幕間.絶対的な境界線は、もう必要ない
今日も彼女は、地下へと続く階段を降りてくる。
本来であればこんな陰気な所へ来るような必要も、立場でもないのに。
「――子供たちがみんなで切り株闘技場をやってたんだけどね。
興味を持ったベルちゃんも参加したの。魔導石を丸めた球で……」
答えは訊くまでも無かった。子供が一生懸命作った球と、人間の世界で名を轟かせる発明家が作った魔導石。
どう足掻いても、勝ち筋が見当たらない。
「それで、子供たちはどうしたのですか?」
リタ様は「よくぞ訊いてくれました」と言わんばかりの笑顔を見せる。
かつて私がした仕打ちなど、まるで気にしていないかのように。
「それがさあ、子供たちも大人を引っ張り出してきたんだよ。
オリヴィアちゃんとか、ギルレッグさんとか」
私の知らぬ間に、リタ様の交友関係はかなり広がっていた。
人間の国で最も大きいとされる魔術大国ミスリア。更には、小人族とも友好関係にあるという。
それも自らの足で赴いてというのだから驚きだ。アルフヘイムの森から出る事を許されていなかった頃に比べると、中々に行動的だ。
尤も、魔獣族の王に恋心を抱いた辺りからその片鱗は見えていたが。
「子供の遊び場を大人が占拠してもいいのですか?」
「そうなんだよ! もう、本当に大変だったんだから!
魔導石を使って暴れ回るベルちゃんに対抗して、オリヴィアちゃんは魔術で球を造るし。
ギルレッグさんも、小人族自慢の金属球なんて持ち出してさあ……」
さながら代理戦争のようだったと、リタ様は語る。
各々の技術の粋を集めた勝負は、最終的に闘技場となる切り株が爆発した事で終わりを迎えたらしい。
魔力の塊を小人族謹製の金属の球で余すことなく魔導石へ伝えた結果、爆発は起きた。
途中から戦闘の話に変わったのかと勘違いしそうになる。ただ切り株をくりぬいただけの闘技場で耐えられないのも無理はない。
「ほんと、怪我人が居なくてよかったよ……」
「では、結果は引き分けということですか?」
私の問いに、リタ様は首を横に振る。
今の話で勝者が居るとはとても思えないのだが……。
「イリシャちゃんの一人勝ち。もう、カンカンだったよ。『子供たちが怪我したら、どうするの!』って。
結局、ちゃんとした規定が出来るまで切り株闘技場はお預け。
規定だって、イリシャちゃんが子供たちに遊ばせて問題ないかどうか判断するみたいだし」
参加していないにも関わらず、リタ様はばつが悪そうに言った。
どうやら、リタ様とレイバーンはその戦いを面白がってみていたらしい。技術の粋を集めた、真剣勝負だと言って。
一緒に説教を受けた結果、足が痺れたと彼女は語っている。
……と、ここまでがリタ様が訪れた時に掴みとして話す雑談。
彼女とのやり取りは、いつも他愛のない話から始まる。
「それでね、レチェリ」
そして、ここからが彼女の本題。
両手を合わせ、首と同じ方向へ傾ける。箱入り娘の頃から、甘える時はよくこの仕草をしていた。
「そろそろ、牢屋から出ない? 妖精族の里も、随分変わったんだよ?」
「……ですから、前も申し上げたでしょう。私は妖精族に対して弓を引きました。
リタ様が赦しても、他の妖精族は私を赦しませんよ」
「でも、妖精族に対する恨みはないんですよね?」
「それは、そうですが……」
元々、リタ様に対して行った行動は醜い嫉妬からのものだ。
妖精族にだって、恨みはない。憎悪の根源は、きっと妖精族の父と母に対してのものだから。
私がしたことは、ただの八つ当たりだ。赦されて良いはずもないし、合わせる顔もない。
何度もそう言っているのに、リタ様は決して諦めない。足繁く通っては「牢から出ない?」と訊いてくるのだ。
流石にこう何度も訊かれれば、何か狙いがあるということぐらいは察しがつく。
「で、リタ様。私を牢から出して何をさせたいのですか?
