183.少女は海底へと訴える
翼を持つ少女、トリィ。鳥人族である彼女は、このカタラクト島で生まれ育った。
蒼龍王が統治するこの島には、実に多くの種族が住んでいる。彼の名の下に集まった者が、共存する世界。
少女にとっては、普段の風景。
だからこそ、理解できなかった事もある。
亡くなってしまった祖母が、しきりに言っていた言葉だ。
――島は、渡せません……。私たちの、島なのです……。
病に伏せながらも毎日、譫言のように呟いていた祖母の言葉。
自分達以外にも鳥人族は生息しているが、トリィの祖母のみが外の世界を識っていた。
親を含め他の者は皆、自分と同じようにカタラクト島で生まれ育った。
誰もが口々に、「蒼龍王が自分達から故郷を奪ったなんて、考えられない」という。
自分も同意見だった。あらゆる者を受け入れ、護り抜いている蒼龍王の正体が、侵略者だと考えたくなかった。
けれど、大好きだった祖母が言っていたのだ。「島は渡せない」と。
高熱に魘され、息も絶え絶えであるにも関わらず、ずっと言い続けたあの言葉が嘘だとは、どうしても思えなかった。
大人達も、他の種族も当てには出来ない。
カタラクト島を取り返すのは、自分の役目なのだとトリィは考えた。
などと、息巻いてみたものの自分の力は脆弱だという事は理解している。
結局のところ、彼女は訴える事しか出来ない。「島を返してくれ」と。
……*
シンがフェリー達と別れた直後の事である。
案内役として用意された猫精族のタマを肩に乗せ、シンはカタラクト島を探索していく。
「この島は、魚が美味しいニャ。シンもぜひ釣って、食べて欲しいニャ。
川の魚も、海の魚も絶品だニャ。好きな方に行くといいニャ」
「釣るのは自分なのか……」
「集落に行けばあるけど、人間用に調理はされてないニャ。自分で釣った方がいいニャ。
人間は弱いから、お腹を壊しても責任取れないニャ」
タマの言うことにも一理あると、シンは納得してしまった。
これだけ種族が入り乱れていれば、食文化も各々分かれているだろう。
実際、妖精族の里でもそれぞれの個性が現れている。専ら人気なのは、イリシャの料理だが。
「それに、釣りでぼんやりするのが幸せだニャ。タマもお昼寝出来るから、万々歳だニャ。
あ、どうしてもというならシンとお話するのもやぶさかではないニャ」
監視として派遣されたのかと推測していたシンだが、能天気なタマに毒気を抜かれる。
どうやら、本当に案内役として呼ばれただけらしい。
タマの話に乗る訳ではないが、海底都市へ向かったフェリー達がいつ戻ってくるかは判らない。
シンは自分の肩でだらけ切っているタマを連れて、カタラクト島を探索していく。
見れば見るほど、妖精族の里と見比べてしまう。
天馬族が空を駆ける中、鳥人族と海精族の美しい歌声が広がっていく。
思わず聞き入ってしまいそうになる。タマに至っては、肩に爪を喰い込ませて「動くな」と意思表示を見せてくる。
「……爪を立てるのはやめろ」
「ごめんだニャ」
口で謝りこそすれど、視線は歌姫達を凝視している。どうやら、よほどのファンらしい。
路上パフォーマンスの御捻りとして、彼女達に投げられるのは金銭ではなく木の実や果実だった。
「シンも何か投げるニャ。いいものを聴かせてもらった礼は必要ニャ」
「……渡す物がないだろう」
荷物を漁ってみたものの、保存食として用意した固形食しかない。
ただ、タマは珍しい食べ物の匂いを嗅いでいる。反応を見る限り、お気に召したらしい。
きっと喜ぶから投げてみろとタマに言われたので、他の者を真似て籠の中へと放り込む。
すると、珍しい物を貰ったと鳥人族や海精族がシンへと駆け寄ってくる。
初めて見た人間とその料理に、興味津々のようだった。
「ねえ、あなた人間よね?」
「どうして? どうやって来たの? 蒼龍王様に、用事かしら?」
歌姫達から質問攻めに遭う中、人間みたさに次々と島民たちが集まってくる。
群がっていく島民から逃げるようにして、シンは海岸へと向かった。
……*
喧騒な雰囲気とは打って変わって、静寂な景色。
波打つ音に癒されながら、シンは流木の上へと腰を下ろす。
「折角人気者だったのに、どうして逃げたんだニャ?」
砂浜に肉球のスタンプを押しながら、タマが首を傾げる。
奇異の瞳に耐え切れなかったと言っても、タマには理解してもらえなかった。
海岸からたどり着いた頃、浮上してきた人魚族に蒼龍王の神剣の儀式は日を跨ぐと聞かされる。
島に宿は無いが、「猫精族の住まいになら自由に寝てもいい」とタマが小さな手を精一杯上げる。
「シンは、ウチに泊まるといいニャ。みんなも喜ぶニャ」
