20.決断
ウェルカを目指さず、迂回するルートを考えていた時の事だった。
ピースは勿論、シンとフェリーもこの辺りの地理に明るい訳ではない。
慎重かつ確実に、そして安全な目的地を設定する必要があった。
そんな中でピースは、地図はおろかこの世界の文字も読めずに二人の判断を待っていた。
今思うと言葉が通じる方が奇跡的だったんだなと考えながら、漠然と空を眺める。
「ん……?」
そんな中、道なりに進んだ先で揺らめくそれが視界に入った。
すぐに二人へ声を掛け、全員でそれを確認する。
「あれは……」
この道の先にあるのはウェルカの街だ。
そこから無数の黒煙が立ち昇っている。
只事でないというのが、それだけで伝わる。
黒煙に当てられたのか、突如フェリーの顔が青ざめる。
歯の根は合わず、カチカチと音を鳴らす。
それはピースの目から見ても、明らかに普通では無かった。
「フェリーさん、大丈夫ですか?」
フェリーは真っ青な顔で「だいじょぶだから、気にしないで」と返すが、とても言葉通りに受け取る事は出来なかった。
彼女の身に何があったのか。どうすればいいのかとピースは狼狽える。
一方で、シンには心当たりがあった。
きっと、彼女は重ねているのだろう。
故郷の村が燃えた、あの日の事を――。
フェリー自身にその記憶はないが、自分が村を燃やし尽くしたのだと確信している。
しかし、シンはその決定的な場面は目撃していない。
魔導刃が炎の刃を形成するように、彼女が炎の魔術の素養があったのは事実だが、それだけだ。
結局の所、故郷の崩壊は全てが明らかになっていないのだ。
村が燃え、彼女はその日から容姿が変わらない不老不死となった。
その事実だけが宙に浮いている。
それでも彼女は罪悪感に苛まれ、自らの『死』を望んでいる。
唯一の生き残りである自分がそんなフェリーを殺すと誓った。
以降、10年もの歳月を掛けて彼女は本来の明るさを取り戻していった。
そんな彼女が、トラウマを掘り返されている。
そのストレスはピアリーでの比ではないだろう。
震えるフェリーの頭を、シンはそっと撫でた。
シンの指先に、柔らかな髪の感触が絡みつく。
「シン……?」
「フェリーはどうしたい?」
その言葉は、自分の意見が優先されるという事をフェリーは知っている。
――解ってる。
このままウェルカに行く事が危険だという事は。
――解ってる。
あの黒煙は自分達の村とは関係がないであろう事は。
――解ってる。
ここには自分達だけでなく、子供もいる事は。
「――ウェルカに行きたい」
それでも出てきた言葉は、本心からのものだった。
危険で、何もメリットがないであろう事は解っている。
それでも故郷の記憶と重なるあの場所をフェリーは放ってはおけなかった。
「解った。行くぞ」
シンはそれだけ言うと、ピースに行き先を告げる。
ピースも少し驚いた顔をしていたが、嫌な素振りは一切見せなかった。
「い、いいの!? だって、また命を狙われるかもしれないし……」
「何が起きているかは判らないが、あの様子だと街が非常事態なのは間違いないだろう。
行ってみる価値はある。そうだろ?」
ピアリーでの出来事を思い出したが、あれはフェリーが発煙筒を打ち上げたからだった。
ウェルカの黒煙はどう見てもそれとは別物だ。
「おれは二人がいないとどこにも行けないので!」
「……ふたりとも、ありがと」
何故か得意気なピースに、フェリーは苦笑した。
……*
シンはウェルカへ移動するに当たって出発の準備をフェリーとピースに任せた。
と言っても、野宿の後片付けだけではあるのだが。
その間、少しでも情報を集めようと照準器越しにウェルカの方角を注視する。
レンズの向こうに映る世界は惨いものだった。
立ち昇る黒煙、群がる下級悪魔。中には上級悪魔の姿も確認できる。
燃え盛る宿の壁が崩れ、中の様子が見える建物もあった。
ベッドのシーツを赤く染める遺体。
逃げ道を失い、一か八か飛び降りる人間。
相当な混乱に陥っている事は想像に難くない。
趣味の悪い事をしていると自重しながらも、シンは思考を止めない。
暴れている魔物は自分達と交戦したものと同種だと考えて良いだろう。
それならば何故、ウェルカは襲われているのか?
目的が自分達ならば、エコス達のような形で刺客を向けてくる筈だ。
少なくとも、自分達がウェルカに入る前から暴れているのは不自然だ。
シンは監視と思考を並行して働かせる。
刺客を放ったのはウェルカの領主だ。
それならば、同様の魔物がウェルカに入る事は不自然ではない。
では、何故魔物を街中で出現させたのか。
領主自ら街を混乱に陥れる事に、シンはメリットを見つけられない。
視点を変えて見る事する。
メリットがあって魔物を出現させたのではなく、デメリットを承知で出現させたとしたら?
そうせざるを得ない状況に陥っていたとしたら?
