222.朧気な懸念
久しぶりに妖精族の里へ帰ってきたにも関わらず、慌ただしさが途切れる気配はない。
マレットから呼ばれ、シンとフェリーは研究所へと足を運んでいた。
「――というわけでだ。シン、久しぶりにアタシの依頼を請けてくれよ。
目的は魔石じゃないけど、見つけたらついでに拾ってきてくれてもいいぞ」
10年前。まだ自分が少年だった頃の話。
ゼラニウムの冒険者ギルドへ赴いては、マレットの依頼を受注していた事を思い出す。
もっと言えば更に前、自分が駆け出しの冒険者だった頃。
身の丈に合わない魔物退治を引き受けて、死に掛けた事も思い出してしまった。
家族に心配かけまいとする自分に、休む場所として屋敷の一室を貸してくれたのが目の前に居る白衣を着た女性。
街の外れで独りぽつんと住んでおり偏屈な人物だと思ってみたが、話してみるとそうでもない。
後日、礼をしに屋敷へ向かった際に魔石の採掘を頼まれたのが切っ掛けで今に至る。
腐れ縁ではあるが、頼りになるし助けられた。
「それは構わないが、俺は魔硬金属なんて見たことがないぞ。
材料の鉱石となったら、尚更だ」
「心配すんなって、ちゃんと案内役は用意してる」
「案内役?」
マレットは栗毛の尻尾をひらひらと揺らしながらふんぞり返っている。
自信満々な彼女に促され姿を現したのは、真っ白な髪や髭を蓄えながらもその筋骨隆々な肉体が老人だとは思わせない。
小人族の王、ギルレッグ。隣には、かつて小人族の里で土の精霊を憑依させた長老までもが居る。
「おう、悪いなニイちゃん。帰ってきたばっかりなのによ」
「よろしく頼みますじゃ」
豪快に笑うギルレッグと対照的に、小刻みに震える小人族の長老。
シンは「まさか」と呟いたが、ケタケタと笑うマレットを見る限りその「まさか」だった。
隣では状況に追い付けていないフェリーが小首を傾げている。
「案内役はギルレッグのダンナと、小人族の長老だ。
ダンナも実物は見たことがないらしいから、長老を連れて行った方がいいと思ってな。
ま、よろしく頼む」
「悪いが、もう少し詳しく話して貰っていいか?」
魔硬金属以前の問題だった。
小人族の王であるギルレッグですら、実物を見た事のない金属。
どう見積もっても、この周辺で採れる物ではないだろう。
「そりゃそうだよな。ニイちゃんたちは、ワシらがあの穴倉へ移住したと話しただろう?」
「ああ」
頷くシンに合わせるように、フェリーがコクコクと頭を上下させる。
マレットに「覚えてなかったんだろ?」とからかわれるが、「ちゃんと覚えてるもん!」と上擦った声で返していた。
「元々、ワシらが里として暮らしていた場所で採れる鉱石。それを元にして生成される金属が、魔硬金属だ。
瞬間的に爆発する魔力を受け止めても、形を保つ程の強度を誇る。魔硬金属を造ることは、小人族にとっては名誉だったらしい」
「あぃ。その通りですじゃ」
小刻みに身体を揺らしながら、長老はゆっくりと頭を上下に動かす。
彼は現存する小人族で唯一、実物の魔硬金属を見たことがあるとギルレッグは語る。
尤も、当時少年だった彼は製造にまでは至っていない。あくまで材料となる鉱石を、見分けられるというだけ。
「というわけでだな、ワシら小人族にとっても魔硬金属の製造は失われた技術だ。
再現するにも手探りで進めていかにゃならん。そう言った意味で、出来るだけ多くの鉱石が欲しいんだ。
お前さんはこういった採取に慣れているらしいじゃねぇか。よろしく頼む」
広い髭が地面に触れそうなほど深く、ギルレッグは頭を下げた。
オリハルコンが必要となった経緯は兎も角、彼も蘇らせたいのだ。失われてしまった、小人族の秘術を。
「頼むも何も、元々はマレットが必要になったんだろ?
俺からすれば、断る理由はない。こちらこそ、よろしく頼む」
「甘いぞシン! 転移魔術の言い出しっぺは、オリヴィアだ! 元請けはオリヴィアになる!」
「あー、分かった分かった。それよりも、移動手段はどうするんだ?
