195.蒼龍王再臨
当初の目的では黄龍王と共に落下したフェリーを追うつもりでいた。
いくら不老不死でも、黄龍の王を単独で対処するのは苦難を極める。
放っておけば無茶をするのは、火を見るよりも明らかだったからだ。
フェリーの凡その位置は把握している。幸い、立ち昇る水蒸気が狼煙となり位置を確定させる。
まずはフェリーを援護するべきだと判断した矢先の事。彼女と反対方向で轟音が鳴り響く。
バリンと何かが割れていく音と、舞い上がっていく土埃。
戦闘が行われていると判断するのは容易だった。
フェリーとは真逆の位置で行われている戦闘。その先に居るのがアメリアである可能性は決して低くないとシンは判断する。
決断までは時間を要さなかった。フェリーの「任せて」という言葉を信じたから。
マレットから託された二枚の円盤を駆使して、障害物を転移で乗り越えながら真っ直ぐに進んでいく。
『怠惰』の追撃にギリギリ間に合ったのは、奇跡とも言えるタイミングだった。
……*
「アメリア、一度そこから離れるんだ」
「はっ、はい」
シンに言われ、アメリアはハッと立ち上がる。
軋む身体に鞭を打ち、重力弾に悶える『怠惰』と距離を置く。
「シンさん、どうして海底都市に……?」
魔導具を起動させられず、海底へ潜る事の出来ないシンがどうしてこの場に居るのだろうか。
疑問に思いつつも、アメリアは嬉しかった。彼が自分を救けてくれた事が。
「詳しい話は後だ。……『怠惰』が立ち上がるぞ」
シンも本来なら、現在の状況をきっちりと話しておきたかった。浮遊島の存在と、邪神の一味がこの場を訪れているのだと。
尤も、そこで伸びているトリスを見る限り凡その状況は把握できているだろう。
だから、必然的に眼前の化物が何なのかと謎解きをする必要は無くなっていた。
「邪神の分体……。ですよね?」
「恐らく、『怠惰』のな」
アメリアが離れた事により、シンは魔導砲の引鉄を絞る。
重力弾に抵抗している間に少しでも傷を負わせたかった。
鈍色の身体へ向けて放たれる弾丸は赤色の灼熱。重力弾を射出後から充填をしていた弾丸だった。
「えっ……!?」
「なんだと……」
予想だにしなかった光景を目の当たりにして、シンとアメリアは驚きを隠せない。
気怠そうに地面へ縫い付けられた『怠惰』は、自らの右手を前へと突き出す。
そのまま赤色の灼熱を掌で受け止めると、そのまま握り潰した。
無論、シンとて一発で倒せるとは思っていなかった。
けれども、まさかまるで紙屑を丸めるかのように握り潰されるとも思っていなかった。
改めて、邪神の分体が規格外だと思い知らされる。
重い足取りながら、『怠惰』は重力弾の呪縛から逃れる。
その巨体ならば自重で圧し潰されてもおかしくは無かったのだが、鈍色の身体が自らの重さによって破損している部分は見当たらない。
重力の枷から逃れても、変わらずゆったりとした動き。
魔導砲を充填しながら銃口を向けるシンは、対抗策を求めて頭をフル回転させる。
「シンさん、気を付けてくださ――」
アメリアが言い終えるよりも早く、鈍色の巨体はシンの眼前へと迫る。
ゆったりとした動作から、大きな一歩。一切の早さを感じないにも関わらず、『怠惰』は既にシンの眼前へと迫っていた。
「……は?」
一切警戒を怠った訳ではないのに、距離を詰められている。出鱈目な身体能力に憤慨する暇すら与えられない。
潰した肉を大地の染みへ変えようと振り下ろされる『怠惰』の右拳を、シンは後ろへと飛び跳ねて間一髪躱す。
勢い余って膝を突いた『怠惰』の拳。込められた純粋な腕力が、浮遊島を強く揺らす。
着地したタイミングでバランスを崩されたシンへ左拳が襲い掛かる。
「こ、の……っ!」
魔導砲の銃身に宿る魔術付与。シンは魔力の縄を『怠惰』の首へと巻きつける。
思い切り縄を手繰り寄せると、シンは全体重を『怠惰』へ預ける。
縄を伝って左腕の下へと潜り込んだシン。『怠惰』が、不快な表情を露わにする。
気に喰わないと首に巻き付いたロープを掴もうとした瞬間に、シンは魔術付与を解除した。
潜り込んだ真下から放つ弾丸は水色の氷華。凍らせて、動きを奪おうという狙い。
