205.救済の神剣は、悪意を貫く
「お、重い……。なんでトリィまで乗ってるんだよ。飛べばいいじゃないか」
「だって、シンを支えないといけないし……」
「マークこそ、ふらふらしてたらシンとタマが落ちちゃうニャ」
マークが白い翼を広げ、空へと舞い上がる。
魔導砲の魔術付与による縄を手綱代わりとして、その背に跨るシン。
重傷の彼を支えるトリィ。そして、肩に乗るタマ。
明らかに定員オーバーの天馬族は、懸命に重力と格闘をしていた。
「……シン、奥になんか見えるニャ。ちょっと見て欲しいニャ」
猫精族であるタマは遠くを見る事に長けない。
故に、自身の魔力で生み出した片眼鏡をシンの眼前に出現させる。
二枚に重ねられたそれは、まるで照準器のように遠くを見通し、瞳に映る小さな塊を拡大させた。
「あれは……」
「敵? 敵なの!?」
「トリィ、うるさいニャ」
シンは浮遊島へ向かう二体の龍族を視界へ捉える。
自分達とは距離があり、こちらの存在は勘付かれていない。
先制攻撃を放つべきかと逡巡するが、自分の状況を鑑みると得策ではない。
自身が動かせるのは右手一本のみ、身体はトリィに支えてもらっている。
重さは左程ないだろうが、タマの分も加わっている。そんな状況でマークに機動力を要求するのは酷だ。
あるいは一体なら、一撃で仕留める可能性に賭けたかもしれない。かといって、見過ごしてもいいものかと思案しながら、シンは周囲を見渡した。
二体の龍族が向かう先には、金色の身体を持つ彼らとは違う、青い龍族が佇んでいた。
悠然と空を舞う彼らと対照的に、浮遊島へと落ちていく金色の龍族。その姿は金色の龍族と同じ、黄龍族の者だった。
(援軍か……?)
シンは現在の状況を把握しきれないでいた。
この身体では出来る事が限られる。故に、まずはじっくりと思案する事を選んだ。
初めに浮遊島へ突入を試みた際に、確かに黄龍王が天から現れた。
家臣である黄龍族の仲間を手配していても、なんら不思議ではない。
その黄龍族と相対する龍族。蒼龍王とセルンについても、応戦しているのだと理解が出来る。
気になったのは、黄龍族の龍族をなぎ倒した直後。地面に落下する彼らとは違う方向へ、目線が動いていた。
今、まさに浮遊島へ向かっている二体の龍族ではない。下へと向けられる警戒。
つまり、龍族よりも危険だと判断している存在がそこには居る。
そう仮定した時、シンは行動の指針をマークへと伝えた。
「マーク。あの龍族に気を付けながら、もっと高く昇れるか?」
「え? まあ、ゆっくりでいいならいけるけど……」
「頼む」
シンに言われるがまま、マークは徐々に高度を上げていく。
まだ見ぬ故郷で起きている異変に不安を覚えたトリィが、ほんの少しシンを支える力を強めた。
……*
両腕を失った漆黒の身体が雄叫びを上げる。
精神汚染を試みた代償として受けた、手痛い反撃。
想定外の事態に邪神さえも驚きを隠せなかったが、まだ悪意の奔流は止まらない。
「あっ!」
「やはり、一筋縄ではいきませんか……?
