22.双頭を持つ魔犬
避難した人間が突如、魔物へと変貌する。
昨日まで当然のように会話をし、共に暮らしていた者の成れの果てを見て強い負荷を感じずには居られない。
「だいじょぶ、あたしがゼッタイに護るからね」
言葉通り、この金髪の少女は自分達を護ってくれている。
それは避難している誰もが理解している。
それでも、怯える人はいる。
突如、知人が魔物になった事だろうか。
もしかすると、自分も魔物になるのではないだろうかという不安からだろうか。
或いは、それを一切の躊躇もなく斬り捨てる少女にだろうか。
理由は人それぞれかもしれないが、皆が等しく恐怖に身体を震わせていた。
フェリーもその感情が決して魔物だけに向けられている訳ではないと気付いていた。
それでも彼女は心を病む事はない。
もっと優先するべき事がある。
魔物へ変貌する人間と、そうでない人間の違いは何なのか。
自分の身を挺してでも避難している人を傷付けまいと振舞っているフェリーだが、対処療法に過ぎない。
どうにかして予め区別出来る可能性は無いだろうか?
(シンならどうするかな?)
彼はよく見たモノから推測をしている。
戦闘を続けながらも、決して彼は思考を止めない。
自分に全く同じ事は出来なくても、せめて真似が出来れば――。
フェリーは自分が知っている情報を整理する。
死体からでも魔物は発生する。
つまり、生きている人間だけが魔物に変貌する訳ではない。
本来なら死体を全て燃やすなりの対処をするべきなのかもしれない。
しかし、フェリーは無関係の死体を巻き込む事と自身のトラウマからそれを選択出来ずにいた。
無意識に死体から思考を逸らす。
もうひとつ、エコスが上級悪魔に変貌した時の言葉を思い出した。
――は、はな……はなしが、ちが……っ!
話が違う。エコスは確かにそう言った。
この『話』とはいったい何なのか。
「……あーっ! もう、わっかんないぃぃ!」
下級悪魔を斬り捨てながらフェリーは頭をパンクさせる。
自分はフェリー・ハートニアであって、シンでは無い。考えるのはとても苦手だ。
なんとなく、エコスの話に意味があるような気はしているのだけれど答えに結び付かない。
ふと、ピースに眼をやると彼もぎこちない動きで必死に下級悪魔と遣り合っていた。
流石に向こうを任せっきりで疲労の顔が見えるので、休ませようと思い一度呼び寄せる事にした。
「ピースくん! 一回こっちきて!」
「えっ、はい」
どうしたんだろうと思う反面、ピースは助かったという表情もした。
正直、自分が何をしているのか段々と解らなくなっていたのだ。
「ちょっと疲れてきたよね?」
「ええ、まあ……」
ピースには強がりを言う余裕も残っていなかった。
流石に一人で戦闘を続けていると、心身共に蓄積される疲労が段違いだ。
突然命の遣り取りをさせられた上で、ここまできちんと対応している事自体が奇跡だった。
「ピースくんはここで休んでて。
あっ、あたしがここを護ってるから安心してね」
同じように戦い続けているフェリーにそう言われるのだから、ピースは弱音も吐けない。
体質だったり、体格だったりと色々と言い訳は出来るのだろうが、自分の精神年齢を考慮するとやはり情けなくも感じる。
「あっ、でも」
「?」
「魔物に変わる人と変わらない人、どんな違いがあるか考えてもらってていい?」
ピースにだけ聞こえるように、フェリーは耳打ちをした。
耳を擽る吐息に動揺したが、内容があまりに物騒すぎる。
確かに、護っている人間が自分達を疑っていると誤解されるとややこしくはなりそうだが……。
「考えてはみますけど、解らないかもしれませんよ?」
「あたしもわかんないから、ダメ元でお願い!」
ピースは「そうは言われても」と当惑するが、休む事なく戦い続ける彼女を見ると何も言い返せない。
身体を休ませている間、せめて頭だけでも働かせようと思考を始める。
とは言っても自分の持っている情報は、フェリーと同じなので考えられる範囲は限られる。
エコスの「話が違う」という発言もシンから聞いてはいるが、どういうニュアンスかは判らない。
尤も、ピースはエコスという人物を見てすらいないのだからそこに時間を割く事は無駄なような気がした。
考えるのであれば、あくまで発言の意味だけだ。
わざわざ『違う』とまで言うのだから、領主とエコスの間に約束が交わされた可能性は高い。
シンとフェリーを襲った荒くれ者も、息の掛かった者だろう。
(あれ?)
