191.浮遊島の決戦
海底都市に居たはずのフェリー、そして彼女を連れて来た龍族。
その視線は本来の姿を取り戻したかつての海底都市。浮遊島へと向けられていた。
浮遊島はまだ安定していないのか、グラグラと空で揺れている。
海底に眠り続けた事で崩れたバランスが整うまでは、まだ時間を要するようだった。
「カナロアさま!」
「……トリィか」
駆け寄る鳥人族の少女の名を、蒼龍王は呟く。
思い出されるのは、幼い少女の悲痛とも言える叫び。
祖母から譫言で聴いたという、故郷の存在。
恐らく、はっきりとした話では無かったのだろう。輪郭だけを聴いて、少女はカタラクト島の事だと勘違いをした。
カナロアは、それでも構わないと思った。
真実を話そうにも、彼女達の故郷を奪っている事には変わりがないのだから。
憎まれる事さえも、受け入れるべきだと考えていた。
けれど、浮遊島は再び世に姿を現してしまった。
御伽噺となって消えゆくはずの島が、再び争いの種と成ろうとしている。
トリィの祖母たち。浮遊島に住む鳥人族との約束は、果たせなかった。
「カナロアさま! おばあちゃんが言ってた私たちの島って、あの島のことなんですか!?」
カナロアは沈黙を貫く。真実を伝えるべきか躊躇している。
トリィの祖母と約束をした。カタラクト島で生まれ育った子供達には、この島で幸せに暮らして欲しいと。
自らの故郷が血塗られた土地だと知るのは、忍びないというたっての願い。
トリィが島を返して欲しいと懇願した時は、迷った。
生来よりカナロアは嘘が下手だ。直接謁見してきた彼女を前にして、沈黙を貫く事も許されない。
苦肉の策として「返せない」と言うに留まった。隣で呆れた顔をするセルンを、今でもはっきりと覚えている。
「カナロア。もう、話すべきだと思うわ」
「しかし、だな……」
「もう引き下がらないわよ、あの子」
蒼龍王から遅れて、水面に顔を出す龍族。
彼の妻である、セルンは真実を話すように促した。
強く真っ直ぐな少女の瞳に絆され、カナロアは長年胸の奥にしまっていたものを、ゆっくりと吐き出した。
……*
鳥人族がかつて住んでいた、本当の故郷。
浮遊島に纏わる話を聞かされたトリィは、言葉を失った。
蒼龍王は、自分達から故郷を奪った訳ではない。それどころか、護ってくれていたのだと。
故郷である浮遊島を巡って、遥か昔に争いが起きた事も。
戦闘に長けた種族ではない鳥人族が、蹂躙されない為に蒼龍の一族へ救けを求めた事も。
決して見つかってはならないと海底都市の一部として、生まれ変わった事も。
大海と救済の神の加護で、本来重力に逆らうはずの浮遊島を繋ぎとめていた事も。
何もかも、トリィは知らなかった。彼女だけではない、カタラクト島に住む殆どの者が知らない真実。
毎日、トリィは「返せ」と叫び続けた。
いつ見限られてもおかしくない愚行にも関わらず、蒼龍王はずっと見守ってくれていた。
「カナロアさま。ごめん、なさい……」
思い込みで、酷い事を言ってしまったという深い後悔。
トリィが絞り出した言葉は、謝罪。ぽろぽろと大粒の涙を流して、頭を垂れる。
いくら謝っても、足りないぐらいだった。
「我も、説明をしていなかった。トリィが怒るのも無理はない。
結局、鳥人族から故郷を奪ったことには変わりない」
「けど、だけど……!」
カナロアは顔を上げるように促す。人の形に擬態したカナロアと、トリィの視線が交差する。
同じ目線で話そうとしている王の姿は、気高かった。真摯に向き合おうという、誠意が感じられた。
「本来なら、いつか美しい形で返してやりたいとは思っていた。
しかし、それも叶わなかった。あの島を再び争いの道具に使おうとしている者が、居る」
フェリーの話から、邪神の一派の仕業だという推測は立てられた。
その中に、黄龍族が居ると言うのだから間違いないだろう。
先の争いでも、空を司る黄龍は浮遊島を欲していた。
黄龍王は、あれで居て欲深い。一族の欲し続けた思いが、今の世にも続いているに違いない。
「だから我は、取り戻さなくてはならない。今度こそ鳥人族に、故郷の地を踏ませてやりたい」
そう言って龍族の姿へと戻ろうとするカナロアだが、その傷は深い。
治療を施したにも関わらず、全速力で海面へ浮上した影響で開いてしまった。
痛々しい傷の様相の王を、とてもそのまま送り出せはしない。
「あなた、無茶はしないで」
「だが……」
「ち、治癒魔術を使える者を連れてきますニャ!」
このままでは、傷を負ったまま飛び出してしまいかねない。
タマは治癒魔術を使える者を求めて、島中を駆け回る。
ただその間を、蒼龍王が待ち続けてくれる保証はない。そして、浮遊島に居る者達も。
無理をしかねない蒼龍王に代わって動くのは、この男だった。
