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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:間章 行き倒れの没落貴族
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214.ノブレス・オブリージュ

 男とその従者は、既に指一本たりとも動かす気力を残してはいなかった。

 振り返ればこの旅路で、運が良かった事など一度もない。

 

 直行便の代金を節約しようと、遠回りになるが安上がりの航路を選択した。

 初めて揺れる船に、二人揃って酔う始末。高くつこうが直行便を使っておけばと後悔する。

 いや、使っておくべきだった。現在(いま)のように、無一文になる運命を知っていれば。


 初めての国外への旅。従者の男はかつての経験から自信満々に先導をした。

 もう随分年を召したが、かつては腕利きの実力者。従者に全幅の信頼を置いている男は、疑わずについていった。


 結果は凄惨としか言いようが無かった。

 乗り継ぐ為に中継したリオビラ王国で、持っていた財布がいとも簡単に掏られてしまう。

 これにより、手元に小銭しか残らなくなった彼らの旅は大幅に難易度を増してしまう。


 漸く突入したラーシア大陸だが、その場所は南に位置するフレジス連邦国。

 目的地のミスリアまでは、砂漠の国(デゼーレ)を通過しなくてはいけない。


 手持ちの金品を売り払う事で旅を続けていた二人だが、ついに売る物すらなくなってしまう。

 紆余曲折あり、砂漠の国(デゼーレ)までたどり着いたというのに。


 そこで彼らは、最後の大勝負に出た。

 砂漠の国(デゼーレ)の砂漠は時折、砂嵐が発生する。命の危険から、収まるまで砂漠を渡ろうとする者は居ない。

 足止めを食らう者達は暇を持て余している。そんな彼らに金を落としてもらうべく、娯楽施設が充実していた。

 勿論、賭博施設も例外ではない。大々的に営業している所や、宿の一室でひっそりとやっている所。様々な賭場が、砂漠の国(デゼーレ)には存在している。


 男と従者は勝負に出た。賭場で路銀を稼ぐしか無いと。

 元より動体視力と反射には自信がある。もし不正(イカサマ)を働く者が居れば、突き出せる。

 ならば正々堂々運のみの勝負になると、賭場へと乗り込んだ。

 

 彼らはこの時点で気付くべきだった。

 金というのものは寂しがりやだと。金がある所へ、集まっていくのだと。

 

 自慢の胴体視力も反射も、百戦錬磨の猛者の前では意味を成さなかった。

 意識の外から繰り出される不正(イカサマ)。気付いていなければ、見る事も触れる事も叶わない。

 最終的にはその心理状態を見破られ、弱気になった所を攻め込まれる。

 

「オラ、もう出すもんねぇなら出てってくれや!」


 摘まみだされるように、男と従者は賭場から追い出される。

 身包みを剥がされ、とても灼熱を耐えられないような恰好でフラフラと街を歩いていく。


 家宝の槍が重い。これを担保に入れなかったのは最後の良心だった。

 一応、越えてはいけないラインを守っている。そのせいで余計に心理状態を読まれてしまった訳だが。


「わ、若……。面目ありません。この儂が、ついていながら……」

「じいやは悪くないよ。僕も迂闊だった……」


 少しでも陽の光を遮ろうと、路地裏でへたり込む。

 宿はおろか、水を買う金すらない。汗の一滴でさえ、死へ直結する。


 既に心身ともに限界は超えている。

 男とその従者は路地裏で身を寄せ合いながら、ひっそりと意識を失った。


 ……*

 

 魔物退治を終えたイルシオン達は、砂漠の国(デゼーレ)にある街へと戻っていた。

 冒険者ギルドで巣を駆逐したという報告を以て、国境警備隊にも伝わる手筈だった。

 

「あのう……。イルシオンさん、フィアンマさん」


 そんな折、イディナが路地裏を覗き込む。

 二人より目線の低い彼女は、人目の付かない場所で転がっている男達の姿を見つける事が出来た。


「どうした、イディナ?」


 彼女の呼び掛けに応じて、イルシオンが足を止める。

 一体路地裏に何があるのかと、彼女の頭上から同じ場所を見下ろした。


 そこに居るのは、倒れた男が二人。片方は30代半ばぐらいだろうか。

 黒い髪に、やや堀の深い顔。凡そ砂漠を越えようとは思えない薄手の服を着て、その場に倒れ込んでいる。

 

