197.追い詰める者と追い詰められる者
「あっ、ピースくん。と、ミスリアにいたおじさん? シンは?」
浮遊島の中を移動するフェリーは、海晶体にで覆われた建物の中を走っていた。
シンが降りていった方角へ向かったのだが、そこには縛り上げられている中年とじっとその男を見ているピースの姿があった。
彼の元へと向かったはずのシンは見当たらない。
「フェリーさん。……って、大丈夫なんですか?」
「お、あの時の金髪ちゃんか。こりゃまた前衛的なカッコをしてるな。
血の汚れさえなければなァ……」
二人が驚くのも無理は無かった。黄龍王との戦いで深手を負ったフェリーは、自身の再生こそすれど着ているものは別だ。
一度右腕を失った影響で右肩から先の袖は失われ、白くて細い腕が露わになっている。
同じく右の脇腹も同様に破れており、チラリと臍が見え隠れしている。
破れた辺りが赤黒く染まっている辺り、負傷した結果だというのは明らかだった。
「うん、あたしはだいじょぶだよ。ピースくんこそ、このおじさんとなにしてるの?
ふたりとも、なんかヘンな目であたしのコト見るし……」
「金髪ちゃんのヘソがな、ちらちら見えてたまらんのだよ」
「……ピースくんも?」
「いや、それはその……」
ムッとするフェリーの顔を見て、ピースとジーナスは視線を逸らした。
ピースが小声でジーネスに文句を言っていたが、フェリーには聞き取れなかった。
……*
合流したフェリーは、互いの状況を共有した。
黄龍王が現れた事に驚いていたのはジーネスだったが、斃したと聞いて更に驚いていた。
ピースはシンがジーネスを捕縛した事こそ話したが、その理由までは語らなかった。
自分の想像の域を出ない上に、口にした事でジーネスが突飛な行動に出る可能性を恐れた。
あくまで真意は、シンにしか判らない。自分はジーネスの見張りを任されたのだと言うに留める。
「それで、このおじさんと仲良くなっちゃったの?」
「仲良くなったというか、雑談をしている程度ですけど……」
「ヒマだから付き合って貰ってんのよ。金髪ちゃんもどうだ?
やっぱ女のコが居てくれたら華があるからなぁ」
「ダメだよ。シンがまだ戦ってるし、カナロアさんとも約束したもん。
あたし、行かなきゃ。ピースくんはちゃんとこのおじさん見ててね!」
ジーネスの誘いに、フェリーは腕を交差させて断る。
彼女はそれだけ言い残すと、フェリーはシンが居ると思われる方角へ走り出した。
「ありゃあ、ゾッコンだなぁ」
「やっぱおっさんにも分かる?」
「分からん奴とかいないだろ。あんだけ一途だと、見届けたくなるな。
ボウズ、ワシらもちょいと様子を――」
「ダメに決まってんだろ。おっさん、ちょいちょい抜けようとすんなよ」
案外往生際が悪いなと呆れながら、ピースは設置されているボウガンを指した。
ジーネスは大きなため息を吐いて、項垂れていた。
……*
『怠惰』の噴き出した息にとり、結果的とはいえ距離を取る事が出来たシンとアメリア。
浮遊島の端で身を隠しつつ、彼らもまたお互いの状況を確認しあっていた。
「そんなことが……」
俄かには信じがたい話ではあるが、こんな状況で冗談を言う人間ではない。
そもそも自分は、実際に天空へと上がっていく様をその場で体験している。
ありのままを受け入れると同時に、中断された儀式の行方を気に掛けていた。
同時に少し、安心もしていた。今回見る邪神の分体は、三日月島とは別の個体。
対応する適合者の存在を懸念したが、シンが制してピースが監視しているというのだから一安心した。
「シンさん、『怠惰』の能力はやはり……?」
「ああ、魔力を掻き消すものだった」
シンは頷いて、彼女の予測が当たっている事を肯定した。
今回相対した『怠惰』は、未完成ながら一度ミスリアの王都で邂逅している。
その場にいたシンやマレット。実際に搔き消されたピースやイルシオンの話から想定した通りの能力が発現している。
「では、『怠惰』は一体……?」
物陰に身を隠しながら、二人は『怠惰』の様子を監視していた。
のそのそと身体を左右に揺らしながら、真っ直ぐに歩く。障害物があれば、避けるのではなく片っ端から破壊している。
避けるのすら面倒だという意思を示しているかのように。
ビルフレストやラヴィーヌは、適合した邪神の分体に応じて異能の力を発現した。
邪神の分体自体も、彼らに近い形でその身に異能を宿している。