」
失った肘から先を取り戻すかのように、『色欲』から純白の腕が生える。
呪詛と魔力によって構成されたとは思えないそれは、アメリアのにどことなく『怠惰』の姿を思い出させた。
駄々をこねる子供の如く、我武者羅に振るわれた腕がフェリーとアメリアを『色欲』から遠ざける。
「もう! 折角近付いたのに!」
どこか必死さの見えるその行動には、『色欲』の精一杯の抵抗が垣間見える。
自身を邪神たらしめる能力である精神汚染が、この二人には通用しない。
ひとたび視線を交わすだけで勝利を得られるはずの『色欲』は、思いもよらぬ苦戦を強いられていた。
魔力の尽きたアメリア自身へ効果は得られず、他者を惑わしても蒼龍王の神剣で断たれてしまう。
フェリーに関しては、逆に自分の身体が燃やし尽くされてしまう。
神の冠を持っているはずの存在が、畏れている。
紛い物の神ではなく、真の神によって造られた神剣。得体の知れない存在を内に秘めた、魔女。
玩具であるはずの存在が、自分を脅かしている。
『色欲』はひたすらに気持ち悪いと感じていた。このふたつの存在を受け入れられなかった。
どうしても否定したかった。捕食するのは自分のはずだと、確信を持ちたかった。
だから確実に、この場で仕留めなくてはならないと思った。
「オ゛……ア゛ァッ!」
振り回した腕を離れる事で回避するフェリーとは違い、最小限の動きで受け流そうとするアメリア。
蒼龍王の神剣を前へ突き出すからこそ警戒をしていたが、それだけが理由ではない事に『色欲』が気付いた。
「はあっ、はあっ……」
自分の根源を断つ神剣にばかり警戒していたが、その使い手は満身創痍だ。腕を斬り裂いたのだって、避けられないからに過ぎない。
怯えているのはあくまで蒼龍王の神剣。使い手の小娘さえ殺してしまえば、どうという事はない。
「アメリアさんっ! あぶないっ!」
『色欲』の意識が完全にアメリアへ向いた。後ろへと跳んでいたフェリーは、着地と同時に彼女を庇うべく突撃を開始する。
破れかぶれの攻撃を過剰に避け過ぎた。自らが作ってしまった距離の損失を補おうと、霰神が生み出した氷を『色欲』へと放つ。
「オオオオオォォォォ!!」
しかし、地走りに凍らせた表面程度では『色欲』は止まらない。
薄く張られた氷を容易く砕き、両の拳をアメリアへと突き付ける。
「アメリアさん!」
片方は凌げたとしても、もう片方は防げない。口を裂き、笑みを浮かべる『色欲』。
彼女の渾身の攻撃に待ったを掛けたのは、蒼龍族の王。
「させる……か!」
元々何度も開いて、多くの血を流した。これ以上、生傷が増える事に躊躇いなど無い。
その覚悟でカナロアは、『色欲』へ渾身の体当たりをする。
いくら邪神の分体といえど、無警戒で龍族の体当たりは受け止めきれなかった。
身体が仰け反り、怨嗟の表情と共に胸から肩にかけて浮かんだ紋様から眼球を露わにする。
「……操ったりなど、させません!」
アメリアは即座に精神汚染で、カナロアを操ろうとしているのだと気がついた。
元々拳の一撃を受け流す為に構えていた蒼龍王の神剣で、その繋がりを断つ。
何もかもが邪魔をされた『色欲』は、それが顔だと認識できない程に顔を歪めていた。
……*
カナロアによる戦闘の介入。それはピースとラヴィーヌの戦いにも、影響を与える。
空中戦を繰り広げていた三体の黄龍が、蒼龍王とその妻によって斃された。
ラヴィーヌが自分によって不利な事実を認識するまでに、そう時間は要さなかった。
自分の右眼を砕いた憎き子供。彼もまた雷の魔術によって全員を撃ち抜かれている。
心なしか息も上がっているようで、宙を舞う翠色の刃も単調な攻撃が増えて来た。
体力と魔力が尽き掛けている事は明白で、正気が見えた矢先。
「ピース。無事ですか?」
「無事じゃ、ないけど……。ありがとうございます」
止めを刺すべくピースへ放った雷光一閃を、セルンが翼で被さる。
彼女自身にダメージは与えられただろうが、様子から見て期待したほどのものではないだろうと認識をした。
次々と駒を失い、魅了も封じられた。『色欲』も苦戦を強いられている。
ラヴィーヌにとっては、受け入れ難い状況。ビルフレストの期待に応えられない自分を、彼女は何より嫌う。
(いえ、ですが……)
一方で、彼女はこうも考えていた。「最も期待されている。最も大切にされているからこそ、無駄死にする訳には行かない」と。
偏愛により、自身も愛されている。大切にされていると強く思い込んでいるラヴィーヌの脳裏に、撤退の二文字が過る。
