199.新たな悪意
瞼が重い。視界が段々んと霞んでいく。壁にもたれ掛かった身体がズレても、戻す気力がない。
朦朧とする意識の中、アメリアは確かに『怠惰』が消滅した事を確認した。
(ああ、よか……った)
アメリアの『羽・銃撃型』を滑走路に、魔力を吸着した白色の流星。
実質的には、アメリアの魔力を魔導砲が吸い取った形となる。
更に『羽』による魔力増強の魔法陣を駆使した、文字通り渾身の一撃。
実際に自分が使用した時も、魔力を強く吸い取られた。
それを最大の状態で使用したのだから、アメリアの魔力が枯渇するのも必然だった。
(シン、さん……。腕、なおさ……ないと……)
自身の傷も決して浅くはない。それでも尚、アメリアはシンの身を案じた。
彼は殆ど魔力を持たないが故に、治癒魔術の効果が極端に薄い。だが、何もしないよりはマシだという事を彼女は知っている。
明確に彼の力になれる数少ない事柄。その座をアメリアは誰にも譲りたくなかった。
自分の魔力が枯渇している事すら忘れるほどの、強い気持ち。
(起き、な……)
だが、アメリアの肉体、魔力は共に限界を迎えている。
その如何ともし難い事実が、彼女から意識を奪っていった。
「……アメリア?」
消滅した『怠惰』の跡を確認していたシンを振り向かせたのは、砂利の擦れる音だった。
シン自身、既に左腕を動かす事もままならない。万が一、再生してはいけないと細心の注意を払っていた彼は眼を見開く。
意識を失い、だらんとしたアメリアの身体が横に崩れる。自分の位置が、どこであるかを忘れているかの如く。
「アメリア!」
本来なら、何度も名を呼ばれて嬉しいはずのアメリアが一切の反応を示さない。
完全に途切れた意識は再覚醒を許さず、重力の流れに任せて倒れていく。
空飛ぶ大地よりも遥か下、碧く広がる海へ向かって。
「くそっ!」
このまま海面に叩きつけられてしまえば、無事では済まない。
シンは軋む身体に鞭を打ちながら、彼女を追って崖から飛び降りる。
重力によってぶら下がった左腕に痛みが走るが、そんな事はどうでもいいと弾倉を自らの身体に当て回転させる。
「間に合え……!」
アメリアへ追い付くべく、シンは空へ向かって緑色の暴風を放つ。
緑色の暴風の反動で自身の身体を加速させ、落下するアメリアの腕を掴んだ。
焦りから強く握ってしまったが、それぐらいでは彼女の意識は戻らない。魔術付与による縄も、浮遊島にまでは届かない。
浮遊島に戻る手段は、もう残されてはいなかった。
「すまない、アメリア!」
シンはぐったりとするアメリアを抱きかかえ、身体を反転させる。せめて、彼女が受ける衝撃を最小限にしようというものだった。
共に落下していた蒼龍王の神剣が海面に波紋を作り、海へと沈んでいく。
彼女は深く後悔するだろうが、シンは神器よりもアメリアの身を優先した。
最後の悪足掻きとして、シンは海面へ僅かに充填した緑色の暴風を放つ。
微かに減速こそしたが大きく結果が変わる訳ではない。
シンはアメリアを抱きかかえたまま、自分の背中を海面に強く打ち付ける。
蓄積した傷に再び激痛を灯らせ、シンの意識も海の中で途切れてしまっていた。
この時、誰も気付いてはいなかった。
空から舞い降りる一体の龍族。その背中に乗っていた、少女の存在について。
……*
シンとアメリアにより『怠惰』が消滅した直後。
捕らえられていたジーネスの身にも変化が訪れる。
ピシッという何かが割れる音と同時に、右足に違和感を覚える。
砕け散ってこそはいないが、大地を揺らす程の衝撃の直後に起きた異変。
それが何を意味しているか、ジーネスは感覚的に理解していた。
(ここまで、だな)
諦めと納得。そして、敗北を受け入れる。
自分の矜持を保つ為だけの言い訳など、ジーネスは必要とはしていない。
「なあ、ボウズ。ちょいと散歩でもしようぜ。足だけでも解いてくれよ」
「はあ? そんなこと出来るわけないだろ」
当然のような口ぶりで、ふざけた事を話すなとピースは呆れていた。
確かに雑談をして互いに気心を知ったかもしれないが、それとこれとは話が別だ。
彼の破棄は、自分にとっては脅威だ。油断をしていれば、あっという間に形勢は逆転してしまう。
「別に襲ったりしねえっての。どうやらワシらは、完全に敗けちまったみたいだしな。
その様子をちょいとだけ拝ませてくれや」
「……絶対だぞ。マジで、変なこと考えるなよ?」
「しつけぇな。わかったわかった。これでもワシ、約束はちゃんと守るぞ。
酒場だってツケたことねえしさ」
「それは信用がなくてツケられないだけじゃないのか?」
