215.懺悔を聴く神剣
食事を終えたイルシオン達は、街中を歩いている。
案の定とでもいうべきか、オルガルとオルテールは宿代を払う金すら持っていなかった。
仕方がないので、今日はイルシオン達の泊る宿の一室を借りる運びとなった。勿論、イルシオンの奢りで。
「イルシオン、良かったのか?」
三人に聴こえないように、フィアンマが耳打ちをする。
横目で反応を伺うが、自分以外に気付いている様子はなかった。
前方を歩いているマギアの二人は、イディナと話をしている。
彼女は既に打ち解けている。オルテールに至っては、孫を見るような眼だ。
これも彼女の才能なのだろうと、関心すら覚える。
「仕方ないだろう。あのまま放置をすれば、結局は野垂れ死にかねないぞ」
「そっちじゃなくて。マギアの人間と一緒にいる方だよ」
「ああ……」
フィアンマの問いに、イルシオンは煮え切らない反応をする。
実際、どうすればいいのか困っている。けれど、逃げる方が危険だと彼は判断をした。
「むしろマギアと聞いて逃げ出す方が、マレット博士が居ると言っているようなものだろう」
「まぁ、確かに」
イルシオンも、オルガルとオルテールをどう扱うべきかは悩んでいた。
彼らの目的地はミスリアだ。このまま放って別れる事も出来るが、再会する可能性を否定しきれない。
その時にマレットと接触。更には協力関係にあると知られた時、彼らがどういった行動に出るかは予測が出来ない。
気になる点はそれだけではなかった。マレットの捜索は国内外問わず行われていると言った。
彼女の存在がマギアに繁栄を齎したのだから、対応自体は当然だろう。
しかし、その為にミスリアへ派遣した人間がたったの二人という事には違和感を禁じ得ない。
もっと言えば、旅費を工面しない事に対してもだ。
ベル・マレットがそれだけ重要なら、金に糸目をつけている場合ではないと考えるはずだ。
貧乏貴族とその従者。更に遠回りをさせて捜索させるというのは妙な話だった。
結局、オルガルとオルテールが行き倒れているという事実が状況をややこしくしている。
「ところで、お二人はどうして遠回しをしていたんですか?
真っ直ぐ来れば、砂漠も渡らずに済みましたよね?」
談笑をしていたイディナが、ふと疑問に思った事をそのまま口にする。
無邪気な彼女だからこそ、一切の不自然さを纏わずに尋ねる事が出来た。
イルシオンは内心「よくぞ訊いてくれた」と褒めたいところだったが、狙いを気取られない為にも奥歯を噛みしめて声を殺す。
「あはは、痛いところを突かれちゃったかな……」
ふた回りも年齢差のある少女の問いに、オルガルは苦笑いをした。
隣に居るオルテールは、フンと荒くした鼻息が白い髭を揺らしていた。
オルガルはどうして自分達が金欠を戦いながら旅をしていたかを離してくれた。
マギアでマレットを捜索しているのは王家と大臣に近い者達。そして、軍部の者。
彼女の恩恵を強く受けていた者達が、焦りを感じているという。
弱小貴族であり、王家と太いパイプも持たない彼らはマレットの捜索に関しては何も情報を与えられていなかった。
ただ、ゼラニウムの近くに住んでいる以上、嫌でもマレットの噂話は耳に入る。
幼少期からの友人である彼女が失踪したと知り、居ても立っても居られないという想いから捜索を決めたのだった。
「でも、マレット博士は何処へ行ったのか分からないんだろう? どうしてミスリアを目的地に選んだんだ?」
イディナの質問に乗せる形で、イルシオンはミスリアへ行く理由を尋ねる。
返答次第では、この二人を放っておく訳には行かない。
「それは、彼女なら魔術大国を一度見ておきたいと思うんじゃないかって。
魔導石が完成する前は、魔導具もミスリアが圧倒的に売れていたからね。
実際、ミスリアの魔導具を参考にしていたし」
オルガルの言う通りだった。かつて、この世界に普及する魔導具の七割はミスリア製の物だった。
魔術に長けたミスリアは、ミスリルの生成等も手伝って魔力を扱う事に関して常に他国より一歩先を歩んでいた。
魔導具に関して状況が変わったのは、一人の天才の手によってだ。
ミスリアの魔導具は扱うのに多少、魔術の心得を要求する。対して感覚的に術式を代弁するマレットの魔導具は、飛ぶように売れた。
出力についても魔導石の力でミスリア製より遥かに高く、使用者の負担を掛けない仕様となっている。
一般に流通させる時、マレットは誰にでも扱える事を念頭に置いている。それでいて、肝心の彼女の頭脳は唯一無二だった。
もしも彼女に野心があったなら、影でマギアを牛耳っていてもおかしくはない。
(つまり、ビルフレストたちの告発があった訳ではないのか)
オルガルの話を聞いて、イルシオンは胸を撫で下ろした。オルガルは彼女の身を案じているのだろう。
マレットの奪還を大義名分に戦争が勃発するという状況ではなさそうだ。少なくとも、オルガルの手によっては。
「若は人が良すぎますぞ。あの女のせいで、我らはここまで落ちぶれたというのに……」
「オルテール! それは逆怨みじゃないか。ベルは、僕らになにひとつ悪いことをしていない。
それどころか、国民みんなが喜んでいたじゃないか」
毒づくオルテールを、オルガルが嗜める。片方では友人を案じている貴族。もう片方では、恨み節を吐き捨てる従者。
一体どういう状況なのだと、イルシオンとフィアンマは首を傾げた。
「貴公らは、マレット博士になにかされたのか?」
状況的に訊いても不自然ではないだろうと、今度はフィアンマが問う。
待ってましたと言わんばかりに、鼻息を荒くしたオルテールが強い口調で答えた。
「あの女の開発した魔導具で、あれよあれよと軍備は強化されてだな!
