196.灼熱の刃は龍をも灼く
黄龍王と蒼龍王。二頭の龍族による決戦は空中で行われた。
蒼龍王が吹き付ける水の息吹はまるで大砲のようだが、黄龍王も負けじと風の息吹で水飛沫へと変えてしまう。
晴天に降り注ぐ雨が虹を作り、今日という日をカタラクト島の住人へ刻み込んでいく。
カタラクト島では住人は固唾を呑みながら、島の為にと戦い続ける王の背中を眼に焼き付けている。
これまでもあらゆる困難。あらゆる厄災。その全てから、蒼龍王は護ってくれた。そこに種族や身分は存在しない。
だからこそ、カタラクト島の住人は彼を慕うと同時に力になりたかった。各々が、彼を支える事の出来ない自分達を恥じる。
「カナロアさま!」「オレたちもなんとかあそこに……」「力が及ばなくて悔しいニャ」
口々に発せられる彼への想いに、セルンは胸から熱いものをが込み上げてくるのを感じた。
出自など一切気にせず、寄り添い合う者達が作りし楽園。他者を愛する蒼龍王の夢は、きっちりと形になっている。
「大丈夫です。その想いだけで、カナロアは戦えます」
例え遠い空でも、家族の声は必ず届いている。
夫の無事を祈って、セルンもまたカタラクト島から彼の無事を祈っていた。
……*
「どうした? 空を司る龍族。その長では無かったのか!?」
「煩い! 老害がいつまでもふんぞり返って! 隠居していろ!」
「それは無理だ。生きれば生きるほど、味わい深い! 後進の者に譲るのが惜しくなる!」
大空を司る黄龍が、大海を司る蒼龍と空で互角の戦いを繰り広げている。
ヴァンにとっては、屈辱の極みだった。
焼き尽くされて失われた右眼が存在していれば、不老不死の魔女によって傷付けられていなければ。
いくつもの言い訳が怨嗟のように湧いてくる。
龍族の中でも、黄龍王はかなり若い。
幼少期から頭角を現し、神童と評されたヴァンは若くして黄龍族の長となった。
反発する者もいたが、先代の黄龍王が高齢だという事もあり、反対派の意見はやがて小さくなっていった。
神童といえど、あくまで同世代と比べての話である。
それらを全て自分の力だと誤解した黄龍王は、唯我独尊を極めていく。
自分ならどんな願いでも叶えられるという全能感が表面化していた。反対派の危惧していた事が、現実となって現れる。
立場という後ろ盾を得たヴァンは更に暴走していく。
魔術大国ミスリアの王子、アルマ。その指南役のビルフレスト。
彼らは邪神という存在を生み出そうとしていた。更に、それらを自分の手中に収める事により人間を跪かせようとしていた。
邪神という恐怖の対象を創り、恐怖で支配をする訳ではない。
この間に国家間での争いも誘発する。それらもまとめて自分達で片を付けるという自作自演。
初めは国民の指示を得る為に、どれだけ効率が悪い事をするのだと鼻で笑った。
けれど、ヴァンはよくよく考えてみる。自分の経験と、蒼龍王の存在を比べて。
「味わい深い? 弱い奴を護って、チヤホヤされて優越感に浸っているだけだろう!?
