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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第二部:第二章 神剣再生
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190.海底に眠る浮遊島

 かつて、天空に佇む巨大な大陸があった。

 重力の理から解放され、風に乗って世界中を旅する大地。

 

 太陽の光を遮る日もあれば、豪雨を一身に受け止めてくれる日もある。

 朝になれは鳥人族(ハーピー)の歌声が天から奏でられ、爽やかな朝を迎える。

 暦が法導暦と呼ばれる前の、御伽噺の出来事。


 本来であるならば、その島は今も大空を旅していただろう。

 空を飛ぶ島。上空を支配する事実が齎す恩恵に、気付く者が現れなければ。


 海を、山を超えずとも相手の頭上を取る事が出来る。

 部隊はおろか国家丸ごと、制空権を取れるというこれ以上ない優位性を巡って争いが起きた。


 瞬く間に空の上で戦火は広がっていき、大陸と呼べるほどの大地はどんどんと崩れ落ちていく。

 争いが終結した頃、残った僅かな大地は浮遊島として伝説上の存在となった。

 もう誰にも悪用されないようにと、雲のはるか上でひっそりと浮かんでいる島。

 いつしか誰からの記憶からも消えてしまった。安寧の地。


 ……*


 仁王立ちをするジーネスを中心に、次々と魔力の途切れる感触がする。

 海底に縛り上げていた鎖は千切れていき、大地は海上を求めて浮かんでいく。

 その経過で街が破壊されているのか、壁の崩れ落ちる音までもが聴こえた。

 不幸中の幸いは、海晶体の扉がシャッターのように閉じているお陰で自分達への浸水は免れている事だろうか。


「おうおう。地面が浮かんでいくってのも、奇妙な感覚だな」


 まるで船の上に立っているかの如く、秒刻みで狂わされる平衡感覚。

 力の入らないピースの身体は床に崩れ落ち、対するジーネスは膝でバランスを取って体勢を保っていた。

 

「どういう、ことだよ。どうして、この街が浮かんでいくんだ……?」


 血反吐を吐きながら寝転がっている少年に、反撃を思わせるような素振りは見当たらない。

 まだ分からないのかという若干の呆れと、一仕事終えて高揚した気分の狭間でジーネスは答えた。


「なんだよ、見れば分かるだろ? 浮くんだよ、この島は。空の上に」


 やれやれとため息をつきながら、ジーネスは指を天へ突き立てる。


「おっさんが魔力を断っているんだろ? だったら、なんでそんなこと……」

()()()()()()()()()からに決まってるだろうがよお? 海晶体(こいつ)みたいに」


 ジーネスがコンコンと叩くのは、ピースが持たれている壁と同様の物。

 海底で生きていく為に必要な灯りや空気を生み出している、特殊な結晶。

 魔力を必要としない不思議な結晶は、誰にも苦労を掛ける事なく海底都市を発展させた。


 この街もそうなのだとしたら。

 勿論、海底都市自体が海晶体で出来ているという意味ではない。

 大地自体が、地上を求めて浮上しているように思えた。


 そうだとしか考えられない。ジーネスは言っていた「この島の、本当の姿」と。

 こんなだらしない、怠惰な男が確証もなく海底になんて顔を出すとは思えない。

 全てを知っていたからこそ、この街を求めてやってきた。

 

 カタラクト島のすぐ傍。海底にもうひとつ島が存在しているのは判った。

 そして、それを縛り上げていた物をジーネスが取り払った事も。


 だとすれば、新たな疑問がピースには浮かぶ。

 何のために、この街を必要とするのか。

 

「……なんでこの街が必要なんだよ?」


 敢えて「誰が」とは訊かなかった。

 訊くまでもない。この怠惰な男が、街ひとつ丸ごと欲しがるとは考えられない。

 彼の右足に宿った邪神の能力を考えても、邪神の一派だという結論にしか辿り着かないからである。


「んー……。そうだなあ」


 視線を上へ向け、ジーネスは考える素振りを見せる。

 余裕を持った笑みをピースへ向けたかと思うと、彼は自らの靴底を壁へと押し付けた。


「そこまで教える義理は、ねえんだよなあ」


 髪を、耳を掠めて押し付けられる足。

 ビリビリと伝わる衝撃が、ピースの後頭部へ小刻みな揺れとなって伝わる。


 驚きのあまり噴き出したは鼻息と共に、血が垂れる。

 その様を見て、ジーネスは豪快に笑っていた。


「ガハハ! なんだそりゃ! ワシが近付いて興奮したのか!?

