1.その魔女にはお金がない
――翌日。
側車にフェリーを乗せ、三輪となった魔導式自動二輪車を走らせること数時間。
「ねえ、シン。まだ着かないの?」
しびれを切らせたフェリーの愚痴が聞こえてくる。
背もたれに頭を預けたり、腕を伸ばしたりと退屈に耐えられなくなってきたようだ。
「見ればわかるだろう」
「むぅ……」
走れど走れど続く木々の群れ。自然を感じられるこの景色がシンは好きだが、彼女の気分はそうでもないらしい。
文句ばかり言うのであればいっそ徒歩に切り替えようと思うのだが、それはそれで後が面倒と分かり切っているので実行には移さない。
「あっ、あそこ!」
勢いよく腕を伸ばし、指をピンと差す。
木々の隙間からフェリーが何かを見つけたらしい。
「シン! いったんストップ!」
言われるがままにマナ・ライドを停め、目を凝らすと村のようなものが見える。
小さそうな村で見逃してもおかしくない……と思ったのだが、丘の上にあるやたら自己主張の強い館が目に入った。
城壁かと見間違うぐらいに積み上げられた石材から、派手な色が顔を出している。
自然に溶け込むほど簡素な村に、あんなものがある時点でロクなものではないと予感がした。
「あそこの村に行ってみようよ!」
胸を躍らせているフェリーに対して「マジかよ」としかめっ面を見せるが、効果はなさそうだった。
無一文なのだから、早く稼がないといけないという焦りがそうさせるのだろうか。
それとも、退屈に抗う為の刺激が欲しいのだろうか。
「本気か?」
「なによ? ……ダメなの?」
シンは口元に手を当て、考える。
二人とも決して周辺の地理に明るいわけではないし、早い段階でどこかに目的地を設定しないとフェリーが延々と愚痴を溢すだろう。
その方が厄介だし、行けばとりあえずは満足するだろう。
「……わかった。行ってみよう」
「そうこなくっちゃ!」
マナ・ライドの進路を切り替え、狭い雑木林の間をするすると抜けていくと白く輝く日光が二人を出迎える。
周囲に魔物の気配もなく、村への進路を隔てるものは何もない。
それにしても――。
遠目に見えるのは木製の柵に囲まれた村への入り口。その奥には同じ木で造ったと思われる建物が並んでいる。
全体的に調和のとれた、統一性のある外観のように見える。
だからこそ、その印象を壊してしまっているあの館が余計に気になってしまう。
面倒ごとに巻き込まれなければいいのだが。と、シンは気を揉む。
「いけいけー!」
訝しむシンに気付く様子もなく、フェリーのテンションはどんどん上昇している。
「着いたらまずはお昼ごはんだね!!」
いい笑顔で親指を立てるフェリーだが、彼女は現在無一文だ。
どうして浪費する方向へ話が簡単に進むのか、シンは理解に苦しんだ。
「フェリー。自分が金持ってない事を忘れてないよな?」
「まとめて返すから、貸して! おねがい!」
「本当に返ってくるんだろうな……」
稼ぐアテが見つかったわけでもないのにあまりにも楽観的すぎる。
とはいえ、一人で食べている姿を凝視されても困る。
シンは深いため息を吐いた。
……*
村の名はピアリー。
魔術大国ミスリアの辺境に猫の額ほどの広さで存在するこの村は、林業と農業を主な収入源としている。
この村近辺に生えているオクの樹は頑丈な上、魔物が嫌がる臭いを発するので建築用の木材として好まれるし、香り高い小麦から作られるパンは絶品で人気が高い。
「よいしょ……っと」
この村にて父と食堂兼酒場を営む少年カイルは突き刺してくる日光を手で遮る。
扉の掛札を『準備中』から『営業中』にひっくり返し、ランチタイムへの移行が完了した事を告げる。
今日もまた、労働に汗を流す一日が始まる。
そう思っていたのだが――。
「ん……?」
砂塵を巻き上げながら、猛スピードで近づいてくる物体がひとつ。
猪の魔物だろうか? と目を細める。
そうだとすれば、みんなにも教えてあげないといけない。
だけど、それなら櫓番が先に動いてもいいはずだ。そもそも、オクの樹が発する臭いでこの辺に魔物はほとんど近付いてくる事はないはずだけど。