聞けばタマは十匹の家族が居る大所帯だという。
身体のサイズ的にも、家族数的にも大丈夫なのだろうかという一抹の不安が残る。
「……考えておく」
泊まるところよりも、シンには優先すべき事がある。
さっき減らしてしまった食料。その代わりを、確保しなくてはならない。
釣り竿を作り、砂浜釣りをしながら獲物が掛かるのを待つ。
その間、シンは魔導砲を取り出した。
いくつか出したマレットへの要望は、全てが解決した訳ではない。
それでも彼女は、転移魔術や船と並行して改修を進めてくれていた。
銃身には、以前アメリアから贈られたミスリルの剣が流用されている。
自分を護ってくれた羽衣の魔術付与は、剣ではなくなったからかその形を変えていた。
魔術で創られたの縄が銃身から現れる。色々と使い道を探らなくてはならない。
通常の銃弾を放てるようにして欲しいという要望は、銃口を切り替える事で解決をした。
銃身を発展させる事により、今まで通りの弾丸を放つ事が出来る。魔導弾も、同様だった。
欠点としては、一度魔導石・輪廻に魔力を充填してしまうと切り替えが出来ないという点。
魔力の暴発を防ぐための安全装置と言われれば、従うしかなかった。
そして最後に、使用者の認証。これだけの破壊力を生み出せる魔導具が、誰にでも扱えるのであれば奪われる危険性がある。
引鉄に掛かった指。その静脈から使用者を読み取っていると言われたが、シンにはよく分からなかった。
どうやら、ピースの案らしい。ピースと話している時のマレットは楽しそうで、案外お似合いなのではないかと思ってしまった。
充填した弾を複数に分割する事や、接近戦にも対応できる装備はまだ実装に至らないと言われてしまった。
何より、最大の弱点としては整備がマレットにしか出来なくなった事だろうか。
魔導石・輪廻や魔導石・廻は、到底自分が触れるような代物では無かった。
それでも、可能な限り自分の我儘を受け入れてくれるマレットには頭が上がらない。
特に今回は、やたら甲斐甲斐しかった気がする。彼女も新しい環境で、モチベーションが上がっているのだろうか。
ずっと立てていた釣り竿の糸が、ぐいぐいと引っ張られている事にシンは気付いた。
魔導砲を触っている間に、どうやら餌に喰いついた魚がいるらしい。
この周辺の魚はどんな味がするのだろうかと、力を籠めた時の事だった。
すたすたと、砂浜に足跡を刻んでいく少女の姿が在った。
腕が翼のようになっている事から、鳥人族の少女だという事が窺える。
少女は大きく息を吸い込み、肺を膨らませる。その動作を見て、タマが耳をパタンと閉じた。
風船のように膨らんだ胸から溜め込んだものを声に乗せるようにして、全てを吐きだす。
「この島を、返して! お願いだから、返してよ! 蒼龍王サマっ!!」
島中に響き渡るのではないかという絶叫。息を全て吐き出した少女の顔は赤みを帯びており、肩を上下させながら失った酸素を取り戻している。
近くにいたシンは鼓膜が破れるのではないかという大声に、思わず耳を塞ぐ。その拍子に握っていた釣り竿は、魚に喰われたまま海を泳いでいく。
「シン、釣りが下手だニャ」
「今のは仕方ないだろ。……それで、タマ。あの鳥人族はなんなんだ?」
「ああ、トリィかニャ?」
タマは明らかに、彼女が声を出すよりも早く閉じていた。
トリィと呼ばれた少女が何をしようとしていたか、知っていたという証明。
「島を返してだなんて、穏やかじゃないだろう。まるで、蒼龍の一族がカタラクト島を奪ったみたいに」
「少なくとも、トリィはそう思ってるんだニャ。だから、毎日ああやって蒼龍王様に訴えてるんだニャ」
やれやれと、タマは肩を竦める。
タマだけではない。近くにいた人魚族や海精族も、左程気にしていないようだった。
「どういうことだ?」
「客人に話すようなことじゃないんだニャ」
「……そうか」
タマが首を振って話す事を躊躇うので、シンは新たな釣り竿の用意を始めた。
予備を借りて置いてよかったと思う反面、海に流されたものはどうしようかと頭を悩ませる。
「ま、待つニャ! ちゃんと教えるニャ!」
期待していた反応が得られなかったと、タマは大慌てでシンの目の前へと移動する。身体を大の字に広げ、待ったを掛けた。
余所者に聞かせ辛い話だったり、自分が信用に足る人物ではないと判断したシンだったが、ただ勿体ぶっていただけのようだ。
「トリィのおばあちゃんは、この島に移住してきた鳥人族なんだニャ。
それで、そのおばあちゃんが病気で寝込んでいる時に『島は渡せない』ってずっと譫言で呟いてたらしいんだニャ」
「……それ、間違いないか?」
訝しむシンに対して、タマは頷いた。
