220.その名に、親しみを込めて
突如、街中に魔物が現れるという混乱と喧騒。
イルシオン達の活躍により、死傷者は最小限に抑える事が出来た。
最小限というのは、倒した魔物が元は人間だった事に由来する。
それを知っているのはイルシオンとフィアンマだけで、この場で口にするのは躊躇われた。
「いつつ、腰が……。年は取りたくないものですな……」
久しぶりに全力で動いた反動からか、オルテールの息は上がっていた。
腰に至ってはもう限界で、歩くのも一苦労だ。
魔力を身体能力の操作に振り切っていたが、元々高い魔力を持っている訳ではない。
補え切れないダメージが、緊張の糸が切れると同時に顕在化する。
満身創痍なのはオルテールだけではない。
肩口を深く斬られたオルガルも、強がりながらもふらついていた。
「仕方ない、オルガルはボクが背負うよ。イルシオンはジイさんを頼む」
「ああ」
自らも炎を浴びたにも関わらず、フィアンマは軽々とオルガルを拾い上げる。
本人曰く「火龍だから、炎に耐性は持っている」らしい。
額から流れる血を止めたイルシオンも、オルテールが捕まりやすい様に背中を差し出す。
「小僧! そっとだ、そっとだぞ!」
「分かってるさ」
余程腰に響いているのか、まるで初めて立った赤ん坊のようなオルテール。
イルシオンの肩を掴んでは、僅かな揺れにさえ文句を言う。
「小僧! もっと優しくだ!」
「わ、分かった! ……難しいな」
まだ周囲の混乱は収まっていないが、被害が広がる心配はない。
出来る限りの事はしたのだと、この時は安心をしていた。
……*
一夜明け、イルシオン達を取り巻く環境は大きく変わっていた。
アルジェントの撒いた悪意の種が、芽吹かせていたのだ。
「なんだか、街の人の目つきが怖いというか。
怒ってるような気がするんですけど……」
所々破壊された家屋。少しでも修理を手伝おうと言い出したのはイディナだった。
肩の傷が感知していないオルガル。腰の調子が良くないオルテールを置いて、街の様子を確認する三人。
手助けを求めていれば力を貸すぐらいの軽い気持ちだったのだが、何やら様子がおかしい。
歩く度に鋭い眼光を向けられる。人によっては、見えているにも関わらずコソコソと噂話までしている有様だ。
「……昨日の件についてだな」
人間よりも聴覚の優れているフィアンマが、断片ではあるが会話を聞き取る事に成功した。
はっきりと文脈になっている訳ではないが、「昨日」「魔物」という単語が何度も繰り返されている。
「だったら、どうしてオレたちが怒りを向けられなくてはならないんだ?」
「そうですよ! あんな危ない人から、護ったっていうのに!」
「ボクに言われてもなぁ……」
聞こえた言葉をそのまま伝えただけで、心の内までは読めない。
どうしたものかとフィアンマが頭を悩ませていると、一人の男がイルシオン達の前に現れた。
「おい、アンタら。ミスリアの人間なんだってな!?」
「あ、あぁ。そうだが」
いかり肩を震わせながら物凄い剣幕で睨みつける男に、流石のイルシオンもたじろぐ。
男は捲し立てるかのように、大きく口を開いた。
「聞いたぜ。夜に現れた魔物、ミスリアの魔物だっていうじゃねぇか!
アンタらが連れて来たんじゃねぇのか!?」
怒号にも似た男の大声に、街中の視線を一身に浴びる。訝しむような、嫌悪にも似た視線。
自分やフィアンマは兎も角、イディナに向かせる訳には行かないとイルシオンは彼女をそっと自分の身で隠すように男から遮った。
「おい、ミスリアの魔物だってよ」「道理で、見た事がないはずだわ」「ってことは、俺達は巻き込まれたっていうのか?」
周囲の喧騒は徐々に悪意を乗せて伝播していく。声量も自然と大きくなり、否が応でも悪態が耳に入ってくる。
せめて誤解を解かなくてはいけないと弁明を試みるイルシオンだったが、彼を遮るかのように一人の女性が涙を浮かべながら現れた。
釣りあがった眉に、噛みしめた唇。自分を見上げるその瞳は、明らかに敵意に満ちていた。
「アレがミスリアの魔物だっていうなら……。主人が、どうして魔物に変わったっていうの!?
