208.魂が向かう先
本来の目的だった蒼龍王の神剣の修復に加え、邪神の分体である『怠惰』『色欲』の撃破に成功した。
代償として全員が満身創痍だった為、しばらくの間カタラクト島で療養をしていた。
一ヶ月の療養を経て妖精族の里へと帰ってきた彼らは、マレットの研究所へ訪れている。
ギルレッグを初めとした小人族の尽力により、マレットの要望をふんだんに詰め込んだ研究所に一同は驚いていた。
そして今、彼らは研究所の中で立ち尽くしている。
目の前に居るのは栗毛の髪を一本にまとめ、尻尾のように振るう白衣の女性。
眉間には皺が寄せられている。主に、シンとアメリアのせいで。
「――で? 激しい戦いで、何がどうなったって?」
「あの、『羽・銃撃型』を……。破損と行方不明にしたと言いますか……」
おずおずと手を挙げたのは、アメリアだった。
浮遊島での戦闘中に魔力が尽きたアメリア。その後、一度は海へ落下したこともあり『羽』との接続が切れてしまった。
六枚あった『羽』のうち、三枚が行方不明。残る二枚も亀裂が入ってしまっている。
唯一無事だったのが、シンの腕を固定した一枚だけだった。
「本当に、すいませんでした」
申し訳なさそうに深々と頭を下げるアメリア。マレットは後頭部をぼりぼりと掻いた。
彼女にとって、アメリアのような生真面目なタイプはある意味で鬼門だった。
こう素直に謝られると、怒るに怒れない。
「まあ、アメリアはいいよ。『羽』はある程度、技術が確立してるしさ。
問題はシン、お前だ。簡易転移装置。どうやって壊したって?」
「邪神の頭上へ転移した時に、限界が来たみたいだ。
緑色の暴風の威力は最小限に抑えたんだけどな」
破損に至るまでの経緯を、マレットは聞いている。
『怠惰』の頭上を取る為に、魔導砲による風で簡易転移装置を空へと打ち上げる。
投げたのならともかく、魔導砲で打ち上げたのだ。損傷しないわけがない。
「いやいや、明らかに緑色の暴風でダメージ入ってるからな? その使い方は想定してないからな?
……ったく、どれぐらい摩耗しているか確かめたかったのに」
マレットは頭を抱える。『羽』と違い、試作段階である簡易転移装置は持ち帰って欲しかったというのが本音だった。
特に破損した状況が特殊である為、強度については調べ直す必要が出て来た。
「悪かったって。こっちもギリギリだったんだよ」
「……お前さ、アタシの時だけ扱いが雑だよな」
「今更気を遣う必要もないだろ。それに、ちゃんと感謝はしている。
魔導砲と簡易転移装置が無ければ、実際俺は何もできなかった。助かった」
「はあ……。役に立ったならいいけどさ」
大きなため息をつくと、マレットは背を向けた。
貴重な魔導具ではあるが、命に代える程でもない。彼らが無事に戻ってきた方が大切だ。
決して口に出す事はないが、命を護ったという点でマレットはある種の達成感を得ていた。
「なんやかんや、アタシの魔導具を一番壊すのもシンだもんな」
「フェリーさんじゃないんだ?」
「ピースくん、失礼だよ! これでもあたし、ずうっと同じ魔導刃使ってたもん!」
腕を組みながら、フェリーはぷいっとそっぽを向く。
一同から笑みが零れると、彼女は更に頬を膨らませた。
「フェリーの魔力に耐えられる前提で魔導具を造るからな。元々、ある程度頑丈なんだよ」
「俺のももう少し頑丈に造ってくれると助かるんだが」
「お前はいつもアタシの想定してない方法で壊すんだよ!」
「魔導砲の一発目は、単純な強度不足だろ」
「~~っ。ああ言えば、こう言う! お前その辺、子供の時と変わんねえな!」
シンとマレットの、口喧嘩とは言えない。精々じゃれ合いのような掛け合いが始まる。
喧嘩をしているようで、どこか楽しそうな二人。微笑ましい光景に、頬を膨らませる少女が一人。
マレットが羨ましいのか、フェリーは「シンのあんぽんたん」と呟いていた。
「そ、そうだマレット。出来ればこれの解析もお願いしたいんだけどさ」
見かねたピースが、話題を切り替える。
彼女へ差し出したのは鈍色の石。『怠惰』に適合したジーネスの右足に移植されていた邪神の『核』だった。
「あのおっさんについていたっていう邪神の『核』か。……なんかこう、おっさんの足についていたと思うとやだな」
「……そんなこと言ってやるなよ。持って帰ったおれまで微妙な気持ちになっちゃうじゃんか」
指でそっと摘まむように持ち上げるマレットを見て、ピースは居た堪れない気持ちになった。
過去に受け取ったドス黒い石と見比べながら、マレットは口元を抑える。
「なあ、フェリー。指輪を使って、怪物を操っていたんだよな?」
「うん。なんか、ぼそぼそって言ってた気がする」
「……そうか。その辺も考慮しないとな」
ぶつぶつと呟きながら、紙に自分考えを書き殴っていくマレット。
驚くべき速度で綴られていくが、傍から見ればミミズがのたくったような字だ。とても本人以外には読めそうもない。
「なんか分かるのか?」
「いや、分かるっていうか。この預かった指輪はな、なんていうか変だったんだよ。
魔石の一種だけど、あまり力を発してなかったっていうか。命令するためだけのものだったかなって思ってさ。
あ、因みにもう石としては死んでるぞ。うんともすんとも言わない。だからちょっと行き詰ってたんだよな」
