192.怠惰vs研鑽
男は決して魔術の才に恵まれてはいなかった。
生まれ持った魔力自体も、周りと比べて高い訳ではない。
他人から見れば、脆弱な人間だと評する者もいたに違いない。
ただ、持ち前の身体能力の操作には自信があった。
僅かな魔力を効率的に運用して、最大限の効果を得る。
あらゆる攻撃から仲間を護り、時には突破口を切り開く。
いつしかそれは、自分よりも魔力が高い人間をも凌駕する程にまで成長した。
男が得た自信は、自らの身で切り拓いたもの。
今から20年以上も、昔の事だった。
……*
自分に向かって銃口を突きつける青年が向ける視線。
真っ直ぐで力強い、怠惰な自分とは正反対の眼差し。
知っている。こんな眼をした奴は、多少の事では心が揺らがない。
シン・キーランド。
彼は魔力をほぼ持たないと聞く。恐らく、自分よりも相当低いだろう。
本来なら、こうやって戦場に出ている事自体が間違っている人間。
そんな彼が、誰よりも背筋を伸ばしてこの地に降りている。
「っ、シンさん!」
「ピース、無事か?」
視線を途切れさせる事なく、シンは問う。
ぼんやりと視界に映る少年の輪郭は、所々が赤く染まっている。
戦闘の結果、敗れたのだと察するのに時間を必要とはしなかった。
「説得力ないかもしれないけど、一応は……」
壁にもたれ掛かれながらも、ピースが弱々しく答える。
ジーネスの「ガハハ」という笑い声が、空間に響く。
「少年も健闘したよ。相手がワシでなければな」
「なんか腹が立つな……」
込み上げる苛立ちを、ピースは奥歯を噛みしめて耐える。
自分は結局、この男に成す術がなく敗れた。相性が最悪だったとはいえ、こんな性格でなければ既に死んでいてもおかしくはない。
何より、彼はもう自分を見てはいない。新たに現れた脅威に神経を尖らせている。それが何より悔しかった。
(さてと、この男前のニイちゃんはどうやって現れたんだ?)
ジーネスは海晶体を通して広がる空を眺めた。
ピースの想像通り、ジーネスの意識は既にシンへ向けられている。
舞い上がって、急降下してくる黄龍王の姿は確認した。金髪の少女と絡み合って、大地へ降りていく。
ある意味では羨ましい。出来るものなら、変わって欲しいぐらいだ。
その過程で翼を広げる天馬族の影は見た。恐らく、この青年も金髪の少女も背に乗っていたのだろう。
だが、それだけだった。天馬族の位置は自分達の頭上とは言い難い。にも関わらず、シンは突然頭上から姿を現した。
どんなカラクリなのか、興味はある。魔力を持たないという前情報通りなら、魔術付与か魔導具の力を借りているのだろう。
実は魔力を持っているというのであれば、とんだ狸だ。
どちらにしても、ジーネスは困らない。
右足に宿る破棄は、あらゆる魔力を掻き消す。
彼はあくまで、シン自身に集中をすればいい。
前情報通り、魔力をほぼ持たないのであれば破棄に耐性を持つ事になる。
右足を斬り落としてまで手に入れた切り札が、眼前の男には通用しない。
けれども、悲観する理由にはならない。ただ、条件が五分になっただけ。強いて言えば、面倒くさいのだけが難点だ。
尤も、海底都市を浮上させるという本来の目的は達成した。
ここから先は、ジーネスの与り知るところではない。
駄目で元々。怠惰な男は、交渉できないものかと口を開いた。
「なあ、ニイちゃん。ワシとしては、この島を浮かばせたから仕事が終わったんだよな。
あまり戦う気はしねえんだけど……。見逃してくんねえか? 頼むよ」
「断る」
ジーネスの想像よりも遥かに速く、バッサリと切り捨てられた。
眼光に揺れが全くない。経験上、この手の人間に食い下がるのは心証を悪くするだけだ。
「そもそもこの島は、お前たちのものではないだろう」
「そりゃあ、そうだがよ……」
「このままみすみす渡す訳には行かない」