 もう一人の男は、更に深刻だった。

 ボサボサの白髪と白髭で、目元が完全に隠れてしまっている。

 衣類は男よりももっとひどい。服というか、布を巻いているだけだ。

 はみ出た手足に刻まれた無数の皺が、老人だという報せてくれる。


「あ、あの。大丈夫ですか……?」


 イディナの呼び掛けに、二人は一切応答しない。

 蟻が隊列を作って、彼らの指先へと乗っている。皮膚の皮を齧っているようにも見えた。


「死んでないか、それ?」


 イルシオンの頭上から顔を覗かせたフィアンマが、淡々と言い放った。

 彼にとっては特別な光景ではない。渡り龍であり、火山を棲み処とする火龍(サラマンダー)

 龍族(ドラゴン)に一目会おうとする道中で、野垂れ死ぬ冒険者や魔物は数多く見て来た。


「でも……」


 イディナは眉を下げながら、二人の顔色を伺う。

 想像以上にイルシオンの顔が近かったので、僅かに心臓が跳ねた。


「どうかしたのか?」

「いっ、いえ! あの人たち、まだ死んでいるわけじゃないかもって思って!」


 慌ててイルシオンから顔を背けるイディナ。

 避けるような行動を取って、気分を害していないだろうかと心配になる。

 誤魔化すようにして倒れている男達へ手を差し伸べようとしたところを、イルシオンによって遮られる。


「あの、イルシオンさん?」

「オレが行く。もしかすると罠かもしれない」


 路地裏へ入り込み、しゃがみ込んだイルシオンは男と老人の顔をまじまじと見る。

 所々皮膚が乾燥して、唇なんて割れている。これだけ無抵抗なのだから、虫も登る訳だと妙に納得をした。


 本当に死んでいるかもしれないと思う一方で、男の手元に転がっている槍が気になった。

 イルシオンは槍に明るい訳ではない。それでも、気になってしまった。

 素人目にも判る程の名槍なのかと、手を伸ばした瞬間。


「それ……だけは、だめ……です」


 イルシオンの袖を摘まむのは、先刻までピクリとも動かなかった男だった。

 ほんの僅か頭を持ち上げ、息も絶え絶えで言葉を発する。

 屍人(ゾンビ)の可能性が脳裏を過ったが、直ぐに否定する。彼らは、言葉を発する程の知能を有していない。


「生きてる……のか」


 後ろを振り返ると二人の連れは異なる反応を示していた。

 救けようと息巻いているイディナと、どちらでも良さそうなフィアンマ。

 特にイディナは、目が輝いている。貴族的振舞いノブレス・オブリージュを、期待しているようだった。


「生きているのなら、見棄てるつもりはないけどな」

「ありがとうございます!」


 英雄を志していた少年からすれば、ここで救けない選択肢は存在していない。

 イルシオンとフィアンマがそれぞれ男と老人を背負い、イディナが転がっている槍を拾う。

 狼狽える男に「大丈夫ですよ!」と八重歯を見せた事に、男は目を丸くしていた。


 この少女(イディナ)は、神器に対して何の欲も抱いていないのかと。


 ……*


 食後に砂糖をたっぷりと入れ、煮出しした紅茶を口に含むイルシオン。

 アクセントとして入れられた香辛料と花の香りがマッチして、癖になりそうな味わいだった。

 

 美味である事には間違いない。何なら、ミスリアに帰っても定期的に飲めないかと考える程だ。

 けれど、流石に四杯目となると腹に溜まる。身体を動かせば、胃の中で波が立つであろうぐらいには溜まっている。

 まだ食事を終えていない者を待っていたのだが、もうこれ以上は飲めそうにない。


「もごっ! ふぉのたびは! なんふぉお礼を、言えばいいのふぁ!」

 

 行き倒れていた男と老人は、次々と運ばれていく料理を口の中へと放り込む。

 咀嚼しているのかと疑わしい程、呑み込んだ際に喉が膨らむ。

 イディナは砂漠の大蛇(サンドボア)に呑み込まれた事を思い出して、唇をまごまごと動かした。

 

