181.神剣の真意は
マリンが渡した、海へ潜る為の魔導具。
複雑な魔力操作を要求されるではないかという一抹の不安があったが、全く問題にならなかった。
ほんの少し魔力を込めるだけで魔導具は作動し、空気の膜が使用者を覆う。それはまるで、簡易的な結界のようだった。
海の中をどんどん、奥へと潜っていく。太陽の光を遮っていき、周囲の景色が徐々に薄暗くなっていく。
自然と湧き上がるはずの不安は、魔導具が解決をしてくれた。暖かな光に誘導されて、フェリー達は海底を目指して進んでいく。
素晴らしい魔導具だという事は存分に伝わる。それでも不満を述べるなら、自分の声が相手に届かないという点。
こんな神秘的な体験をして、その場で共有できないのは勿体ない気がした。
人魚族の特性なのか、マリンの案内する声だけが聴こえるのが、不思議でしょうがない。
「あそこが、蒼龍王様の居られる海底都市です」
そう、マリンが指し示した先には半球状の建物がいくつも連なって出来た街だった。
どうやら蒼龍王の住む城が一際大きな建物のようで、普段自分達が訪れるような城とは若干雰囲気が違っている。
海底での暮らしを最適化した結果、こうなったのだろうか。海底都市の建造物はどれも丸みを帯びている。
マリンに手を引かれるまま、フェリー達は海底都市へと足を踏み入れた。
……*
海を潜っている時に、ふと疑問に思っていた問題がある。
蒼龍王の用意した魔導具がいかに素晴らしい物でも、声が届かなければ会話のしようがないのではないか。
どうやって自分達の意思を届ければいいのだろうかという、疑問。
尤も、魔導具の扱い同様にそれも杞憂となる。
信じがたい事ではあるが、海底にあるはずの建物内部には空気が存在している。
マリンが「もう、大丈夫ですよ」と言われて半信半疑で腕輪を外したぐらいだ。
「……声、きこえる?」
「はい、聴こえてしますよ。フェリーさん」
「ホントだ! アメリアさんの声もきこえる!」
フェリーの顔がぱあっと明るくなる。
先刻まではいくら声を発しても、相手に届かないと言う歯痒い状況。
移り変わっていく景色はその瞬間が常に最高の一枚であり、ずっと網膜に焼き付けたいとすら思えた。
シンと喜びを分かち合えないのが、とても悔やまれる程に。
「これも、魔導具ですか? それとも、結界?」
きょろきょろとピースが周囲を見回す。
龍族が住むだけあって、海底都市は人間にとってかなり広い。一日では回り切れそうにない。
それら全体に地上と同じような環境を発生させる。マレットの魔導具でもこの規模で環境を維持し続けるのは難しいだろう。
結界も同様だった。ピースは結界魔術に明るくないが、この規模の結界を張り続けて、魔力が尽きないのかと単純に心配となった。
しかし、マリンの返答はそのどちらとも違うものだった。
彼女は「わたしも、詳しい説明は出来ないんですけど」と前置きをした上で説明をしてくれた。
「この街の建物は全て『海晶体』という結晶で出来ているんです。
生きている結晶とも呼ばれて、遥か昔、海底に住む一族が海底で暮らすために必要だった灯りや空気を生み出して貰っているんです。
母なる海の力を借りて、彼らはこの地で暮らしていました。それを蒼龍王様が、再びその恩恵に肖っているのです。
……どうして、そこまでして海に住むことを選んだのかは判らないんですけどね」
マリンは困ったように、苦笑をした。
ともあれ、一度は朽ちて半ば遺跡と化していたこの地を蒼龍王が蘇らせた事となる。
かつて彼と暮らしていた人間の妻もずっとこの地で暮らしていたから心配は無用だと、お墨付きも得た。
「海晶体、か……」
魔力を伴った訳ではない。この海の理によって生まれた結晶。
魔石だけでも十分に驚いたのに、自分が知らないものはまだまだ存在するんだなと、ピースは感心する。
そっと壁に触れても、温もりは感じない。ただの透明な石にしか見えないが、自分達を生かしてくれているのだと思うと頭のひとつでも下げたくなる。
