211.思い掛けない再会
イディナの両親は、ラットリアで大衆食堂を営んでいる。
彼女の祖父の代から続くの店は、常連客で賑わっていた。
「たっだいまーっ!」
勢いよく開かれた扉に狭い店内がどよめき、静まり返る。
鐘の音だけがカランと鳴り響き、全員の視線が一点に収束する。
ついこの間までホールを賑わせていた看板娘の帰還に、全員ぽかんと口を開けていた。
……*
「もう! 返ってくるなら連絡ぐらいしなさい!
『騎士になる』なんて言って家を飛び出したのに、すぐに諦めて帰ってきちゃったのかと思ったじゃない」
トレーを胸に抱えながら、イディナの母がため息をつく。
久しぶりに会った娘が元気そうで何よりなのだが、あまりに唐突だった為につい小言を言ってしまう。
「そんなわけないよ! これでも『筋がいい』って先生に褒められてるんだから!」
「アンタがねえ……?」
「むっ! お母さん、疑ってるでしょ?」
眉間に皺を寄せるイディナ。
腕を組んでぷいっと顔を母から逸らすが、代わりにニヤニヤと笑う常連客と目が合ってしまう。
「そりゃそうだ。あのイディナちゃんがねぇ……」
「ちょこまかと動いてたけど、剣を持ってもそそっかしそうだもんな」
「ちげえねえや」
ウエイトレスの真似事をしている幼少期のイディナを思い出しながら、常連客達が笑い声をあげる。
所狭しとちょこまか動き回る彼女の姿が、まるで昨日の出来事かのように鮮明な映像で蘇る。
からかわれたイディナは「もう! みんなまで!」と憤慨しているが、どこか楽しそうでもあった。
「ん、んんー! あーっ……」
笑い声が絶えない食堂の中、面白くなさそうに咳き込む男が一人。
この食堂の主人であり、イディナの父だった。
しんと静まり返った食堂。先刻まで笑い声を上げていた全員の視線が、一ヶ所に集まる。
「イディナ。ところで、だな。その……。そこの御仁は、どなたなんだ?」
「……ボク?」
ちらりと送った視線の先には、人間へと擬態したフィアンマが居た。
どうして自分に振られたのかと理解できないフィアンマは、細くなったその指で自らを指した。
……*
「あーっはっはっはっは!」
一際大きな笑い声が、食堂で響き渡る。
恥ずかしそうにそっぽを向く主人の姿は、娘であるイディナと瓜二つだった。
「ひぃ、腹いてえ。まさかダンナ、男を連れて来たからってあんなに動揺しちゃってさ!」
「……なんでい。イディナにはまだ早いって思っただけじゃねえか」
イディナの父は笑い転げる常連客を見て、むすっと口を尖らせた。
突然親元を離れていった愛娘が、これまた突然戻ってきたと思えば男連れだ。
親心としては、どうしても気になる部分でもあった。
それがまさか、龍族。しかも王だと聞いた時には腰を抜かしそうになっていたが。
「あら、私は残念だったわ。折角イディナが、素敵なボーイフレンドを連れて来た思ったのに」
「ボッ……! いやいや、イディナは騎士になると言って王都へ行ったんだぞ!
そんなもの、認められるわけないだろう!」
残念がる母と憤慨する父。二人を見てケラケラと笑う常連客。
慣れ親しんだ景色に自然と八重歯を覗かせるイディナ。
とても善い人達に囲まれたのだと、フィアンマも釣られて頬を緩ませた。
お詫びにと差し出された食事を口にしたフィアンマは、その味に一瞬で虜に陥った。
噛めば噛む程新しい発見があり、手が止まらない。
相当な手間と、誇りをもってこの仕事に従事していたかが伝わってくる。
イディナの料理の腕にも得心が行った。もうそれだけで、フィアンマにとって彼は尊敬に値するべき人間だった。
「うん、とても美味しかった。イディナ、お前の父上は凄いな」
「ホントですか!? 嬉しいです!」
父が褒められて嬉しいのか、イディナは屈託のない笑顔を見せる。
彼女の両親も褒められて「龍族の、それも王様の口に合ってよかったです」と謙遜しているが、満更でもなさそうだ。
仲の良い家族だというのが、これだけでもよく分かる。
食事と挨拶を終えた二人は今、ラットリアの街を歩いている。
向かう先は、この街にある教会。よく炊き出しで手伝っていた、イディナにとって馴染み深い場所だった。
両親から「折角だから、顔を出してくれば?」と言われたイディナ。
表向きこそ「ぼく、遊びに帰ってきたわけじゃないからね。ちゃんと許可を取らないと」と言いつつも、その眼差しは訴えるようにフィアンマを見上げていた。
元々、イルシオンからは合流は明日と言われていた。手持無沙汰になると感じたフィアンマは、彼女の懇願に応じた。
「教会のシスターはとてもいいひとで、たくさんお手伝いをするとお菓子をくれるんです!