「あー、ハイハイ。わかったよ……」
やはり、聞く耳を持ってはくれない。
気乗りはしないが、まだ優位性は自分にある。
彼の持つ魔導具は、自分の破棄によって搔き消される。
現に不意打ちで放たれた疑似魔術も、自分へ届く事は無かった。
(ただ、まあ全開ってわけにもいかねえか)
しかし、ジーネスにもまた事情が在った。
浮遊島を日の目に当たらせるという最重要任務はこなした。
これ以上、破棄の範囲を無駄に広げるのは島へ降りる味方の妨げとなる。
何より、そうしていては存在できないモノを彼は飼っている。
破棄の範囲は自分を中心として、精々シンとピースを挟むぐらいの間。それがベストだと、ジーネスは判断した。
それならばピースの魔術により妨害される事もない。純粋に、シンとの力勝負に持ち込む事が出来る。
「そんじゃ、お手柔らかに頼む……ぜっ!」
鋼の籠手で覆われた拳が重なり、金属音が鳴り響く。
それが戦闘開始の合図となり、二人は動き出す。
魔導砲へ新たに組み込まれた、通常の弾丸を放つ機構。
銃身を回転させ、放つ弾丸を実弾へと切り替える。
一発、二発と正確にジーネスへと放たれる。
だが、ジーネスも警戒はしていた。疑似魔術を掻き消されたにも関わらず、銃口を構え続けた。
実弾を放つ事が出来るのは明らかだと、読み取っていた。
「甘いぜ! ニイちゃんよ!」
鋼の籠手が銃弾を弾く。長年共に戦った相棒は、マギアの銃と戦った事もある。
ただの鉛玉を恐れる理由など、何処にもなかった。
「っ!」
シンもまた、ジーネスの動きに驚いていた。
想定よりも速い反応。きっと銃の射角から、軌道の予測を立てている。
銃と戦った事が無ければ、決して出来ない芸当。
この男は、だらしない風貌からは想像もつかない実戦経験を積んでいる。そう理解させるには、十分だった。
「よい……しょっと!」
鋼を纏った右拳が、弧を描いて襲ってくる。
シンは仰け反って躱すが、前髪が拳の先へと触れる。
身体を捻った反動で繰り出される左の拳を躱すべく、シンは後ろへと跳躍して距離を置く。
「へえ、中々いい反応だな。やっぱ、お前さん強いわ」
空を切った拳を見ながら、ジーネスはシンの身のこなしに関心をしていた。
魔力による身体能力の強化に頼った人間では、明らかに避けられない攻撃。
彼が間違いなく魔力に頼っておらず、研鑽して磨き上げた肉体を操っているという証拠。
一方で、シンは距離を取った上で無言を貫く。
この状況をどう打破すべくか、熟考を重ねる。ノイズとなる舌戦を避けた結果、ジーネスが詰まらなさそうに舌打ちをした。
銃弾さえもやすやすと弾く様は、十分な脅威だった。あの鋼の籠手を破壊するには、通常の弾丸では威力が足りない。
魔導砲。もしくは魔導弾を必要とするだろうが、『怠惰』の能力がネックとなる。
ミスリルの剣が折れてしまって、今のシンは剣を持たない。
魔導砲と、今まで使っていた銃の二丁で目の前の男を対処しなくてはならない。
何か方法はあるはずだと、知恵を巡らせる。
(さて、何か考えてやがるな)
ジーネスもまた、シンが何か企んでいる事は把握していた。
これまでの彼の行動を聞く限り、この程度の事で諦めるような人間ではないと知っている。
それでもまだ、自分の方が経験は上だという自負がある。どんな策だろうと、その上を行く自信があった。
戦闘を眺めているだけのピースが固唾を呑む。重い空気が支配する空間。
シンとジーネス。魔力に頼らない戦いは、次の攻防で決着がついた。
実弾を発射するべく、シンが魔導砲を構える。
芸が無いと言わんばかりに、ジーネスが距離を詰めようと床を蹴ったその瞬間。
「あん!?」
宙に舞うのは、三発の銃弾。左手に握り込んだシンが、放り投げた物だった。
下から上へ、優しく投げられた銃弾は本来の用途である殺傷力など微塵も宿してはいなかった。
(どういうつもりだ!?)