私の主人はどこにいったの!? お願いだから、返してよ!?」
彼女の言葉を皮切に、魔物によって家を破壊された者達が口々に声を揃える。
深夜で寝静まっていたから、皆受け入れられなかったのだ。
自分の家族が魔物に殺されたのではなく、魔物に変貌したという事実を。
(え……? じゃあ、ぼくたちが戦った魔物は……)
そして、魔物の正体を知らなかった少女。イディナは不意に明かされた事実に身を震わせた。
街の人を護ったつもりが、命を奪っていた。そう考えると、急に歯の根が噛み合わなくなる。
下唇を強く噛みしめ、無理矢理震えを抑え込もうとする。
見上げた先には、背筋を伸ばしたイルシオンとフィアンマの背中。
背中越しにある表情を、イディナは知らない。彼らは、何を思ってこの場に立っているのか。
知りたい。顔が見たいと思った。自分の感情の落としどころを求める為にも。
「違う。決してミスリアに棲息する魔物ではないし、オレは何もしていない。
ただ、異常発達した砂漠の魔物を駆除しに来ただけだ」
イルシオンの主張が受け入れられる状況は、既に消え去っていた。
明確な敵意と「家族を返せ」という懇願。砂漠の魔物を駆逐した事でさえ、ミスリアが侵略する為の礎だと言われる有様だった。
初めにイルシオンへ声を掛けた男は、これほどまでに簡単に伝播していくものなのかと驚いていた。
彼は賭場でアルジェントに負けた中の一人。借金までして賭場へ出向いた手前、手ぶらで帰る訳には行かなかった。
自らの頬を爪で引っ搔き回し、逃がすまいと足を掴む。よほど使ってはまずい金だったのだろう。
そんな情けない男の顔を見下しながら、アルジェントは閃いた。
偶然邂逅してしまったミスリアの貴族を、陥れる方法を。
彼に任された仕事は、噂話として周囲に悪意をばら撒く事。
故に、賭場で一人だけ知らされていた。酒を呑んだ者は、魔物へと変貌すると。
それは同時に男への牽制でもあった。「従わなければ、魔物がお前を殺す」と。
自分はやりきった、これで赦されるはずだと、男はアルジェントの姿を探すが見つからない。
明らかに一人だけ挙動が違うと不審に思ったフィアンマが、男へ質問を投げかけた。
「ところで、そこのお前。誰から下級悪魔と上級悪魔がミスリアの魔物だって聞いたんだ?
現れてから、今までの間で魔物に詳しい奴でもいたのか?」
挙動不審な男は、フィアンマの質問に狼狽する。
言えば済むと浅はかな考えを持っていた彼は、よもや突っ込まれるとは思ってもみなかった。
「そ、そんなモンどうだっていいだろうが! 要は、アンタらが砂漠の国を侵略しに来たかどうかが問題なんだ!」
イルシオン達からすれば、苦しい言い訳。けれど、街の者からすればそれで良かった。
今はこの喪失感と、街中で戦闘が起きたという恐怖から逃れられる口実さえあればいい。
余所者である彼らはその点で非常に都合が良かった。感情の捌け口として。
溢れ出る感情は、周囲の熱に充てられていつしか攻撃的になっていく。
激しさを増す口撃。しまいには砂を掴んでは投げつけるものさえ現れた。
濡れ衣を着せられ、砂を浴びせられる。貴族であるイルシオンや、王であるフィアンマからすればこれ以上ない屈辱。
彼らに守られているイディナでさえ、異常だと判る。気付けば、二人の間を抜けて自らが盾になろうとしていた。
「やめてください! ぼくたちは、あの魔物とは無関係です!」
イディナの訴えも虚しく、投げられたのは空き瓶。
当たれば無傷では居られないと判っていても、イディナは動かない。
二人が自分にしてくれたように、自分も守りたい。彼女の意地が、そうさせた。
「ありがとう、イディナ」
頭上から聴こえるのは、少し寂しげなイルシオンの声。
思わず振り返った瞬間。彼は紅龍王の神剣を抜いていた。
瞬く間に真っ二つに斬られる空き瓶。その斬り口は、高熱によって溶けている。
剣を抜いた事により、一瞬の静寂が生まれる。だがそれも、すぐにまた喧騒によって上書きされていく。