 お前さん、守備範囲広いなァ! 流石のワシも驚いたぞ!」

「……ちげーよ」


 鼻血を拭い、手の甲に赤い絵の具が塗りたくられる。

 もしかすると顔も拭き取れてはいないのかもしれないが、ピース自身に確認する術はない。


「ま、なんにせよ今のお前さんはただの子供(ガキ)なんだ。

 独りで見るのも退屈だから、この景色を一緒に楽しもうぜ」


 ジーネスの言う通り、状況とは裏腹に神秘的な光景が二人の瞳に焼き付けられる。

 海面に近付いている証として、射しこんでくる光がキラキラと海を輝かせる。

 海晶体が生み出した空気の泡がそれを一層輝かせ、言葉に言い表せない程の美しい光景を生み出していた。


 ピースはちらりとジーネスの顔を覗き見た。

 反撃を目論んでいる訳ではない。彼も警戒は怠っていないし、今の自分ではきっと相手にすらならない。

 ただなんとなく、気になったのだ。薄汚い、だらしない男の口角が緩んでいる事が。


 酒浸りの、グータラで情けない男だと思ったが、こんな景色を楽しむ風情も持っていたのかと思った。

 声を掛けるのは野暮だと思ったが、結局はジーネスのため息がその気遣いも台無しにする。

 

「はあぁぁぁぁぁ……。これでせめて、別嬪さんでも居てくれればなあ。

 ワシでも雰囲気でイケると思うんだがなあ……」


 そこにいるのは相も変わらず、だらしない助平な男だった。

 こんなのに成す術もなくやられたのだと思うと、頭を抱えたくなる程に。


「モテないことは自覚してんのかよ……」

「なんだよ、いいだろ? あの手この手で頑張ってるわけよ。

 今回もその一環だと思えば、なあ?」

「そのあの手この手が本人に当たってるから問題なんだろ……」


 ジーネスは目を見張り、「上手いじゃねえか」とピースの肩をバシバシと叩く。

 ピースはピースで、この男と発想や感性が近い事に頭を抱えていた。


「今から別嬪さん探しても間に合わねえしな。

 お前さんを餌に呼び寄せた方がまだ可能性は高そうだ」

「人を餌にすんな!」


 憤慨するピースに対して、「ガハハ」という笑い声で応戦するジーネス。

 力関係は既に出来上がっている。悔しくても、この差を覆すものをピースは持ち合わせていない。


「ま、もう少しの辛抱だ。一緒に付き合ってくれや。

 あー、でも空に浮かんだら流石に始末しないといけねえか?

 話せば分かりそうだし、気乗りしねえなあ……」


 腕を組み、うんうんと唸るジーナス。

 一方でピースは、耳を疑っていた。彼の発する言葉を、正しく理解できていないのかと錯覚したからだ。


「……おっさん。今、なんて言った?」

「ん? 流石に敵だしよぉ、このまま『ハイ、サヨナラ』とはいかねえんだよな。

 ワシも子供(ガキ)を殺すのは忍びないしなあ。

 あ! ラヴィーヌ嬢に魅了(チャーム)を掛けてもらって……」


 名案が浮かんだと、手をポンと叩く。だが、ピースが知りたいのはその部分ではない。


「違う! その前だよ! 空って、何なんだ!?」

「あ? そのままじゃねえか。浮かんでるんだからよ」

「……は?」


 ピースは今まで、島が海に眠っているものだと思った。だから、縛り付けていた物が消えて海に浮かぶのだと。

 いや、間違ってはいない。海に眠っていたのは確かなのだから。

 ただ、行きつく先はピースの想像をはるかに超えていた。大海原ではなく、大空だというのだから。


 地図上に島がひとつ増えるだけなら、脅威としては弱いと思っていた。

 すぐ傍にはカタラクト島がある。つまり、蒼龍王(カナロア)が常に目を光らせているのだから。

 そういった意味で、ピースも相手の目的が汲み取れなかった。


 しかし、島自体が空に浮かぶというのなら話は変わってくる。どんな脅威にもなり得る。

 邪神の一派がこの島を欲しがる理由。その輪郭が見えて来た気がした。


(これはまずいだろ……)