しかし、それさえも『怠惰』には大した意味を持たない。
シンが真上に放った箇所。腹の部分のみが僅かに凍るが、それすらも『怠惰』が動いた事により氷が砕けてしまう。
圧倒的に魔力の充填が足りない事は明白だった。
そのまま自分の懐へ潜り込んでいる虫けらを追い出そうと、『怠惰』は膝を突いたまま打ち付けた右腕を手繰り寄せる。
掴まってはいけないと右腕を乗り越えようとしたシンだが、分体の指に摘ままれてしまう。たったそれだけで、左腕に激痛が走る。
「つ……ぅ!」
「シンさん!」
顔を歪めるシンを離せと、アメリアが六枚の『羽』で多角的に『怠惰』を撃つ。
攻撃を避ける素振りも見せずに、『羽・銃撃型』の銃撃を受けながら羽虫を払うかのように左腕を振る。
「このっ! シンさんを離してください!」
『羽』だけでは威力が足りないと、アメリアは蒼龍王の神剣で斬りかかる。
重みも、違和感も、儀式が終わっていないという事実も関係ない。
先刻、吹っ飛ばされこそしたが『怠惰』の一撃を受け止めた神剣なら或いはという希望を持っての一振り。
鈍色の身体に神剣の刃が重なり、金属音が響く。
「――!?」
その効果は、アメリアの想像を超えていた。
彼女自身の手応えとは裏腹に、『怠惰』の表情は不快感を露わにする。
ほんの僅かではあるが、邪神の分体の身体が削れた。
拒絶反応のように肩を震わせる『怠惰』は、この瞬間に標的を変えた。
摘まんでいたシンを放り投げ、羽虫のように舞う『羽』を無視し、ドス黒い感情をアメリアへと向ける。
彼女を蒼龍王の神剣ごと握り潰さんという魔の手が伸びる。
「――アメリアッ! させるかっ!!」
しかし、シンもやられっぱなしでは終われない。予め自分へ迫りくる『怠惰』の腕に弾倉を当てて回転させていた。
邪神を構成するものは、山ほどの悪意と魔力。魔導石・輪廻は、驚異的な効率で魔力を充填を溜め込んでいる。
空中でその身を逆さにしながらも、決して狙いを逸らせる訳には行かない。
全神経を集中させて放つのは、金色の稲妻。魔導砲最速の矢が、アメリアへ迫る邪神の腕を弾き飛ばした。
その衝撃に、『怠惰』の標的はまたもシンへと移る。
叩き落さんと振り下ろされる掌に、一切の躊躇は無い。
もしも『怠惰』の指先でも掠めていたなら、無事では済まなかっただろう。
彼を救ったのは、マレットの造った魔導具。咄嗟に投げた転移装置が、シンの位置を瞬時に移動させる。
結果、打ち下ろされる『怠惰』の掌より高い位置に移動をした。
だが、危機はまだ続いている。
上空へ瞬時に逃げた事により、目の前にあるのは『怠惰』の顔。
突如現れた人間のきょとんとしながらも、即座に笑みへと変わった。まるで玩具を見つけたかのように。
鈍色の顔はのっぺりとした見た目とは裏腹に、意外と表情が豊かだった。
不快感もそうだが、現状のように喜々として笑っている姿もはっきりと読み取れる。
笑みを浮かべている『怠惰』が取った行動は、息を吐く事。
蝋燭の灯を消すようにふうと吹き付けただけの息は、シンの身体を吹き飛ばすには十分すぎる威力を残っていた。
今の状態で転移魔導具を投げても、きっとこの突風に流されてしまう。
このまま分断されてしまえば、各個撃破されてしまい、自分達は積んでしまうだろう。
「アメリア、すまない!」
「え、えっ!?」
決して分断されてはならないと、シンが咄嗟に選んだ行動。
魔力の縄でアメリアを捕まえる事だった。
突風に流されるシンと共に引っ張られる形で、アメリア『怠惰』から一時的に距離を置く。
その様子が面白かったのか、『怠惰』はまたも無邪気な笑みを浮かべた。
のんびりとした様子でゆっくりと、シン達が消えていった方向へと歩んでいく。
邪神の分体は、落下したが最後。浮遊島の端へと無自覚に獲物を追い詰めていた。
……*
フェリーと黄龍王の戦いは、依然としてフェリーの分が悪い状態で推移していた。
何より、相手は空を司る龍族の一族だ。制空権を取られてしまえば、途端に打てる手は限られる。
(もしかして……。あたしがいちばんアイショーわるい?)