まさか、晒し者にしたいわけではないでしょう?」
リタ様の視線が泳ぐ。右を向いたと思えば、左へと切り返す。
口を真一文字に閉じ、まごまごとしている。動揺しているのは明らかだった。
「な、なんのことかな?」
あくまで白を切るつもりらしい。
神器に認められ、閉鎖的だった妖精族の価値観を変えようとする女王の姿とはとても思えない。
そっちがその気ならば、私にだって考えはある。
「理由がないのであれば、私はここから出るつもりはありません。
この牢で、妖精族の繁栄を祈っていますよ」
「ああっ! 待って! 待ってよレチェリぃ……。ちゃんと話すからさ……」
そっと背を向ける私を、リタ様が慌てて引き留める。
まだ口をまごまごとさせながら、言いにくそうに彼女は私へと尋ねる。
「その、人間の文字……書けないかなって」
「……は?」
突拍子のない質問に、言わんとしていることが判らなかった。
どうやら居住特区に様々な種族が入り混じった結果、互いの書物を翻訳しているらしい。
ギランドレに内通していた自分なら人間の文字を知っているのではないか思い立って、彼女はここに居るらしい。
侵略の件は妖精族にも傷を残したと言うのに、利用しようとするとは。中々強かになったものだと思う。
「だって、毎日毎日書いても終わらなくって……。腱鞘炎になったって言っても、ストルは『治癒魔術で治して差し上げます』って言うしさあ……。
イリシャちゃんにも手伝ってもらってるけど、イリシャちゃんは子供のお世話もしてるからあんまり無理はさせられないし。
もうほんと、辛くって……」
「……なるほど」
甘えるような仕草をして見せたのは、その為か。どうやら、本当に甘えたかったらしい。
昔と変わらず接してくれるのは非情にありがたいのだけれども。
「でしたら、書物を持ってきてください。牢で翻訳して、お返ししますよ」
これならリタ様も楽になるし、私を不用意に外へ出す必要もない。
折衷案を出したつもりだったのだが、リタ様はお気に召さなかったようだ。
「それはダメ。やっぱり、レチェリには出てきて欲しいの」
「……一応は訊きますが、何故ですが?」
「えと。まず、翻訳するにあたって今の妖精族の里をちゃんと見てもらいたいの。
レチェリのお母さんの時代にこうなっていれば、良かったのかもしれないけど……。
今の妖精族の里なら、きっとみんながやっていけるんじゃないかって。
それをレチェリに、見てもらいたい。そして、レチェリにも手伝ってもらいたいの」
気を遣わせているのだろうか。いや、違うな。きっとリタ様は本気で言っている。
人形のように愛くるしく、ちょこんと座りながら神へ祈りを捧げるお飾りの少女だったはずなのに。
随分立派になったと、感慨深くなる。
しかし、出てきて欲しい理由はそれだけではないようだ。
リタ様は、またもばつが悪そうな顔をしている。
「あとね、ストルがちょっと大変で。転移魔術の開発をしながら、里のこともあれこれしてくれるから……。
ストルも助けてあげて欲しいっていうか……」
そういえば、ストルは人間たちと魔術の開発をしていると言っていた。
リタ様曰く、本人も愉しんでいるらしい。あの妖精族至上主義の男が、変わるものだ。
「……つまり、猫の手も借りたいということですか」
「いや、いやいや。猫よりは全然頼りにしてるから!」
「勿論、分かっていますよ」
こうして私は、数ヶ月の間持っていた牢から離れることとなった。
妖精族と魔獣族からはやや訝しまれたが、そこは既にリタ様とレイバーンが予め話を通してくれていたらしい。
妙な気を起こさないよう、魔術を封印することで私の復帰は受け入れられた。
……*
「まさか、こうしてお前と再び仕事をするとはな」
「私自身、驚いているよ」
紙の上にペンを走らせながら、ストルが私に話しかけた。
会話しているにも関わらず、彼のペースには一切の淀みが無い。相変わらず仕事が出来る男だと、感心をした。
「ストルは、私が牢から出ることに反対しなかったのか?
