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その魔女に祝福を  作者: 晴海翼
第一部:第二章 世界が変わった日
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幕間.商人と領主

 魔術大国ミスリア北部、ウェルカ領の中心都市ウェルカ。

 そこで領主を務めるダール・コスタに呼び出された男は、恐怖でその身を震わせていた。

 

 男の名はエコス。

 ウェルカ領北部の街、ソラネルを拠点に行商を営む商人である。

 尤も、今はその行商人としての立場も危うくなっている。


 薄利多売をモットーに兎に角物資を売り捌いていたエコスは、幾度となく相場の破壊を行っていた。

 客には主に一期一会で後腐れがない事もあって、その価格設定を有り難がられていた。

 しかし、顔を合わせる機会の多い同業者からするとそれは全く面白くない。


 何せ、自分達が長年掛けて作り出した相場(せかい)が簡単に崩されていくのだから。

 それだけならまだ良かった。価格競争の範囲で収まるのだから。


 エコスは粗悪品も平然と客へ売り付けていたのだ。

 商人達にも矜持がある。自分が目利きして選んだ品物や、新作の安定供給に至るまでの労力。

 それがあるからこそ、基準となる価格が設定されている。


 質と量、そしてそこに至るまでの数々の苦労。

 それと人々の暮らしを天秤にかけた上で、商人達は全員が納得する答えを導き出していくのだ。


 そんな背景などお構いなしに、自分の私腹を肥やす事にエコスは全力を尽くした。

 確立した相場(せかい)の上澄みだけを、容赦無く利用する。

 言葉巧みに次々と薬草やポーションを安値で売り捌き、その肥えた身体を更に膨らませていく。

 

 仮に粗悪品が原因で旅人が死のうと、知った事ではない。

 自分の商品が原因だと立証する事は出来ないのだから。


 風向きが変わったのはつい最近の事である。

 ある日を境にエコスから道具を買い取りたいという人間は激減した。


 とある一人の女性が言った。「この薬草から精製されたポーションは、もう少し濁った色をしますよ」と。

 事実、エコスの売り出すポーションは水で薄められていた。

 女は薬に関しての知見が広く、エコスの販売する粗悪品の粗を次々と見つけていた。


 エコスは鼻息を荒くしながら「営業妨害だ!」と訴える。

 だが、周囲に彼の味方をしてくれる人間は居なかった。

 

 相場破壊だけでなく裏で賞金首(荒くれ者)を雇っていたエコスは、同業者への営業妨害を幾度となく行っていた。

 粗悪品を売りつけ、更に自分達の妨害をしている彼を助ける者など存在しなかった。

 他の商人からすれば「どの口が言っているのか」とさえ思う。


 それどころかエコスが原因で「ウェルカ領の道具は質が悪い」とまでレッテルを貼られていたのだ。

 恨みこそあれ、味方する道理も存在しない。


 ならば件の原因であるこの女を黙らせようと、エコスが逆恨みをした――のだが。

 女は人通りの多い道をスイスイと歩いて行き、更に路地裏をルートに織り交ぜる事で巧みに姿を消した。

 フードを被っていて、顔すらはっきりと判らないままだった。


 この件以降、エコスは実質的に商人として死んだ事となる。

 元々命が懸っているのだから、安い道具に頼ろうという考えが誤りだったのだ。

 かくして、一連の相場破壊騒動に終止符が打たれる。


 恰幅のいい商人に残ったのは、大量の粗悪品だけだった。

 元々は金で荒くれ者を雇っていたのだが、今後の彼に同じような報酬を期待する事は出来ない。

 ならばと、荒くれ者達は暴力で彼の持つ金品を根こそぎ奪って行ったのだった。


 碌に身体を鍛えず、腹ばかり出ている商人が暴力に屈するのにそう時間は掛からなかった。

 粗悪品のポーションや道具を抱えて途方に暮れるエコスに手を差し伸べたのが領主のダールだった。


 ……*

 

「あ、あの……」


 エコスは恐る恐る手を挙げた。

 自分は投獄、下手をすると処刑されるかも知れないと怯えての事だった。


「私はこれから処刑されるのでしょうか……」

 

 賞金首にもなっている荒くれ者とも繋がりがあったのだから、どうなってもおかしくはない。

 せめてもの復讐に賞金首共の情報を洗いざらい吐きたい所だが、奴等も既に行方を眩ませている。

 金の無いエコスに潜伏先を見つけ出す事は出来なかった。


「そう畏まらなくて良い」

 

 怯えるエコスをダールは一笑した。


「私は貴様を評価しておるのだよ」

「は……?」


 エコスには意味が分からなかった。


「貴様のした事は……自他共に痛みを伴うものであったであろう。

 事実、貴様が隆盛していた頃は他の商人は困っていたであろうな。

 だが、裏を返せばそれは()()()()()()()()()()()からこそ起きた事でもある」

「それは一体……?」


 自分はただ他の商人等どうでも良く、稼ぎたいだけだったのだが。

 領主の目には違う何かが見えているようだった。


「奴等が作り出した相場という名の秩序は、それは大層考え抜いた上で生み出された。それは違いない。

 しかし、それを胡座をかいて進化へと歩みを止めた事を意味するのだ」


 ダールはまるで演説をするかのように、エコスへ語り掛ける。


「貴様が一石を投じた事で、商人も考えるだろう。

 相場はこのままでいいのか? もっと品質を上げる事は出来ないか? と。

 それは進化への足掛かりとなり、このウェルカ領ひいてはミスリアの為にもなる!