いやぁ、一生懸命お手伝いしたものですよ」
イディナは旅を初めてから、殆ど笑顔を絶やさない。
先の戦いを、大切な人との離別を経験していないというのもあるだろうが、その明るさに幾分か救われた。
特にイルシオンは、今まで通り振舞えていない事に気付く素振りが無い。あれだけ影を落としているにも関わらず。
復讐心に囚われた彼は、魔女を利用するべく彼女の大切な人であるシンへ刃を向けた。
世界を天秤にかけ、大義を掲げ、彼の命を以て復讐を成し遂げようとした。
あの時、勝ったのがシンで良かったと心から思う。お陰でイルシオンは、人の道を踏み外さずに済んだ。
それでも彼は、きっと元通りとはいかないのだろう。失ったものが彼にとってあまりにも大きすぎる。
粗暴な言葉とは裏腹に、ヴァレリアは「あのバカ、本当に世話が焼ける」とそんな彼をずっと気に掛けていた。
自らも妹を二人失ったというのに。忙しさ故に、哀しみに暮れている暇がないとぼやきながら。
今回の件だって、神器の継承者たるイルシオンの同行者に紅龍族の王である自分を選ぶ必要はない。
いつも戦力が足りないと、泣き言を言っているのに。
ヴァレリアはこの旅で、イルシオンがある程度立ち直る事を期待している。
無茶をさせない。彼の心のケアをする。難儀な役割を押し付けられた形だった。
(まあ、ボクもビルフレストには借りがあるけどね)
思い浮かべるは、左腕に邪神の力を取り込んだ騎士。
クレシアの命を奪い、自らの翼をも喰らった『暴食』の適合者。
彼を許せないのはイルシオンだけではない。きっちりとお礼をする為には、イルシオンに立ち直ってもらう必要があった。
「フィアンマさん?」
ずっと難しい顔をしていたフィアンマを、いつの間にかイディナが覗き込んでいた。
くりっとした紅玉の瞳は、自分ですら見慣れない姿を映し出していた。
「ん? ああ、ごめんよ。ちょっと考えごとをね」
「そうですか! やっぱり、王様ともなると時間は一秒たりとも無駄にできないんですね!」
うんうんと頷き、イディナは一人で納得をしてしまう。
多少誤解されているようだが、わざわざ訂正する程のものでもないとフィアンマはそのまま放っておく事にした。
彼女にはこのままで居て欲しいと願うのは、傲慢かもしれないが。
教会へとたどり着いたのは、それから十分ほど歩いての事だった。
その先でフィアンマは、思わぬ再会を果たす。
……*
ラットリアにある教会は、エトワール家の寄付によって成り立っている。
昔から続けられていた寄付だが、ある日を境に更に手厚く支えられる事となった。
その切っ掛けとなったのが、英雄を志す少年。イルシオン・ステラリードと、彼と同行を共にしたクレシア・エトワールの存在。
様々な災難を解決していく彼らの行動に触発されて、エトワール家も街への補助を今まで以上に強めた。英雄と呼ばれる事を後押しするかのように。
その寄付によって教会は定期的に炊き出しを行い、貧困に喘ぐ者を支えている。
伝播するのは悪意だけではない。本人達の知らないところで、善意もまた伝播していた。
「シスター!」
教会の外から、元気だけで構成されたかのような弾ける声が聴こえる。
彼女は声の主を知っている。聞き間違えるはずもない。イディナだ。
最近聞けなくなって、少し残念だと感じていたぐらいだ。
「イディナ、久しぶり。元気だった?」
閉ざされた扉を開き、太陽の光を受け入れる。
光の向こうに存在するのは、ふたつの影。ひとつは良く知っている。
この街の食堂で看板娘をしていて、炊き出しもよく手伝ってくれていた少女。
「はい、元気でしたよ! シスターも元気でしたか!?」
「ええ、お陰様で。会えてうれしいわ。
……あら? そちらの方は?」
問題はもうひとつの影。
がっしりとした体躯は、男のものだった。彼女の父親ではない。
けれど、自分はそのシルエットに既視感がある。もうずっと、それこそ十年以上も前に見た記憶がある。
それは影の主であるフィアンマも同様だった。
イディナが慕うシスターを一目見た瞬間、その足が止まった。
修道服に身を包んでいる彼女から見え隠れする金色の髪。炎のように真っ赤な瞳。
