193.報われたかった
瞼を開いた彼を出迎えたのは、青く広がる大空だった。
済んだ景色は、自分には似つかわしくない。理解しつつも、ジーネスは眼を奪われた。
「ああ……。ワシは敗けたんだったな」
硬い床の感触が、段々と自分の身に何が起きたのかを教えてくれた。
突如手に入れた力。『怠惰』から与えられた破棄。自分にピッタリの能力だと思った。
魔力が齎す恩恵を無視した、世界の理さえも打ち消す力。
魔術大国ミスリアにとって、最大級の危機となりかねなかった能力。
これまで数多の戦場を駆け抜け、何度も魔術による命の危険を潜り抜けて来た。
ジーネスにとってはまさに、楽に勝利を手に入れられる奇跡の産物だった。
だが、敗れた。完膚なきまでに打ち負かされた。
自分以上に世界の理から取り残された青年に、まんまとしてやられた。
宙を舞い、意識を失うまでの間。悔しいと思った。
そう思える自分に、驚いた。
顔つきも、鍛え上げられた身体も、見ただけで分かったはずなのに。
あの男は、本来なら自分もたどり着けるはずだった境地。研鑽を重ねていた場合の自分を、見せられたような気がした。
目的を達成したにも関わらず、逃げようと考えなかったのはその所為かもしれない。
彼を否定しなくては、自分の心には敗北感が刻まれていたのだろう。尤も、今こうして天を見上げているのが全てなのだが。
「……完敗だな、こりゃ」
自然と呟いたそれは、不思議と心地よかった。
自分にもあった可能性を見せられて、気持ちが良かったのかもしれない。
「おっさん独りで黄昏るの、絵面としてはイマイチだぞ」
光を遮るように視界に現れたのは、緑色の髪をした少年だった。
折角、似合わないと思いつつも爽やかな気持ちに浸っていたのが台無しだ。
「うお!? なんでい。少年、いたのか」
「誰かさんのお陰で、傷が痛みましてね。おっさんの見張り役になったんだよ」
ピースに言われて、ジーネスは自分の身体が縛られている事に気付いた。
後ろに回され、縛られた手首と足首。鋼の籠手は取り外され、手の届かない所に置かれている。
少年の言う通り、シンの姿は見当たらない。
自分を倒しただけで戦いが終わると思ってはいない。そして、その考えは間違っていない。
だが、あそこまで自分を誘導したにも関わらず詰めの甘さには疑問を抱いた。
「かあーっ。このワシの見張りが、ガキンチョ独りとはねえ。
ワシが魔力を掻き消せば、直ぐに無力になっちまうってのに」
抜け出す好機は無いかと、ジーネスはピースを煽ってみる。
乗ってくれれば儲けものだし、冷静さを欠いた子供なら欺けるという自信。
にも関わらず、ピースの怒りを買うという目的は失敗した。
「ん」
頬杖を突きながら、ピースが指差した方向。
ジーネスが必死に頭を起こし、その先を確認すると手作り感の溢れるボウガンが置いてあった。
矢は自分の方を向くように立てかけられており、差し込まれた棒で矢はせき止められている。
「あの棒、おれの魔術で作ってるから。おっさんが、魔力を掻き消したら真っ直ぐに飛んでくぞ。
あ、弓と矢はシンさんお手製だけどさ。なんか塗ってたから、一応刺さらない方がいいと思うけど」
「ええ……。あのニイちゃん、容赦ねえな……」
詰めが甘いという印象は、一瞬にしてひっくり返った。
捕虜として捕まえようとしているが、逃がすぐらいなら殺すという強い意志が感じられる。
毒まで塗っているというのなら、尚更だ。
尤も、矢に毒を塗っているというのはピースの嘘である。
彼には痛めつけられたので、委縮するジーネスを見て溜飲を下げようという意趣返し。
思ったよりもすぐに顔を青ざめてくれたので、ピースとしても心地が良い。
「なんだよ。ワシから情報を得ようってか?
悪いけど、雇われの身だし合流したばっかだったし、お前さんたちが欲しい情報なんざ持ってるかねえ。
ま、持ってたとしても話すつもりはねえけどさ」
「死ぬとしても?」
「いや、死にたくはねえけどさ……」
ピースも疑問には思っていた。
あれでいて、シンは結構無茶をする。最後の一撃だって、至近距離からの銃撃で仕留められただろう。
そうしなかった理由は、生かしたかったからなのだと推測をする。
勿論、邪神の一味の情報を得たいという気持ちは強いだろう。
それ以上に、シンは可能性を見出したのではないだろうか。この男の持つ、破棄の能力に。
刻と運命の神の遺跡で見つけたという、人間が居たであろう痕跡。そして、魔法陣。
フェリーの不老不死には、魔術が関わっているのだという仮説。
もし、それらが魔術によるものなのだとすれば、ジーネスの破棄で無効化出来るのではないかという淡い期待。
ただ、今の浮遊島は戦場と化している。
こんな場所で直接試す訳には行かないと判断したシンは、ジーネスを生け捕りにしたかったのではないか。
ピースの推測ではあるが、あながち遠い推測でもないのではないかという自信がある。
「おっさんさ、雇われの身っていうけど。邪神で世界征服みたいなのは企んでないってこと?