 貴様はこの世界をほんの僅かではあるが、前へ進めたのだ!」


 そう言われると、エコスは悪い気がしなかった。

 銭勘定をしては悦に浸っていた自分がまさかこんな形で評価されるとは、夢にも思って居なかった。


「今回、貴様は失敗した。それは覆らないだろう。

 信用も金も失い、再起する事は困難であろう」


 事実、その通りだった。

 仮にエコスが心を入れ替えたとしても、それを証明出来るのは自分だけなのだ。

 信用がない自分を受け入れる聖人などそうは居ない。

 

 そして、清い商売をするには兎にも角にも金が要る。

 質に拘るのだから当然とも言えるが、品質を維持するだけの金がない。


「しかし!」


 エコスの胸中を読み取ったかの如く、ダールが声を上げる。


「貴様がその性根を入れ替え、もう一度商いをしたいと言うのであれば、私が後ろ盾になっても良い」

「それは真ですか!?」


 それはエコスにとって願ってもない提案だった。

 領主が自分の再起を後押ししてくれるのであれば、恐れるものはない。


「ただし――」


 浮かれるエコスを制するように、ダールは続けた。


「私に協力すれば……だがな」

「協力……ですか?」


 そうか、そんな美味しい話はない。

 ここからが本題なのだろうとエコスは理解した。


「ピアリーに私の息子が居たのだが、どうやら身柄を騎士団に拘束されたようでな」

「えっ……?」


 雲行きが怪しくなるのを肌で感じた。

 背中から溢れた汗が服を湿らせていく。


「息子も貴様と同じように、我が国を進化させる為に、()()()()をしていたのだが……。

 どうやら頭の堅い騎士団長には理解されなかったようなのだ。

 それも、その背後にはマギアの人間が絡んでいるようでない」

「マギアですか!?」


 商いをしていれば、否が応でもその名を耳にする機会が多い。

 マギアに行った事のある旅人など口を開く度に「マギアの道具なら――」と言うものだから、鬱陶しくて仕方がない。


「もしかすると、マギアの人間が我が国(ミスリア)を取り込もうと何かを吹き込んだ可能性もある。

 ピアリーへ赴いたのはフォスター卿だ。彼女はまだ若い、マギアの人間に唆されたのかも知れん。

 私としては突然現れたマギアの人間より、代々王家に仕えた私達を評価するべきだと考えておる。

 その上で、息子の汚名を晴らしたいのだよ」


 その怒りの篭もった声は、マギアの人間だけでなくアメリアにも向けられているように感じた。

 エコス自身も若い女には辛酸を舐めさせられている。

 だからこそ、ダールは自分に手を差し伸べてくれるのだろうか。


 もしかするとそれはただの口実で、自分の息子を解放したいだけなのかもしれない。

 しかし、それの何が悪いのだろうか?

 マギアの人間が珍しい玩具で取り入った結果、我が子が拘束されたのであれば気が気でないだろう。


「コスタ公、その心中お察し致します。

 私に出来る事でしたら――」


 待っていたと言わんばかりに、ダールの顔に笑みが浮かぶ。

 口角を大きく上げ、白い歯が光に当てられ輝く。


「そうか! そう言って貰えると助かる!

 なに、難しい話ではない!」


 ダールは侍女にワインと軽食、そして地図を持って来させるとそれを広げた。

 ウェルカ領地が拡大された地図を、ダールはピアリーから道沿いに指をなぞらせる。


「マギアの人間はタートスを通過しているらしい。

 そのまま進むと、近々ソラネルに到着するだろう」

「マギアの人間を狙うのですか?

 御言葉ですが、御子息の御身を確保しているのは騎士団では……」

「力づくで取り返しても、一度クロと言われたものがシロになるとは限らないだろう。

 まずは誑かしている本人達を締め上げた方が早い」

「なるほど……」


 確かに、騎士団と真っ向から対立するのは得策とは言えない。

 仮に息子を取り返したとしても、その後の保証が無いと無駄に終わる。


「そこで、貴様にはソラネルで奴らに接触して欲しいのだ」

「私がですか……!?」


 自慢ではないが、腕っ節に自信があった事は一度もない。

 返り討ちに遭うのが関の山なので、エコスは御免被りたかった。


「案ずるな、護衛はつける。貴様は行商人として、奴らに護衛の依頼をすれば良いのだ。

 ウェルカへと道中で、その護衛がマギアの者を始末する算段だ。

 貴様はそれを悟られる事なく、奴等に依頼をかけてやれば良い」

「なるほど……」


 それなら自分にも出来そうだ。

 そして、成功の暁には自分の商人としての再起が約束されている。

 悪くない話だと思った。


「コスタ公。その話、謹んでお受けいたします。

 御子息の身柄、必ずや取り返しましょう」

「おお! そうか、流石は私が見込んだ男だ!」


 二人はワイングラスを掲げ、それを飲み干した。

 エコスに取って久しぶりの酒は、少し鉄の味がしたような気がした。

 気にならない程度の風味だったので、きっと緊張しているせいだろう。


 その時のダールがとても邪悪な笑みをしていた事に、エコスが気付く事は無かった。


 ……*


 数日後、彼は背中を引き裂かれ命を落とす事となる。

 他人の矜持を蔑ろにした男は、他人によってその命を蔑ろに扱われてしまうのだった。

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