新しくマナ・ライドを組み立てるのか?」
マレットとピースが使用していたマナ・ライドはミスリアで結界の魔法陣に魔力を供給させている。
妖精族の里に現存するマナ・ライドは一台もない。
「それも考えたんだがな。四人乗りで帰りは荷物が増えるだろ?
こないだの船で、大きい魔導石は使っちまったんだよな。
新しく造るまで、出力の小さい魔導石しか手持ちにない」
船を分解するいう手もあるが、あくまで最終手段に取っておきたいと彼女は言った。
シンも同様だった。カタラクト島といい関係が築けた以上、いざという時の移動手段は残しておきたい。
「……一応確認するが、旧小人族の里はどの辺りなんだ?」
小人族の長老は、プルプルと震える指を東へ突き出す。
「ここから、ずっと東。大陸の、端ですじゃ……」
「端か……」
移住した経緯を考えると、決して近くはないとは思っていた。
大陸の端まで移動するとは、思っていなかったが。
シンは頭を悩ませる。自分やフェリーだけならまだしも、案内人としてギルレッグと長老が居る。
ただでさえ歩幅の小さい小人族。ついでに言えば、老人が居るのだ。大陸を徒歩で横断するには無理がある。
「一応、四人乗りのマナ・ライド造るか? 帰りは相当速度が落ちると思うけど」
「そうだな……」
やむを得ないと、マレットの提案に乗ろうとした時だった。
「はいはいっ! はーい!」
フェリーが元気いっぱいに手を伸ばして、自分の存在をアピールしていた。
妙案があると言わんばかりに、ぴょんぴょんと飛び跳ねて金色の髪が宙で踊っている。
「なにしてんだ? 構って欲しいのか?」
可哀想な眼で見るマレットに、フェリーは「違うよ!」と肩を震わせる。
「レイバーンさんの戦車はどう? ほら、前にシンがさらわれたやつ!」
「あれか……」
掘り返した記憶の先には、天地が逆になった状態でガタガタと揺れる景色が浮かび上がった。
その先に居る自分よりも遥かに背丈の大きい、魔獣族の王。隅に座っている側近の狐の獣人。
まだ右も左もわからない状態でフェリーと引き離された時は、どうなる事かと思った。
「……乗り心地は、最悪だぞ?」
「でも、おっきかったしみんな乗れるかなって」
フェリーの言う通り、レイバーンが乗る事を想定している為か、戦車の面積は広かった。
人間や小人族であれば、もっと広々と使えるだろう。魔犬が曳いている事もあって、速度も決してマナ・ライドに引けを取らない。
「……レイバーンに訊いてみるか」
「うん!」
「ていうか、なんでお前攫われてんだよ」
ニコニコと笑顔を見せるフェリーの傍で、呆れたマレットがため息を吐いていた。
……*
レイバーンはその体躯故に目立つ。
城から妖精族の里へ赴いている時は、周囲の住人が勝手に噂をしてくれるので探す手間は必要ない。
今日の彼は、イリシャと共に子供達の遊び相手になっていた。
「余の戦車を借りたいのか? 友人の頼みだからな、勿論良いぞ!」
「助かる。というか、何をしているんだ?」
真面目な話とは裏腹に、眼前に映る魔獣族の王はとても王とは思えない恰好をしていた。
四つん這いになっているレイバーンの上に、四名の子供達が乗っている。
平らではない彼の背中を、両手を広げてバランスを取りながら立っている姿は異様な光景だった。
「シン、知らないの? あれはね、『立ちんぼ』だよ」
「全然知らん」
フェリーはさも当然のように言ってのけるが、その単語に全く心当たりは無かった。
イリシャが笛を持っているところを見ると、彼女が審判のような存在だという事だけが辛うじて判る。
ルールはどうやら単純で、レイバーンの背中にどれだけ立っていられるかを競っているようだ。
足の裏以外がどこかに触れると負け。判定をする為か、イリシャはぐるぐるとレイバーンの周りを回っている。
「勝ったらね、レイバーンに肩車してもらえるのよ。
凄い高い景色だからって、みんな張り切ってるの」
「報酬がそれなら、リタも参加しそうだな」
イリシャは「正解ね」と言いながら、くすくすと笑う。
実際、過去にはリタが参戦しようとした事があるらしい。
流石に勝負にならないと言ってイリシャが止めると、リタが頬を膨らませてしまう。
レイバーンが「リタなら、いつでも肩車するぞ」と笑っていたので彼女は照れながら頬を緩めていたという。