元々はミスリアが欲しかったりしたんだろ?」
推察通りであるならば、おっさんと仲良くなっておいた方がいいのではないか。
そう考えたピースは、ジーネスへ話かける。決して自分が暇だからという訳ではない。
あくまでチームプレーの一環なのだと、誰にも訊かれていないにも関わらず脳内で弁明をしながら。
「世界征服ぅ? んなもん、ワシは面倒くさくてかなわん。
傭兵として雇われた矢先に、たまたま『怠惰』に適合したから報酬が上がった。それだけだ。
ワシのかっちょいい右足を犠牲にしたのは、残念だけどなあ」
「いや、絶対格好よくは無かっただろ」
脛毛まみれの左脚を見ながら、ピースが呟いた。
面倒くさいとか、『怠惰』に適合したとかはイメージ通りすぎてしっくりくる。
確かに、この男はそんな面倒な戦争を仕掛けるタマではない。
「だったら、何で雇われたりしたんだよ?」
「金払いも、金額も破格だったからに決まってんだろ。
ワシとしてはさっさと幸せな余生を過ごしたかったんだから、金払い優先だっての」
「あー……。そんなこと言ってたな……。
国家転覆も成功したら、貴族とかになれそうだもんな」
それこそ、ジーネスの望む美女を侍らせて酒浸りの生活も夢ではないだろう。
人知を超えた能力を手に入れれば、逆らうような輩もそう現れまい。
総合的に考えると、彼にとっては最短距離だったのかもしれない。
「ああ? んな、ワシが貴族になんかなれるわけないだろ。
ましてやミスリアだぞ? 魔力のうっすいワシを貴族にしたら、恥を晒すだけじゃねえか」
「え? 貴族になりたいわけじゃなかったのか?」
再びミスリアへ寝返ったリシュアンの話では、分家の者はその立場を逆転させたいだとか聞いたはずなのだが。
第一王子に加担する者は皆、地位を向上させる為に死力を尽くしている。ミスリア外から来た者も、例外ではないと。
「んなもん、お前……。なれるなら、なりたいに決まってんだろ。
毎日酒呑んで、キレーなネエちゃん侍らせて。堂々と怠けられるじゃねえか」
「憧れるけどさ。口に出すとやっぱりクズ感増すな」
「ボウズもちょっと同意してたじゃねえか!」
「そうなんだけどさ」
ジーネスとの会話に、ピースは違和感を覚える。
彼は決して、貴族になりたくない訳ではない。けれど、慣れる訳ないと否定している。
邪神の分体に適合するような人間を、魔力の薄さを理由に邪険に扱うだろうか。
自分ならその逆だ。『怠惰』を持つ破棄は、ミスリアなら国家転覆レベルに危険だ。
どうにかして抱きかかえたいと思うのが、通常の考えではないのだろうか。
一度疑問を持ってしまえば、後は脳が勝手に走り出してくれる。
今までの会話で、ミスリア。第一王子としての見解が語られた訳ではない。
あくまで眼前に居る男の想像。その先に、ジーネス・コルデコルという男の全容が解るような気がした。
だらしない風貌や怠け切った行動とは裏腹に、卓越した身体能力を持っている理由が。
正確に言えば、ピースは既にその輪郭を捉えている。
彼が発した「貴族になんかなれるわけない」という言葉は、諦め。
生前に腐るほど見てきて、自分もそう考えた事のある。期待に胸を膨らませる自分への予防線。
期待するだけ期待して、裏切られた時に傷つきたくない。誰かを恨みたくない。
前を向く為に、後ろ向きな考えを持つという矛盾した行動。
その先にある感情を、ピースは知っている。かつて努力をしたからこそ、たどり着いてしまった境地。
「……おっさんは、報われたかったんだな」
ぽつりと呟いた言葉に、ジーネスは眼を丸くした。
一体こんな子供に何が解るのかと言いたくなった。
冒険者として名を馳せても、評価されるのは壁として先陣を切る自分ではない。
後ろで鮮やかに剣を振るう剣士。派手な魔術で、敵を一掃する魔術師。
彼らの綺麗な服につくはずだった汚れは、全て自分が引き受けた。
気心の知れた仲だったが、世間の評価はそうも行かなかった。
やがて世間の感情が仲間に伝播して、居心地が悪くなってしまった。
それからは傭兵稼業に身を置いた。
大した魔力を持たない彼は、肉の壁としての役割を要求された。