 ピースの脳裏に浮かぶのは、最悪のシナリオ。

 どうにかしないという想いとは裏腹に、重い身体は言う事をきいてくれなかった。


 ……*


 突如、力を失ってその場に崩れ込む『羽・銃撃型』(ガン・フェザー)

 ジーネスの破棄(キャンセル)の影響は、アメリアが居る神殿にまで効果を及ぼしていた。


「一体何が起きたのですか!?」


 影響を受けたのはそれだけではない。儀式を行っていた祭壇さえも、その力を失っている。

 蒼龍王の神剣(アクアレイジア)の儀式は完了していない。手に取った重みで、そう判断した。

 修復直後に比べると、幾分か扱い易くなったと感じる。けれども、やはり破損する前の状態には達していない。

 

 儀式の再開を試みようと祈りを捧げても、思い通りに行かない。

 大海と救済の(スティス)神にも、蒼龍王の神剣(アクアレイジア)にも祈りが通じているとは思えない状況。


 中途半端なまま儀式を終えるのは心苦しいが、間違いなく状況は悪化している。

 真相を把握するべく、後ろ髪を引かれる思いでアメリアは祭壇を後にした。


「これは……」


 彼女の視界に広がるのは、氷が消えた影響による浸水。

 自分の『(フェザー)』同様に、魔力がかき消されたのだとアメリアは判断する。

 直接相対こそしていないが、似たような報告をミスリアの王都で受けた。


 魔力を掻き消す、不穏な男の存在。

 ピースの『(フェザー)』は機能を失い、イルシオンの稲妻の槍(ブリッツランス)は霧散した。

 同一人物の仕業だと決断を下すのに、そう時間は要さなかった。


 しかし、それよりも優先しなくてはならない事がある。

 浸水を止める為に、氷で穴を塞ごうとしたマリンの存在。


(一体どこに……?)


 必死に目で追うアメリアの眼前に聳え立つは、海晶体で作られた扉。

 反対側は、自分の背丈を超える程に水面が上がっていた。まるで外の景色と同様の海が広がっている。


 海底都市全体に被害が及ぶのを防ぐ為に、海晶体の扉が閉じられている。或いは、マリンが閉じたのだろう。

 その恩恵で、内側にいるアメリアの足元は床を踏みしめられていた。若干の揺れで、踏みしめる事を要求されている。

 高くなった水面の向こうで泳ぐ彼女の姿を見て、そうなのだと理解した。


「アメリアさん、ダメです。今、どうしてか魔術が使えません」


 扉の向こう側。海から額をこつんと当てたマリンが、アメリアへ伝える。

 決してこの扉を開けてはいけない。開いてしまえば、浸水を止める手段は無い。

 人魚族(マーメイド)である自分は兎も角、アメリアが抗う手段はないのだと。


「では、どうすれば……!?」


 彼女の忠告にアメリアが納得するかどうかは、また別の話となる。

 何もできないもどかしさから、アメリアが下唇を噛む。

 答えをマリンに求めてはいけないのに、自然と訊いてしまった。


「海底都市に何が起きたのかは分かりません。どうして、街の一部が浮かんでいるのかも……。

 ですが、海晶体の内側にいれば安全のようです。アメリアさんは、そこに居てください」

「海底都市が、浮かんでいる……?」


 マリンの言葉に導かれて、扉ではなく壁の向こう側を眺めた。

 確かに、太陽の光が差し込んでいる。海面が近付いている証だった。

 ともあれば、この覚束ない足元は海底都市自身が浮上している事の証。


 彼女が言った通り、魔術は使えそうにない。魔導具も同様だ。

 段々と小さくなるマリンを、アメリアは壁の向こう側で見送る事しか出来なかった。


 この街の内側に潜んでいるであろう悪意に、アメリアは改めて気を引き締める。

 海底都市が浮遊島という真の姿として、海面を超えたのはそれからすぐの事だった。

 