我らのような肉体を極めた戦士など、お払い箱よ!
全く。昔からとはいえ、神器をこれほどぞんざいに扱う国などマギアぐらいのものだ!」
憤慨するオルテールだったが、イルシオンが気を取られたのは彼の様相ではない。
当たり前のように言い放った『神器』という単語に対してのものだった。
「神器? まさか、その槍がか?」
「はい。この槍は宝岩王の神槍と言います。
武と大地の神の加護を受けた、正真正銘の神器ですよ」
オルガルはトンと宝岩王の神槍の柄を地面へとついて見せる。
しなやかながら力強い柄と、巻かれた布から大理石のような穂先が微かに見える。
放たれる異質な力を、イルシオンは感じ取った。神器である事は疑いようもない。
「……なんだか、忙しくて眩暈がしてきた」
「だっ、大丈夫ですか!?」
休む間も与えず入り込んでくる情報に、イルシオンは頭を抱えた。
小走りで近寄ったイディナが、心配そうに彼の顔を見上げていた。
……*
宿へと戻ったイルシオン達は、女の子であるイディナを除いて同室を確保した。
一人だけ別室は寂しいというイディナの訴えは却下した。少なくとも、寝る時は自室へ戻るようにと促す。
次にオルテールが「若をこんな雑魚寝に押し付けおって」とボヤいていたが、「施しを受けている立場で何を言っているんだ」とオルガルに窘められていた。
イルシオンだって、本音を言えばベッドがいい。けれど、四人が泊まれる部屋では雑魚寝しか出来なかったのだから仕方がない。
ベッドで疲れを癒すより、オルガルとオルテールを目の届くところに置く事を優先した。
オルテールは、イルシオンが神器の継承者だと聞くと興味深そうに眼を見開いていた。
かつてオルガルの持つ宝岩王の神槍は、彼が所有していたらしい。
神器に敬意を払っている彼は、紅龍王の神剣に対しても想いは変わらない。
「お、おお……。これがミスリアの神器。紅の刀身が、血を滾らせるようじゃ……」
別の生き物のように指を動かしながら、紅龍王の神剣へと近付いていく光景ははっきり言うと少しだけ気持ち悪かった。
所有者のイルシオンが、鞘に納めようかと迷ったぐらいには。
「そういえば、イディナさん。ひとつ訊きたいことがあったんだ。
君はどうして、宝岩王の神槍を運ぶことが出来たんだ?」
「えっ? ふつうに、持って行かなきゃって……」
オルガルの真意が読めずに、イディナは首を傾げる。
彼女の疑問を解消するように、イルシオンが代わりに答えた。
「神器は通常、所有者以外の者が扱うことを許さないんだ。
実際にやってみれば分かりやすいか。イディナ、紅龍王の神剣を使ってみてもいいぞ」
「ホントですか!? 神器を持てるなんて、一生の自慢ですね!」
意気揚々とするイディナに、紅龍王の神剣を手渡す。
直後、圧し潰されるかと思う程の重みがイディナを襲う。紅龍王の神剣を支えきれず、逆に彼女はその場でへたり込んでしまった。
「あっ、あれ? イルシオンさん、そんなに重い剣を振っているんですか!?」
まるで棒切れを持つかのように、イルシオンは紅龍王の神剣を軽々と持ち上げる。
力持ちなんだと感心するイディナに、手を振って否定した。
「違う。オレにとってはむしろ軽いぐらいだ。イディナが継承者でもないのに神剣を扱おうとした結果だな。
オルガル殿が訊きたかったのは、どうして宝岩王の神槍もそうならなかったのかってことだ」
「そう言われましても……。あ! 荷物を運ばないといけないと思っていたからですかね?」
実際、イディナの言葉は当たっていた。彼女は昼間、神器を扱おうなどとは毛ほども考えていない。
結果、宝岩王の神槍も他者を拒否はしなった。