不意にシンの視界が一組の魔物と男の姿を捉える。
(捕まっている? いや――)
最初は上級悪魔に捕えられた人間だと考えたが、違和感を覚えた。
鋭い爪で抱えられているのに、男は抵抗する素振りすら見せていない。
それどころか、その顔は笑みを浮かべているように見える。
シンは照準器を拡大し、上級悪魔と男の姿をより大きく映した。
男が身に付けている物はかなり高価だと伺える。年齢は60前後だろうか。
笑みは、余裕からなのか邪悪さを感じるものだった。
そして、その手に握られている物に見覚えがあった。
悪意を煮詰めたようなドス黒い石。
あんなものが幾つも存在するとは思えない。ピアリーで彼女の遺体から出てきたその石だった。
あれはアメリアに渡したはずだった。
シンの思考はそれが何故、それをあの男が持っているかにシフトしていく。
幾つも存在すると思えないが、複数存在していた可能性はゼロではない。
しかし、あの男がそれを持っていたとして街を破壊する理由に繋がるとは思えない。
それならば、アメリアに渡した石と同一だと考える方が自然だと結論付ける。
その場合はアメリアが渡したか、奪われたのかという話にはなるが――。
アメリアが渡したのであれば、同様に街を破壊する理由に繋がらない。
自分とフェリーの情報が刺客に正しく伝わっていない事から、偶然ではあるが既に潔白を証明している。
よって、シンはアメリアに渡した石が奪われた物だと結論付けた。
そして、身なりと魔物が自分達への刺客と同様である事から男の正体が見えてきた。
恐らくウェルカ領の領主、ダール・コスタだ。
恐らくアメリアはダールを裁きに行ったのだろう。
その際に証拠として持っていた石を奪われ、ダールが逃亡の為に街を混乱に陥れた。
あくまで推測で先入観に捉われないようにしようと自分に念押しをしたが、シンのそれは当たっていた。
しかし、そうなるとあの石をダールが奪ったと言う状況は宜しくない。
地位を捨ててまで奪還を試みたのだから、その重要性は相当な物だろう。
邪神とやらに関係しているのだろう。
それならば、ダールをみすみす逃すわけにはいかない。
シンは狙撃銃に魔導弾を装填する。
最速の弾速を誇る、稲妻弾。
凍結弾は上級悪魔を凍らせる事が出来た。
雷属性の稲妻弾も効果がある事を願いつつ、シンは狙撃した。
稲妻弾は引き寄せられるように線を描きながら、上級悪魔へと命中する。
「ガッ……!?」
「なっ、なんだ!?」
上級悪魔は身体中を走る電撃で身体の自由を失う。
ダールを掴む力も弱まったが、ただの人間であるダールはこの高さから落ちて無事で済むはずがない。
上級悪魔の表面を伝わる電撃で身体を痙攣させながらも必死にしがみつく。
その結果、更に身体の自由を失った上級悪魔はウェルカの黒煙に消えていった。
落とせはしなかったが、しばらくは身体の自由を奪えただろう。
「シン! いつでもいけるよ!」
「分かった」
タイミング良く、フェリーが準備の完了を告げる。
いつもの癖で運転席に座ろうとしたが、思い留まる。
「フェリー、運転を任せていいか?」
「えっ??」
シンはフェリーとピースに自分が見た物を説明した。
ドス黒い石の下りで彼女の表情が一瞬曇るが、すぐにその顔付きは険しくなった。
「そうだったら、急がなきゃ!」
ピアリーでの出来事も、街が破壊されている事もフェリーには耐え難い事だった。
自然と握った拳に力が入る。
「だから、俺は移動しながら魔物を撃っていく。
だから運転はフェリーに任せたい」
「……わかった! そういう事なら任せて!」
フェリーは胸をドンと叩いた。
状況とは裏腹に、マナ・ライドを運転出来る事を喜んでいる節もある。
「あの、おれはどうすれば……」
おずおずとピースが手を挙げる。
側車をシンが、運転をフェリーが行うのは解った。
それならば自分は? という不安があった。
さっきは完全について行くつもりだったので、置いてけぼりは嫌だった。
「あたしに捕まればいいじゃん」
「えっ」
それでいいのなら、ピースからすればご褒美だった。
バイクの後ろに乗るという事は、必然的に運転手にしがみつく事になる。
こんな美女にしがみついた経験など、ピースには無い。
しかし、懸念点もある。
「いいんですか!?」
「だって、それしかムリでしょ?」
「いや、えっと、そうじゃなくて……」
ピースは横目でシンを見た。
シンは嫌じゃないのだろうか? 怒ったりしないのだろうか?
世話になった二人なので、彼の神経を逆撫でするような真似をする事には抵抗があった。
「ピース」
「はひっ!」
胸中で「ほら、やっぱり怒るじゃん」と毒づく。
フェリーも自分の容姿とか鑑みた上で発言するべきだとこれも胸中で注意をする。
「今から行くのは戦場だ。それでもいいのか?」
「えっ?」
シンの言葉は想定外のものだった。
確かに緊急事態だとは思うが、ピースにとってみれば同じだった。
危険な街に突っ込むのも、ここに取り残されるのも大した違いはない。
何の生活基盤も有していないのだから。
それに、自分は魔導刃が使える。
多少なりとも、困っている人を助ける事が出来るのではないだろうか。
「おれに出来る事があるなら、手伝わせてください」
「……わかった、無茶はするなよ」
「頼りにしてるからね、ピースくん!」
二人の反応を見て、ピースはなんとなく嬉しく思った。
仲間になれたような気がした。
「ただ、言っておくぞ」
「はい?」
あまりフェリーにベタベタ触らないよう、釘でも刺されるのだろうかとピースは身構える。
「振り落とされるなよ」
「あっ、ハイ……」
全てを察するには、十分過ぎる一言だった。
――役得でもなんでもない。これ、危険なやつだ。