過去の事例から、『怠惰』も適合者の能力からある程度の推察が出来ないかと観察をしている最中だった。
けれど、魔力を掻き消す能力を元に考察を進めるとどうしても壁に当たってしまう。
同種の異能を発現した場合、自らの存在をも消してしまうのではないかという懸念。
邪神は悪意と呪詛、魔力で構成された異形の存在。『核』が魔術大国ミスリアで造られた以上、魔力と邪神の存在を切り離せはしない。
かつて『暴食』の邪神像が魔石で構成されているのを目撃したというピースやコリスの証言からもそれは確実だった。
「……分からない」
アメリアの問いに、シンは首を横に振った。
蒼龍王の神剣の一振りは兎も角、『怠惰』は重力弾を掻き消すような真似はしなかった。
金色の稲妻や赤色の灼熱も同様だった。少なくとも、この分体は一度も魔力を用いた攻撃を掻き消してはいない。
魔導砲を発射する際の充填速度からも、奴の身体が魔力で構成されている事は明らかだった。
事実、『怠惰』はジーネスの破棄のように魔力を掻き消す類の能力は持ち合わせていない。
邪神の分体は適合者の能力を基礎に、その異能を発現させる。ジーネスが魔力を掻き消すという相反する存在になってしまい、『怠惰』が代わりに得た能力。
それは己の肉体を極限まで強化する増強。ジーネスの「自分は働きたくない」という心情が、代理として破壊を行う存在を創り出す。
尤も、その堕落した性質まで受け継いでしまったのは誤算だったようだが。
単純な強化という事もあり、元々の強さを知らないシン達が気付かないのも無理は無かった。
「……まるで子供だな」
『怠惰』の観察を続けながら、シンがぽつりと呟いた。
迂回を面倒そうに一直線に歩きながらも、所々で興味を持った物を手に取っている。力加減が分からずに握り潰してしまう様は、初めて虫を掴んだ子供のようだった。
だが、子供は無邪気さ故に恐ろしい。彼らは何でも見つけてしまう。大人が風景として見過ごしてしまうものすら、光輝いて見えるのだろう。
鈍色の顔に浮かぶ眼が、輝きを放った気がした。
目が合った。探していた人物を見つけたと、のっぺりとした顔にも関わらず表情を明るくしたのが分かる。
この瞬間、『怠惰』にとっての最優先事項が上書きされた。息を吹いただけで吹き飛んでいった脆弱な存在へと。
「……来ます!」
これ以上隠れる事は無理だと判断したアメリアが蒼龍王の神剣を、シンは魔導砲を構える。
邪神との戦いは新たな局面へと移行する。勝算と言えるほどのものではないが、策はある。
……*
監視をしている時に気付いた事がある。
赤色の灼熱や金色の稲妻で与えた傷はダメージこそ軽微だが、確実に表面を焦がしていた。
にも関わらず、その僅かな傷は瞬く間に再生してしまう。
一方でアメリアが蒼龍王の神剣で与えた傷は、一向に治らない。
細かな傷ではあるが、ずっと残っている。
「どう思いますか?」
うっすらと核心に迫りつつも、アメリアはシンへ尋ねる。
彼に訊く事で、自身の考えに確信が得たかった。
「蒼龍王の神剣の効果だと考えるのが、妥当じゃないか?」
「やはり、そうなりますよね」
同じ意見を得られた事で、アメリアが安堵する。
蒼龍王の神剣を再生する為の儀式は中断されてしまっている。
けれど、神器としての力は取り戻しつつあるのだと結論付ける。
アメリアが捧げた願いは『大切な人たちを護りたい』。それは世界を救済する為に、大海と救済の神へ捧げた祈り。
神も神器も、正しくその声を聞き届けてくれている。その事が嬉しかった。
可能ならば儀式を再開して蒼龍王の神剣を完全に復活させたいが、それは叶わない。
「蒼龍王の神剣の儀式が間に合っていれば……」
「過ぎたことを言っても仕方ない。アメリアの付けた傷が再生しないというだけでも、手はある」
二人が相談した結果、立てた作戦はこうだった。
まずは『羽・銃撃型』とシンで可能中限り敵の注意を引き付ける。
続けてアメリアが蒼龍王の神剣で斬りつけ、『怠惰』に再生しない傷を増やしていく。
最後に、傷へ塩を塗り込むような形で魔導砲の高火力の一撃を叩き込むというものだった。
『怠惰』が子供のように何にでも興味を示すからこそ、注意力を散漫させられると考えた上での作戦。
鈍色の皮膚に受け止められた弾丸も、内部までは防げないだろうという希望的観測。
問題は外皮同様に魔導砲を受け止められた場合、成す術がなくなる事と――。
