔硬金属とか? だったら、それをくれるだけでいいんだけどさ」
やれやれと溜息を吐くアルジェント。彼の言動ひとつひとつが鬼族の神経を逆撫でする。
城門を護る鬼族も、虫ケラのような存在に小馬鹿にされたままでは引き下がれない。
「去れ。人間風情が、この地まで訪れたことは褒めてやる。
だが、貴様のような矮小な存在が己を大きく見せようと虚勢を張っても虚しいだけだ。
来たことを後悔する前に去って、精々人間の仲間に自慢するといい。鬼族の姿を一目見ることが出来たのだと」
赤い身体を持つ鬼族は、アルジェントを見下しながら息を吐いた。
自分より遥かに高い場所から吹かれた吐息は、鍛え上げられた肺活量もあってアルジェントの身体を揺らす。
「おいおい、やめてやれよ。吹けば飛びそうじゃねえか。
人間はちょっと地面に叩きつけられただけで死ぬって聞いたぜ?
これじゃお前、自慢話すら出来なくなっちまうよ」
青い身体を持つ鬼族は赤い鬼族を宥めるように言っているが、明らかに小馬鹿にしている。
自分達の相手はあくまで魔狼。ドナ山脈を超えた先、魔力の薄い地域でふんぞり返っている人間など眼中にはなかった。
彼らの認識は概ね間違っていない。大半の人間は、鬼族よりも脆弱なのだから。
一方で彼らには足りないものがある。こんな場所に単独で現れる人間が、普通であるはずがない。
想像力も認識も甘い言動は怒りを買う。いや、怒りですらない。
実力差を、立場を、蹂躙するのはどちらなのか。邪神に認められた男がそれらを理解させる。
「うーん。オレっちも大人気ないって自覚はしてんだけどな。
あんまナメられっぱなしなのもよくねェよな。世界再生の民の皆にも合わせる顔がねェし」
純金の鉄甲を外し、瑪瑙の右腕を曝け出す。
自然にできた者とは思えない彼の右腕を前にして、鬼族も流石に目を奪われる。
「おえっ! なんだそれ、気持ち悪いんだよ」
「毒でも仕込んでいるのか? その程度で鬼族が怯むと思われているのなら心外だ」
だが、アルジェントの評価を覆すほどではない。
矮小な存在が気味の悪い右腕を曝け出した。彼らにとってはその程度の認識だった。
「はぁ。デカいからかね? 全くもって鈍い奴らだ。
ここまで危機感がないは救えねェ」
肩を竦め、アルジェントは大きな溜息を吐き棄てる。
やれやれと首を左右に振りながら、『強欲』を気持ち悪いと断じた青い鬼族へと近付いていく。
「何をブツくさ言ってんだ? テメェは。
オレ様がこの指で弾くだけでお前は死んじまうぐらい弱いってこと、自覚した方がいいんじゃねぇのか?」
青い鬼族は身を屈め、視線をアルジェントへ合わせる。
中指に力を込め、親指で押さえ込む。この中指を解放しただけで、人間程度なら吹き飛ばすことが出来る。
運が悪ければ身体はバラバラになるのだと、鼻で笑う。
「あん? そんなことは出来るようになってから言えよ」
対するアルジェントは、一枚の札を取り出した。
見たこともない物体に、鬼族の興味が惹かれる。
少なくとも、青い鬼族は気付くべきだった。この札と瑪瑙の右腕が持つ威圧感に。
札が視線を集めたのはほんの一瞬。正確に言えば、ほんの一瞬しか彼らの前に姿を見せなかった。
刹那、かがみ込んでいた青い鬼族の中指が彼の手から斬り離される。突如現れた剣によって。
「あぁぁぁぁぁっ!? オレの指が……っ!?」
「はっ、指だけじゃねェよ」
狼狽える鬼族を前にして、アルジェントは含み笑いを見せる。彼の言葉に偽りはなかった。
斬り落とされた中指だけではない。その斬り口から手首まで、連鎖するかのように爆発をしていく。
幾度もの爆発を重ねて、青い鬼族の右手はその手首から先が燃え尽きてしまった。
炸裂の魔剣。彼が接収によって札へ封じ込めていた、魔術付与の施された剣。
埋め込まれた魔石に魔力を蓄える事で、斬り口から爆発を連鎖させる。魔石は使い捨ての為、使用回数は限られている。
アルジェントはその貴重は一撃を、ここで放つ。どちらが格上なのか、立場というものをハッキリとさせる為に。
「あ、ああ……」
「き、貴様っ! 一体何を――」
自分を馬鹿にしていた存在が目の色を変える。賭博でもそうだ、勝ち誇っている相手に一泡吹かせるのは気持ちがいい。
含み笑いをしながら、アルジェントは鬼族を見上げた。
「今のはそっちが無礼を働いただかんな? オレっちはただ訊いてるだけなのよ」
「わ、わかった! オレが悪かった! だからその剣を仕舞ってくれ!」
肩にトントンと炸裂の魔剣を当てるだけで、青い鬼族はその身を震わせる。
身を持って経験した彼だけではなく、その怯える様子だけで赤い鬼族もアルジェントを見下すような真似はしなくなっていた。
「で? 魔硬金属の材料、どこにあんの? 別に魔硬金属自体をくれてもいいんだけど」
不適な笑みを浮かべながら、アルジェントは自分よりも遥かに大きな存在を見下していた。