179.カタラクト島へ向けて
魔導石によって得た推進力で、海面を切り裂くように進んでいく一隻の船。
小人族とマレットの手によって造られた船はカタラクト島へと向かっている。
一軒順調ではあるものの、その甲板で潮風を浴びながらアメリア・フォスターは頭を悩ませていた。
元々航海術を嗜んでいたアメリア以外では、ピースが魔導石を搭載した船を操舵した経験があるという事で今は任せてある。
シンも話を航海中に大まかな扱い方は学んだようだったが、フェリーに関してはシンとピースが舵を取るに反対した為、見送りとなっている。
マナ・ライドの操縦が関係しているようだったが、仔細を知らない為にアメリアが憤るフェリーを宥めていた。
無論、悩んでいるのは船の操舵でもフェリーのご機嫌取りでもない。
隣で自分と同じように潮風を浴びている、シンとフェリー。
彼らに関する事ではあるが、決して原因が彼らという訳では無かった。
(ああ、もう。どうしてオリヴィアも、フローラ様も妙なことを……)
妖精族の里を発つ前に呼び出された話の内容を、反芻しては振り払う。
決して遊びに行く訳ではないというのに。浮ついた気持ちで向かっていい場所ではないのに。
頭の中では理解していても、感情はそうも行かない。
多少、行き過ぎたとしても彼女達は代弁しているだけなのだ。自分の心の内を。
……*
夕食を終えた後、アメリアはフローラによって孤児院の中庭へ呼び出された。
既に星明りが里を照らしているのみとなった薄暗い芝生の上で、アメリアとフローラ。そして、付いてきたオリヴィアの三人だけが立ち尽くす。
「いい? アメリア、これは好機よ。聞くところによれば、カタラクト島は海の美しい島なのよ?」
「ええ、そのようですね。……して、好機とはどういう意味でしょうか?」
訊き返す形で応対したアメリアだが、フローラの言いたい事はある程度なら伝わっている。
唯一判らないのが『海の美しい島』である必要性ぐらいだった。
「いやいや。本当はお姉さまも判っているのに、とぼけちゃって」
「いえ、シンさんを同行者に指名した意図は勿論判っていますが……」
「そこも重要だけど! いい? 青い海に波のせせらぎ。自分達を知る者は居ない。
つまり、遠慮する必要がないのよ!?」
「お姉さま、この最大級の好機! ここでバシッと勢力図を変えちゃいましょう!」
「あの、蒼龍王の神剣を直す話をしているのですよね?」
妙だと思ったアメリアが、待ったをかける。
勢力図とはいったい何なのか。口振りから察するに、蒼龍の一族を味方に引き込む策略を考えているようには思えない。
「私の中で、それはもう直る前提だわ。アルマたちの動きも気になるのは事実だけれど、何もなかった時のことも考えなくてはいけないのよ」
「すぐ終わるのであれば、すぐに帰りますが……」
神器を直すためといえどアメリアの立場上、いつまでもフローラを放ってはおけない。そう答えた彼女に、フローラはため息で答える。
彼女の生真面目な性格は美徳ではあるが、今のフローラとオリヴィアにとっては余計なものでしかない。
アメリアの両肩、左右それぞれにフローラとオリヴィアの手が乗せられる。
「いいこと? 向こうで何が起きたかは、戻って報告を受けるまで私たちが知る方法はありません」
「荒海で船が出せなかったと言われても、納得するしかないんですよ。お姉さま」
「ええと……?」
きょろきょろと二人の顔を交互に見るが、本気で呆れているのが伝わってくる。
自分の返答に何かおかしな所があっただろうか。思い返しても、心当たりがない。
「ここのところ働き詰めだったのだから、ちょっとは浜辺で休暇を楽しんでも罰は当たらないわ」
グッと親指を立てるフローラ。勿論、オリヴィアも追従をする。
これ以上ない、いい笑顔を見せてはくれるが、アメリアの立場からするとそうはいかなかった。
「そんな余裕はありませんよ! 邪神が顕現して、アルマ様たちもどうなっているか分からないのに……!」
「だから、よ」
打って変わって、フローラは言葉に重みを乗せる。
真剣な眼差しを見せる彼女に、アメリアは息を呑んだ。
「いつ、また世界が動き始めるか分からない。だから、後悔しないように生きなさいと言っているの。
シンさんのこと、好きなんでしょう? だったら、一緒に休暇を過ごしたいって我儘ぐらい言って欲しいのよ」
「フローラ様……」
自分を慮っての発言だと知って、アメリアは頭ごなしに拒否していた事を恥じる。
フローラの言う通り、邪神がこれから何をしようとしているのかは判らない。
ミスリアの王位が欲しいだけなのか、それともまだ先の欲望が存在するのか。
いずれにせよ、戦いは必ず激化する。いつになるかは、誰にも判らない。
だからこそ、フローラは目いっぱい楽しめと言ってくれているのだと理解をした。