さぞかし気持ちがいいだろう! ぼくもその優越感を味わってみたいもんだ!」
同じ力を振りかざしているのに、黄龍王である自分と蒼龍王の違い。
それは力を向けている方向だと考えた。弱い者へ力を誇示するにもして、内側ではなく外側に向けた方が効果的だと悟った。
ならばと、黄龍王はビルフレストの考えに賛同をする。蒼龍王同様に、相手が勝手に跪くよう立ち振る舞う為に。
ヴァンが黄龍王の神剣に固執していないのは、あくまで尊敬を集めたいのが自分だという背景がある。
遥か昔に生まれた神器の手柄にされてはたまったものではないと、口にこそしないが敵視していた。
浮遊島についても、存在だけは知らされていた。黄龍族がかつて空の拠点として使おうとしていた大陸なのだと。
天から愚民を見下ろす宿り木。上に立つ自分にとって、これ以上相応しい島はない。
行動原理に強い自尊心を持つ龍族は留まる事を知らない。邪神の存在が、夢物語ではないと確信してからは尚更だった。
「勘違いするな。そのような考えで、ずっと護り続けていられるものか!」
「だったら、女か? 沢山の妻を娶ったらしいもんな。由緒正しい龍族の血が、どれだけばら撒かれたことやら」
「龍族だろうと、他種族だろうと関係ない。尊い命が生まれたことを、ただ喜ぶだけだ」
「欲望に忠実なだけじゃないか!」
問答を続けながら交戦を重ねる二頭の龍族。
天候が狂ったのかと錯覚する程にぶつかり合うエネルギーは、留まる事を知らない。
先に歩みを止めた方が敗北するのだと、互いが本能で察している。
大地を踏みしめながら、フェリー・ハートニアはその戦いを見上げている。
既に右腕は再生した。袖が裂け、露わになった白く細い腕。先端にある可憐な指が掴むのは、自らの相棒。
魔導刃・改、灼神。紅蓮の刃は、龍族の皮膚を斬り裂いた。
もう一度ぶつける事が出来れば、この戦況を変えられるかもしれない。
(でも、どうすればいいんだろ……)
カナロアが現れてからというものの、戦いの場は完全に空へと移行してしまった。
いくら手を伸ばしても、届かない領域での戦い。どうにかカナロアの力になりたいのに、その方法が思い浮かばない。
フェリーの焦燥感を加速させるかのように、戦況が動いていく。
蒼龍王が繰り出すは、水を圧縮して放つ水刃。並の相手ならば三枚に卸されていただろう。
しかし、相手は黄龍王。風を操る事に長けた彼は、即座に対応をする。
「そんな小技で、このぼくに通用するとでも?」
黄龍王は圧縮した空気の塊を弾き出す。水刃に触れた空気の塊は爆ぜ、瞬く間に雨を降らせる。
またも浮遊島に生み出される虹は、たかが水の塊では意味がないと告げているようだった。
「――ガハッ!?」
無数に放たれた空気の塊は、不可視の攻撃となってカナロアを襲う。
水刃に触れ爆ぜたものは、ほんの一部に過ぎない。透明な爆弾となり、次々とカナロアの身体に衝撃を与えていく。
「まだまだ」
死角となった右眼を執拗に狙われ、思わぬ苦戦をしていた黄龍王がここで優位に立つ。
カナロアの動きが止まるなり、空気の爆弾だけではなく上空から風刃を振り下ろしていく。
圧縮されて刃となった風は、ギロチンのように蒼龍王の身を斬り裂いた。
「ガ、アァァァァァ!」
「カナロアさん!」
空気の爆弾と刃による攻撃は、魔鰐族の王によって刻まれた蒼龍王の傷を再び開く。
血の雨を降らせながら、浮遊島へと落下していく蒼龍王。最速の龍族は動きを封じられ、地面へと叩きつけられる。
「ふ、ははは。龍族の高貴な血が、沢山漏れてしまったね。
ま、元々ばら撒いているから関係ないか」
無様だと嘲笑う黄龍王。
己の力を誇示したい彼にとっては、不老不死の魔女と蒼龍王に打ち勝ったという事実が何よりも嬉しい。
「カナロアさん! ケガ、ちゃんと治ってなかったの!?」
痛みに悶えるカナロアへ、フェリーは駆け寄る。明らかに今の攻防以外に受けた傷からも、血が滲みだしている。
治癒魔術で治ったからこそ参加したのではない。戦える段階にまで、突貫で治癒したのだと気付いた。
「ははは。そういうフェリーは、腕が治っているのだな。驚いたぞ」
「そーいうのはいいから! どうしよ、あたしじゃ治せないし……」
カナロアは心配かけまいとして冗談を言ってみるが、フェリーに叱責されてしまう。