「剣を抜いたわ!」「やっぱり、侵略しにきたんだ!」「け、憲兵に! 軍にも伝えなくては!」
「あの、イルシオンさん……」
振り返ったイディナが見たものは、街の人々から目を逸らすイルシオンだった。
見ていられないというよりは、何かを思い返しているようにも感じ取れた。
「大丈夫だ。イディナ、フィアンマ。オレたちはここを離れよう。
バクレイン卿とオルテール殿も、出来ればミスリアへ連れていきたい。
この様子では、治療を受けられるかも怪しいしな」
完全に街にとって敵となってしまったイルシオン達。
ミスリアのように上手く行かないものだなと考える傍ら、彼は酷く後悔をしていた。
(オレもシン・キーランドに似たようなことをした。
本当に、最低な行為だな)
他人を怒りや哀しみの捌け口として利用した。
あまつさえ、自分を正当化して刃を向けた。
立場が逆転したからこそ判る。如何に愚かだったかを。
彼はそんな自分を受け止めてくれた。手を差し伸べてくれた。
改めて感謝を伝えたい。気付けば彼は、空に手を伸ばしていた。
「それはいいけど、どうやって説明をするつもりなんだ?」
フィアンマの問いに、躊躇いながらもイルシオンは自分の考えを伝えた。
どこまで信じてくれるか。どこまで許してくれるかは彼らの裁量次第ではあるが。
「ヴァレリア姉の許可を取ってからになるが、全てを伝えよう。
彼らは命の恩人でもあるし、もう巻き込んだ。何も報せないままでは不信感を煽る」
「ま、そうなるか」
邪神と関わって、戦闘までしている。落としどころだろうとフィアンマは頷いた。
一方のイディナは、自分はどうなのかと口にこそしないものの視線で訴える。
「勿論、イディナにもだ。ヴァレリア姉次第だけど、出来れば話そうと思う。
王都に帰るまでは、我慢してくれないか? とても大切な話なんだ」
「はい! 分かりました!」
背筋を伸ばすイディナを見て、畏まらなくてもいいのにとイルシオンは苦笑した。
精一杯明るく務めてくれる彼女に、幾分か救われている。
……*
「――成程な。それで、この御仁たちがそうだと」
円卓を囲みながら、頬杖をついているのはミスリアの騎士団長。ヴァレリア・エトワール。
思った以上に帰りが遅いので面倒事が起きているとは予測していたが、想像以上に状況は芳しくない。
「ああ、紹介する。オルガル・バクレイン卿とオルテール・ニムバスト殿だ」
オルガルとオルテールは、礼儀正しく挨拶をする。
流石は貴族と従者と言ったところだろうか。この辺りは、きちんとしているようだった。
礼を返すヴァレリアだが、頭の中はそれどころではなかった。
新たな邪神の適合者と、砂漠の国との間に生じた軋轢。
更にはマギアの貴族が、ベル・マレットを探して現れた。
「イル。お前さ、挨拶周りに行くっつったよな?」
「色々あって。いや、その。……悪いとは、思ってるけど」
流石のイルシオンも、珍しく平謝りをしている。
国家間の関係を悪くしてしまったという自覚はあるようだった。
「まぁ、いい。先刻、王妃様とイレーネ様には伺いを立てた。
結果、アタシの権限で話してもいいと許可を得たよ。
ただ、バクレイン卿。この情報をマギアに持ち帰られるわけにはいかないんだ。
アタシとしては、暫く王宮に居てもらいたいと思ってるね。勿論、客人としての対応はさせてもらう」
話はするが、自由にはしない。一方的な要求ではないかと、同席しながらも事情を知らないイディナが首を傾げる。
ヴァレリアとイルシオンの顔を交互に見るが、イルシオンは何も言い返さない。彼もそれが最適解だと、思っている節があった。
それ程までに重要な話なのだろう。説明するとは言ってくれたが、イディナは委縮してしまう。
「……オルテール」
オルガルは横目でオルテールの顔色を伺う。
予測済みだったのか、真っ白な髭を撫でながらオルテールは高らかに笑って見せた。
「若がお決めください。バクレイン家の当主は、若なのですから」