壮年となり、見た目に変化こそ起きているが忘れるはずもない。フィアンマにとって、ミスリアでの大切な思い出。
「……ミシェル? お前、ミシェルか!?」
「フィアンマ? え? どうして、イディナと?」
互いの名を呼び合う。否定の言葉は一切入らなかった。
フィアンマの眼前に居る女性は間違いなくミシェルであり、同様にミシェルの眼前に居る男は間違いなくフィアンマだった。
「うわーっ、久しぶりだね! どうしよう、びっくりしちゃった!」
「それはこっちの台詞だよ。まさか、また逢えるなんて……!」
「って、ツノは? 尻尾は? どうしちゃったの?」
「それは色々あって……。って、そうだ! 本当に色々あったんだよ!」
懐かしさから感情を爆発させる二人。ミシェルに至っては、年甲斐もなくはしゃいでしまっている。
まさかの展開に、取り残されるイディナはぽかんと口を開けていた。
「あれ? もしかして、お知り合いですか……?」
どういう関係なのか訊きたいところではあったが、楽しそうな二人に水を差すのは憚られる。
不思議な事もあるもんだと、イディナはぱちぱちと手を合わせていた。
……*
旧友との再会を喜ぶフィアンマとミシェル。
邪魔をしてはいけないと気を遣ったイディナは、そっと席を外している。
「そっか、ミスリアは紅龍族と同盟を結んだって言っていたもんね。
でも、まさかイディナと知り合いだなんて思わなかったな」
「それはこっちの台詞だよ。まさか、ミシェルとまた再会できるなんて思ってもみなかった」
「あはは、嬉しい?」
「勿論さ。また会いたいと思ってたんだから」
ミシェルはからかうように白い歯を見せる。
たったそれだけで、幸福だと感じられた想いでが蘇ってくる。
凡そ20年ぶりに再会したフィアンマとミシェルは、思い出話に花を咲かせていた。
どうなら彼女はあれからラットリアへと渡り、修道女になる道を選んだらしい。
「元々、お祈りとか性に合ってたみたい。この街も、善い人ばかりで住みやすいしね」
と、語るのは彼女の弁だ。
一方でフィアンマも、この20年間に起きた事を彼女へと語った。
ただ、国内外問わずネストルの死が伏せられている為、ミスリアに迫る危機を説明出来ない。
隠し事をしているようで気が引けるが、流石にミスリアを混乱させる訳には行かない。
「ところでさ、ミシェル」
そして、今のフィアンマにはどうしても確認しなければならない事があった。
偶然出会った、彼女と瓜二つの少女の存在について。
「ミシェルって、娘とかいない?」
「……フィアンマ? 私の修道服、見えているかしら?」
一体何を言いだすんだと、ミシェルは己の服を摘まんで見せた。
「独身よ、私。勿論、子供も居ないわ」
「ああ、ごめん! その、話す! ちゃんと順を追って話すから!」
明らかに気を悪くしている事に気付いて、フィアンマはしどろもどろになる。
折角再会出来たというのに、眉根を寄せて欲しくは無かった。
「その、実は。ミシェルに似ている少女と出逢ったんだ。
顔も、髪の色も瓜二つ。ただ、眼は碧かったけど。
本当にそっくりなんだ。見間違えるぐらいに」
「私にそっくりな女の子……?」
フィアンマは頷いた。彼女に娘が居ないのであれば、ミシェルはフェリーの母親ではない。
彼女を棄てたのがミシェルではない事に、フィアンマは安堵した。
「うん。フェリーっていう女の子なんだ。
その、親が居ないって言ってたから……」
フィアンマの情報は、ミシェルを混乱させるものだった。
フェリーの名付け親はアンダルであり、売られる前は『フェリー』では無かった。
当然、フェリーという名に聞き覚えは無い。
「……そっか。それで、顔が似ている私に訊いたのね」
「う、疑ったわけじゃないんだ。本当だ!」
顎に手を挙げながら、物思いに耽るミシェル。
当然ながらその名を知るはずもないが、親戚に似たような子は居なかったかと考える。
けれど、想いたる節は無い。たった一人、自分によく似た妹を除いては。
「分かった分かった。怒ってないってば。
けど、ごめん。フェリーっていう子は知らないかな……」
「そうか……。それじゃあ、妹には娘とかいない?
