19.アメリア・フォスター
屋敷の魔物を一掃したアメリアは、急いで街の様子を確認する。
ダールの姿は見失ったが、それどころでは無かった。
しかし、街の惨状はアメリアの想像を遥かに超えるものだった。
ほんの少し前まで、言葉を交わしていた相手、毎日すれ違う顔見知り、更には自らの家族。
そんな身近な存在が突然、魔物へと変わり果てる。
友だった者から、肉親だった者から、その牙を向けられる。
その胸中を察するや、まともな神経では居られない。
撒かれた悪意と敵意は伝染し、街中をパニックへ陥らせる。
既に互いが互いを信用出来ず、蜘蛛の子を散らすように走り出している。
問答無用でダールを始末するべきだったのではないだろうかとアメリアは臍を噛む。
「隊長! これはどうすれば――っ!?」
立ち昇る黒煙と逃げ惑う人々が、猶予が無い事を報せる。
ダールの行方も気になるが、まずは民を護るべきだとアメリアは判断した。
「まずは人々を安全な所へ避難させてください!
並行して魔物を討伐していきます!」
魔物は下級悪魔だけではなく、上級悪魔の姿も確認出来る。
数は……100はゆうに越えている。
揃って空を飛ぶ事が出来る魔物である事もあって、これだけの数を相手にするのには骨が折れる。
それでも、ミスリア国の騎士団長として。
神器の加護を受けた者として。
その矜持がアメリア・フォスターにはある。
決してこれ以上犠牲を増やしてたまるものかと。
「必ず……。必ず護り抜きます!」
その言葉は味方の指揮を高める為ではなく、自分に言い聞かせるかの如く発せられていた。
……*
「はぁ、はぁ……っ」
何時間経っただろうか。
アメリアは肩で息をしながらも、魔物との交戦を続けていた。
数は……一向に減る気配を見せない。
空を飛ぶ個体を魔術で撃ち落とし、地面を這う個体は神剣で斬り捨てる。
単体ではそれ程強くない下級悪魔だが、こう凡ゆる方向から撹乱されると厄介だと肌で実感する。
上下左右と視点が変わる変わる変化し、平衡感覚までおかしくなりそうだ。
それでもアメリアは膝をつかない。脚を止めない。
今、自分が止まった時間だけ危険に晒される人がいる。
それこそが彼女にとって、耐え難い苦痛だった。
「ギャアァァ――ッ!」
「くっ……!」
突如、上級悪魔の襲撃を受ける。
鋭い爪を神剣で受け止めると、口から魔力の砲撃が放たれようとする。
「させません!」
咄嗟に水の牢獄で口を塞ぎ、魔力を口内で暴発させる。
上級悪魔の力が抜けた一瞬を逃す事なく、その首を斬り落とす。
黒く練り上げられた強固な皮膚も、神剣の前には成す術も無かった。
上級悪魔は数人の騎士と魔術師で組んで、応戦していたはず。
まさかと思い、周囲を見渡すと負傷した部下の姿を目撃した。
「隊長、すみません――!」
「平気です。貴方こそ無理はしないように!」
魔術師の女に治療を行うよう促すと、彼らは物陰へと移動していく。
そこには避難所へ送り届ける者が居らず、隅で小さく震える子供の姿があった。
――ここは私に任せて、その子を安全な場所へ。
アメリアが目配せをすると、騎士と魔術師は頷いた。
「ボク、大丈夫だからね」
怖がらせないよう被っていたフードを脱いで、魔術師が近寄る。
「そうそう、安全な所へ連れて行くからな」
遅れて治療を受けようとした騎士が頭を撫でようとした時の事だった。
「う、うわあぁぁぁぁぁ!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」
騎士と魔術師。二人の悲鳴がアメリアの鼓膜を震わせた。
「一体なにが――」
アメリアが全てを言い切る前に、鮮血が石畳を紅く染めた。
魔術師は腹を裂かれ、腸が飛びでている。
騎士は顔面を裂かれ、目玉が転がり落ちている。
そして子供は――、自分の部下を手に掛けた上級悪魔に変貌していた。
一瞬の出来事にアメリアの脳は回転を止めた。
それでも迫り来る下級悪魔を反射だけで撃退したのは、未だ彼女の緊張の糸は途切れていない事を証明していた。
――一体、何が起きたのか?
本当は判っている。それを認めたくないだけだった。
まさかあの子供が罠で、自分の部下が犠牲になったとは認めたくなかった。
何故、逃げ遅れた子供と判断したのか?
あれだけのパニックだから、そんな状況が不自然ではないからだ。
何故、部下をあの子供の元へ向かわせたのか?