ふと、ピースは疑問に思った。
自分は襲われた二人にくっついて来ているからここの領主は悪人で当然だと思っていた。
事実、この惨状を生み出したのだからそれは間違っていないと思う。
でも、街の人から見る領主の姿はどうなのか?
そもそも、領主が犯人である事すら知らないのではないだろうか。
前世で親友を退職に追い込んだあいつも、表ヅラは良かった。
だからこそ、あいつが貼るレッテルはさも真実のように伝播していったのだ。
性根なんて簡単に隠せる。
嘘を吐く事に抵抗を持たなければいいだけなのだから。
騙す事を恥だと思う人間もいれば、騙していたとバレる事を恥だと思う人間もいる。
ピースの主観では、ここの領主は後者だ。
「あの、ここの領主ってどういう方なんですか?」
出来る限りの愛想を振り撒きながら、避難をする人に領主について尋ねる。
「領主様かい? 良い人だよ。
貧しい家には食べ物を分け与えていたりするからな。
あんな立派な方はそうはいないよ」
「そうそう、話し掛けても気さくに手を振ってくれたりするしな」
ピースの睨んだ通りだった。
やはりダールは少なくともこのウェルカ内では『いい領主』を演じているようだ。
「この騒動で姿も見えないから、無事だといいんだけでねぇ……」
ピースは「そもそも原因がその領主ですよ」と言いたかったが、言葉を飲み込んだ。
本当の事を伝えた所で、初対面の自分より長年共に過ごした領主を信じるに違いない。
前世でそんな場面は幾度となく目の当たりにしている。
護っている相手に嫌われて得をするのは領主だけだ。
「へぇ、優しい方なんですね」
あくまでここで自分がするべき事は、状況の整理だ。
「そうなんだよ! 俺も秘蔵のワイン貰ったりしてなぁ。
ちょっと苦いと思ったけど、高級品はそんなモンなんだろうなぁ」
(ん……?)
ピースは違和感を覚える。
「私もジュース貰ったよ! にがかったー!」
(んん……?)
今度は子供が答える。共通して『苦い』というのが引っ掛かる。
「あー! なんだよそれ、俺飲んだ事ねーぞ!」
「いやー、でもアレはそこまでうまくなかったぞ」
「それでもずりーよ!」
別の男性が恨み節混じりに毒付く。この場の悲壮感が弱まったという意味では『いい領主』も役に立つ。
「ちなみにそれ、どんな苦さなんですか?」
一応「ワインならポリフェノールの苦味とかあるしな」と思いつつも、訊かずにはいられない。
「なんだろうなぁ、鉄の味っぽい感じだったか?」
ピースは今、自分がどんな顔をしているか判らなくなった。
どうやらジュースも似たような味らしい。「それなら吐き出せよ!」と声を大にして叫びたかった。
(領主から貰った手前、そういう事がし辛いのだろうけどさぁ……)
もしかすると、原因はその飲み物にあるかもしれない。
というか、持っている情報ではそこしか判断のしようが無かった。
ピースはフェリーを呼び、ワインとジュースの存在を伝える。
その上で、飲んだ人と飲んでいない人を分けて避難させるのはどうだろうかと提案をした。
「勿論、間違っている可能性は高いですけど……」
意味のない事かもしれない。自分の選択が大勢の人の運命を握っている。
そう思うと、ピースはこの考えを強く推し出す事に抵抗があった。
「いいんじゃない? やってみようよ」
対照的にフェリーはあっけらかんと、その策に乗る決断をした。
「いや、でも合ってるか判らないですし……」
「どうせ今のままだとジリ貧なんだし、出来るコトは試してみようよ。
間違ってても、あたしがちゃんと護るから」
フェリーの自己犠牲精神には頭が下がるというより、恐怖すら感じる。
悲壮感を出そうとしていないから、余計にそう見えてしまう。
「……わかりました」
それでも、尻拭いは彼女に任せてしまう自分の情け無さに嫌気が差した。
……*
「ん? なんでふたつに分かれるんだ?」
「いえ、ちょっと……」