指先でくるくると指輪を回しながら、マレットは言った。
アメリアも触れてみたが、この指輪からは魔力を感じていないようだった。
実際、テランもこの指輪単体では意味がないと言っていたらしい。対となる『核』が形を変えたので、最早ただの石だと。
「ふたつの石に共通点はあるのか?」
「こっちの指輪が邪神の『核』としての試作なら、共通項があるかもしれないなっていうぐらいだ。
共通する部分があるなら、そこを省けば力の源とかも逆算できるかもしれないし。何より、邪神の『核』で邪神を操ろうとしているのが確定する。
ま、なんか役に立ったらラッキーぐらいだ。あまり期待はしないでくれ。一応、テランにも訊いてみるけど」
ひらひらと手を舞わせるマレットだが、その眼は真剣そのものだった。
邪神の『核』が研究者によって創られたものであるならば、負ける訳には行かないと言う意地が垣間見えた。
もうひとつ、ジーネスが遺した物。鋼の籠手については案の定というべきか一切の興味を示さなかった。
マレット曰く「おっさんの武器になんて興味ねえ」との事だ。この辺は、やはりギルレッグにしてみようとピースは研究所を後にする。
「おや。君は……ピースか」
入口を出た所で、ピースはとある男と遭遇する。
隻腕の魔術師。いや、今は魔術を封印されているから研究者と言うべきだろうか。
テラン・エステレラが研究所へ訪れようとしていたところだった。
「あ、テランさん」
「そうか、カタラクト島から戻ってきたんだったね」
にこりと微笑むテランに、ピースはぎこちなく会釈をした。
この男とは、どうにも距離感が掴めない。聞けば彼は過去に、妖精族の里を襲撃した一味に居た。
更にシンと戦闘を繰り広げ、何ならミスリアの貴族であり邪神の一味に深い所まで関わっている。
正直に言ってしまうと、どうしてこの場に居るのかが不思議なぐらいだった。
彼はこう言ったらしい。「シン・キーランドが気に入った」と。
言葉の真意を語らせても、きっと彼自身以外は詳細まで納得できるものではないだろう。
ただ、研究チームに関わった彼が楽しそうにしている姿を見た事はある。
決して口にしている訳ではないが、充実しているような印象だった。
(ま、魔術も封じられてるし妙なことは起きないか)
などと呑気に構えているピースだが、ここで彼に予想外の展開が待っていた。
テランへ「マレットなら、中にいるよ」と伝えた直後に、それは起きた。
……*
妖精族の里を抜け、草原を歩いているピース。
濃い魔力によって巨大化したアルフヘイムの森を抜けると、木陰が消え去って太陽の光を一身に浴びる。
急に高まる気温で、うっすらと汗が滲んだ。
それだけなら、まだ構わない。どうせギルレッグに相談しようと、小人族の里へ向かおうとしていたのだ。
問題はその隣にいる人物である。シンでもフェリーでもない。師匠であるアメリアでもない。
勿論、マレットやコリスであるはずもない。知り合いの知り合いレベルの、隻腕の研究者がピースの隣で歩調を合わせていた。
(あっるぇええええ? どうして、こうなった!?)
事の発端は、マレットにあった。
テランがマレットの研究室でほんの少し話し込んだ直後。まだそう遠く離れていないピースが、彼女によって呼びつけられた。
「ピース、お前暇だろ。ちょっと小人族の里に行ってくれ。
コイツ、一人じゃ里の外に出られないからさ」
言いたい事を一方的に言って、マレットは研究室の扉を勢い良く閉じた。何を呼びかけても、彼女は反応を示さない。
眼前には、ニコニコと笑顔を張り付けたテランの姿。あまり拒絶しすぎると、道中が辛くなる。そう思ったピースは、観念をした。
「すまないね。急に付き合わせてしまって」
「いえ、それはいいんですけど。むしろおれなんかでごめんなさいと言うか……。
シンさんの方が良かったんじゃないですか?」
「シン・キーランドはフェリー・ハートニアと共に魔獣族の王の元へ向かうと言っていたからね。
それに、そんな自分を卑下しなくてもいいじゃないか。僕は、君にも興味があるよ」
「え゛」
何を言いだすのかと身構えるピースだったが、単純に子供ながらこれほどの魔力を持った存在が無名だった事を不思議に思っていたらしい。
実際はこの世界で生を受けて一年にも満たない。急に現れたというのは当然の話だった。
ピースは、まだ彼に自分が転生した命だと知らされていないのだと理解した。
「……まあ、魔力の扱い方をよく知らなかったと言いますか」
嘘は言っていない。実際、彼はまだ魔術を扱うには未熟な面が多い。
前世の記憶で無駄にイメージ力だけは強いので詠唱を破棄して魔術を放てるが、魔力の効率自体はすこぶる悪かった。
「勿体ないね。君程の魔力なら、優秀な師が居ればすぐに才能が開花しただろうに」
「ははは。でも、そうなったらアメリアさんに教えてもらえなかったと思うので。
どうせ教えてもらうなら、美人の女性の方がいいですからね」
ピースは乾いた笑いで誤魔化そうとする。これ以上突っ込まれるとボロが出そうだと冷や汗が流れる。
なんとか話題を変えようと思ったピース。周囲に使える者は無いかと探した結果、自分が背負っている鋼の籠手を思い出す。
「そういえば、テランさんって死霊魔術師でもあるんですよね?