 ……*


 浮遊島の出現は、カタラクト島にも影響を与えていた。

 蒼龍王(カナロア)の咆哮による海水のシャワーから僅かな時間を置いて、地震かと見間違うような大きな揺れが島を襲う。


「な、なに!?」

「地震だニャ!」


 驚きのあまり思わず宙に浮かぶマークへ、タマが飛び乗る。

 トリィも同様に、飛べるにも関わらず彼にしがみついていた。


「なんで。みんなしてぼくにしがみつくかな……」

「それは……。あはは……」

「ごめんだニャ」


 マークが肩を竦める一方で、シンは地震のその先にある物を見据えていた。

 これだけの揺れなのだから、津波が起きないはずはない。


「マーク、俺も乗せてくれ」

「ええ!?」

 

 揺れは収まったのにと怪訝な顔をしながら、マークはその背にシンを乗せる。

 彼の不安は的中し、大きな波の壁がカタラクト島を襲い掛かろうとしていた。

 

 このままでは島の住人に被害が及ぶ。

 人魚族(マーメイド)海精族(セイレーン)は兎も角、水辺と関りの薄い種族にどんな被害が及ぶか分からない。


「つ、津波が!」

「っ……! 間に合え!」


 マークの背で、シンは魔導砲(マナ・ブラスタ)弾倉(シリンダー)をカラカラと回す。

 ドナ山脈の北側(ノースドナ)。人間の世界よりも濃い魔力を、魔導石(マナ・ドライヴ)が吸着していく。


 奥歯を噛みしめ、シンは魔導砲(マナ・ブラスタ)の引鉄を引いた。

 今回選択した弾丸は、氷。凍結弾(フロスト・バレット)を発展させた、水色の氷華(ヘルブラオライフ)

 

 周囲の空気を凍らせながら突き進む水色の氷華(ヘルブラオライフ)は、押し寄せる津波すらも凍らせる。

 海岸で凍り付いた水の壁は、己の自重によって崩れ去っていった。


「すごい……」


 その光景を間近で見ていたトリィが、ぽつりと呟く。マークやタマも、信じられないと言った顔をしていた。

 本来なら島の危機を救ったと盛り上がりたい所なのだが、直後に起きた出来事がそれを許さなかった。


 津波を生み出した揺れの原因。海底から浮かび上がってくる浮遊島が、姿を現す。

 見たこともない大地が浮かび上がる様に、シン達だけではなくカタラクト島の誰もが目を奪われた。

 特に、鳥人族(ハーピー)の少女にとっては一生忘れられないであろう光景になるだろう。


「あれ、島……?」


 透明な壁に守られている。自分も行った事のある、海底都市。

 まさかそれが地上に姿を現すなんて、思ってもみなかった。そして、地上どころかどんどん高みへと昇って行こうとしている。


 ――島は、渡せません。

 ――島は返せない。


 トリィの脳裏に浮かぶのは、大好きだった祖母と自分達を護ってくれた蒼龍王(カナロア)の言葉。

 自分は盛大な勘違いをしていたのかもしれない。


 刹那、海の中から一体の龍族(ドラゴン)が飛び出す。

 傷だらけの全身を労わらず、血を海に溶け込ませながらも、決して速度を緩めなかった最速を誇る龍族(ドラゴン)

 蒼龍王(カナロア)が、海上へと姿を現す。


「カナロアさま!?」


 皆が口々に、敬愛すべき王の名を呼んだ。

 傷だらけで出て来た事もそうだが、こんなに必死な彼の姿を見たのは初めてだったからだ。

 視線はやがて、蒼龍王の背に乗っている一人の少女へ向けられる。

 

「――ぷっはあ! ビックリしたあ……」


 余りの速度に、息を止める事しか出来なかった不老不死の少女。

 自分でなければ、確実に死んでいただろうという確信さえもある速度だった。


「……フェリー!?」


 龍族(ドラゴン)の背に乗るフェリーの姿を見て、シンは眉根を寄せた。

 空中に佇む浮遊島は、あざ笑うかのようにカタラクト島を見下ろしていた。

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