物陰だから敵の襲撃を受け難く、更には子供を護ろうと考えたからだ。
全てが裏目に出た。
ダールをあの場で始末しなかった事も、今の出来事も。
呼吸が荒くなり、窒息しそうな程息苦しい。
自分の失敗で多くの人を傷つけた。命が失われた。
覆らない事実が、取り返しのつかない事象がアメリアの動きを鈍らせる。
「ガアァァアアァァッ!!」
先刻まで子供だった上級悪魔の襲撃を、反射的に神剣で受け止める。
僅かに反応が遅れ、鎧の肩が大きく抉れた。
「くっ……!」
それでも成すべき事はある。
アメリアは無理矢理魔力を練り上げ、上級悪魔へ魔術を放つ。
「雨粒の霰弾!!」
無数の水による飛礫が上級悪魔の身体を貫く。
頑丈な身体にこそ大きなダメージを与える事は出来なかったが、その圧で引かせる事に成功した。
生まれた間合いと隙を逃さず、神剣で上級悪魔の口を裂く。
すかさずもう一度雨粒の霰弾を放つと、上級悪魔は灰となって消えた。
「はぁ、はぁ……」
精神的な負荷を感じてから、アメリアの身体は鉛のように重くなっていた。
残った体力と魔力を気力で上乗せしようとしても、上手く身体に伝わらない。
普段ならエネルギーとして消化出来るはずなのに、身体が拒絶する。
それでも、敵の攻撃は止む事はない。
「――!!」
新たな爆音がアメリアの精神を削る。
避難場所として人々を誘導した場所からの音だった。
「……めて」
爆音から遅れて、悲鳴が響き渡る。
黒煙がその場所を、はっきりとアメリアの瞳に映す。
「やめて――!」
今すぐにでも行かなくてはならない。
折れそうな心を無理矢理奮い立たせる。
動こうとしない足を、問答無用で進ませる。
「どいて……くださいっ」
アメリアは立ちはだかる下級悪魔を力任せに突破していく。
爪が頬を掠めようと、斬り落とした首が最後の抵抗で脚に喰らい付こうと、その歩みを止める事はない。
止めたら、二度と動けないような気がしていた。
一歩ずつ確実に爆心地へと近付くが、ウェルカは広く爆心地は遥か先にある。
道中で傷付き、倒れている部下の姿があった。
息をしている者は皆が満身創痍で、息絶えている者も居た。
アメリアの身体が一層重く感じる。
それでも前へと進むアメリアの瞳に、子供の姿が映る。
子供は下級悪魔に襲われており、必死に逃げ回っていた。
アメリアは逡巡した。
先刻までの自分なら、迷う事なく子供を助けていた。
それが今は疑心暗鬼に囚われている。
――もし、罠だったら?
――あの子供が魔物にならない保証があるのか?
そんな思考が脳裏を過ぎる。
さっきまで鈍く、まともに働こうとしなかった脳が余計な情報を送り込んでくる。
彼女の脳は、アメリア自身が深層に抱える恐怖を代弁しているに過ぎない。
植え付けられた猜疑の種は瞬く間に芽吹き、姿を現す。
命を賭けた二択を彼女に迫る。
自分自身の命か、騎士としての矜持か。
ここで子供を見捨てれば、蒼龍王の神剣も自分を所有者としては認めないだろう。
神器に見放されるような事があれば、自分はおろかフォスター家も立場も危うい。
真に護るべきモノは、何なのか?
アメリアは答えを迫られていた。
「――暴食の渦!!」
石畳を沈めるように、下級悪魔の足下に渦が発生する。
そのまま渦は空中へ投げ出されるように吹き出し、下級悪魔の身体を四散させた。
護るべきもの。
そんなモノは決まっていた。
自分が神器の加護を受けているからではない。
騎士団長だからでもない、ましてや貴族だからというわけでもない。
アメリア・フォスターとしての生き方に従った。
「大丈夫ですか!?」
目の前で四散する魔物の姿を見せた事もあって、子供が怯えるかもしれない。
アメリアは子供へ駆け寄り、膝をついた。
戦闘では決して地につける事のない膝を、子供の為につけたのだった。
それが、大きな隙を生み出した。
「え……」
子供はアメリアの眼前で崩れ落ち、上級悪魔へと姿を変える。
やはり、罠だったのだ。
アメリアとてその可能性を考慮していなかった訳でない。
ただ、己の生き方に後悔しない道を選んだ。
仮に罠でも、突破出来るだけの警戒心は割いていたつもりだった。
それなのに、身体が動かない。
彼女の脳裏に浮かぶ「自分が間違っていたのだろうか」という迷いが、身体をその場に縫い付ける。
上級悪魔が鋭い爪を振り上げる。神剣を持った腕は上がらない。
アメリアは『死』を覚悟した。
成すべき事を為せなかった自分を恥じながら。
生き方を貫き通した事を自分を誇りに思いながら。
アメリアは瞼を閉じた。
刹那、一筋の光が上級悪魔の身体に命中する。
反対側にいるアメリアの髪が、静電気で僅かに舞い上がる。
「ガッ――!?」
上級悪魔が悶える姿を見て、アメリアは我に返る。
生まれた隙を見逃さず、振り絞った力で上級悪魔の首を斬り落とした。
上級悪魔が灰となり隔てる物が無くなる。
彼女の瞳が新たに映したのは、側車のついたマナ・ライドだった。
側車から狙撃銃を構えた青年が照準器越しにこちらを覗く。
「あれは……」
知っている。見た事がある。
ピアリーの村で出逢った二人組。
その青年と、連れの少女。
マギアの道具を操る二人だった。
あと一人、運転する少女にしがみついているのは……子供だろうか。
彼だけは前回会っていないので、初見だった。
しかし、アメリアは彼らに再び助けられた事になる。
一度目は、自分が大切に思う国の民を。
二度目は、自分自身を。
アメリアの動悸が激しくなるのを感じた。
熱いモノが、込み上げてきた。
まだ、諦めるのは早い。
自分が諦めて良い筈はない。
希望はきっと、まだ残っている。