「食べるのか喋るのか、どっちかにしてくれ」


 若干呆れながら、イルシオンは言った。彼ら、特に男は仕草から一通りの食卓の礼儀作法は学んでいるように思えた。

 それでいて尋常じゃない速度と量で口に含んでいるのだから、行儀が良いのか悪いのか判らないが。


「小僧! 若になんという口を!」

「やめてくれ、じいや。じいやだって、彼らは恩人だと理解しているだろう。

 親切な方、この度は感謝してもしきれない。食事だけではなくて、衣類まで……」


 深々と頭を下げた男は、額が机に触れる。

 男と老人の装いは襤褸切れから砂漠で過ごすに相応しい程度の服装へと変わっていた。


「別に構わない。見棄てても目覚めが悪いしな」

「この恩はいつか、必ず返させて頂きます」

「無理はしなくてもいいんだが」

「いえ、必ず!」


 物凄い剣幕で迫られるが、砂漠の大蛇(サンドボア)砂漠蟲(デザートワーム)の駆除で得た報酬をつぎ込んでもまだお釣りがくる。

 貴族であるイルシオンにとっては、大した出費では無かった。

 

「そんなことより、お前たちは旅人か? いくらなんでもあの装備で砂漠を越えるのは無理があるだろう」


 雑巾ぐらいにしかなりそうもない襤褸切れは、既に棄てられた。

 よくぞあんなものを服として扱おうとしたものだと、フィアンマは感心すら覚える。


「いやあ、お恥ずかしい話ですが――」


 男は照れながら、道中で起きた事を全て話した。

 財布が掏られた事も、博打で有り金を全て失った事も。


「……本当に恥ずかしい話だな」

「小僧! 若になんたる無礼を!」

「じいや! 何度も言っているだろう! 恩人に無礼を働いているのは、君じゃないか!」

「ぐ、ぐぬぅ……。ですが、若……」


 先刻からこの老人は、『若』が馬鹿にされたと判断した時に声を荒げている。

 疑問を確信に変えようと、イルシオンは男へと尋ねた。


「先刻からこの老人に若と呼ばれているが、貴様はどこかの国の貴族なのか?」


 イルシオンからの問いに、男はきょとんと惚けた顔をする。

 僅かな沈黙の後、自らの身分を明かしていなかった事を謝罪した。


「これは申し訳ありません。僕はオルガル。

 オルガル・バクレインと言います。マギアで、弱小ながら貴族をさせていただいています。

 こちらは、執事のオルテール。と言っても、今は僕とじいやの二人しかいないんですけどね」

「フン! 若の御力があれば、すぐにバクレイン家も再興できますぞ!」

「マッ……」

 

 鼻息を荒くするオルテールだったが、そんな事はどうでも良かった。

 イルシオンとフィアンマは、互いの顔を見合わせる。互いに言わんとしようとしている事は、視線だけで伝わっていた。

 

 テランやリシュアンから得た情報で、ミスリアへ侵略を開始する可能性のある国。

 砂漠の国、デゼーレ。そして魔導大国マギア。

 まさか砂漠の国(デゼーレ)で、マギアの人間に遭うとは夢にも思ってはいなかった。

 

(どういうことだ? デゼーレとマギアは手を組んだのか?)

(手を組んだのなら、あんな所で行き倒れないだろ)


 アイコンタクトで必死に意思疎通を図る二人。

 オルガルとオルテールが行き倒れていた事により、砂漠の国(デゼーレ)がマギアと手を組んだ線はないだろうという結論に至る。

 

(とにかく! オレたちがミスリアの人間だと知られないように――)


 イルシオンの視線に、フィアンマが何度も首を上下させる。

 なんとしても隠し通そうとしていた所だったが、一歩遅かった。


「そういえば、皆さんも旅の方ですか? 装いが街の方とは違うようでしたし」

「はいっ! ぼくたちは、ミスリアの方から来ました!」

(ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!)