決定権を、責任を押し付けられた訳ではない。
どんな答えを選んだとしても、付いてきてくれる。オルテールの言葉の裏を、オルガルはすぐに読み取れた。
彼に感謝をしつつも、オルガルはヴァレリアの要求に頷いた。
「分かりました。エトワール卿、話せる範囲で構いません。
僕たちに、教えてください」
「……そう言ってもらえて、アタシとしては助かるよ」
ヴァレリアは胸を撫で下ろしつつ、語り始めた。
彼らが巻き込まれた騒動。その発端は、ミスリアにあると。
……*
オルガル達が聞かされた話は、俄かには信じがたいものだった。
邪神と呼ばれる、悪意の化身がこの世に現れた。
その分体が適合した人間は、超常の力を得ると言われても通常なら想像もつかないだろう。
だが、彼らは目の当たりにした。
瑪瑙のような縞模様を持った奇妙な右腕。魔力を札に封じ込める、奇怪な能力を。
邪神の存在も、決して嘘ではないと信じざるを得なかった。
魔術大国ミスリアの国王、ネストルの死亡も彼らには告げられた。原因が、邪神絡み。そして、第一王子絡みである事も含めて。
王宮に滞在してもらい、王妃に許可を取っているという時点で、彼らは薄々と勘付くかもしれない。
ならば先に話しておくべきだと、ヴァレリアは判断した。マギアに持ち帰って欲しくないという理由も、納得がいくだろうから。
「そんな、王様が……」
ネストルの死は、マギアの国民であるオルガル達よりもイディナがショックを受けていた。
勿論、彼女は直接逢った事などない。けれど、自分の息子との戦いで命を落とした事に驚きを隠せない様子だった。
砂漠の国の街を襲った魔物の存在についても、知っている限りの情報を話す。
ウェルカで起きた魔物の襲撃。それと同じもので、原因も同じなのだろうと推察がされていた。
改めてリシュアンにも裏を取ったが、魔物となった人間は救う事が出来ない。
葬ってやるのが、唯一の救いだと伝えられた。
「済まなかった。結果的に、皆に嫌な役目を押し付けてしまって」
この件で頭を深く下げたのは、イルシオンだった。
自分やフィアンマは兎も角、何も知らないイディナ達に辛い思いをさせてしまったという謝罪。
「あ、頭を下げないでください! イルシオンさんは何も悪くないじゃないですか!」
「そうだ、小僧。非が無いのに頭を下げるでない。そんな面妖な酒を呑ませた者が悪人に決まっているであろう」
ぶんぶんと手を振るイディナに、ふんぞり返るオルテール。オルガルは先に言われたと苦笑いをしている。
「最後に。バクレイン卿がミスリアを訪れた理由だな」
「――!」
オルガルは固唾を呑む。この話題を切り出すという事は、マレットの情報を持っている。
行方を晦ませた幼馴染は、一体どうしたというのか。今までにない食いつきで、オルガルはヴァレリアと視線を交わす。
「マレット博士は、今は妖精族の里にいる」
「エ、妖精族の里……?」
意味が判らなかった。
一体どうして、彼女はそんな所へ向かったのだろう。
頭を悩ませるオルガルに、ヴァレリアは「安心して欲しい」と続ける。
「妖精族の女王のご厚意でな。第三王女様とウチの護衛、更にマギアから来た旅人も向かっているよ。
みんな信頼のおける人物だ、安心してくれていい。そのうち、ミスリアにも顔を出すだろう」
「……そうですか」
「流石に、アタシの権限では妖精族の里まで干渉は出来ない。会わせてやれなくて、すまないな」
「いえ、僕も勝手に捜し歩いていただけですから。ミスリアで待てば会えるというのであれば、滞在させて貰えるのはむしろありがたいです」
取り返す事に躍起になる訳でも無く、オルガルは頭を下げた。
事前にイルシオンへ相談していたとはいえ、マギアの人間にマレットの存在を話すのはある程度の危険がある。
結果的には穏便に済んだので、イルシオンがきちんと見極められたのだろう。
「……それにしても、マギアの人間ですか? はて、そんな者が居ましたかな?」