透明な結晶だけあって、外の景色も良く見える。勿論、光が届く範囲までという条件付きではあるが。
その光に寄ってくる魚の群れが広がり、編隊による美しい軌跡が描かれる。
魚の身体にこびり付いた気泡が次々と浮き上がっていって、ピースはつい見惚れてしまっていた。
(ああ、そうか……)
初めて見るはずの光景なのに、不思議と既視感がある。
生前の記憶で見た、水族館の光景だ。通路に沿って広がる海の世界。
ピースは決して海に詳しい訳では無い。けれど、水族館の水槽に書かれている説明を読むのは嫌いでは無かった。
広くて、神秘的な光景を見ると癒されるのだ。案外、先人達がわざわざ海底に住む事を選んだのもそんな理由なのかもしれない。
「すごいね! キレーだね!」
「ええ、素敵です」
ピースの視線に導かれるようにして、フェリーもまた泳いでいる魚の群れに眼を輝かせていた。
彼女にとって初めての、魚を見上げるという行為。自然と気分が高揚していく。
アメリアもまた、同様に胸を躍らせる。自分の知らない世界に、美しい所は沢山ある。その証拠を見せてもらった。
静寂な海底の世界でもこれだけの命が懸命に生きている。そう思うだけで、力が湧いてくる。
「喜んでもらえているようで、何よりです。
それでは、そろそろ――」
にこやかにマリンが微笑み、蒼龍王の待つ謁見の間へ案内をしようとした時だった。
「あ゛っ……」
三人の絶句にも近い呟きが、静寂な空間に響き渡る。
隊列を組んでいた小魚の群れが、大きな鮫に呑み込まれてしまった。
運よく口に入りきらなかった小魚達は、一目散にその場を去っていく。
マリンにとっては見慣れた光景だが、初めて訪れる人間にはやるせないものだった。
さっきまで自分達に感動を与えてくれた魚達が、呆気なく飲み込まれてしまったのだから。
「……これも、自然の摂理ですからね」
気まずそうに、マリンが頬をポリポリと掻いていた。
……*
気を取り直して、フェリー達は蒼龍王の待つ謁見の間へと足を運んだ。
外壁同様の海晶体で囲まれた、透明な部屋の真ん中に彼は居た。
「よく来たな、客人よ! 我こそが蒼龍族が王、カナロアだ」
蒼龍王、カナロア。
茶褐色と黒の入り混じった髪と、鎧のような筋肉を纏った屈強な男は、確かにそう名乗った。
角も尻尾も無い。辛うじて牙は見えるが、それでもやはり人間の範疇を超える事は無い。
「妻の、セルンと申します」
隣に座る女性も、同様だった。混じりけの無い、真っ白で美しい髪がふわりと肩に乗る。
気品の中にどことなく愛嬌を感じさせる。美しい女性は蒼龍王の妻と名乗った。
二人は満面の笑みを浮かべている。この場に連れて来たマリンも、笑みを浮かべている。
嘘をついているようには思えない。けれど、どうしても目の前の人間が龍族には見えない。
亜人擬態を使っているにしても、完璧すぎるのだ。身代わりではないかと、考えてしまう程に。
カナロアも、この場に流れる微妙な空気を感知したようだった。
もっと歓声に沸くと思ったのだが、反応がいまいちで期待したものとは違う。
「なあ、セルンよ。来客に合わせて人間の体裁を整えてみたものの。反応がいまいちではないか?」
「だから言ったじゃないですか。もう少し、龍族感は出すべきだって」
「ううむ。親しみやすさを優先したのが仇となったか……」
腕を組んで唸っているカナロアに、アメリアは何も言う事が出来ない。正しくは、何を言えばいいのか判らない。
本題に入ってもいいものだろうかと逡巡している間に、カナロアとセルンの身体に変化が起きる。
瞬く間に頭には左右一本ずつ角が生え、鱗を纏ったしなやかな尻尾が姿を現す。
「これでどうだ?」
「あ、はい。その……、驚いています」
呆気に取られながらも、アメリアは素直に乾燥を述べる。
もう少し高いテンションを期待していたカナロアは残念そうにするが、蒼龍王本人である事は伝わっただろうと満足をした。
……*