ジーネスは鍛え上げて来た身体を駆使して、全ての戦場で生き延びて見せた見せた。
運が良いだけだと評されて、報酬以上の評価は得られなかった。
酒が尽きれば、戦場へ赴く。下らないライフサイクルに、新たな手が差し伸べられた。
差し伸べた男の名は、ビルフレスト・エステレラ。魔術大国ミスリアの貴族。
整った外見の彼と相対する、見窄らしい自分。出逢った瞬間は、逃げ出そうとしたかった。
ジーネスの心中もお構いなしに、ビルフレストは熱弁をした。自分がどれだけその力を欲しているかを。
尤も、ジーネスもこの年まで争いに身を置き続けた男だ。
そんな風に褒めちぎっておきながら、いざとなれば自分を盾代わりに使おうとした人間を数多く見て来た。
熱の籠った言葉も、戦場での異様な空気では一瞬にして冷え込む事を知っていた。
だから、ビルフレストとは金の話しかしなかった。
目の飛び出るような金額を提示されたので、即決で契約をしたが。
魔力が支配するこの世界で、自分を裏切らないのは金だけとなっていた。
爵位が欲しいなんて。貴族になりたいなんて、口が裂けても言えない。
自分が諦めたモノを必死に追い掛け、気高いものだと信じ込んでいるトリスが気になって仕方なかった。
元々貴族なのだから自分とは違うと思いつつも、危うさを感じた。あの娘は真面目すぎる。
彼女なりの矜持があるのだから、こんな草臥れたおっさんの言う事を素直に受け入れるはずはないと知りつつも。
(頼むから、トリス嬢はあんまり無茶しないでくれよ)
邪神の分体に適合しなかった敗北感と劣等感。おまけに焦燥感まで抱え込んでいる。
そのくせ人一番努力家で、融通が利かないと来たもんだ。
アルマやビルフレストからすれば、あれほど扱い易い手駒はないだろう。
いつか精神をすり減らして消えてしまうのではないかと、かつての自分と重ねてしまっていた。
本人に知られれば、「大きなお世話」だと罵られるだろうが。
報酬の金額ばかりに傾倒し、それ以上は何も期待しない。
体面さえも、どうでもよかった。どうせ変わらないのだから。
自分の過去と比較して、目上の者気分で心配や助言を下す。
成功すれば「言った通りだろ」と言い、失敗すれば「言ったはずだろ」としたり顔で言う。
一連の感情や行動の奥底にあるものを、いつしかジーネスは思い出す事も無くなっていた。
幾年もの時を経て、目の前の少年に忘れていたものを突き付けられた。
「ガハハハハ!」
「な、なんだよいきなり笑いだして。こええな……」
ジーネスは笑う事しか出来なかった。
戦闘でコテンパンにやられ、気持ちの面でも完全に見透かされた。
ひと回りどころかふた回りは年が違う人間達に。
「わりぃ、わりぃ。お前さんの言う通りだわ。
ワシはきっと、報われたかったんだな」
「やっぱ、そうだったか」
敗北を認めたジーネスだが、したり顔をするピースには若干の苛立ちを覚えた。
抵抗できないのが歯痒いと、持ち上げていた頭をコロンと床へつける。
(ま、後はなるようになれだな)
自分が出来る事は全てやり終えた。後は残りの仲間が、どう動くか。
特に邪神の分体。『怠惰』は自分の手に負えない。
悪意という呪詛に、魔力で実体化させられた邪神。『怠惰』にも、分体の力は宿っている。
魔力を掻き消すという自分の破棄とは反発するせいで、共に同じ冠を持っているにも関わらず真逆の性質を持つ化物。
浮遊島が浮き、破棄の影響範囲は絞られていた。
きっとどこかで、姿を現しているだろう。
自分を理解してくれたこの子供を、死なせる結果になるかもしれない。
理解者を自らが原因で死なせてしまうのは、寂しくも思えた。気付けば、トリスと同じぐらいには情が沸いてしまっていた。
「なあ、ボウズ。もし、死んじまったら……。スマンな」
「……はあ!? おっさん、何企んでんだ!?」
「もう止められんからな。自分の運を信じろ」
「フザけんな! 何をしてるのか教えろっての!」
しかめっ面をしながら、どんな策があるのかとピースは周囲を見渡す。
間も無くして、浮遊島の二ヶ所から爆発音が聴こえた。片方がジーネスの本命なのだと、彼の表情が物語っていた。