21.罠を突破せよ
「大丈夫か?」
マナ・ライドから降りたシンはアメリアにその手を差し出す。
「は、はいっ! ……ありがとうございます」
差し伸べられた手は手袋越しでも判る程にごつく、大きく感じた。
騎士団の訓練で鍛えられた手はいやと言うほど見てきたアメリアだったが、何故か心臓の鼓動が速くなる。
「あたし達はあっちに行ってくる! シンはこっち任せるね!」
「ああ、頼んだ」
フェリーはマナ・ライドを再び走らせると、ピースと共に黒煙の立ち昇る爆心地へと進んでいく。
フラフラと蛇行しており、ピースが必死にしがみついているのがシンには不憫に思えた。
実際、自分が稲妻弾で上級悪魔を狙撃するのもその蛇行が原因で苦労をした。
側車で重心がズレているのは確かだが、フェリーの運転は速度を出すのに夢中になり過ぎるきらいがある。
ピースの身体が保てばいいのだが――。
「あの、どうして貴方達が……」
アメリアが動揺を隠せないまま、シンに尋ねた。
ピアリーと違い、ここで騒動が起きた時に彼等は街に居なかった。
ウェルカどころか、ミスリアの国民ですらない。
それなのに、何故――。
「街の方から煙が上がっているのが見えたんだ。
フェリーが行きたいって言ったから、俺はそのついでだよ。
礼ならフェリーに言ってやってくれ」
アメリアはまた胸が熱くなるのを感じた。
こんな地獄のような場所についでで来れるはずがない。
命を懸ける事が、付き添いで出来るものか。
彼女が心優しい人間だというのは、間違いない。ピアリーでの出来事も、解決してくれたのは彼女だ。
でも、それと同じぐらいこの男性も優しいのだ。
絶望しかけたこの戦場で、もう一度立ち上がらないといけない。
そう思わせてくれただけで、アメリアはいくら感謝をしてもし足りなかった。
「それで、状況は?」
街の惨状を見ただけで、芳しくない事は判る。
実際、下級悪魔と上級悪魔が街中で入り混じっているこの状況は、地獄絵図と呼ぶに相応しい。
それでもシンは自分の予測と現状の突合をしたかった。
優先順位と選択を誤らない為にも。
「それは――」
魔物と交戦の手を休める事なく、シンはアメリアの説明を聞き終えた。
話を聞きながらも確実に狙撃を成功させるシンの姿にアメリアは驚いていたが、アメリアの援護があっての事だった。
「――というわけです」
事の発端から概ね自分の睨んだ通りだった。
「成程、助かった。こっちは――」
今度はシンが、ソラネルから向かう事になった切掛を話す。
「そんな事が……」
アメリアの顔が重苦しいものに変わる。
まさか、既にシンとフェリーに刺客が送られているとは考えもしていなかった。
ウェルカの混乱と同じ手段が使われている事から、ダールは相当な時間を掛けて準備していたと窺える。
「すみません。私がもっと早く石の破壊と、コスタ公を裁いていれば……」
「あなたが謝る事じゃない。悪いのはここの領主とその息子だ」
悪事を働いた者ではなく、この国を大切に思っているアメリアが謝る理由はひとつもない。
相手は貴族なのだから慎重になる事も、『核』と呼ばれる石についても調査する事も当然の行動だ。
それに、結果として自分達が援護出来るタイミングでの出来事だった。
あと一日ズレていれば、自分達は違うルートを歩んでいただろう。
「まだ救える命がある」
「……はい」
アメリアは護れなかった命が多くある事に胸が張り裂けそうになる。
それでも、まだ救える命をひとつでも増やすべきだと前を向く。
そう思わせてくれた恩人に報いる為にも。
シンは考える。
厄介なのはアメリアや騎士団を混乱に陥れた元凶。
一斉ではなく、時間差で魔物を出現させた事。
この問題の解決に焦点を置くべきだと判断した。
アメリアは考える。
ダールを連れて行った上級悪魔は、シンによって狙撃された。
ウェルカに不時着したのであれば、街に潜伏している可能性が高い。
今度こそ確保しなくては。
その為に一刻も早くこの混乱を止める必要がある。
「フォスター卿」
「はい?」
アメリアの説明の中で、シンには引っ掛かる部分があった。