妖精族の里へ赴ける程の実力者が、マギアに居ただろうかとオルテールは首を傾げる。
「マレット博士とは旧知の仲らしいけど、知らないのかい?」
「僕は幼馴染ですけど、成人してからはあまり会いませんでしたから。
最近実験台になっている子供が居るという噂は、耳にしましたけど」
それはきっとピースだろうと、ヴァレリアは否定をする。
いっそ名前を言った方がいいのかと思い、シンとフェリーの名を口にした。
「シン・キーランドっていう銃の使い手と、フェリー・ハートニアっていう博士の魔導具を使う女のコだよ。本当に、知らないのかい?」
オルガルとオルテールは互いの顔を見合わせる。
どちらの名前にも、扱う武器にも心当たりがない。同時に傾げる首が、答えだった。
「……一時期、魔石集めの手伝いをしていた少年かなぁ?」
「儂はあの女を好いていません故、若が知らなければ知りませぬ」
「そうか。まあ、友人の友人なんてそんなもんだよな」
シンとフェリーは旅を初めてもう10年になる。
全く帰っていなかった訳ではなさそうだが、彼らからオルガルとオルテールの話題が出た事もない。
交友関係が重なっている訳ではないのだなと、ヴァレリアは一人で納得をしていた。
……*
夜になり、王宮の一室でイルシオンは深く息を吐いていた。
久しぶりの一人で、少し寂しくも感じる。けれど、明日からはまた忙しくなるだろう。
王宮に居る間、オルテールがオルガルの稽古の傍ら自分の相手もしてくれると言ってくれた。
彼曰く「二人とも、神器の扱い方がなっていない」らしい。
紅龍王の神剣との付き合い方を模索していたイルシオンにとっては、願ってもない話だった。
明日はきっと早い。少しでも身体を休めようとした時の事。
コンコンと、不意に扉がノックされる。
「……イルシオンさん、夜分遅くにすみません。イディナです」
「イディナ? 一体、どうしたんだ?」
扉の向こうに立っているイディナは、申し訳なさそうな顔をしていた。
その理由が判らず、イルシオンは首を傾げる。
「えっと、その。イルシオンさんに謝りたくて……」
「オレに?」
イディナは金魚のように何度も口をパクパクと開いては閉じる。
しばらく繰り返したのち、意を決して頭を下げた。
「ごめんなさい! 砂漠の国で、紅龍王の神剣に話しているところを割り込んでしまって。
イルシオンさんの気持ち、何も知らないのに偉そうなこと言ってしまって……! それを、改めて謝りたくて!」
背丈の小さい少女が、目いっぱい頭を下げている。
顔を上げられては恥ずかしいと思い、イルシオンは彼女の頭に手を乗せた。
「オレの方こそ、君に言われてハッとしたよ。紅龍王の神剣だけではなくて、君に聞いて貰えてよかった。
まだ、たくさん後悔はしている。けれど、後悔だけじゃダメだってよく分かった。君のおかげだ、ありがとう」
「イルシオンさん……」
「イルでいい。親しい人は、みんなそう呼んでくれる」
優しく投げかけられた言葉に、イディナは頬が緩む。
騎士見習いで、平民。普通に考えれば決して接点のない自分を、親しい者と言ってくれた。
「はい、イルさん! ……ところで、どうして頭を抑えつけているんですか?」
「気にしなくていい。オレの我欲だ」
照れている所を見られたくない。
イルシオンは、イディナが顔を上げる事を必死に拒絶する。
「いや、気になりますよ! ぼく、だんだん頭下げてるの辛くなってきたんですけど!?」
「謝罪に来たと言っていただろう。何も問題はない」
「イルさん、さっき許してくれたじゃないですか!」
廊下に響く程の口論。物陰から見ていたヴァレリアは、笑いを堪える。
クレシアを失って、更には彼の問題へ首を突っ込む癖が裏目に働いた。
また落ち込んでいないかと様子を見に来たが、杞憂に終わったようだ。
「クレシアが見たら、面白くなさそうな顔するだろうけどな」
妹達の姿を思い浮かべながら、野暮な事はすまいとヴァレリアは踵を返した。
いつか、自分も実家へ顔を出そうなどと、考えながら。