予想外の行動に、ジーネスの思考に迷いが出る。
シンが取った突拍子の無い行動に、意味を求めてしまう。あまりに非合理すぎるのに、彼の眼光が無意味だとは語らない。
歩みを止める事なく考えた結果、シンによる嘘だと判断した。
彼の武器である銃を生かす距離で戦い続ける為に投じた一石。それならば、みすみすシンの思惑通りに乗る理由が無い。
迷わず突き進み、鋼の籠手で撃ち込まれるであろう銃弾を弾く。
先刻の攻防の再現で、今度こそ捕まえようとジーネスは画策した。
無論、そうなる事はシンも読んでいた。
だから、銃弾を投げた。自分とジーネスの、中間地点に。
シンは引鉄を引く。放たれた銃弾は直線を描いた。
ジーネスではなく、銃弾へ向かって。
「なんだと!?」
放たれた銃弾は宙に浮く銃弾を掠め、ほんのわずかにその軌道を逸らす。当てられた銃弾がくるくると回転し、ジーネスの視界へと映り込む。
たったそれだけの事で、ジーネスは籠手での対応が追い付かなくなる。
ほんの少しの軌道変更と、当てられた銃弾で視覚を奪った結果だった。
銃弾はジーネスの左腕を掠め、腕に赤い染みを作っていく。
最初の綱渡りは成功した。
追撃を行うべく、シンが次に取った行動。それもやはり、ジーネスの思考を混乱させるものだった。
「……はあっ!?」
左腕に走る痛みを堪えながらも、ジーネスはシンから視線を離さない。
何をするのか読めない男が次に取った行動も、やはり理解の範疇に存在していなかった。
シンはまたも、放り投げた。今度は銃を放ったばかりの、魔導砲を。
銃把部分から釣り糸が括りつけられ、小袋へと繋がっている。
それらを纏めて鎖分銅のように、足元へと投げつける。
自らの武器を投げ捨てるというその行動に、またも思考回路が混乱を始める。
術中に嵌っているにも関わらず、シンの真意を考えずには居られない。
受け止められる事。武器として利用される事を考えていないのだろうか。
そんな懸念を払拭するかのように、シンが抜いたのはもう一丁の銃だった。
魔導砲とは違い、10年間愛用してきた銃。
手に馴染むそれは、身体に染みついた動きから早撃ちを可能とする。
放たれた銃弾が向かう先は、ジーネスの足元。その手前にある、シンが投げた小袋だった。
「……ちいっ!」
その意味を把握したジーネスが、床を蹴り上げて跳ぶ。
小袋の中身が爆弾の類であるならば、自分の位置で爆発させるのが狙い。
わざわざ釣り糸を垂らしたのは思考時間を奪う狙いと、足を絡めて逃がせなくなるようにする為。
最早感心の域だった次から次へと、突拍子もない策がよく思いつくものだと。
感心した一方で、自分は読み切った。避けて見せた。
シンが放った銃弾は、小袋へと当たる事は無かった。
運も向いているのだと、反撃の狼煙を上げるべく再び床を駆け抜ける。
(いや、ちげえな)
今度はこちらの番だと居直るジーネスに、電流が走る。
始めに放り投げた銃弾を利用して銃撃の軌道を変えるような離れ業をして見せた男が、あんな小袋を打ち損ねるだろうか。
そもそも、あの小袋が爆弾だとすれば銃で撃ち抜かなくても爆発させないだろうか。
脚を絡める為とは言え、武器である銃を放り投げるなんてありえるのだろうか。
与えられた情報を複合的に考え抜いた結果、ジーネスがたどり着いた結論。
それは、一対一ではなく二対一。挟撃の形に、持ち込まれたという事実。
恐らく小袋の中には、銃弾が込められている。
敢えて小袋へ銃を放ったのは、奪われないようにする為。
最初に曲芸まがいの事をして見せたのは、あくまで自分が放つ銃に注意を向けさせる為。
(やるじゃねえか)
ジーネスは、素直に感心をしていた。
危うく20歳以上も年下の男に、してやられる所だった。
しかし、自分は読み切った。ならば、この状況を利用するほかない。
直前まで、シンの狙いには気付かないフリをする。
背後に居るピースが銃を放った瞬間、それを躱す事で動揺を誘う。
非常にタイミングがシビアな綱渡りだが、自分なら出来る。その自信が、ジーネスにはあった。
カラカラと魔導砲の転がる音が止んだ。
ピースの手に銃が渡った事になる。ほどなくして、ジーネスもシンへと直面しようという場面。
背後から撃たれるなら、このタイミングしかないという条件。