最大限の好意的解釈を行うアメリアだったが、フローラはそこまで深い意味を求めてはいない。
「好機なのだから、行動のひとつぐらい起こしなさい」と言いたいだけだった。
その証拠に、フローラと共に仲を取り持つ画策を企んでいるオリヴィアが補足する。
「それに、浜辺で休暇を過ごすのであればやっぱり水着ですもんね」
「みずっ……」
満面の笑みを見せるオリヴィアとは対照的に、アメリアは固まってしまう。
折角、厚意に甘えようと考えていた瞬間にこの仕打ちだ。恋慕を持っている相手とはいえ、水着姿を見られるのは恥ずかしい。
「大丈夫よ、アメリア。確かにフェリーさんも水着になれば破壊力は増すと思うわ。
けれど、トータルバランスなら貴女も負けていないわ。貴女の均整の取れた身体は、とても魅力的だもの」
「そうですよ、自信持ってください!」
「あの、そうではなくてですね……! というより、身体と言われるのは恥ずかしいのですが……」
その後、フローラとオリヴィアはどんな水着で攻めるべきかという議論に湧き上がる。
アメリアがいくら止めようとも、盛り上がった二人を制御するには至らない。
しまいに「出来ません!」とアメリアが拒否をするものの、「ピースくんが人魚に逢いたいんだから、叶えるついでですよ」とオリヴィアに押し切られてしまう。
……*
「はあ……」
思い返すと、やはりため息が出てしまう。
フローラとオリヴィアの二人から、最後に言われた言葉がどうしても棘として刺さったまま抜けない。
――じゃあ、このまま指を咥えて見るだけのつもり?
なんて言われてしまえば、ぐうの音も出ない。
事実、自分はフェリーに宣戦布告をしてしまっている。
シンに「好きになってもらえるように頑張る」と言ってしまっている。
彼の瞳には、まずフェリーが映し出される。ほんの少しでもいいから、自分に向く回数が増えて欲しいと思った。
その為には行動を起こさなくてはならない。献身的に支え続けるだけでは、きっとこの想いは届かない。
何なら、それすらもままならない。自分を、祖国を支えてくれているのは紛れもなく彼の方だ。
今回、フローラとオリヴィアが提案したのは色仕掛けに近いもの。
気恥ずかしさから抵抗はあるが、アメリアも自分の容姿に全く自信がない訳ではない。自分だって乙女なのだから。
きっちりと鍛錬を積んだ結果、そぎ落とされた贅肉。全身像には、これでも気を遣ってきたつもりだ。
水着を着る事によって、そのラインがはっきりと出てしまう。
けれど、もしそれで意識をしてもらえるのならば。無しではない……のかもしれない。
……あまり、シンが色に溺れるというのは想像できないが。
ここまでの話を統括すると、アメリアは混乱している。
きちんと考えた故の結論なのか。水着を、肌を見せる事に対する抵抗なのか。
否定と肯定がぐるぐると交互に回り始めて、思考の迷宮に迷い込もうとしている時だった。
「大丈夫か? ずっと考え事をしているみたいだが」
「はっ、はいっ!? いえ、大丈夫ですよ!?
そっ、そろそろピースさんと代わってきますね!」
ぼんやりと海を眺め続けていたアメリアを心配して、声を掛けるシン。
突然の出来事に慌てて視線を泳がしながら、眼を合わせないようにするアメリア。
もし、今考えている事を読まれてしまったら恥ずかしいどころではない。絶対に、シンにだけは知られたくなかった。
浮ついた気持ちを少しでも静めようと、アメリアは操舵室へと向かう。
今回カタラクト島へ向かうのは、蒼龍王に逢う為。そして、蒼龍王の神剣を元の神剣へと戻す為。
それ以外の事は後で考えればいいと、自分に言い聞かせる。
爆発しそうなぐらいに鼓動が大きくなる心臓を抑えながら、アメリアは口を真一文字に縛った。
気を抜くとすぐに解けそうなので、下唇を噛みしめながら。
「……本当に大丈夫か?」
アメリアの胸中を知る由もなく、シンは彼女の影を追った。
マレットから新たな魔導具を渡されたとはいえ、要である神剣は機能を完全には取り戻していない。
焦る気持ちも、逸る気持ちも理解しているつもりだった。
反対に顔を紅潮させているアメリアを見て、フェリーには何を考えているかすぐに判った。
あれは恋する乙女の顔だ。決して潮風によって頬が赤くなった訳ではない。
やっぱりその横顔は綺麗で、羨ましいと感じるほどだった。
フェリーは不安を覚えて、シンの袖を掴む。
彼女の心の機微が判らないとしつつも、シンは袖から手を外し、指を絡める。
彼の硬い指先から温もりが伝わり、フェリーがはにかんだ。
……*
「魔導石は、色々と応用が利いて凄いですね」
舵を強く握り締めながら、アメリアは改めて魔導石の有効性に関心していた。
行きたい方向への推進力が、容易に得られる。
所々自分が水の魔術で波の調整を、ピースが風の魔術で帆を張り直しているものの、基本的には魔導石頼りで問題ない。