「トリィも言ってるし、トリィのママさんも聴いたらしいニャ」
おかしい。タマの話を聴いた第一印象は、まさにそれだった。
伝えられていくうちに、言葉が形を変えたのか。それとも、病人の譫言だから聞き流していたのか。
タマが嘘を言っているようには見えない。間違っている可能性は否定できないが、今はそこを掘り下げる意味は無いだろう。
だとすれば、余計に不可解だった。移住した者が、どうして島を渡せないなどと言うのか。
先住民が乗っ取られた形なら、まだ理解は出来る。けれど、言葉通りなら鳥人族はカタラクト島へ移住している。島を渡す、渡さない以前の問題ではないだろうか。
眉間に皺を寄せるシンが何を考えているのか、タマには判らなかった。
島民誰もが知っているトリィの日課が、そんなに珍しいのだろうかとを傾げた。
「蒼龍王は何も対処しなくていいのか?」
今は少女が叫んでいるだけかもしれないが、今後もずっと均衡が保たれるとは限らない。
彼女に手を貸す者、同調する者、利用しようとする者が現れれば、実力行使に出る事だって考えられる。
「蒼龍王様は何も気にしていないニャ。前に直接、『すまないが、返すことは出来ない』って言ったニャ。
他の鳥人族は蒼龍王様が奪ったなんてこれっぽっちも思ってないニャ。
トリィだけが、おばあちゃんの言うことを信じてるんだニャ。でも、蒼龍王様があまり怒って欲しくなさそうだから皆聞き流してるニャ。
蒼龍王様は、寛大ニャのだ」
えっへんと胸を張るタマだが、それも妙な話だ。何より、やはり言葉がおかしい。
揚げ足取りをしたい訳でも、言葉尻を捉えたい訳ではないのに、引っ掛かる。
「タマ、蒼龍王は本当に『返せない』と言ったのか?」
「言ったニャ。それはタマも聴いていたから、間違いニャいニャ」
だとすれば、やはり妙な話だ。
移住してきた鳥人族が、島を「渡せない」と言った事も。
それを「返せない」と言った事も、納得がいかない。今でも聞き間違いではないのかと考えてしまう程に。
シンは力の限り叫んで息も絶え絶えとなった鳥人族の少女に視線をやる。
憂いを帯びた表情の奥で、力強い意思を思わせる瞳。カタラクト島を返して欲しいと、本気で訴えている眼だった。
「でも、普段はトリィもいい娘だニャ。遊ぶ分には――。
って、シン!? どうしたんだニャ!?」
フォローをするタマを他所に、シンはトリィへと近付いていく。
初めて見る人間に、トリィはその身を強張らせる。敵意は無いと示しているつもりだが、どうやら自分の目つきが悪いらしい。
ここにフェリーでも居てくれればと、海底に潜る少女の事を思い浮かべた。
「えっと、俺はシン。理由があって、この島にお邪魔している。
危害を加える気はないんだ。ただ、ちょっと教えて欲しいことがあって」
「にっ、人間が何の用!?」
参った。完全に警戒されている。
とはいえ、他にどうやって接触をするべきだったのだろうか。
言葉を選んでいるシンへ割り込むように、タマが肩へと飛び乗った。
「シンは、蒼龍王様のお客さんだニャ。
眉間に皺を寄せて怖いかもしれニャいけど、悪いやつじゃないニャ」
「蒼龍王サマの……?」
一言余計だとは思ったが、お陰でトリィは自分の方を見てくれた。
ここはタマに感謝をしながら、シンは自分の持つ疑問を彼女へとぶつけた。
「タマから事情を聞いたんだが、君の祖母はカタラクト島に移住してきたんだろう?
だったら、返すも何も――」
「――みんな、そればっかり言う!」
シンが言い終わるよりも早く、トリィが言葉を遮る。
怒りの炎が灯った力強くも鋭い眼光が、シンを睨みつける。
「おばあちゃんは『渡せない』って言った! 蒼龍王サマは『返せない』って言った!
蒼龍王サマが、島を奪ったんだよ! だから、返してってお願いすることの何が悪いの!?」
「だから、その会話が――」
「うるさい! うるさい!」
トリィはまたもシンの言葉を遮ると、この場から逃げるように飛び去っていく。
翼を活用した立体的な動きをされては、シンとて追う手段を持たない。
海岸にぽつんと取り残されたシン。肩に乗るタマが、フォローでも入れるかのように頬を摺り寄せて来た。
「シン、怒られちゃったニャ」
「……すまない」
「謝る必要はニャいニャ。トリィはこの話になると怒りっぽいニャ」
猫にフォローを入れられながらも、シンはやはり考え込んでしまう。
蒼龍王と鳥人族の少女の間には、何か食い違いがないだろうかと。
フェリー達が戻るまでにまだ時間はある。機会さえあれば、彼女とまた話してみようと思った。
お節介だと思いつつも、トリィが去っていった方向をぼんやりと眺めていた。