攻撃パターンは見切ったと言わんばかりに、黄龍王は空から攻撃を重ねている。
きっとシンなら魔導砲で、アメリアやピースなら『羽』で応戦しただろう。
彼らと違って、主な武器が魔導刃であるフェリーにとっては鬼門だった。
何が何でも、巻き付かれた時に喰らい付いていおくべきだったかもしれない。
後悔先に立たずとはこの事である。
「どうした? 手も足も出ないじゃないか」
安全圏からフンと鼻を鳴らす黄龍王の姿に、フェリーは若干苛立ちを覚えた。
あからさまな嘲笑に対して、フェリーは挑発で応対する。
「だって、こんなにズルっこだと思わなかったもん。
そっちこそ、弱虫じゃないの? 逃げてるの、そっちじゃん!」
「言ってくれるじゃないか……」
降りてきて戦えと言わんばかりに、真紅を刃を天へと掲げた。
チリチリと空気を灼くのは、灼神だけではない。黄龍王の怒りもまた、周囲の空気を荒れさせようとしていた。
戦っていて分かった事がある。空を飛べるという点では、ヴァンの言う通り手も足も出ない。
その一方で、彼は人間。もっと深く掘るならば、自らの身体に傷を負わせたイルシオンや自分に強い怒りを感じている。圧倒的有利にも関わらず。
もしかすると、黄龍の王は自尊心の塊なのかもしれない。フェリーは一縷の望みを掛けて口にした言葉だったのだが、想像以上にハマった。
「だったら、望み通り真正面から潰してあげるよ!」
ヴァンは太く長い龍族の巨体をしならせ、超高速で尾を叩きつける。
迫力だけでも既に圧し潰されそうになる。それでも、フェリーは眼を逸らさない。
ここで逃げてしまえば、二度と黄龍王を捕まえる好機は訪れないという覚悟を持って迎撃に望む。
ギリギリまで軌道を見極め、最小限の動きで黄龍王の尾を躱す。
叩きつけられた尾が浮遊島の地面を砕き、飛び散る岩や土が弾丸となってフェリーへと襲い掛かる。
頭も、肩も、脚も至近距離で浴びたフェリーは瞬く間にその身を血で染める。
傷は時間が経てば治る。激痛は歯を食い縛って耐える。フェリーの覚悟によって限りなく黄龍王との距離がゼロへと近付く。
「こ、れ……でえぇぇぇぇ!」
左手に握った霰神が、地面ごとヴァンの身を凍り付かせる。
「くそっ! なんて面倒な……!」
普通の人間なら、何度絶命していてもおかしくない。改めて、不老不死の魔女の異常性を思い知らされる。
ヴァンは身を震わせて氷を砕きながらも、その身を空へと逃がす。更なる迎撃に備えての事だった。
「やっぱ、空の上に行こうとするよね」
けれど、フェリーにだって分かる。地面ごと身体を凍り付かせる相手を前にすれば、空中に逃げる事ぐらいは。
彼の動きを見越して、フェリーも自分の足元を凍らせていた。足場として駆けあがる為に。
「こんど、こそおぉぉぉぉ!」
積み上げた氷にぽたぽたと血痕を落とす。
魔導石・輪廻に、自身の魔力を目いっぱい注ぎ込んだ灼神は、氷上に滴る血よりも真っ赤な刃を作り上げた。
この一太刀で確実に決める。フェリーの渾身の一撃が、放たれた。
「なんてね」
刹那、黄龍王の身体が急速に縮む。正確に言えば、その形を変えている。