本気で自分を心配していてくれるのだと、心が温かくなるのを感じた。だからこそ、こんな龍族の内輪揉めに巻き込みたくないとも。
「フェリー。あの男やアメリアも連れて、この島を離れろ。元々、君たちには関係のない話だ。
蒼龍王の神剣さえ力を取り戻せば――」
「そーいうのも、いいから!」
逃げるように促したカナロアを、またもフェリーが叱責する。
少女の眉は吊り上がっている。怒らせてしまったのは確実だった。
「邪神のひとたちもいるんだよ。もう、カナロアさんたちだけの問題じゃないよ。
それに会ったばかりだけど、あたしはカナロアさんをそんけーしてるもん」
「我を……?」
突然、何を言いだすのかと思った。
この場に残るための方便としては、あまりにも真っ直ぐな瞳。
「この島にいるみんなが、家族だって言ってた。マリンちゃんも、カナロアさんの娘だって。
たくさんの家族を護るタメにガンバってるカナロアさんを、あたしはそんけーしてる」
血の繋がりなんて関係ない。身を寄せ合って共生するという家族の形。
フェリーは人生で一番幸せだった頃を思い出す。大好きだったシンも、アンダルも。キーランド家のみんなも。
誰一人として、フェリーと血の繋がった者は居なかった。けれど、家族として迎え入れてくれた。
あの幸せと同じものが、カタラクト島にはあるはずだと確信している。
それを護る為に戦い続けている蒼龍王を放っておくなんて、もってのほかだった。
「だから、いっしょに戦おう」
「……そうだな。フェリー、力を貸してくれ」
「うん!」
よろめきながら身体を起こす蒼龍王。その巨体から溢れる血は、大きな血だまりを作っていた。
まだ戦う気かと嘲笑する黄龍王。その薄ら笑いを止めさせるべく、カナロアは翼を広げた。
「フェリー、振り落とされるなよ」
「が、がんばる」
背にフェリーを乗せて、蒼龍王は再び大空を舞う。
無駄な足掻きだと、黄龍王は鼻で笑う。
不老不死の魔女は回復したとはいえ、空中では満足に動けない。クレシアのような離れ業を扱う魔術師が、そう何人もいるはずがない。
蒼龍王に至っては、蓄積された負傷で満身創痍だ。彼を叩き落すだけで、まとめて処理が可能となる。
「諦めの悪い……。というより、状況が見えていないだけか」
ヴァンは再び圧縮した空気の塊を大量に弾き出す。触れた瞬間に爆ぜる、不可視の攻撃。
ひとたび浴びて動きを止めたが最後、同じく空気を圧縮した刃で今度こそ身体を輪切りにするだけだ。
何度だって再現できる攻撃。空で自由に動き回れない今なら、こちらも全力で応戦する必要はない。
既に空での格付けは済んでいるのだと見下すヴァンに、カナロアは突拍子もない行動に出る。
「カナロアさん、ほんとうにいいの!?」
「構わん! やれ、フェリー!」
「うまくいかなかったら……ごめんなさい!」
逡巡するフェリーの背中を押したのは、カナロアだった。自分も無茶をする方だと自覚しているが、彼も大概だ。
霰神を起動し、透明の刃を形成する。すうと息を吐き、空気の爆弾による結界とその先に居る黄龍王を見据えた。
「いっけえぇぇぇぇ!」
「なにっ!?」
フェリーの魔力を存分に注ぎ込まれた霰神は、強烈な冷気を生み出す。
圧縮した空気の塊が持つ熱を奪っていき、次々とその機能を失っていく。
不発弾となった空気の塊は恐れるに足りない。蒼龍王はそれらを蹴散らしながら、一直線に黄龍王へと向かっていく。
「ふざ……けるなァ!」
思い通りに行かない怒りから、黄龍王は予め用意していた空気の刃を前方へと放つ。
相手が突進してくるのであれば、交差法として刃を置いてやればいいだけの事。
だが、それさえも魔導刃・改は突破をする。
「フェリー! 次だ!」
「ええいっ!」
新たに取り出したのは、灼神。真紅の刃が、空気の刃を膨張させる。
膨らんだ空気の刃はその斬れ味を失い、蒼龍王を目前として爆ぜた。
「この……。虚仮にしてくれるッ!」
ならば自らの身体で、新たな傷を刻みつけてやろうとヴァンは鉤爪を光らせる。
それを待っていたと言わんばかりに、カナロアは彼の爪をその身に食い込ませた。
考えた通りの出来事なのに、思惑とは違う。異常だとも言える行動に、黄龍王の背筋が凍る。
「な、何を考えているんだ!?」
「お前を斃す方法に決まっているだろう」
両手の爪を一身に受け、ボタボタと血を垂れ流す蒼龍王。痛みで顔を歪めながらも、笑みを浮かべるその姿は不気味だった。
