216.強欲な蒐集家
宿を駆け抜け、大部屋の扉を開けるイディナ。
深夜だからだとか、他の客に迷惑が掛かるといった事を考える余裕は無かった。
外ではイルシオンが独りで戦っている。すぐに助太刀に行かなくてはいけないという思いが彼女の頭を埋め尽くしていた。
イディナはこれまでのイルシオンの旅を、戦いを正確には把握していない。
知っているのは、ヴァレリアの妹で彼と共に旅をしていた少女。クレシアが命を落とした事だけ。
世知辛い話だが、冒険者が命を落とすというのは珍しい話ではない。知識としては知っていた。
けれど、近しい者を失う。その気持ちを、本当の意味では理解していなかった。
自らの気持ちを吐露して、己を蔑むイルシオンの姿は痛々しいとさえ思えた。
イディナは漸く気がついた。自分が足を踏み入れた世界は、確かに人々を護るかもしれない。
一方で、大切な人を哀しませるかもしれないものなのだと。
それでもイディナは、騎士になると決めた事を後悔していない。
大好きな人がたくさんいる。尊敬している人も。
イルシオンもその一人だった。彼の力になりたい。心から、そう思っている。
「フィアンマさん! あの、大変なんです! 街の中に魔物が!」
勢いよく開かれた大部屋の扉。
その向こうでは、フィアンマが窓の外を眺めていた。
「ああ、流石に気付いてるよ。流石に、イルシオンがこれだけ暴れるとね……」
窓の向こうでは紅龍王の神剣を振り回し、下級悪魔を斬り落とすイルシオンの姿があった。
上空の魔物へは、魔術を使って撃ち落としている。立体的で障害物の多い戦場で、孤軍奮闘していた。
「僕たちも急ぎましょう」
宝岩王の神槍を抱えたオルガルが、窓から外へと飛び降りる。
三階にも関わらず、身軽な動きで地面へと降り立ったオルガルはそのままイルシオンの元へと走る。
「ボクも援護へ向かう。イディナは――」
「行きます!」
被せるように言葉を発したイディナに、フィアンマは眉を下げた。
深夜で街での戦い。それも空を飛ぶ魔物が相手となれば、経験不足の彼女を連れていくのは不安が残る。
彼女は砂漠で一度、危険な目に遭っている。あまり無理はさせたくないという親心も含まれていた。
だが、イディナの眼光はそれらを全て覆るかのような強い光を灯らせていた。
梃子でも動かないという意思が伝わってくる。押し問答をするのは、無駄だろう。
「……分かったけど、絶対に無茶はするな。危ないと思ったら、建物の中に逃げること」
「はい!」
フィアンマの許しが出ると、イディナは強く頷いた。
「さて、若が向かったとはいえあの小僧にばかり任せてはおられまい。儂らも急ぐとするかの」
身体を入念に解すオルテールを見て、フィアンマとイディナは顔を見合わせた。
この白髪だらけの老人が、戦場へ赴こうとしているのだから無理もない。
「オルテールおじいちゃん、戦うんですか!?」
「待ってくれよジイさん。お前の面倒までは見切れないぞ……」
二人の制止に耳を貸すつもりなど毛頭ない。それどころか、オルテールは一喝してみせる。
かつて宝岩王の神槍だった男の誇りだった。
「黙れ小童どもが! この砕突のオルテールが、あのようや魔物に遅れを取ると申すか!?」
「いや、その砕突のなんたらは知らないけどさ……」
「フン。儂の槍にかかれば、貫けぬものなど存在せぬわ。小童ども、しかと見ておくが良い!」
鼻息を荒くしながら、オルテールは宿を飛び出す。
齢90を超えるとは思えない動きで、あっという間に宿の外へと飛び出していった。
「って、あのジイさん。何も武器持ってないじゃないか!