「マーク。浮遊島まで、俺を連れて行ってくれないか?」
「……本気かい?」
シンが指し示した先にあるのは、空に佇む島。
ゆっくりとバランスを整えながら上昇していく島は、何も仕掛けてはこない。
取り戻す最初で最後の好機かもしれないと、判断しての事だった。
「フェリーも、そのつもりだろ?」
「うん。シンも、そう言うと思った」
フェリーが屈託のない笑顔を、シンへ向ける。
これは二人にとって至極単純な、行動理念。
やりたいこと。
……*
「ま、マークも本当に行くの!?」
シンとフェリーを背に乗せたマークへ、心配そうな声を掛けるのはトリィだった。
友が話を聞くだけでも危険な地へ赴こうと言うのだから、気が気でなかった。
「近くまでだよ。流石にぼくも、戦えるほど強くはないからさ」
「でも……!」
戦闘には加わらないと言っているのに、トリィは不安げな眼差しを送り続ける。
見かねたマークはやれやれと言った様子で、ため息を吐いた。
「だって、トリィの故郷なんだろう? ずっと『返して』って言ってたじゃないか。
このまま奪われて、トリィに毎日鼻水をつけられたくないしね」
「なっ……!」
大勢の前で鼻水を垂らした事を暴露され、トリィは赤面する。
面白い物が見られたと、マークは笑っている。
「……フェリー。それに、シンと言ったか。迷惑を掛ける。
我も傷が治り次第、直ぐに向かおう」
自分の不甲斐無さに歯噛みするカナロア。
セルンに支えられるその姿から、内心では無理をしていたのだと窺える。
「だいじょぶだよ、カナロアさん。あたしたちに任せて!」
フェリーがグッと親指を立てると同時に、マークは白い翼を広げる。
浮遊城へ向けて、天馬が大空を舞い始めた。
「アメリアや、ピースは浮遊島に居るのか?」
「……たぶん」
浮遊城へ向かう過程で、アメリアとピースの所在を尋ねたがフェリーにもはっきりと判ってはいない。
大海と救済の神を祀る神殿は、浮遊島の内部に存在しているというカナロアの証言から、アメリアはほぼ間違いなく浮遊島に居るだろう。
問題はピースだった。海底都市に取り残されているのか、それとも浮遊島に浮かんでいるのか二人には知る由もない。
懸念点はそれだけではない。
蒼龍王が遭遇したという、見窄らしい風貌の男。魔術を掻き消すという情報に、シンは覚えがあった。
ミスリアの王都で対面した彼は、掴みどころがないと同時に厄介な能力を備えている。
魔力を掻き消すという能力。魔力による鎖で繋いでいたという浮遊島を解放したのも、同様のものだろう。
「……あの男は、俺がやる」
「う、うん。わかった」
小さいが、はっきりと強い口調で言われるものだからフェリーも拒否できない。
何より、フェリーの灼神と霰神もかき消される恐れがある。
決して相性が良くない事から、シンが戦った方が良いと言う合理的な判断。
というのが、表向きの理由。
シンにとっては、フェリーに叩かせたくない理由がふたつあった。
ひとつ目は、彼女の不老不死に魔術が関わっている可能性が強いということ。
それにより不老不死の魔術が解けるのなら、歓迎しても良い。
だが、中途半端な形になってしまえば。
彼女に潜むモノが、そのまま存在してしまったなら。
或いは魔術を掻き消している間だけ、不老不死で無かったとすれば。
後者はシンにとって、最悪の結果となる。
シンとマレットは、フェリーの不老不死は時間を巻き戻していると推測している。
一時的に魔力を掻き消された事により、傷を負った時間で固定されてしまえば。
彼女を永遠に苦しませる危険性を孕んでいる。
不確定な要素が強すぎて、相対させる訳には行かない。
もうひとつは、至極単純な理由。
フェリーを下心満載の眼で見た、個人的な恨みだった。
「もうすぐ着くよっ!」
高度を上げ、一時的に浮遊島より高い位置へと昇るマーク。
浮遊島を見下ろす形となり、海晶体に覆われた半球状の建物が所狭しと敷き詰められている。
「シン、あれっ!」
フェリーが指を差した先に居るのは、壁に寄りかかるピースの姿だった。
その近くには、汚らしい風貌の男が我が物顔で立っている。
遠目だが、はっきりと判る。ミスリアの王都で逢った、あの男だと。
後はアメリアを探すだけだと、眼を凝らすシンとフェリー。
しかし、そう何もかもが思い通りには進まない。
「ついに、ついに来たぞ! 古の島が! これは、ぼくらのものだ!」
上空から急降下してくるのは、金色の龍。黄龍族の王、ヴァン。
ジーネスに任せていた海底都市の攻略を終え、姿を現した浮遊島を見て昂る気持ちが抑えられなかった。
ラヴィーヌを配下の黄龍へ預け、自らは出陣をする。かつて先祖が夢見たその地を、我が物とする為に。