「おっさん!」
銃を構えた気配がする。両手で大事そうに握り締め、引鉄に力を入れる。
今、まさにこの瞬間。優位に立っている少年が、とどめの一撃を放とうとする瞬間。
それを躱して、若い二人を唖然とさせようとジーネスは企んでいた。
「甘いぜえ、少年」
ジーネスは身体を捻り、ピースの位置から的となる面積を減らす。
同時に奥にいるシンを視界に入れさせ、引鉄を引く事に躊躇を持たせる作戦。
その逡巡が命取りだと、人生の先輩が身を以って教えようとした。
それでも、ピースは迷わずに引鉄を絞った。
海晶体の壁を破壊しようとした時といい、思い切りの良さは侮れない。
ジーネスとしては、それでも一向に構わなかった。
ピースとは距離がある。銃弾を躱す事ぐらい、造作もない。はずだった。
「……は!?」
だが、銃弾は飛んでこない。
明確に狙いを絞って引鉄を引いたにも関わらず、肝心の弾丸が放たれていない。
完全に読み切ったはずのジーネスの顔に、驚きが刻み込まれる。釣られたのだと、今になって認識をした。
ジーネスには知る由もないが、魔導砲はシンにしか利用が出来ない。
マレットが新たに組み込んだ機能のひとつに、使用者の静脈を認証する機能が搭載された。
いくらピースが引鉄を引こうとも、決して銃弾は放たれない仕様。
だからこそシンは魔導砲を躊躇なく投げた。
万が一、ジーネスに奪われたとしてもそれで良かった。撃てない銃を持って出来た隙を突けばいいだけなのだから。
「アンタなら、そこまで読んでくれると思っていた」
「この……ガキッ!」
黒い銃口を向けるシンの声で、ジーネスは一杯食わされていたのは自分だと認識した。
ミスリアの王都で、ジーネスは難なくシンの銃弾を躱して見せた。
瞬時に自分の意図を読んで見せたこの男ならば、突拍子のない行動に意味を持たせてくれると信じていた。
勝敗を分けたのは、認識の違い。
ジーネスは最初から、シンの狙いを読み取ろうとしていた。
シンは最初から、ジーネスの行動を誘導しようとしていた。
その結果が、形となって現れる。
「良い様にやられっぱなしってわけには、いかねえな!」
だが、まだ敗けた訳ではない。ジーネスの必死の抵抗が始まった。
シンの銃弾を籠手で弾き、受け止めきれないものは負傷した左腕に赤い染みを増やした。
それでも止まらない。激痛に耐えながら彼の取った行動は、籠手を投げつける事。
鋼の塊がシンを襲う。銃で対処出来ない籠手は、避ける以外の対処が許されない。
シンに生まれた空白を利用して、ジーネスは距離を詰める。鋼の右拳が、シンを襲う。
「これで、ワシの逆転だあああああ。……ああああああ!?」
しかし、またもジーネスの思惑は外れてしまう。
自分の視界が上下反転している事に気付いてしまったからだ。
シンの動きは淀みなく、流れるように行われた。激痛の走る左腕が掴まれたのだと理解するのが、精一杯だった。
「あー……。おれもよくやられるわ」
毎日、シンに投げられているピースは遠目でそれを眺めていた。
傍から見ればあんな光景なのかと、新たな発見を得ると同時になんだか恥ずかしくなる。
そのまま地面に背中を打ち付けたジーネスの顎を、シンは容赦なく拳で撃ち抜いた。
意識を刈り取る一撃で、勝敗は決した。
共に魔力を必要としない者同士の戦いは、シンに軍配が上がる。
傍目にはそう見えないかもしれないが、実際は薄氷の勝利だった。
魔導砲と、銃身の魔術付与。更には魔導弾が封じられた状態。
尚且つ、相手の身体能力は銃弾を見切る域に達している。
勝敗を分けたのは、恐らくは破棄の影響だろう。
自分より魔力の高い者にしか使用した事のないジーネスは、身体能力で用意に上回る事が出来た。
今までと違うのは、自分より魔力を持たない人間を相手にしたという事。
結果的に少量ながら自分にも宿る魔力の身体強化を切ってしまったせいで、シンにその動きを見極められてしまった。
破棄に目覚めて日が浅いが故の、敗北でもあった。
「……フェリーやアメリアはどうなってるんだ」
シンはピースから魔導砲を受け取ると、異変を探して耳を澄ませた。
まだ浮遊島を巡る戦いは終わっていない。ひと時も気の抜けない状況が続いているのだから。