「なんだ、紅龍の跡継ぎは擬態が下手なのか! だから、我の擬態で反応が薄かったんだな!」
「そうなんです! フィアンマさんは、ツノもシッポも翼もありましたよ!」
「フィアンマちゃんも、もうそんなに大きくなったのねぇ」
それから瞬く間に、カナロアは打ち解けた。主にフェリーと。
カナロアも紅龍王と成る前のフィアンマを思い出しては、時間の流れをしみじみと語っている。
「フェリーさん、すっげえ……」
その様子を眺めていたピースが、ぽつりと呟く。
人間の姿に擬態しているとはいえ、彼は王であり龍族という存在に若干気圧されていた。
隣に居るアメリアをちらりと見ると、彼女も緊張気味だ。それを見て、少し安心もした。
聴けば妖精族の女王であるリタや魔獣族の王であるレイバーンともすぐに打ち解けたという。
あの二人は接しやすいとはいえ、王である事には違いない。臣下であるストルやルナールが大切にしている事からも、それが窺える。
この社交性も武器なのかなと思うと、羨ましくも思った。
「ところでだ、来訪者は四人と聞いていたのだが。あとの一人はどうした?」
何度数えても三人しかいない来訪者に、カナロアは首を傾げる。
よもや自分の魔導具が不具合を起こしたとは考え辛い。
「ええと、シンは……。魔力がないから、ここに来られなくって」
「あなた、そういう時は察してあげなくてはいけないわ」
「そ、そうか。そういう人間もいるのだな……」
フェリー自身、本当はこの場所にシンも居て欲しかった。
神秘的な世界を、一緒に見たかった。魔導具が起動しないのであれば、いつか二人で訪れるなんて真似も出来ない。
それだけが、ひたすらに残念だった。
しょんぼりとするフェリーを見て、セルンが夫を嗜める。
悪い事を訊いてしまったと、カナロアは後頭部を掻いた。話題を変えようと、咳払いをする。
「では、そのシンたる者が居なくても訪れたということはだな。
その男が居なくても、我に用は伝えられるのだな?」
談笑を終え、蒼龍王の目つきが真剣なものに変わる。
ある程度緊張が解れたという事で、本題を求めている。フェリーもその空気を感じ取ったのか、きゅっと口を真一文字に絞った。
一瞬にして空気が変わった事により、アメリアは息を呑んだ。
緊張感から、背中に汗が滲む。これから伝える事は、決して良い話ではない。
決心を固める為に大きく息を吐いたアメリアは、真っ直ぐに蒼龍王の眼を見上げた。
……*
アメリアが語る内容を遮る事無く、カナロアはただひたすらに耳を傾けていた。
それは傍にいたセルンやマリンも同様で、しばらくの間アメリアの声だけが謁見の間に響き渡る。
見極められているのだと悟ったアメリアは、ミスリアに何が起きているのかを包み隠さずに話した。
第一王子であるアルマと、彼の臣下がクーデターを引き起こした事。
それにより、王であるネストルと第一王女であるフリガが命を落とした事。
邪神と呼ばれる悪意の塊。新たな神の誕生を目論んでいたアルマが、不完全ながら顕現を果たしたという事。
そして、その戦いに於いて蒼龍の一族から預かっている神器。蒼龍王の神剣を破損してしまったという事。
最後に、蒼龍王の神剣は小人族によって修復されたが、神器としての機能を失っている。
故に、蒼龍の一族が祀る神へ祈りを捧げる儀式を行い、蒼龍王の神剣を神器として復活させたいのだと伝えた。
蒼龍王の神剣が折れた経緯については、どう話すべきか戸惑った。
視線をフェリーへ流すと、彼女は頷いていた。フェリーもまた、破損した事の責任はきちんと負いたいと考えていた。
だからこそ、フェリーはアメリアに補足する形で破壊に至った経緯を語る。自分が不老不死の魔女であり、暴走をした結果なのだという事を。
邪神や不老不死の下りでは、流石のカナロアも眉が動いた。
けれども、話の腰を折るような真似はせずに最後まで聞き届ける。
その上で、彼は口を開いた。
「そうか、ミスリアでそのようなことがあったのか……」