彼が突拍子もない行動に出た理由を、黄龍王はすぐに思い知る事となる。自分の視界を覆った、小さな影の存在によって。
「これでっ!!」
影の正体は、不老不死の魔女。空気の刃が爆ぜると同時に、カナロアによって上空へと撃ち出されていた。
魔力によって形成された刃を掲げ、黄龍王の頭を斬り落とさん舞い降りる。空を飛べないフェリーは、この一撃を外せば地面へと打ち付けられてしまう。
迎撃と退却。どちらも選択させないために、蒼龍王は自らの身を差し出していたのだと知る。
決して傷は浅くないはずなのに、躊躇う事なく自己を犠牲にする行動を選択する。
黄龍王にとっては、決して理解が出来ない行動。故に得た勝機を、フェリーは逃す訳に行かない。
「舐め……るな! ぼくは黄龍族の王だ! こんな小娘に!」
しかし、黄龍王もまた自らの自尊心が諦めを許さない。
尾を鞭のように振るうが、蒼龍王の足が絡めとる。舞い降りるフェリーは、すぐ傍にまで来ていた。
「終わりだよ!」
「終わるものか!」
振り下ろされた刃を受け止めたのは、巨大な龍族の口だった。
黄龍王の口はフェリーの右腕を容易く収め、鋭く尖った牙で噛み千切ろうと顎に目いっぱいの力を加える。
「フェリー!」
あと一歩の所で、とどめを刺しきれなかった。その点を悔やむよりも、フェリーに傷を負わせた事をカナロアは深く後悔する。
彼の声色からもそれが窺える。
「だいじょぶだよ、カナロアさん」
フェリーは微笑んだ。決して強がりなんかではない。
なんだか、少しだけシンに似ていると感じた。だから、あまり辛い顔をさせたくないと思った。
「まだ、あたし……、負けて……ないから!」
歯を食い縛り、痛みに耐える。握力が弱まろうとも、決して握られた灼神は離さない。
これを離してしまえば、本格的に打つ手が無くなる。フェリーは腕が噛み千切られる前に、ありったけの魔力を灼神へ注ぐ。
「おねがい、これで!」
黄龍王の口内で上昇していく温度。口が、舌が焼け爛れていく。ヴァンもまた、その口を開く訳には行かなかった。
開いてしまえば最後、この灼熱の刃に抗う術が無くなる。熱は喉を伝って、肺を、胃を灼いていく。
白眼を向いても、決して口は開かない。
「まだ、まだ……! マレット、おねがいだから!」
フェリーもまた、指先の感覚が鈍くなる。指先一本でも魔力を届かせてくれと、マレットへ祈っていた。
彼女ならきっとそんな造りにしてくれているという信頼が、根底にある。
一方でヴァンは激痛に身を悶えさせる。閉じた口は悲鳴を上げる事すら許さない。
自分の動きを拘束していたはずの蒼龍王へ、全体重を預けるようになる。
それはフェリーと黄龍王の我慢比べが、終了した事を意味していた。
「……おわった?」
顎の力が弱まり、口が開く。ズタズタとなった自分の腕を見るのが、少しだけ怖かった。
「そのようだな。フェリー、ありがとう」
肩で息をしながら、フェリーとカナロアは互いの視線を交わした。
ゆっくりと地上へ降りていき、黄龍王の亡骸をそっと横にする。
「ヴァン。すまないな」
敵にさえも敬意を払う、蒼龍王。
黙祷をする彼に倣って、フェリーもそっと瞼を閉じた。
カナロアは『老害』と評された事を、僅かに気にしていた。
自分に比べれば黄龍王や紅龍王は随分と若い。もっと積極的に、王としての心得を説くべきだったのかという後悔が残った。
「カナロアさんは、なにもわるくないよ」
「……フェリーは優しいな」
影を落とすカナロアに、フェリーはそっと手を当てた。
その微笑みが、蒼龍王の気を和らげる。
「あとは、シンたちのトコに行かなきゃ……」
「ならば、我が背に――」
まだ戦いは終わっていないと、フェリーは島の反対へ視線を移す。
彼女を背中に乗せようとしたカナロアだったが、思うように身体が上がらない。
地面には、再び血の染みが作られている。身体に限界が来ているのは明白だった。
「む……」
「カナロアさんは休んでて。あとはあたしたちに、任せてよ」
「すまぬ……」
聞けば相手は邪神に纏わる者だという。そんな相手に満身創痍で向かっても、足手まといになるだろう。
蒼龍王はフェリーの提案を素直に受け入れるとした。
せめてもの気持ちとして、力を貸してくれる心優しき者達が無事である事を大海と救済の神へ祈っていた。