ほら、前に話してくれた――」
「――あの子のことは、知らない」
静かに、それでいて明確な拒絶が含まれた言葉。
張り詰めた空気が、周囲の音を消し去ってしまう。
言葉を失ったフィアンマを見て、ミシェルは我に返った。
「……ごめん。けれど、クロエは何をしているか知らないの。
その、昔ね。フィアンマに逢ってからしばらくしてかな? クロエがよくお金の無心に来ていたの。
家族だけじゃなくて、周りの人たちにも。それでひと悶着あって……。
お金は私たちが返したんだけど、王都には居辛くなっちゃって」
その結果、家族で南へ引っ越して今に至るとミシェルは語った。
暗い影を落とす彼女に、フィアンマはそれ以上声を掛ける事が出来なかった。
「……ごめん。ミシェルを傷付けるつもりは、無かったんだ」
「ううん。こっちこそごめんね。フィアンマに逢えたことは、本当に嬉しいよ。
それから、イディナも元気そうでよかった。龍族が護ってくれるなら、安心だね」
顔を上げたミシェルは、いつものように笑顔を見せた。
少しだけぎこちなさが残っているが、彼女の優しさは決して変わっていないのだと、フィアンマは安心をした。
シンやフェリーに悪いと思いつつも、フィアンマはそれ以上を訊く事が出来なかった。
ただ、再会を喜ぶ事。新しい思い出を作る事に時間を注いだ。
……*
空はすっかりと橙に染まり、フィアンマとイディナは教会を後にする。
ミシェルが「あまり遅くなると、お父さんが心配するんじゃない?」とからかうと、イディナが「子供扱いしないでください!」と憤慨していた。
一人前だと自称する彼女に反して、頭から立ち昇っている蒸気は子供のそれだった。
「じゃあ、フィアンマもまたね。……それと、これ」
僅かに躊躇いながらも、ミシェルは一枚のメモをフィアンマへと手渡す。
紙片には小さく『リオビラ王国 ジルリア』と書かれていた。
ミスリアの存在するラーシア大陸。その最南端に位置するフレジス連邦国から、西へ進んだ先に存在する国の名前。
「昔、クロエが冒険者として活動していた街よ。
その、フェリーって子については聞いたことないけれど……。
どうしてもクロエに話を訊きたかったら、立ち寄ってみて」
「ミシェル……。いいの?」
逡巡しながらも、フィアンマはメモを受け取った。
歪な形をした文字が、彼女の迷いを証明していた。
「勿論、私だって妹が産んだ子供を棄てたなんて考えたくはないわ。
けれど、フィアンマも気にしているみたいだったから。一応、このメモを渡しておこうと思って」
「……ありがとう」
「ううん。もう居ないかもしれないから。役に立たなかったらごめんね」
苦笑をしてみせるが、無理をしているのが判る。
嫌な記憶を呼び起こしてしまったと、フィアンマは己の行動を悔いた。
「そんな! ボクこそ、ミシェルを傷付けてしまってごめん……」
申し訳なさそうな顔をするフィアンマの頬に、背伸びをしたミシェルが手を当てる。
フィアンマは戸惑いながらも、彼女の真っ赤な瞳に吸い込まれていた。
「……フィアンマは、やっぱり温かいね」
そう言って微笑む彼女は、昔と何も変わらなかった。
出逢った頃の姿が、脳裏に浮かぶ。楽しかった記憶は、まだちゃんと自分の心に根付いている。
「……また、遊びに来てもいいかな?」
「ええ、フィアンマなら大歓迎よ。勿論、イディナもね」
「はい! また里帰りしたら、顔を出しますね!」
見送り続けてくれるミシェルに後ろ髪を引かれながらも、二人は教会を後にした。
一枚の紙片をじっと見つめるフィアンマ。そんな彼を邪魔しないよう、イディナはそっと後ろをついて歩いた。
このメモがフェリーの手に渡るのは、まだ少し先の話。