お前の発言力があれば、リタ様も無茶は出来ないだろう」
「私だって、お前に敵意が残っていれば反対したさ。自分の眼で見て、問題ないと判断したに過ぎない。
それに、居住特区では多くの種族が交わるようになった。勿論、人間も。
リタ様がお前にその様子を見せたいという気持ちが、少しは判る」
「……お前、変わったな」
私の言葉に対して、ストルは苦笑した。私は、目を点にした。
この偏屈な男が仕事中に笑ったところを、私は見たことがない。
「そうだな。色々と見識が広がったよ。毎日、驚いている。
実際、昨日だって――」
「ストルッ!」
笑みを溢しながら語り続けるストルを遮るように、力任せに扉が開けられる。
振動でテーブルに積み上げられた本がぐらぐらと揺れる。
現れたのは人間。やや目つきの鋭い、長い栗毛を一本にまとめた白衣の女だった。
走ってきたのか、息が上がっている。そして、心なしか楽しそうだ。
「マレット。どうしたんだ?」
その名には聞き覚えがある。よく、リタ様が地下で雑談する時に出している名前だ。
人間の国で、様々な発明品を生み出した稀代の天才。ベル・マレット。聞くところによると、居住特区でも自慢の発明品で人気者となっているらしい。
「オリヴィアのやつが術式を改造したのはいいんだけど、長すぎるんだよ!
アイツらじゃ無理だ、お前が魔法陣に落とし込んでくれ!」
「……待ってくれ、オリヴィアは術式を纏め上げる役目だろう。どうして、術式が長くなるんだ?」
「色々思いついたことを書き足したら、すごい長さになったらしい。とにかく、魔術のことはアタシじゃ判らん!
ていうか、今も書き足してるんだよ! 無駄になったらヘコむから、見てやってくれ!」
「……分かった。オリヴィアの所へ行ってくる。レチェリ、またな」
「あ、ああ」
大きくため息をつきながらも、ストルの表情は柔らかかった。
ストルなりに楽しんでいるのだろう。少なくとも、妖精族の里で族長に従事していた頃には見られなかった顔だ。
彼が充実しているのは構わない。喜ばしいことだと思う。
ただひとつの、置き土産さえなければ。
私とベル・マレットが互いの顔を見合わせる。
互いに初対面。彼女に関しては見慣れない顔だと訝しんでいるが、それはこちらも同様だ。
耳の長さで妖精族だと気付いたのか、先に口を開いたのは彼女だった。
「アタシはマレット。ベル・マレットだ。少し前から、妖精族の里で厄介になってる」
「ご丁寧に、ありがとうございます。私はレチェリ。レチェリ・リーサイドと申します。以後、お見知りおきを」
「レチェリ? ……ああ、あの!」
どの? と訊きたかったが、口にするのは憚られた。
彼女はリタ様と親しい。事情を知っていても、なんら不思議ではないのだから。
口ではこう言っているが、私に対して敵愾心を持っている風でもなさそうだ。気にすることはない。
と、思っていたのだが。
「お前さん。自分がどっちか、知りたいのか? アタシなら、調べられるけど」
「……は?」
ベル・マレットの言っている意味が、私には解らなかった。
……*
翌日。私は自分が族長をしていた頃には存在しない建物の前に立っていた。
ベル・マレット達が研究をする為に建てられた、研究室。小人族が建てたらしく、多少のことでは壊れそうにはなかった。
「おう、来たか」
「……ええ」
昨日、彼女が言った言葉。それは自分が半妖精なのか妖精族なのか。
その真実を突き止めることが出来るというものだった。
「リタには、少し相談を受けていたんだよな」