 イルシオンとフィアンマの制止は間に合わない。

 事情を知らないイディナが、満面の笑みで答えてしまった。


「……ミスリアの方でしたか。奇遇ですね、僕たちもミスリアを目指していたのです」


 オルガルの声が、低くなる。様相が一変し、剣呑な雰囲気が生まれた。

 従者であるオルテールも白髪によって視線が隠れているのが不気味だった。緊張感が、この場の空気を支配する。

 下手に誤魔化そうとするのは逆効果だと判断したイルシオンは、いっそ素性を明かす事にした。


「ああ、ミスリア五大貴族が一家。紅炎の貴公子ことイルシオン・ステラリードはオレだ」

「……その二つ名は知りませんが、五大貴族は勿論存じています。

 成程、大層身分の高い方でいらしたのですね」


 落ち着いているようで、どこか高揚を失った声。オルガルの心境が計り知れない。


「紅炎の貴公子っていうのは、ぼくも初めて聞きました」

「あれは自称だ。ハッタリ利かせたけど通用しなかったんだ、流してやれ」

「そこ! うるさい!」


 自分を間に挟んで、イディナとフィアンマはぼそぼそと会話をする。

 スルーされたと思えば、蒸し返される。流石のイルシオンも、気恥ずかしさを覚えた。


「それで、ミスリアには何の用があるんだ?」


 イルシオンの問いに、オルガルは視線を泳がせる。

 オルテールは頷いている。彼の好きにすればいいという事なのだろう。


「実は、友人を探しているのです」

「友人?」

「はい。彼女は、マギアにとって重要な人物です。ですが、ある日突然姿を消してしまいました。

 マギアでは国内外を問わず、彼女の行方を捜索しています」


 その人物には心当たりがある。いや、むしろ彼女だとしか思えない。


「念のために訊くが、その女性の名は?」

「……マレット。ベル・マレット。マギアを魔導大国に押し上げた、天才です」


 案の定、予想通りの名前が出てきてしまった。

 自らの顔が引き攣っている事に、イルシオンは気付いていない。

 一体どうするべきなのかと、頭を悩ませていた。


 ……*


 同時刻、同じ街の賭場にてそれは起きた。


「アーッハッハッハッハッハ! 悪いねェ!

 ほら、やっぱ金ってやつは寂しがりやだからよォ! やっぱオレっちみたいに、金持ってる奴のとこに来るんだよねェ!」


 嘲笑うかのように、両手を慣らす男。

 純金製の手甲で右手を覆っているその男は、他人を見下すような下品な高笑いを続けていた。


「か、勘弁してくれ……! その金が無いと、家族に飯が!」

「あァん? 逆だったら、オレっちから毟り取ってたんだろォ? イカサマまでしてよォ?

 負けたら泣き落としってのは、ちょーっと芸がないんじゃないのかなァ?」

「た、頼む……!」


 深々と頭を下げる負け犬の姿に、男は肩を竦めた。

 横一列に並んでいるカモを見るのは爽快だったが、こいつらを使ってもっと楽しむ方法を思いついてしまった。


「……なら、いいぜ。金は返してやらァ。オレっちもちょーっとやり過ぎたしな」

「ほ、本当か!?」

「あァ、本当だ。こいつは誓いの証だ、まァ、飲んでくれや」


 男はどこからともなく取り出した酒を、全員へ注いでいく。

 薄暗い部屋では、どんな酒かは判らない。ただ、敗北者達は金が戻ってくる事に歓喜していた。


「ほんじゃ、カンパーイ!」


 男の一声を同時に、全員が注がれた酒を飲み干す。


「ん……。なんだか、妙な味だな」

「そうかい? 珍しい酒だからな、慣れてねェだけだろ。

 そんな事よりホラ、約束通り金は返してやるよ」


 敗北者の前に投げ出されたのは、大量の金貨が入った袋。

 自分の負け分。或いはそれ以上を確保しようと、一斉に群がっていく。


「くっくっく……。全く、強欲な奴らだなァ……」

 

 あまりの滑稽さに、男は笑いを堪え切れずにいた。

 彼らは自分達が悪意に晒されている事に、気付いてもいない。

 

 砂漠の街に混乱を巻き起こすのは、これから間も無くの事だった。

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