浮遊島の奪取こそできなかったが、自分達にとって急所と成り得るジーネスの暗殺。
更に戻ってくる二体の黄龍の存在を感知し、内部分裂の発端となりかねないトリスも消したのだと判断する。
素直に黄龍が戻って来ている点から、瞳が砕けてもまだ魅了は有効なんだと把握もした。
これ以上の戦闘は事態を悪化させるのみだと、思考が切り替わる。
(……そうなると、黄龍を仕留められる訳には行きませんわね)
戻って来ている黄龍が万が一斃されれば、自分は撤退する手段を失う。
ラヴィーヌが取るべき行動は全員の動きを一瞬でも止める事。その隙に、戦闘を離脱する。
「――『色欲』! こちらへいらしてください!」
自身を呼びかける声に反応した『色欲』が、ラヴィーヌの元へと駆け寄る。
逃がすまいと追い掛けるフェリー。満身創痍のアメリアとカナロアも遅れてはいるが、決して意識を途切れさせてはいない。
邪神を呼び寄せられ、ピースとセルンの警戒も段階を上げる。次は何を企んでいるのかと、緊張の糸が浮遊島に張り巡らされた。
後はその糸を切ってやるだけなのだと、ラヴィーヌが企んでいるとは考えていなかった。
イメージを練り込み、ラヴィーヌが手の中に創り出したのは拳ほどの大きさを持つ光の球。
それを自らの背中に隠し、気付かれぬようにと構える。
球が弾ける事で現れるのは、視界を真っ白に覆う魔術閃光。
今の位置ならば背中を向けている自分や『色欲』には影響がないが、敵全員の視界を奪う事は出来る。
魅了や精神汚染とは相性の悪い魔術だが、撤退するという点に於いては最も効果的な手段でもあった。
幸い、いきり立っている『色欲』に全員の警戒は寄っている。
無論ラヴィーヌに対しても意識は裂かれているが、『色欲』の比ではない。
成功するという確信をもって、ラヴィーヌは自らの背後へ光の球を放り投げた。
光の球。閃光が弾けるよりも一瞬早く、それは地面から現れた。
「――なっ!?」
高速で放たれたそれは、ラヴィーヌの眼前へと撃ち込まれる。
刹那、現れたのは土による巨大な壁。ラヴィーヌが遮断されると同時に、眩い光を放つ閃光。
「な、なんですのっ!?」
土の壁に阻まれ、閃光は他の誰にも届かない。
眼前の五人に、そんな素振りを見せた者は居なかった。
一体何が起きたというのか。理解の追い付かないラヴィーヌは、怒りの混じった悲痛の叫びを上げる。
……*
ラヴィーヌが閃光の球を放り投げるのと同時刻。
浮遊島の上空で、銃を構えるシンの姿があった。
「う、上手く行ったの……?」
「ああ、上手くいったらしい。みんな、ありがとう」
シンの言葉を聞いて、全員が大きく息を吐いた。
戦闘経験のない者達にとって、膨大な集中力を要求された仕事をやり終えた安堵の証明でもあった。
「シン、無茶苦茶すぎるニャ」
浮遊島を見渡せる位置まで上り詰めたマーク。
シンがタマの造る片眼鏡によって捕らえたのは仲間と相対する邪神、そして適合者であるラヴィーヌだった。
上からみると一目瞭然だったのだが、明らかにラヴィーヌは『色欲』を盾にしながら全員を見渡している。
まるで、二体の黄龍が訪れるのを待っているかのように。
その時点で、シンはラヴィーヌが全員を魅了で操ろうとしているのだと判断した。
彼女の視界を遮るために、上空から創土弾を放つ事を決めた。
ただ、片眼鏡が在ろうと魔導砲では弾速が足りない。何より、狙った通りに飛ぶかどうかという不安もあった。
一か八か放とうとしたシンを助けたのが、鳥人族であるトリィの操る風の魔術だった。
空気を固めて漏斗のような形を創ったそれは、シンの創土弾を呑み込む。
細くなった出口から発射される大量の空気が創土弾を加速させる。同時に、長い砲身として狙撃銃のように扱う事が出来た。
シンの警戒していた魅了とは違い、ラヴィーヌが放った魔術は閃光だったが、彼女の企みを意識の外から封殺する事に成功した。
「シン、よかった……。って、シン? シンってば!」
マークの背で喜ぶトリィに、ずしりとした重みが圧し掛かる。
自分の持てる気力を振り絞ったシンが、気を失っていた。
「シンが寝ちゃってるニャ!? ど、どうすればいいんだニャ!?」
「わ、わからないよ! マーク、どうしよう!?」
「と、とにかく落ちないように支えて!」
ぐったりとするシンを支えたまま、マーク達は浮遊島へと降りていく。
……*
創土弾が地面へと触れた瞬間。まだ土の壁も眩い光も発生していない時から、彼女は走り出した。