そう前置きをした上で、彼女は説明を始めた。
妖精族の里へ訪れたことで、妖精族の情報を取ることが出来た。
当然ながら、人間の情報は元々持っている。血や身体的特徴。
更には魔力の質を照らし合わせることで、はっきりと種族が判るというものだった。
「まぁ、血は少し抜かせてもらうんだけどな。あと、服も脱いでもらう。
勿論、アンタが知りたくないのなら無理にとは言わない」
「知りたくないわけでは、ありません。ただ――」
そうであれば、そもそもこんな怪しげな建物には来ていない。
永遠に。それこそ死ぬまで判らないと思っていた疑問が解けるのであればと、血を抜いたり裸を見られるなど些細なことだ。
ただ、同時に不安も残っている。もしも、半妖精ならば……。
「半妖精なら、私はこの世界で孤独だと判るぐらいですかね」
「あん?」
自嘲気味に言った私の言葉に対して、ベル・マレットは怪訝な顔をする。
やや下がった眉が「何を言っているのか、判らん」と暗に語り掛けてきている。
「アンタより珍しい奴なんてここにも山ほどいるぞ。
フェリーに、イリシャに……。あ、アタシもこの頭脳は二度と現れない自信があるね」
彼女は指折り数えながら、そう言って見せた。確かに、不老不死や不老には劣る。
人間世界の天才発明家は、どうだか判らないが。
後日知った話だが、別の世界の記憶を持って生まれた人間も居るらしい。それにくらべれば、私の存在は些細なものだと思い知らされる。
「それに、半妖精が珍しいのはこれまでの妖精族の里の話だろう?
これから先の妖精族の里では珍しくないかもしれない。
その時、きっと皆がアンタを頼りにするよ。頼れる人生の先輩としてさ。リタだって、アンタにそうなって欲しいんだと思うぞ」
目から鱗が落ちる思いだった。
そうだ。これから先、居住特区が繁栄すれば種族間で結ばれる者が出てきてもおかしくはない。
他でもないリタ様が、魔獣族の王に情愛の念を抱いているのが何よりの証だ。
次の世代には、今までにない苦悩が待ち受けているかもしれない。
妖精族と半妖精の狭間で悩んだ私なら、あるいは一緒に考えてあげられるかもしれない。
「……そこまで考えは、至りませんでした。リタ様は遥か先を見据えておられるのですね」
「ま、女王だしな」
いつしか私には、自分の胸の内で抱き続けていた焦燥感は消えていた。
自分以上に、自分を大切にしてくれる存在。生まれて初めて、本当の愛情に触れられた気がした。
そして、その想いに報いたいとも。
どんな結果になろうとも、これから生まれてくる子たちの為に生きていこうと思えた。
私に手を差し伸べ続けてくれた、女王がそう願っているのだから。
……*
検査の結果、どうやら私は純血の妖精族ではないことが判った。
人間と妖精族の間に生まれた、半妖精。それが、真実の私。
知ったからと言って、今のアルフヘイムの森では誰も何も変わらない。
たまに感謝の言葉を贈られる程だ。私のような存在が産まれる日も、案外近いのかもしれない。
不思議と、悪い気はしなかった。
……*
「あのですね、ベルさん。わたしだったから良かったですけど。
ストルとかテランとかいるんですから。服を脱ぐときは、忘れずに研究所の鍵をかけておいてくださいね。
検査の時だけじゃないですよ。ベルさんが着替える時もですからね」
「分かった分かった。悪かったって」
余談だが、検査で裸になっている時にオリヴィア・フォスターという魔術師が入ってきた。
そこまで頭が回らなかった私も悪いのだが、流石に鍵はかけておいて欲しかった。