彼がまず行ったのは、ネストルへの黙祷だった。
何十年も逢っていない事を、今更ながら悔やむ。その時自分が居ればと考えるのは、後の祭りだ。
邪神や不老不死の魔女である事については、半信半疑ではあるようだった。
ただ、打ち直された蒼龍王の神剣を見せるとそれも現実なのだと彼は受け入れる。
疑っていては、これから先の話は何も意味を持たないと理解しているからでもあった。
「アメリアよ。蒼龍王の神剣を戻したいと言ったな」
「……はい。私には、蒼龍王の神剣が必要です」
強い眼差しで見つめ返すアメリアだったが、カナロアは困っていた。
蒼龍王の神剣は確かに、神器としての機能を失っている。見ただけでも、それは判る。
けれども、神の依代として死んだ訳ではない。修復したギルレッグという小人族の話からも、間違いない。
同じく神器を扱っている妖精族の女王も、そう語っているらしいのだから尚更だ。
ただ、形を変えたという事だけが解せなかった。
神の依代として存在する神器が、その身を思うがままに変えようとするだろうか。
疑問に納得できる回答を求めた時、カナロアはある仮設にたどり着く。
蒼龍王の神剣は、アメリアの為に生まれ変わろうとしているのではないだろうか。
ただそれが、祈りを捧げられていない神へは通じていない。きちんと、神器として成していないの理由はそこにあるのではないかと。
じっと、アメリアの顔を見つめる。緊張から強張ってはいるものの、力強く澄んだ眼をしている。カナロアのとても好きな眼だった。
様々な種族を受け入れて来た蒼龍王だが、好意を抱く人間は皆同じ瞳をしている。
妃として迎え入れた女性も、そして同盟を結ぶに値すると感じたミスリアの王も。
根拠としては弱いかもしれないが、カナロアにとっては十分だった。アメリア・フォスターは、信用にたる人物だと結論付ける。
「我は神器の使い手となったことはない。具体的に、どう祈りを捧げればいいかは判らぬ。
マリン、明日にでも水の精霊をその身に宿してあげてくれないか? アメリアと、対話をさせてやってくれ」
「仰せのままに」
カナロアの命を受け、マリンが頭を下げる。
それは同時に、蒼龍王に彼女の要求が受け入れられた事を意味する。
「それでは……!」
「まだ全てを判断しきれたわけではないが、少なくとも蒼龍王の神剣については君が持っておくべきだろう。
きちんと、神へ祈りと報告をしてやってくれ」
「ありがとうございます……!」
アメリアは深々と頭を下げる。蒼龍王の神剣との再会が間近となり、感無量の涙が溢れそうになった。
やはり、ずっと共にしてきたこの神剣は特別なのだと、改めて実感をする。
「時にアメリア。とても良い眼をしているな。我の妃にならないか?」
「え? ……え?」
不意にカナロアから求婚され、アメリアは困惑をする。
一体何がどうなって、求愛されているのか理解が追い付かない。
「カナロアさん、ダメだよ! アメリアさん、好きなひといるから!」
「フェリーさん!?」
顔を赤らめて頷くアメリアを見ると、どうやらその場しのぎの嘘ではないらしい。
ただ、暴露されて恥ずかしそうな様子も見せている。
「ふむ、残念だな。では、フェリーはどうだ? お主の眼も、中々美しいぞ。我は気に入った」
「あたしもダメ! 好きなひと、いるから!」
腕を大きく交差させて、フェリーがバツ印を描く。
残念そうにするカナロアを見て、セルンが「もう、あなたったら」と苦笑していた。
目の前で夫が他人に求婚しているのに、この余裕。蒼龍王は、夫婦そろって懐が広い。
「ふむ。フラれてしまったか。子供だと思っていたが……。
ピースとやら、お主も中々隅に置けないのだな」
カナロアが肩を竦めながら、感心したように首を上下に動かす。この場に居る男は、自分を除いてはピースのみ。
シンなる人物は置いてけぼりという事から、彼が件の人物なのだと当たりをつけた。
「あの、おれじゃ……。ないです……」
居心地が悪そうに、ピースが否定をした。