流石に「あなたが魔物に変わるかもしれないからです」とは言えない。
「そっちの方が戦いやすいんです。
ちょっとメーワクかけますけど、お願いします!」
「そっか、それなら仕方ねぇか……」
フェリーの助け舟もあって、移動はスムーズに進んだ。
多少の傷は物ともせず、自らの血で衣服を汚す彼女に怯える人もいる。
それでも彼女の指示を受け入れるのは、それ以上に『護られている』事を皆が理解しているからだった。
結局、件の飲み物を口にしたのは8人だった。
この場にいる避難民がまだ50人以上居るので、少ないようにも思う。
もしかすると、魔物化する人間はほぼ倒したのかもしれないという安堵感。
一方で、自分の考えが誤っているのではないかという不安感。
ピースは休む前より心身が重くなったような気がした。
「もう、そんなしんぱ――っ!!」
フェリーが軽口を叩くのを阻害するように、二人は強烈な重圧に気圧される。
反射的にそれが発せられた方に首を向ける。
斃した魔物の灰が集まり、それが石畳の上に円が描かいていく。
この世界に来て間も無いピースですら、それがどんな物か想像出来た。
「魔法陣……?」
ピースがそう呟いた時には、フェリーは円に向かって走り出していた。
フェリーは膨大な魔力をその身に宿してはいるが、魔術に明るいわけでは無い。
それでも、魔法陣が良く無い物である事は本能で察した。
「てえぇぇぇぇいっ!!」
魔法陣を破壊するべく、魔導刃を振り下ろす。
――刹那。
その細い腕が巨大な牙によって噛み砕かれる。
「フェリーさん!?」
白い牙が赤く染まっていく。
このままでは、腕を噛みちぎられる。
「――ッ!!」
腕を噛みちぎられる前にその下顎を蹴り上げ、一瞬生まれた隙間からやや強引に腕に引き抜く。
魔導刃抜きで勝てる相手では無いと感じ、咄嗟に出た行動だった。
魔導刃ごとフェリーの腕を噛みちぎろうとした魔物は、犬だった。
しかし、その頭はひとつではない。
双頭を持つ魔犬。
かつて魔王の眷属とされた、凶悪な魔物。
討伐しようものなら、金貨100枚の報酬でも安いぐらいだった。
「こんどはワンちゃん? ホントになんでも出てくるね」
軽口を叩くフェリーだが、その表情は険しい。
犬と言っても、その体躯はフェリーの身体より遥かに大きかった。
それが双頭を持つ魔犬だと認識しているわけではない。
どんな魔物か理解している訳でもない。
それでも上級悪魔より遥かに強い事はすぐに判った。
「……ピースくん」
「は、はい」
ピースは固唾を呑んで、震える声で返事をした。
オルトロスが危険だと言う事は、言われなくても判る。
その世界の事をきたばかりでも、魔導刃という強力な武器を扱えた。
下級悪魔や上級悪魔ともすぐに戦えた。
――もしかすると、自分は凄いのでは?
そんな自信が一瞬で否定されたような気分だった。
自分は粋がっていたのだ、本当に危険な物を見ていなかったのだ。
自然と呼吸をする回数が増える。汗の量が増え、逆に唾液が一切出なくなる。
手は震える。魔導刃を握る力がどれぐらいなのかすら判らなくなる。
ピースは自分の身体が本当の恐怖に支配される感覚を識った。
「オルトロスはあたしがやる。
キミは避難している人が魔物にならないか、見張ってて」
「え……」
「シンがいれば作戦も立てれたんだけど、あたしにはムリ!
だいじょぶ、あたしは死なないから。
だから避難民は、任せたよ」
まただ。また、そうやって命を粗末に扱う。
それはとても哀しい事なのに、自分はあの怪物に立ち向かわなくていいと思ってしまった事を自己嫌悪する。
それに、避難している人から目を離せないのも事実なのだ。
二人で交戦している間に、避難している人が魔物になっては場所を分けた意味すら無くなる。
「……分かりました。無茶だけは、しないでください」
自分の弱さと情け無さに打ち拉がれながらも、ピースはフェリーの言葉に頷く事しか出来なかった。