「うーん、神器が荷物か……」
「小娘、無礼だぞ! 由緒正しき神器を、荷物などと!」
「えっ、ええっ!? イルシオンさん、フィアンマさん。助けてくださぁい……」
突如オルテールに叱責されたイディナは、イルシオンとフィアンマに助けを訴えていた。
結局、オルガルが嗜める事によりこの場は丸く収められた。
……*
夜は更けていき、全員が寝静まった深夜。
一人部屋で落ち着かないイディナは、寝付く事が出来なかった。
本音を言えば、雑魚寝で構わないから大部屋で眠りたかった。
イディナは昨夜も熟睡できたとは言い難い。暗闇に身を預けると、どうしても思い出してしまう。
砂漠の真ん中で、砂漠の大蛇に呑み込まれてしまった記憶を。
起きた直後は、何も理解していなかった。
けれど、抱擁するイルシオンの腕。焼き斬られた砂漠の大蛇の死体。
唾液が纏わりついた自分の身体が、生死の狭間に立っていた事を知らしめる。
全てが終わってから、急に恐怖が彼女へ襲い掛かってきた。
落ち着かない。眠れない。足手まといにならないようにしないといけない。
様々な感情が混ざり合い、彼女を休息へ誘う事を拒絶する。
「どうしよう……」
真っ暗な天井を見上げながら、寂しそうにイディナが呟いた時だった。
隣の大部屋から、布の擦れる音が聴こえる。部屋を区切っている幕が、上げられたものだった。
ゆっくりと、慎重に歩いてこそいるが完全に音を殺しきれていない。
やがて静かな足音は、宿から消えていった。窓の外から見えるのは、人影。見覚えのある人物だった。
「……イルシオンさん?」
その手には紅龍王の神剣が握られている。
こんな深夜に一体何があるだろうと、イディナは後を追う事にした。
……*
宿から外に出たイルシオンは、星明りに照らされていた。
建物の影隠れ、砂の上に腰掛ける。完全に置かれたのは、自らの扱う神器、紅龍王の神剣。
「紅龍王の神剣、オレの話を聞いてくれるか……?」
いつになく自信を失った声で、彼は語り始めた。
事の発端は、宿で神器について会話をした時まで遡る。
マギアの神器継承者は、一体どうやって神器の力を引き出しているのかという質問。
魔力の強いミスリアの人間ならいざ知らず、他国の人間で神器を扱えるのかという疑問からだった。
「そもそも、魔力なんて必要ないわ。小賢しい小僧め」
呆れるように吐き捨てたのは、白髪の老人。先代の宝岩王の神槍の継承者であるオルテールだった。
彼は言った。信仰するべき神にきちんと祈りを捧げ、神器から力を引き出すのだと。
妖精族の女王であるリタも、同様の事を言っていた。
だが、紅龍王の神剣を生み出した神をイルシオンは知らない。
紅龍族の王であるフィアンマでさえも、自分とは無関係だと全く覚えてはいなかった。
「馬鹿者が! それでよく神器に見棄てられないな!?
儂はそっちの方が不思議でしょうがないぞ!」
「ま、まあまあ。ステラリード卿、それでは神器へ語り掛けてみてはどうですか?
偽りのない本心をぶつけることで、神器もきっと貴公への理解を深めますよ」
怒り狂うオルテールを抑えながら、オルガルは助言を送る。
考えてもみなかった。自分の本心を、紅龍王の神剣に理解してもらおうだとは。
そして彼は今、紅龍王の神剣と対面している。
深夜を選んだのは、他の誰にも聞かれたくなかったからだった。
しかし、彼の思惑とは裏腹にイディナが息を潜めていた。
いつになく真剣な彼の様子に、声を掛けるタイミングを見失ってしまった。
盗み聞きは悪いと思いつつも、気取られる事を恐れてこの場から動けない。
「――オレは、怖い」
(え……?)