何が『貫けるものなど存在せぬ』だよ! イディナ、行くぞ!」
「はっ、はい!」
世話が焼けると毒づきながら、フィアンマはイディナを連れて窓から飛び降りる。
落下に沿って自らの茶色い髪が逆立つ。その向こう側で、イルシオンは今も戦っていた。
……*
「おー、ハデにやってくれてるねェ。良きかな良きかな」
懸命に神剣を振るう少年の姿を、屋根の上から眺めている男が居た。
名をアルジェント・クリューソス。邪神の分体が一柱、『強欲』の適合者。
彼は昼間の内に、賭場で魔物を仕込んでいた。
賭け金を釣り上げ、カモにしようとした賭博師を片っ端から返り討ちにする。
その上で金を返すと同時に交わした杯。それは、魔物へと変貌する悪意の酒。かつてウェルカで起きた大惨事に使用された物。
「しっかし、下級悪魔が多いなァ。やっぱ、ミスリアの方が魔力は強いって思い知らされるわ」
胡坐をかき頬杖をつきながらも、その眼差しは真剣だった。
紅く輝き、炎を絡めるような斬撃を繰り出す紅龍王の神剣。
炎と雷の魔術も巧みに操り、上空の魔物にも対応している。非常にバランスの取れた戦士だということが、よく判る。
「やっぱ数が足りなかったか。しゃーねェ、お開きになる前に顔だけでも出してくるか」
欠伸をしながらアルジェントが立ち上がったその瞬間。
視界に映るある男。正確に言えば、その男の持つ槍が目に留まる。
イルシオンの持つ紅龍王の神剣と同様の、異質な雰囲気を漂わせている逸品。
蒐集家としての血が騒ぐのを、抑えきれない。
気付けばアルジェントは、その場から姿を消していた。
あれほどの逸品を遠目で見て置く事など、我慢ならなかったからだった。
……*
突然家族が魔物へと変貌し、夜の砂漠は混迷を極める。
逃げ惑る民を庇いながら戦い続けるイルシオンだったが、魔物も散開を始める。
自分一人では、対処がしきれない。そのタイミングに、先行したオルガルが合流を果たす。
「ステラリード卿、助太刀に参りました!」
「バクレイン卿、感謝する。空を飛ぶ魔物から、落としていきたい!」
「承知!」
オルガルが宝岩王の神槍を地面へと突き立てると、砂粒が凝縮されて砲弾のように形成される。
そのまま柄で弾くと、大砲と見間違うような速度で下級悪魔の身体を貫いた。
重力の向きを操る宝岩王の神槍の特性から、当代の所有者であるオルガルが身に着けた戦法だった。
「上空の敵は僕が!」
「……っ、感謝する!」
自在に神器を操るオルガルの姿に、イルシオンは無意識に羨望の眼差しを送っていた。
オルガルの言葉で我に返り、逃げる民を襲う下級悪魔を斬り払う。
「無事か!?」
「はっ、はい!」
「なら、走って逃げろ! なるべく遠くまでだ!」
「あ、ありがとうございます!」
軽く会釈をして逃げる母子の姿を、イルシオンは背中越しに感じていた。
決してこの先へは行かせないと、紅龍王の神剣を強く握った時だった。
子供が消え入りそうな声で「パパ」と呟いた声が、耳の中へと入り込んだ。
おかしいと思っていた。下級悪魔も、上級悪魔も砂漠で生息しているという情報を聞いた事が無い。
何より、魔物の群れは民家の壁を突き破って出現した。侵入した形跡がないにも関わらず。
どんなに否定しようとも、その懸念が脳裏にこびりついて離れない。
ウェルカ同様に、ミスリアの人間。邪神の一味。ビルフレスト達が引き起した災い。
「何が……ッ。何が目的なんだ……!」
「んーとな。悪ィけど、ここで遭ったのは偶然なんだわ」
怒りで震えるイルシオンは、背筋が凍った。
突如、背後から聴こえる声。知らない男のものだった。
考えるよりも先に剣を振るうが、男は軽い身のこなしでそれを躱す。
イルシオンの視界に映るのは、色眼鏡をした男。
紺色の髪と、すらりと伸びた長身。右腕には、悪趣味な純金の手甲を身に着けている。
「誰だ、貴様はッ!?」
「オレっち? オレっちはな、アルジェント・クリューソスってんだ。
お前とは初対面だけど。ま、右腕を見たらそうはいかねえよなァ」
アルジェントは純金で造られた卑しい手甲を取り外す。
砂へと沈んでいく手甲だが、そんなものはどうでも良かった。イルシオンにとっては、中身の方が余程問題だったのだから。
「な、なんなんですかあれは……?」
遠巻きに見ていたオルガルも、その異様さに声を漏らした。
今までの人生で、あんな物は見た事がない。ましてや、人間の腕に結合しているとは俄かに信じ難かった。
瑪瑙のように縞模様を持つ結晶で構成された、異質な右腕。
色や形は違えど、ビルフレストの持つ左腕と共通の禍々しさを感じる。
イルシオンの怒りを呼び起こすには、十分すぎるほどの材料だった。
「貴様、その腕は……。ビルフレストの、邪神の一味か!」
「察しが良くて助かるぜ。でも、邪神の一味ってのは聞こえがよくねェよ。
アルマっちやビルフレストのダンナは、世界再生の民って呼んでるぜ。以後、ヨロシク」