「ガハハ! 言うじゃねえか!」
敗けたと言っているにしてはやけに晴れ晴れとした表情をするジーネスに、ピースは首を傾げる。
実際、何度か地面を揺らす程の衝撃はピースも気になっていた。迷った末に、ジーネスの提案を了承する。
せめてもの安全確保として、ピースはボウガンをジーネスの背中へと設置する。
彼は色々と文句を言っていたが、「じゃあ連れて行かない」というと大人しくなった。
両手が塞がり、バランスの取れないジーネスに合わせてゆっくりと歩いていく。
彼が適合した邪神。『怠惰』が暴れていたであろう地へ向かって。
……*
度重なる地震を前にして、トリス・ステラリードは目を覚ました。
平な場所へ寝かされ、拘束こそされているが魔術師の彼女によっては容易に抜け出せるもの。
その所々にアメリアの思いやりが見え隠れして、歯痒くなる。
「私は……取るに足らない存在だということか……ッ」
屈辱の味を確かめるように、奥歯を噛みしめる。
アメリアにとって、元々は同僚であるトリスを手に掛ける事は出来なかった。
リシュアンのように思い直してくれる可能性を棄てきれない甘さ。トリスはそれを、侮蔑だと受け取る。
一方で、まだ自分は動ける。戦況を変える事が出来れば汚名返上へ繋がるはずだと、トリスは前向きに考えた。
「見ていろ。私は必ず……」
「アルマ様の役に立つ。ですわね」
不意に鼓膜を揺さぶるのは、少女の声。やや艶を含んだ言い回しは、耳がくすぐったくなる。
トリスは声の主を良く知っている。同じ分家の者でありながら、邪神に適合し自分より高みへ至った少女。
「……ラヴィーヌ」
若干の妬みを孕みつつ、その名を呟いた。
彼女は邪神と適合して明らかに変わった。昔からビルフレストを慕っている事には変わりないが、明らかに艶が増した。
(誰でも手玉に取れるようなものだから、色気も増してくるか……)
前髪に隠れた金色の邪眼は、一体何を見据えているのか伺い知れない。
三日月島で邪神の分体共々、手痛い目に遭ったはずなのだが既に精力的に動いている。
つい先日まで、ほぼ同じ立場だった者としては羨ましくも感じていた。
「トリスさん、よくぞご無事でしたわ。残念ながら、もう私たちしか残っていませんので心配していました」
「……どういうことだ?」
トリスは耳を疑った。ジーネスは人間としては唾棄すべき最低の人種だが、『怠惰』に適合している。
彼自身も魔力を掻き消すという能力を備え、実際に浮遊島を縛っていた魔力の鎖を消している。
更に、邪神の分体である『怠惰』までいるのだ。
ましてや、ラヴィーヌの他に黄龍王も待機している事を知っている。
魔鰐族の王は蒼龍王に執心していた為、返り討ちに遭っている可能性は十分にあるだろう。
だが、この錚々たる顔ぶれがそう簡単に敗北する状況が、トリスには思い浮かばなかった。
「信じがたいことですが、皆さま敗れてしまったのです。
私も空から見ていたのですが、とても驚きましたわ」
「ラヴィーヌ、貴様! 空から見ていたのなら、どうして援護をしなかった!?」
仲間を見殺しにした怒りで、トリスはラヴィーヌの胸倉を掴んだ。
ラヴィーヌはそれを咎める事なく、そっと彼女の指を解く。
「トリスさん。貴女が私に怒る気持ちも十分に理解しています。
なのでここは、是非お力添えを頂けないでしょうか? やるべきことが、残っていますので」
「やるべきこと、だと……?」
「はい。とても大切なことなのです」
トリスは恍惚の表情を浮かべるラヴィーヌを見て、訝しむと同時に納得もした。
彼女がこういう表情をする時は、決まってビルフレストの命令だ。
彼の役に立つ事が何よりも大切な彼女にとっては、自分の協力を仰いででも成し遂げたい事なのだろう。
「……分かった。私も、このままではいられない。
一体何をすれば――」
その言葉を言い終えるより前に、トリスは口を閉じる。
ラヴィーヌの金色の右眼が、彼女の瞳を捉えていたからだった。
時間が経つにつれ、力を増していく邪神の力。『色欲』の持つ魅了は同性であるトリスすら虜にする。
それは、ラヴィーヌの成し遂げたいものに彼女の意思が邪魔である事を意味していた。
「さあ、トリスさん。私のために、お願いしますわ」
ふうっと吐息で耳を撫でるように、艶やかな声をトリスの鼓膜へと溶かしていく。
「ええ、任せて。ラヴィーヌのためになら、なんでもして見せる」
プライドの高いトリスが、一切の疑念を抱かずに自分の傀儡となる。
自分自身こそが快楽に溺れてしまいそうだと、ラヴィーヌは身を震わせた。
……*
「それでよ、ボウズは誰が本命なんだ?