彼が吐露した心境は、イディナにとって意外な言葉だった。
いつも勇敢で、どんな火の粉も振り払う。自分の命だって救ってくれた。
戦いにおける恐怖心など、ないと思っていた。
けれど、違っていた。
彼が怖いのは、決して戦いではない。
「シン・キーランドへ刃を向けた時。周りはオレを止めようとしてくれた。叱責してくれた。
自分でも、本心では間違っていると思っていた。
止めてくれて、手を差し伸べてくれて本当に感謝している」
一言一言、ゆっくりと本心を紡いでいく。
どんなに情けない事でも、きっちり口に出していった。
(なんの話だろう……?)
三日月島での事情を知らないイディナは、イルシオンの言わんとしている内容が理解できない。
けれど、とても大切な話をしているのだと下唇を噛んだ。
耳を塞ぐべきなのだとも思ったが、好奇心がそれを拒絶した。イディナも、イルシオンの本心を知りたかったから。
怖いものは一体何なのか。自分で取り払えるものなのだろうか。
いつしかイディナは自らが闇を恐れる事よりも、イルシオンの恐怖を取り除きたいという想いの方が強くなっていた。
「だけど、それだけなんだ。他は誰もオレを責めたりしない。
クレシアが死んだのは、オレのせいなのに。オレが未熟で、なんでもできると思い込んで。
彼女がどれだけ救けてくれたか知っているはずなのに、理解していなくて。最期まで甘えたままで。
オレが全部悪いのに、誰も責めない。ヴァレリア姉も、クレシアの母上も。いっそ、罵ってくれた方が楽なのに……!」
いつしか声は上擦っていた。嗚咽混じりに、イルシオンは想いを吐露する。
「責められないことが怖くて、オレは紅龍王の神剣に縋った。
強くなれば、どんな敵でも倒せるようになれば。せめて堂々としていられるんじゃないかって思って。
だけど、オレが一方的に願うだけじゃ紅龍王の神剣は応えてくれない。
そうだよな。ただの我欲だもんな。でもさ、他に知らないんだよ。クレシアに償う方法が……!
だからせめて、誰かオレを責めてくれ! 罵ってくれよ! クレシアが死んだ怒りを、オレにぶつけてくれよ!」
イルシオンは、沈黙する紅龍王の神剣へ本心を曝け出した。
力を貸して欲しい。そうでなければ、自分を責めて欲しい。どちらも彼の我欲。
自分勝手な振舞いや言動で、神器が応えてくれるとは思えない。本心を語る前から、イルシオンは半ば諦めていた。
けれど、オルガルの言葉で決心をした。ずっと蓋をしていた気持ちを、口に出す機会として。
結局はそれすらも、我欲から来る行動なのだと自嘲しながら。
「で、でもっ! イルシオンさんはぼくを救けてくれました!」
「イディナ!?」
己を責め続けるイルシオンに我慢できず、イディナは彼の前に姿を現した。
自分がもう見たくなかった。自分を容赦なく傷つける、恩人の姿を。
「……イディナ。どうしてここにいるんだ?」
振り返ったイルシオンは、自分の瞳が潤んでいる事に気が付いた。
慌てて袖で目を擦り、涙を隠す。
「えっと、その……。盗み聞きしていました、すみません。
でも! イルシオンさんはたくさんの人を救けています!
砂漠の魔物に困っている人も、行き倒れになっているオルガルさんとオルテールさんも!
クレシアさんのことも、ちゃんと向き合ってるじゃないですか!」
「それはオレの我欲であって、義務だ」
「だったら、誰よりもイルシオンさんがご自身を責めているじゃないですか!
ヴァレリア先生も、解ってるからイルシオンさんに何も言わないんじゃないですか!?」
声を荒げるイディナに、イルシオンは閉口した。何も言い返せなかった。
いつしか彼女の瞳にも、大粒の涙が浮かんでいる。何故彼女が泣いているのか、今のイルシオンには理解できなかった。
鼻息を荒くして、イディナが言葉を続けようとした時。それは起きた。
「な、なんだ!?」
突如、街中に響き渡る悲鳴。間も無くして家屋の窓を突き破って現れるのは、無数の魔物。
現れたのは上級悪魔と下級悪魔。凡そ、砂漠には存在していないはずの魔物。
「街中に魔物だと……!? イディナ、フィアンマたちを起こしてきてくれ!
その間は、オレが魔物たちの相手をする!」
「はっ、はい!」
宿へと走るイディナ。イルシオンは魔物に応戦するべく、紅龍王の神剣に手を取る。
急いでいたが故に、彼は気付いていなかった。この時の紅龍王の神剣が呼吸をするかの如く、微かに紅く灯っていた事を。