龍族から人の形へ擬態を施す。黄龍王の身体があったはずのその場所は、もう誰もいない。
迂闊だった。紅龍王や蒼龍王も人の形へと擬態が出来る。黄龍王が同様でも、何ら不思議ではないのに。
「あっ……」
振り切った灼神は、無情にも空を斬る。手応えは何も得られず、代わりに空気が灼ける。
全身全霊を込めた一撃は、フェリーの体勢をすぐに立て直す事を許さなかった。
身体が動かず、時間が止まったのかのように感じる一瞬。
人の形へと擬態したヴァンの手が、未だ戻る事を許さないフェリーの肩に乗せられた。
「颶風砕衝」
詠唱を破棄し、浮遊島の被害を大きくしないように圧縮して放たれた颶風砕衝。
空を司る龍族が放つそれは、軽々とフェリーの右腕を身体から引き千切る。
足場となった氷は砕け、フェリーの身体は圧縮した竜巻によって地面へと叩きつける。
颶風砕衝が地面へ向けられた為、握っていた灼神は近くで転がっているが伸ばす手が無い。
負傷と違い、千切れた腕の再生には時間を要する。ドクドクと自分の鮮血を地面が呑み込んでいく。
「く、くくく。ざまあないね」
顔についたフェリーの返り血をペロリと舐めながら、黄龍王は勝誇った笑みを浮かべる。
這いつくばった小娘がどれだけ鋭い眼光を送ろうとも、無様な姿だとしか感じられない。
「――じゃあ後は、浮遊島の中でずっとおねんねしててよ!」
龍族の姿を再び晒しながら、ヴァンは大きく息を吸い込む。
跡形もなく散らせて浮遊島の肥やしにでもしよう画策する龍族に、フェリーは対抗策を失っていた。
「あたし、きっとそれぐらいじゃ死なないよ」
「構わないさ。もうその姿で、出てこれないぐらい奥底に封じ込めてあげるから」
フェリーが「それは、やだな」と呟いた。
死ねない事も、ずっと封じ込められる事も勿論嫌だが、何よりシンが居ない事に耐えられそうにない。
どうにもならないかもしれないけれど、彼と共に生きると決めた。
だから、最後まで抵抗をしなくてはならない。
フェリーが握り締めた霰神に魔力を注ぎ込み、抵抗を試みようとした時に彼はやってきた。
「――ガッ!?」
大きな影がフェリーから太陽の光を遮る。次の瞬間には、肺を膨らませた黄龍王の巨体が仰け反っていた。
溜め込んだ空気が、上空へと向かって放たれる。フェリーではなく、襲来した新たな物体へ向かって。
「えっ……?」
状況を呑み込み切れずに、フェリーはただ空を見上げた。
その先には翼を広げた蒼い龍族が、天から全てを見下ろしていた。
「フェリー、待たせてしまった。その腕、我は取り返しのつかないことを……」
「カナロアさんっ! だいじょぶ、あたしはすぐ治るから気にしないで」
失った腕が再生する。彼女は確かにそう言った。
突拍子のない事に目を丸くする蒼龍王だが、つまらない冗談を言う状況でもない。真実なのだと、彼は受け入れた。
「ヴァン。これ以上は好き勝手させない」
「……いつまでも、自分の方が格上だと思わないで欲しいな」
安堵する一方で、カナロアはヴァンを見下ろす。
軽蔑と怒りの交換が、二体の龍族の間で交わされた。