「魔物が現れる時に感じた魔力は、最初だけなのか?」
最初の魔物の発生で「魔力を感じた」と、アメリアは言った。
魔術を使えない自分は勿論、魔導刃を起動できるフェリーやピースもそんな事は一言も言っていなかった。
尤も、ピースはこっち世界に来たばかりでその感覚が解らない可能性が高い。
フェリーは……あの通り性格が大雑把なのでそもそも気にしていないだろう。
アメリアの感覚がその一度だけだったのか、シンは確認したかった。
前者なら術の発動で魔力を感知したのだろうが、後者なら今も度々発生している事になる。
「意識したのは、館の中だけですね。
正確に言えば、その後は気にする余裕がありませんでした」
魔物が出現してからは戦闘続きなのだから、当然かもしれない。
「フォスター卿、今からそれを探る事は出来るか?」
「いえ、戦闘しながらですとどうしても微妙な魔力を感知するのは難しくて……」
実際、アメリアは戦闘を開始してから魔物の感知は悲鳴や肉眼に頼っていた。
「解った」
「え?」
シンはそれだけ言うと、狙撃銃から拳銃に持ち替える。
近くの敵は主にアメリアに任せていたが、それを撃つ為だった。
「すまないが、これから魔力の動きだけに注意して欲しい。
最初に術を起動した時だけ魔力を感知出来たのか、それとも出現の度に感知出来るのか。
それが知りたい。協力してくれ」
もし後者ならば、カモフラージュも見破れる。
そう言いたいという事はアメリアも察した。
「しかし、先程も言った通り戦闘をしながらでは――」
アメリアの言葉を遮るように、銃声が彼女の背後にいた下級悪魔を撃ち抜く。
「あなたは魔力の感知だけに集中してくれればいい。
周辺の敵は全部俺が相手をする」
「そんな、無茶です!」
下級悪魔も、上級悪魔もまだ沢山残っている。
これ以上、戦力を割く訳にはいかない。
「判っているはずだ、このままじゃ見える魔物を倒し切っても疑心暗鬼に捉われる。
魔力が感知できるなら振り回される事も無くなるんだ」
「それは、そうですけど……」
シンの提案は判る。
それでもアメリアが煮え切らないのは、シンの身を案じての事だった。
責任感と、これ以上迷惑を掛けられないという申し訳ないという気持ちが入り混じる。
「大丈夫だ、あんたの事は絶対護る。
だから魔力の感知に集中して欲しい」
「――っ!!」
――護る。
アメリアは自分がその言葉を口にした事は、数えきれない程にある。
しかしながら、自分が言われた経験は一度たりとも無かった。
生まれながらに五大貴族としての在り方を叩き込まれ、剣術と魔術の研鑽にその人生を費やしてきた。
結果、神器の加護も受け彼女自身がミスリア内でトップクラスの武力を保有している。
更に言えば、その正義感からか弱き民を率先して助けて生きてきた。
故に、自分が護る事はあっても護られるという経験をした事がない。
アメリアの心臓の鼓動が速くなる。
そんな状況では無いと頭で理解しているのに、その鼓動は戦闘時より激しくなる。
「俺には出来ない、頼む」
「――解りました。必ず見付けて見せます」
彼の期待に応えたいと、アメリアは大きく深呼吸をする。
一方のシンは、冷静に状況を判断する。
(下級悪魔は兎も角、上級悪魔が厄介だな……)
魔力の感知を頼んだ以上、アメリアを全力で護り抜く必要がある。自分で言い出した事だ。
それも魔力が発生する魔導弾抜きでだ。
通常の弾丸で下級悪魔は落とせるが、上級悪魔には通用しなかった。
(やりようによる、か)
自分に出来ない事をアメリアには頼んでいる。
それを援護するのが務めだ。と、シンは自分に言い聞かせた。
……*
そこから先のシンの立ち回りは見事なものだった。
下級悪魔を銃で倒しつつ、上級悪魔への牽制も忘れない。
時に下級悪魔の灰を投げ付ける事で、上級悪魔の視界を一時的にリセットさせる。
その隙にアメリアが上級悪魔の視界に映らないよう移動し、意識をあくまで自分自身へと向けさせる。
上級悪魔が口を開けた時がシンにとってほぼ唯一と言っていい好機であり、幾度となくその口内に銃弾を撃ち込んだ。