色眼鏡の奥でアルジェントがどんな表情をしているか分からない。
ただ、他者を見下しているという事だけは理解できた。
「ふざ……けるな!」
怒りに身を任せ、直情的な動きでイルシオンが斬りかかる。
砂漠の砂に足を取られ、その速度は幾分か落ちる。アルジェントにとっては、容易に躱せるものだった。
「おいおい、素人じゃねェんだからよ」
「黙れ! 稲妻の槍!」
切り返しでからでは間に合わないと判断したイルシオンは、詠唱を破棄した稲妻の槍を放つ。
雷光が周囲を照らし、雷の矢がアルジェントに襲い掛かる。
「この距離なら、躱せはしない」
オルガルから見ても、完璧なタイミングだった。
稲妻の槍はアルジェントの身体を貫く……事は無かった。
周囲をも照らしていた雷の矢が、忽然と姿を消す。射線上に居たアルジェントへ命中した様子はうかがえない。
「ざ~んねんでした。ほら、お前さんの魔術は消えちゃった。どうしてでしょう?」
余裕たっぷりに、口元を緩ませるアルジェント。
彼の指には、一枚の札が挟まれていた。
「どういうことだ……」
間近で見ていたはずのイルシオンも、何が起きたのか把握できなかった。
脳裏を過ったのは、ミスリアの王都での戦闘。魔術を掻き消した、小汚い男の存在。
「まさか、魔術を消したのか……?」
「いやいや、そんなことしねェって。『怠惰』のオッサンじゃあるまいし。勿体ないじゃんよ」
馬鹿にするように笑いながら、アルジェントは魔力を掻き消した可能性を否定する。
しかし、事実として稲妻の槍は消滅してしまっている。
彼の言葉が何を意味するのか、イルシオンには解らない。
「ステラリード卿、伏せてください!」
余裕を見せるアルジェントへ追い撃ちを掛けるのはオルガルだった。
宝岩王の神槍によって生成された砂の大砲を、彼に向かって射出する。
「お、コレよコレ。気になってたんだよなァ!」
アルジェントの口元は余裕の笑みを崩さない。
砂の大砲に向かって、ゆっくりと右腕を翳す。
瑪瑙のような右腕に触れた砂の大砲は、稲妻の槍同様に姿を消す。
代わりに現れたのは稲妻の槍の時同様、一枚の札だった。
「っ、う……。なんだよ、魔力殆ど通ってねェのかよ……。
身体張って損したじゃねェか」
アルジェントは右腕をぷらぷらと垂らしながら、舌打ちをする。
魔力で生成した大砲だと思っていたが、目論見が外れた。
だが、多少なりとも魔力が通っていたのが幸いだった。こうして、蒐集する事が出来た。
「そんな馬鹿な……」
眼前で起きた異常な光景を、オルガルは受け入れ難かった。
幼馴染であるマレットも、魔導具という形で多くの奇跡を起こしてきた。
けれど、アルジェントの起こした光景は違う。未体験の、理解が及ばない領域の出来事。
イルシオンもまた、戸惑いながらも必死に自分の持つ情報を照らし合わせていた。
ミスリアで遭遇した魔力を掻き消す存在とは、似て非なるもの。
あの時は魔力で動いている『羽』は、力を失いその場へと転がり落ちた。
今回は違う。宝岩王の神槍の力によって固められた砂自体も、消えている。
(また新たな邪神の能力というわけか……)
アルジェントは余裕の笑みを崩さない。
まだ何かあるはずだと、イルシオンは紅龍王の神剣を構える。
「んー……。でも、魔力もロクに使わずあの威力だろ?」
アルジェントもまた、オルガルの創り出した大砲の威力に舌を巻いていた。
魔力を込めず撃ち出したにしては、威力が高すぎる。故に彼は、自然とその答えにたどり着いた。
「あ! アレか? もしかしてアンタの槍も、神器なのか?」
どう答えるのが正解なのかと、オルガルが逡巡する。
アルジェントにとっては、それがそのまま答えとなった。
「かーっ、マジかよ。畜生、面白そうな槍だと思ったのになァ。
オレっち、神器はちょっと持てないんだよなァ……。あァ、勿体ねェ」
折角珍しい槍を見つけたにも関わらず、よりにもよって神器だった。
所有者を選ぶ神器は、選ばれた者以外に扱われる事を嫌う。力づくで奪おうとすれば、尚更だった。
天を仰ぐアルジェント。あまりに無防備にも関わらず、イルシオンとオルガルは攻める機を見失っていた。
相手の能力が把握しきれない。色眼鏡によって視線が読めない。不確定要素が強すぎて、動けずにいた。
「……しゃーねェ。ここはとりあえず、お仕事して帰るか。
面白いことも思いついたわけだしな」
気持ちを切り替え、アルジェントはイルシオン達へと向き合う。
彼らの眼前に翳したのは、二枚の札。稲妻の槍と砂の大砲の代わりに現れたものだった。
「――ほら、行ってこい」
アルジェントが札を指で弾く。彼の行動の意図は、その直後に判明する。
弾かれた札から放たれたものによって。
札から飛び出たのは雷の矢と砂の大砲。
紛れもなく、イルシオンとオルガルが放った物だった。
自らの力が、己へと牙を剥く。
動揺する二人に、『強欲』の魔の手は迫っていた。