「大丈夫ですよ、シンさん」
蒼龍王の神剣を使用できるのはアメリアのみ。必然的に、彼女が危険に晒される事だった。
逡巡するシンに対して、アメリアはニコりと微笑んで見せた。
「しかしだな……」
この手の作戦を実行する場合、シンは率先して自分が前に出る。
他人を危険に晒すのは心が痛むからだった。
「むしろシンさんが囮をしてくれるのですから、私はシンさんの方こそ心配です」
「俺は平気だ。囮役には慣れている」
「では、私も平気です。問題ありません」
彼女の決意は揺らがない。元々、これ以外の手段も思いつかない。
結果の見えている押し問答だったとはいえ、シンは眉間に皺を寄せた。
反対にアメリアは、ほんの少しではあるが嬉しかった。
フェリーだけではなく、自分も心配してくれている。やはり、この男性は優しいのだと改めて実感をした。
たったそれだけの事で、勇気が湧いてくるのだから不思議なものだ。
……*
「では、シンさん。よろしくお願いします」
「ああ。アメリアこそ、無理だけはするな」
互いに視線を交わし、腹を括る。
手始めにアメリアが『羽・銃撃型』で大地を撃ち、水のカーテンと土埃が巻き上げられる。
『怠惰』の視界から二人が消え、同時にそれが戦闘開始の合図となった。
気怠そうに自分の邪魔をする水の塊と土埃を手で払う『怠惰』。
巨腕の一振りで、前方には強い風圧が生み出される。瞬く間に大気中へ分散していく水と土には、邪神の分体もご満悦だった。
「……本当に、なんでもありだな」
目隠しが一瞬にして突破され、シンは毒づいた。
少しでも注意を引き付けよう放ったのは、風撃弾。
風の弾丸は巻き上げられた水飛沫や土埃を吹き飛ばしながら、一直線に『怠惰』へ襲い掛かる。
魔導砲は充填が必要かつ単発式であるが故、囮での使用に向いていないと判断しての事だった。
確実に『怠惰』を仕留める為に一発を放つために、待機しておく必要がある。
動きを止めるという意味では重力弾が有効なのは実証済みだが、アメリアを巻き込む恐れがあって使用が出来ない。
他の魔導弾で牽制をしつつ、シンは左手に握られた弾倉を回転させていく。最後の一撃を放つ為に。
目論見通り、『怠惰』の注意はシンへ向いていた。
彼は様々な属性の弾丸を放っている。とても面白い玩具だと、邪神の分体が興味を持つ。
どうせ浴びても大した負傷には繋がらない攻撃。不格好で重い足取りながら、『怠惰』はシンへと歩み寄っていく。
耐久力に身を任せた愚鈍な動きが、アメリアにとっては格好の的となる。
目眩ましと同時に隠した身を現しては、『怠惰』へ一太刀を浴びせる。
最初に蒼龍王の神剣で傷を負わせた時のように、不快感を露わにする。
「……っ」
更に憎悪の籠った顔つきで、『怠惰』はアメリアを睨みつける。
思わず身体が竦んでしまいそうな、拒絶の眼差し。愚鈍な動きであるが故に、巨大な岩のように強固な意思を感じる。
一瞬でも足を止めたら殺られると、魔導弾が放たれた隙にアメリアは再び姿を消した。
神経を削りながらも一撃離脱を繰り返すアメリア。決して彼女へ注意を向けさせまいと振舞うシン。
途中、『怠惰』が適当に掴んだ泥でさえも銃弾のように襲い掛かる。
攻撃を凌ぎながら、抵抗を続ける二人。少しずつではあるが『怠惰』の身体は確実に傷を増やしていく。
その一方で、シンは自分達も追い詰められているのだと気付いた。
鈍重ながら確実に前へと進み続ける『怠惰』。距離を保とうとするシンは、自然と後ろへと下がっていく。
浮遊島の端。その先にあるものは、支えるものが何ひとつ存在しない大空。
シンは確実に、逃げ場を失っていく。
自分が落ちる訳には行かない。同時に、『怠惰』を浮遊島から落とす訳にも行かなかった。
落ちた先には、カタラクト島と海底都市の一部がある。今まで平和に暮らしてきた彼らを、危険に晒す事は出来ない。
浮遊島の上で確実に倒しきる必要がある。
追い詰められる可能性自体は考慮していたが、『怠惰』が予想以上に強靭な肉体を持っていた。
アメリアがどれだけ手傷を負わせても、魔導弾での攻撃や『羽・銃撃型』では焼け石に水だった。
必要なのはやはり、魔力を最大限充填した魔導砲の一撃。
シンとアメリアの心情を知ってか知らずか、『怠惰』は、不敵に笑っていた。
焦りから取った行動により、場の均衡が崩れるのはこれから間も無くの事だった。