その、死者の魂とかを蘇らせて操るんですか?」
思いがけない質問に、テランは目を丸くする。
口元に指を当て、どう説明するべきかを考えた。
「そうだね。屍人に生前の意思はない。そういった意味では、君の言う『魂』とは少し違うかもしれないね。
けれど、元となった生物の肉体にある魔力の残滓。それを自分の魔力で干渉して、死体を動かすんだ」
「じゃあ、肉体が消えてしまったら?」
「消えてしまったの定義によるけれど……。死体が消えてしまっても、場所にその残滓が宿る事はある。
例えば、墓地だ。死者にとって還るべき場所、いわば居場所となるんだ。その場合は肉体が完全に朽ちても魔力の残滓が残っている事があるんだ。
それこそ、数百年単位でね。そういった魔力の残滓を元に、土を基礎にして屍人を造る魔術もあるよ。ほぼ、魔造巨兵みたいなものだけどね」
ピースは死霊魔術師と聞いて、死体をそのまま操る存在をイメージしていた。
治癒魔術の説明を受けた時も、魔力の干渉という話を聞いた気がする。この世界では、命を扱う事と魔力を扱う事は密接に関わっているのだと思い知らされた。
「墓がない場合は?」
「その場合は、帰るべき場所が無いからね。肉体が朽ちると共に、魔力の残滓も大気や大地に溶け込んでいくよ」
その話を聞いて、ピースは少しだけ安心をした。
もしカタラクト島にジーネスの墓を建てていたなら、『魂』として島に残り続けたかもしれない。
島の住人からすれば彼は侵略者だ。意識はなくとも、あまりいい話を聞くことは無かっただろう。
勝手な事をしたと思ったが、ジーネスには許して欲しいと思う。尤も、魔力の残滓が溶け込むまでは海で人魚族達の姿を堪能しているかもしれないが。
死霊魔術師の話題を皮切に、テランは魔術についていろいろと教えてくれた。どんな質問でも嫌な顔ひとつせずに。
時々漏れ出る研究チームを褒める言葉も、照れずに言うのだから大したものだ。
小人族の里へ到着する頃には、感じていた距離感は無くなっていた。
「そういえば、どうして小人族の里に行くんだ?」
「ああ、それはね」
テランは左手の人差し指で、自らの右腕を指す。その先にあるのは、風で靡いた袖。
「ギルレッグとベル・マレットが義手を作ってくれるんだ。その受け取りに来ているというわけさ」
「義手……!」
そういうテランは、心なしか嬉しそうだった。
魔力がものをいうこの世界で造られた義手に、ピースも自然とテンションが上がっていた。
が、ある事を思い出してしまう。
「……流石に腕は飛ばないよな?」
ピースは、自らがマレットと会話した内容を推古する。
確かに腕を飛ばしたるするギミックの話はしたが、そこまで悪ふざけはしないはずだ。
「いや、でも。マレットならやりかねない……」
ぶつぶつとっ呟くピースを横目に、テランは首を傾げていた。
……*
「報告ご苦労様です。アメリア」
ティーカップに口をつけ、悠然とした態度でアメリアを迎える。
紅茶を飲み干したフローラは、「ふう」と大きく息をついた。
「蒼龍王の神剣の修復に、邪神の撃退。
蒼龍王がアルマたちと繋がっていないという情報も、ミスリアにとっては僥倖ですわね」
「はい」
フローラは考え込む。この情報は、ミスリアとも共有するべきだと。
妖精族の里へ移り住んでから、既に二ヶ月以上が経過している。
ミスリアに動きがあってもおかしくはない。
「ミスリアは、どうなっているのかしら……」
フローラは、ぽつりと不安を呟く。愛すべき祖国は、どうなっているのか。
この二ヶ月間。何か変化は起きていないだろうか。言いようのない不安が、彼女の胸を締め付けた。
彼女の不安は、まだ的中はしていない。水面下では、ミスリアへ大きな動きはない。
けれど、悪意は胎動している。
その片鱗に触れるのは、イルシオン・ステラリードだった。