船自体の揺れも少なくて、ここまで気分を悪くした者は居ない。
魔導石を搭載した船の乗船料は高いと聞くが、乗ってみれば判る。それだけの価値があるのだと。
「あの、アメリアさん?」
「はい、どうかしましたか?」
そんな彼女の様子を見て、ピースは違和感を覚える。
二度目なのだ。乗船初日にも、彼女は同じことを言っていた。
ピースは彼女の様子からどちらなのかを考える。
どことなく自信がなさそうではあるが、後悔している様子ではない。
視線が泳いでいる事から、迷っているのだと判断する。
つまり、何も起きなかった方なのだと。
「シンさんに、アプローチしなかったんですか?」
軽いノリで訊いてみたのだが、図星だったらしい。
思い切り舵を切りそうになるところを、ピースが慌てて止めた。
「……ど、どどど、どうしてそんなことを!?」
「いや、アメリアさんの考えてそうなことって……。
今は、シンさんか蒼龍王の神剣ぐらいかなって」
アメリアは茹で上がりそうなぐらいに顔が赤くなる。そんなに自分は判りやすいのだろうか。
シンにも知られているのだろうか。もしかすると告白をする前から、振られているのだろうか。
一旦避けて置いたはずの感情が、予想外の所からブーメランのように戻ってくる。
どう足掻いても、自分はこの問題を後回しにしてはいけないのだとフローラとオリヴィアの強い意思が働いているようだった。
「あの、ピースさん。つかぬことをお伺いしますが……。
シンさんにも、もしかして気付かれていたりは……」
「いやあ、それはないと思いますよ」
その言葉を聞いて、アメリアは胸を撫で下ろす。
ピースの方も、流石に空気を読んで続きの言葉を言う事は無かった。
とても言えるものではない。「フェリーさんしか、見えてないんで」とは。
「こんな浮ついた気持ちでは、蒼龍王の神剣にも失礼だとは思うのですが……」
アメリアは、律しきれない自らの心に錠を掛けたいぐらいだった。
こんな事が原因で神剣に見放された暁には、フォスター家始まって以来の恥だとさえ思う。
(ふーむ……)
ピースは彼女の様子を見て、腕を組みながら考え込む。
生来の真面目さも相まって、アメリアは「それはそれ、これはこれ」という考え方が出来ないようにも思えた。
シンが好きな事も、蒼龍王の神剣を直さないといけない事も、蒼龍王に謁見する事も。
彼女にとって全部重要であるなら、全て同時にやり切ってしまえばいいのにと思う。
剣と魔術は同時に行えても、こっちの方は上手く行かないらしい。
それならばと、ピースはとある話をする事にした。
小人族の里で、船を受け取った時の話になる。
「アメリアさん。小人族の里で、シンさんが修理した魔導砲を受け取っていたでしょう」
「え、ええ」
アメリアがギルレッグに、『羽・銃撃型』の改造をお願いしていた時の話だった。
改修された魔導砲を受け取ったシン。その説明をマレットがしていたようだが、中身までは聴こえていない。
「あれ、耐久力を上げる為にアメリアさんがくれた剣を使っているんですよ」
「そうなのですか……?」
目をぱちくりとさせるアメリアに、ピースは頷いて肯定をする。
彼が話した内容は、こうだった。
三日月島で折れてしまったミスリルの剣。神器相手とはいえ、シンは私闘で折ってしまった事に負い目を感じていた。
かといって、中途半端な修復ではきっと魔術付与は消えてしまう。ただの剣になってしまっては、忍びない。
小人族と同盟を組むにあたって、マレットとギルレッグに頼んでみた所、魔術付与を殺さずに銃身へと形を変えてくれる運びとなった。
尤も、結果として銃身から発生する魔術付与はこれまでと違うものかもしれない。
そう忠告を受けたが、シンは迷わずに依頼をした。マレットとしても、ミスリル製の銃身であれば高威力の魔導砲に耐える事が出来る。
互いの利益が一致した結果ではあるが、魔導砲の中にアメリアが贈ったミスリルの剣は生きているのだ。
「そんな事が……」
「シンさんはアメリアさんが贈った剣を大切にしていますよ。
それを喜ぶのは、浮ついた気持ちではないでしょう?」
自分が悩んでいる内容とは若干相違があるが、彼が元気づけてくれようとしている事は伝わった。
要するに彼への恋心と、神器の再生や蒼龍の一族に相対するという責任感は同居してもいいのだと言ってくれているのだろう。
「ピースさん、ありがとうございます」
「いえいえ」
彼の優しさで、アメリアは少しだけ前を向く事が出来た。
どうせすぐに浮上する悩みであるのなら、抱え込んだままで居よう。
実際に行動を起こすにしても、カタラクト島へ到着するまでは動けないのだから。
カタラクト島へ辿り着いたのは、アメリアが折り合いをつけてから三日後の事となる。
直ぐに天気が崩れ、吹雪さえも起きるドナ山脈とは対照的に、周囲には雲ひとつない青空が広がっていた。