栗毛のネェちゃんか? 気弱そうな娘か? それとも、あの金髪ちゃんか? どの娘もカワイイからなぁ〜」
歩いている間、ジーネスはからからと笑いながら同じ話題を繰り返している。
相変わらず手の自由が利かないにも関わらず、変わらない態度にピースは感心をした。
ピースとしても、その方が気楽でありがたい。内容は「男子中学生かよ」とツッコミたかったが、絶対に通じないので流石に口をする事は躊躇った。
「フェリーさん……。金髪の娘は好きな人いるよ。勿論、おれじゃない」
昨日に引き続き、どうしてモテていないアピールをする必要があるのかとピースは嘆いた。
「ほおぉぉぉ。じゃあ、あの黒髪のニイちゃんか? ミスリアでも、仲良さそうだったもんな」
「おっさん、案外ちゃんと見てんのな。そうだよ、フェリーさんはシンさんにゾッコンだ」
「あのニイちゃん、毎日あのムネ揉み放題ってことだろ? いやぁ、羨ましいねぇ」
思わず感心したピースだったが、やはりただの助平だった。
呆れながらも、ジーネスの言葉を否定する。
「いや、シンさんは多分そういうのしてないぞ……」
「はあ!? マジか? 頭おかしいんじゃねえのか……?」
「酷い言われようだな……」
とは言え、自分もマレットから大まかな話を聞いていなければ同じ事を考えていただろう。
明らかにお互いを大切にしていたのに、その割には妙な溝がある二人組だと。
理由を聞いてどうしたもんかとお節介な事を考えていれば、再会した時には誤解が解けたと言う。
喜ばしい事ではあるがアメリアの気持ちも察している手前、二人の行末はどうしても気になってしまっていた。
「で、金髪ちゃんが無理だとしたら、ボウズはどっちが本命なんだ?」
上手く話題を逸らしたつもりだったが、そう甘くは無かった。
選択肢が減った状態で、同じ質問を再びぶつけられたピースは舌打ちをする。
「栗毛のネェちゃんはちょっと目付きがキツいけど、それがまた良いよな。
気の弱そうな娘は尽くしてくれそうなタイプだし。
お前さん、三人で旅してたぐらいなんだからどっちかは本命なんだろ?
それとも両方か? かぁー、ガキのクセに羨ましいこって」
「いやいやおっさん、一人で盛りあがんなよ」
とはいえ、マレットとコリスになるとどうしても考えてしまう。
マレットは生前の年齢と近いし、あのサッパリとした性格だ。この世界で一番相談もしやすい。
誰かをからかう事を生業としている節はあるが、まあサービス精神も旺盛だし……。などと考えてしまう。
コリスはきっと天涯孤独になったから、少しばかり自分に依存しているのだろう。あの時は自分も必死だっただけだし、マレットが居なければ共倒れだったのだけれど。
イリシャと一緒に子供の世話をして、少しでも明るくなってくれればと言う気持ちが強い。心情的には見守りたいという感情が前に出ている。
(となると、やっぱマレットかなあ……。って、いかんいかん。あのおっさんのペースに乗る必要は何もないじゃないか)
もしこんな会話をしていると知られれば、マレットにからかわれるのは間違いない。
ぶんぶんと首を振って、邪念を払うピース。
「……?」
前を歩いていたジーネスの足が止まる。さっきまで楽しそうに話していた余韻は残っておらず、ピースは訝しむ。
何があったのかと再び顔を上げた彼を待ち受けていたのは、一人の少女。
彼女もまた、以前に会った事がある。ミスリアの王都で、ジーネスに窮地を救われた少女。
「トリス嬢じゃねえか……」
縛り上げられた状態で、ジーネスはその名をぽつりと呟いた。
普段なら自分に対して嫌悪感を示す少女の眼は、真っ直ぐに自分を捉えている。
その様子が只事ではないと察するのに、そう時間を必要とはしなかった。