時間が凝縮されたような感覚に陥りながらも、決して集中力は切らさない。
十分にも満たない時間だったが、シンは確かにアメリアを護り抜いた。
「――ありました!」
その期待に応えるように、アメリアが叫んだ。
「本当か!?」
「魔物が現れる直前から、その人に不自然な魔力が発生しています。
意識していれば戦闘中でも気付けると思います」
それを聞ければ十分だと、シンは一度魔物と距離を置く。
その距離を詰めようとする上級悪魔に向かって、稲妻弾を撃ち込む。
痺れた上級悪魔の首を、先刻の再現をするようにアメリアが斬り落とした。
「フォスター卿は感知に集中してもらってもいいぞ」
「いえ、まだ私も戦えます。やらせてください」
シンが気圧されそうな程、その眼は力強かった。
「判った、無理はしないでくれ」
「はい!」
アメリアの魔力感知を頼りに、二人は魔物を討ち進んで行く。
……*
一方で、フェリーは自身の力業で同じ問題の解決を試みていた。
「てえぇぇぇいっ!!」
フェリーは茜色の刃で次々と魔物を焼き斬っていく。
空に逃げる相手はピースが風の刃で撃ち落とし、フェリーが止めを刺す。
避難している人々へと道が拓けた所で、フェリーが
言った。
「ピースくんは避難した人から離れてるヤツを任せてもいい?」
「え?」
ピースはフェリーの意図が汲み取れずにいた。
いや、彼女が言わんとしている事は判るのだ。
道中で上級悪魔に苦戦する人を助けた際に、時間差で魔物に変わる人間が居る。
鎧を着込んでいたので、恐らくさっき会った青髪美女の関係者だと思う。
その人から聞かされていたので、不意打ちを警戒しての発言だと言うのは判る。
それならば、何故自分だけ接近を禁止されるのだろうか。
「や、あたしは死なないからさ。
サイアク襲われてもなんとかなるよ。
逃げた人が襲われたら困るから、どっちか見ておく必要はあるでしょ?」
ピースは絶句した。
避難した人がまとめて襲われては本末転倒なのは判る。
しかしその対策として、自分の身を平然と犠牲にするのは正気の沙汰とは思えない。
「フェリーさん、それは……」
「あたしのワガママでウェルカに来てもらったんだから、出来るコトはやらなきゃ」
その強い眼差しで、ピースは何も言えなくなった。
責任感というよりは、『こうあるべき』という強迫観念に近い気がする。
過去に何があったのかは敢えて訊かなかったが、青ざめた顔といい只事ではない気がする。
シンならば、代案を出す事が出来たのだろうか?
(いや……)
彼もフェリーごと暴漢を撃ち抜くという無茶をやらかしている。
件の出来事はフェリーの体質と情報の整理を兼ねていたのだが、ピースにそれを知る由は無かった。
しかし、その件でピースはある事を思い出す。
昨日の下級悪魔は死体からでも現れていた。
「フェリーさん! それならせめて死体から離れて!
奴らは死体からでも現れます!」
「そっか、そうだったね。
ありがとう、ピースくん!」
焼石に水ではあるが、少しは強襲を受ける確率が減らせるだろう。
不老不死といえど、あまり命を粗末に扱って欲しくはない。
本人があっけらかんとしていても、ピースの心が保ちそうにない。
後はこの戦いがどれほど続くか、だが。
ピースは「心が折れる前に終わりますように」と呟いた。
……*
シンとアメリアが魔力の感知に成功し、フェリーとピースが避難する人の護衛に回ったのとほぼ同時刻。
シンの稲妻弾によってウェルカ街内に不時着したダールは、苛立ちから爪を噛んでいた。
まさか街の外から攻撃を受けるとは思っていなかった。
この上級悪魔も翼を破壊され、満足に空を飛べそうにない。
例え飛べたとしても、また狙撃の餌食になる恐れがある。
エコスが失敗した事もだが、一度ならず二度までも自分の邪魔をするマギアの人間が心底鬱陶しい。
アメリア共々、大きな障害となりそうな奴等はウェルカで確実に殺しておきたい。
ダールはエコスに飲ませたワインと同様の物を取り出して、それを指につける。
そのまま地面に指を滑らせ、インク代わりに円を描き始めた。
戦いはまだ、終わりそうに無かった。