真紅の刃を携え、フェリー・ハートニアは一直線へ『色欲』との距離を詰める。
彼女は知っていた。こんな無茶をする人物を一人だけ。彼が取る行動なら、何も迷わずに前へ進めばいい。
コンマ数秒遅れて、アメリアがフェリーへと続く。
ピースもまた、彼女達を援護するべく『羽・強襲型』を『色欲』へと放った。
「ええええいっ!」
灼神の刃が、『色欲』の腕を再び灼き斬る。開いた先にある胸へ向かってもう一撃、斬撃を繰り出すフェリー。
熱を持ち、斬り口が溶岩のように紅に染まる。開いた胸の先に映るのは、悪意を煮詰めたかのようなドス黒い塊だった。
「ガッ!? アア、アアアァァァァァァ!!!!」
それが剥き出しになった瞬間、『色欲』の様相が変わる。
決して見られてはいけないもの、触れられてはいけないものだと、残った左手でフェリーを強引に掴んでは、地面へと叩きつける。
「っ! こんの!」
頭を強く打ったフェリーは、回る視界に抗いながら『色欲』の左腕へ霰神を突き刺す。
腕を伝う氷が、彼女の自由を奪う。それでもまだ、一歩足りない。開いた『色欲』の胸が、閉じようとしていた。
「させ……るかあ!」
絶対に逃してはいけないと、ピースが『羽』を斬り口へと突き立てる。
魔力を全て振り絞り、風の刃が綺麗だった斬り口をズタズタに裂いていく。ほんの少しにしかならない時間稼ぎ。
だが、確かに間に合った。彼女が、『色欲』の眼前に立つ事が出来た。
「これで、終わりです」
ドス黒い塊に突き立てられるのは、救済の神剣。
邪神を拒絶する剣が、『色欲』の『核』を貫いた。
「ア、アア。アアァァァ……」
瞬く間に広がっていくヒビ。崩れていく邪神の分体。
最後の抵抗か、『色欲』は自らの頭をアメリアへ打ち付けようとする。
既に崩壊している身体は、それすらも許さない。アメリアへ触れるよりも早く、『色欲』はその身を砕け散らせた。
「おわ……った?」
「ええ。邪神の分体は……。この手で倒しました」
掴まれた腕から解放されたフェリーが、ぽつりと呟く。
大きく息を吐くアメリアだったが、戦いはまだ終わっていなかった。
「上だ!」
蒼龍王の叫びで、全員の意識が空へと向かう。
性懲りもなく急降下してくる一体の龍族。黄龍が、捨て身の突撃を繰り出していた。
「させませんわ!」
セルンがその身を呈し、黄龍の一撃を受け止める。
黄龍の奇襲は失敗したが、あくまでそれは囮だった。
「あっ! もうひとつ!」
もう一体の黄龍が、高速で浮遊島から離れていく。その背には、ラヴィーヌが乗せられていた。
創土弾による壁が出来ると同時に、ラヴィーヌは黄龍を一体捨て駒として扱った。
結果として、彼女は浮遊島から脱出する事に成功する。
「あなた、追いますか?」
翼を広げるセルンを、蒼龍王は首を振って制する。
「いや、良いだろう。浮遊島は護られたのだ。今はそれだけで十分だ」
「……そうですわね」
そう言うと、蒼龍王とセルンは共に戦った三人の人間へ深々と頭を下げた。
「礼を言う。今回の件、君たちが居なければ浮遊島は奪われていただろう。
そうすれば、海底都市やカタラクト島にも危険が及んでいたに違いない。本当に、ありがとう」
「い、いえ。私たちこそ、カナロア様やセルン様が居なければ……」
「そうそう。コマったときは、お互いサマ!」
「おれも個人的にアイツらに腹立ててたんで、むしろ助けてくれてありがとうございます」
全員が顔を見合わせ、沈黙が流れる。お互い様なのだと思うと、なんだかおかしくなった。
堪えきれずに笑いが漏れた後、満身創痍だったアメリアとピース。そして蒼龍王がばたりと倒れる。
フェリーとセルンが慌てる中、浮遊島へとゆっくり着陸したマーク達。
援けを求めようとしたフェリー達だが、彼の背中でぐったりとしたシンを見て更に大騒ぎをしてしまう。
彼もまた、満身創痍の中気力を振り絞っていた。ボロボロと涙を溢すフェリーを、ひたすらにタマが落ち着かせようと頑張っていた。
そんな中、トリィは浮遊島の大地に立つ。
大好きだった祖母が護りたくて、蒼龍王へ託したもの。
眠る蒼龍王の顔に手を添え、笑みを浮かべた。
「カナロアさま、ごめんなさい。そして、ありがとう」
カタラクト島よりももっと間近で感じる夕焼けを、その眼に焼き付ける。
今まで見たどんな景色よりも、美しいと感じる。嘘偽りのない、本心だった。
「……おばあちゃん。私たちの故郷って、こんなにもきれいなんだね」
多くの痛みを生み出した浮遊島の戦いは、幕を閉じた。
トリィは生涯、この景色を忘れる事はないだろう。