「どっ、龍族!?」
初めて見る蒼龍族以外の龍族に、マークは驚きを隠せない。
一本の槍のように急降下するその身は、触れただけでもバラバラにされてしまいそうだった。
「っ!」
突然の邂逅に、シンは魔導砲を構える。
ほん僅かに充填した程度の水色の氷華では、黄龍王の皮膚を凍り付かせるには至らない。
それどころか、黄龍王の矛先を自分達へ向けてしまう結果となる。
「鬱陶しい。人間ってヤツは、本当に!」
人間と手を組む者でありながら、自分を苛立たせる存在として人間を辟易する龍族。
イルシオンによって焼き尽くされた右眼は、既に失われている。それでも、彼の怒りに呼応して痛みを蘇らせる。
ヴァンは大きく息を吸い込み、竜巻の息吹を吹き付ける。
眼前に『死』が迫っている事を実感したマークは、強く瞼を閉じようとした時だった。
「だいいじょぶ。マークくん、ありがとね」
黄龍王から放たれる息吹を、霰神で作り出した氷の壁が受け止める。
勢いこそ竜巻の息吹の方が勝っており、厚みを持っているにも関わらず氷の壁は砕かれる。
けれど、それで良かった。マークから飛び降りたフェリーは、砕けた氷を足場にして軽やかに黄龍王へ近付いていく。
「ふざけた真似を!」
尾で叩き落そうとしたヴァンだが、反対に灼神が突き立てられる。
紅蓮の刃が龍族の皮膚を突き抜け、ヴァンの身体に激痛が走る。
かつて自分を傷付けた炎の刃が、更に鮮明に思い出される。
「こ、のおおおおお!」
「フェリー!」
「だいじょぶ! こっちは、あたしに任せて!
シンは、ピースくんをおねがい!」
暴れて振り落とそうとするヴァンだが、フェリーも必死に喰らい付いている。
絡み合った二人は螺旋を描く様に、浮遊島の端へと落下していく。
「っ……」
せめて援護をしようと魔導砲を構えるシンだったが、ぐるぐると回っている為に照準が合わせられない。
奥歯を噛みしめながら、落下していく様を見守る事しか出来なかった。
「シン、ぼくはどうすればいい……?」
身を以って恐怖を体験したマークは、恐る恐るシンへ尋ねる。
その身体は小刻みに震えており、怯えている事が判る。これ以上の無理はさせられないと、シンは判断した。
「ここまで大丈夫だ。無理を言ってすまなかった。
……ありがとう」
シンは礼代わりにマークの首元をポンポンと叩く。
そして、目的地へと向かうべく銀色の円盤を投げた。
「こちらこそ……。って、ええっ!?」
刹那、姿を消したシンの姿に、マークは自分の眼を疑った。
……*
海底から海面。そして空を眺めているジーネス。
漸く役目は終わったと、その身を目いっぱい伸ばしている。
「んーっ。海から空ってのも、中々オツだったなあ。
楽はしたくても、仕事を終えるってのは気持ちいいねえ」
「……だったら、そろそろ邪神の能力解いてくれないか?」
「いやいや、それやったらお前さんが襲ってくるじゃん」
「ちぇっ」
ダメ元で言ってみたが、案の定断られたとピースは舌打ちをする。
どれだけ頑張っても、魔力が『羽』へ通る感覚は無い。翼颴も同様で、刃が形成される気配を感じない。
「それに、ラヴィーヌ嬢がお前さんに魅了を掛けてくれればワシも楽になるからな。
いやあ、一石二鳥! お前さんはこのまま連れて帰らせてもらうぞ!」
邪神の能力による魅了。その持ち主であるラヴィーヌ・エステレラは美女だという。
それ自体に興味が無いと言えば嘘になるが、決して出逢いたくはない。
折角得た新たな人生に、自分の意思が反映されないなんて受け入れ難い。
この怠惰な男から逃げ出す方法を、ピースが必死に考えている最中。
ジーネスから『怠惰』の能力を聞かされた時。
魔力による身体能力の強化。その恩恵が受けられないと知った時。
ピースの脳裏に浮かんだ唯一の人物が、姿を現す。
天井の海晶体を突き破るのは、金色の稲妻。
それはそのままの勢いでジーネスへと向かっていたが、彼の破棄によってかき消されてしまう。
「おっとぉ!?」
不意打ちで放たれた魔導砲による一撃もジーネスへは届かない。
無意味な一撃と思われたが、シンにとっては収穫となる。
ジーネスの破棄は段階を踏んで魔力を掻き消す訳ではない。その場で一気に消し去るのだと、確信が持てた。
そのまま通常の弾丸を打ち込みながら、シン自身も天井を突き破り侵入をする。
ピースとは反対側に着地したシンは、ジーネスを挟む形で銃口を突きつけた。
「お前は、ここで倒させてもらう」
「あー……。あの時の男前なにーちゃんか……」
気怠そうに、ジーネスは長い前髪を持ち上げる。
彼もまた、事前にシンの情報は得ていた。
魔力を殆ど持たない、この世界に於いて凡そ戦闘に向かないはずの男。
故に、自分の破棄が通用しないであろう男の存在を。