「リタも最近は忙しそうだし、中々レイバーンとも会えなかったりしたものね。
きっと構って欲しかったのよ。……あ、カラカル! 今、手をついたでしょ」
話の途中でも、決して審判は目を離さない。
笛を口に咥え、甲高い音を鳴らして脱落者の名を呼んでいた。
妖精族の里へ戻ってから、リタとはあまり会話する機会が得られなかった。
シンに至っては、妖精族の書物を翻訳する時に相談されたぐらいではないかとさえ思う。
イリシャは「思ったよりはここにも顔を出しているから、気にしなくていいわよ」と言っていたが。
慌ただしく動く背景には、レチェリの存在が関係していた。
かつて妖精族の里を混乱に陥れた、滅びた国の間者。
己の出自さえ不明だった彼女は、マレットの手により半妖精という事が判明した。
リタは裏切り者である彼女をずっと気にしていた。
それは、自分が理想とする世界では彼女のような存在が増えるだろうと見据えての事。
同時にレチェリが己を卑下しなくてもいい世界にしなくてはならないという決意。
妖精族と魔獣族だけではなく、今や人間と小人族も住んでいる。
後は妖精族と魔獣族さえ説得できれば、彼女は新しい世界の導として妖精族の里で暮らす事が出来る。
そして、リタとレイバーンはやってのけた。自分達の王を脅かす存在を赦すという事を、全員に理解してもらった。
「リタちゃんもレイバーンさんも、ガンバったんだね」
「ああ、そうだな」
生まれるはずだった溝を懸命に塞いで、存在する壁をゆっくりと破壊していく。
短期間で周囲の納得が得られたのも、どれだけ王として慕われているかを証明している。
目の前にある異様な光景も、二人の努力の証なのだろう。
白熱している『立ちんぼ』にシン独りだけがぽつんと置いてけぼりを喰らっているが、きっとそうなのだと言い聞かせていた。
……*
「ふう、待たせたな」
「……本当にな」
勝者である人間の少女、ヒメナへの報酬は一時間にも及んだ。
既に空は夕焼けで染まっており、妖精族の里を朱で鮮やかに染めている。
彼女はシンとレイバーンがギランドレへ向かった際に、保護した子供の一人だ。
だからだろうか、彼女はレイバーンをとても慕っている。イリシャ曰く「リタが嫉妬する」レベルで。
「戦車の話だったな。勿論、シンたちの力になるなら使ってもらう分には構わぬ。
ただな、出来るなら余も同行させてもらいたいのだ」
「レイバーンさんも?」
思わぬ要望にフェリーが小首を傾げる。
夕陽に充てられた彼女の金髪が、地面へ延びる影を生んだ。
「うむ。どうやら、余の祖先がラーシア大陸の東に居たらしくてな。
丁度いい機会なので余も見てみたいと思ったのだ」
「そうなんだ! じゃあ、レイバーンさんの仲間がいるかもしれないってコト?」
「今も居るかは解らぬがな」
「居るといいね!」
笑顔のフェリーとは対照的に、シンは眉を顰める。
ラーシア大陸の東に存在する祖先。小人族が別の種族によって里を追われた。
シンの中で、このふたつの事象は結び合わせる事が出来る。
(いや、まさかな……)
思い浮かべてしまった可能性を、シンは決してこの場では口に出さない。
確証がない事柄で、魔獣族と小人族の関係に亀裂を入れる訳には行かない。
ただ、後でギルレッグに確認をしようとは考える。小人族の里を乗っ取った種族について。
「――シン、きいてる?」
眉間に皺を寄せているシンの顔を、フェリーが覗き込む。
急に黙り込んだ自分を、訝しんでいるようだった。
「悪い。続きは聞き逃していた」
「もう! 珍しくボーっとしてると思ったら!
誰か魔獣族のひとがいないと戦車を曳くワンちゃんとお話できないんだって。
だから、レイバーンさんもいっしょに行ってもいいよね?」
願ってもない提案だった。
シンの考える懸念が合致してしまった場合、レイバーン自身の意見も必要になるだろう。
小人族は戦闘に向かない事を鑑みても、彼が同行してくれる事は心強い。
「ああ。レイバーン、悪いけど手伝ってもらえるか?」
「うむ、友の頼みだからな! 余に任せるが良い!」
高らかに笑い、自らの胸を力強く叩くレイバーン。
シンは良く知っている。この男が、いかに心根の優しい好漢なのかを。
彼が心を痛めるような事が起きないよう、自分に出来る事はしてやりたい。
たった一冊の本から作られた友情は、いつしか本物へと変わっていた。