などと考えているうちに、正体不明の影がどんどん近づいてくる。逆光でよく見えないが、シルエットはワイルドボアより横に広いような――。
日差しを手で遮り姿を確認すると、車輪のついた金属の塊が横並びで走っている。
その上には人が乗っているようにも見える。
こんな田舎では本物は見た事がないけれど、聞いたことがある。馬より速い、金属の塊の話を。
あれはもしかして――。
カイルが結論を出すより早く、その物体は彼の眼前へと現れた。
「うわっ!」
あまりのスピードだったので、反射的に目を閉じてしまう。砂埃が舞い、喉に張り付く。
恐る恐る瞼を上げると、眼前には金色の髪をした美少女の姿があった。年は自分より4、5歳ほど年上だろうか。
「…………」
美少女に目が奪われていたが、彼女と歳の離れた男と無骨な金属の塊の姿も確認できた。
二人ともこの辺で見た事がない。恰好から見ても、やはり旅人のようだ。
「ねえ、キミ!」
くるっと首をこちらに向けた美少女が、目を輝かせる。
「はっ、はいっ!?」
そのまま肩を掴まれ、身構えてしまう。
間近で見た彼女は、本当に綺麗で声が上擦ってしまった。
「お店、もうやってる!?」
突然の挙動に混乱していた事もあって、言葉より先に首を上下に動かすのが返事となった。
……*
「あ~、おいひ〜♡」
ゴロゴロと大きめに切られている野菜がたっぷり入ったシチューに舌鼓を打つ。
幸いフェリーの胃袋をがっちり掴んだようで、器の中身が瞬く間に彼女の胃の中へと収められていく。
このシチューはピアリーの住人にとってはありふれた家庭料理のひとつで、目新しさは全くない。
初めて作った時こそ食べてくれた村人も褒めてくれたが、味というより子供が作ったという事に対してという意味合いが強い。
こんなにおいしいと連呼されたのは初めての経験で、思わずカイルは頬を緩ませる。
「これ、キミが作ったの?」
「そうだよ。父ちゃんが休んでる時は、オレが店をやってるんだ」
カイルが得意げに胸を張る。
「そっかそっか、キミはエラいねぇ〜」
「や、やめてくれよ!」
カウンター越しにフェリーが頭を撫でようとするが、気恥ずかしさからカイルが拒否する。
逃げるように、さっきから黙っている男の方へ視線を向ける。
フェリーとは対照的に一口ずつ、味わうようにゆっくりと口へ運んでいる。
時折手が止まっては、なにかを呟く。味が気に入らないというわけではなさそうだけど、ちょっと不気味だった。
「シンの事なら気にしなくていいよ」
そうは言われても、大の大人がぶつぶつと呟いている姿は気になってしまう。
「……このコクはバターか。パンとの相性も良いな」
そんな二人のやり取りに興味を示すこともなく、シンは一口、一口と味わって食べる。
口へ運ぶ度に何かを発見しようと、だんだん咀嚼がゆっくりになっていく。
10年もの間、旅を続けていると様々なものを口にする機会がある。
飽きないように、満足できるようにと彼は料理のレパートリーを増やすべく日々探究をしていた。
「気に入った料理があったら、味を覚えるようにしてるんだって。
なんか自分で作ってみたり、アレンジしたりしてるの。
こんなに味わってるの珍しいから、すごく気に入ったんだと思うよ」
「へぇ……」
最初は親の手伝いとして始めた料理だけど、そう言われるとカイルも悪い気はしない。
「と・こ・ろ・で!」
フェリーがぐいっと顔を近づけ、カイルは反射的に仰反る。
透き通るような白い肌に、パッチリとした碧い瞳が宝石のように輝いている。
さっきもそうだが、突然こんな美少女に詰め寄られると心臓に悪い。
「お姉さん、ちょっとお金がなくてね……」
「は!?」
まさかのオケラ宣言に、カイルはバッとシンの方へ視線をやる。
上目遣いで指の腹を合わせる姿は正直可愛らしかったが、それはまた別の話だ。
カイルだってギリギリで生活をしている。食い逃げなんてされてたまるかという念が伝わるようにシンを見た。
「いや、俺はちゃんと持ってるぞ」
シンは証拠と言わんばかりに、銭袋を机の上に置いた。
カイルは胸を撫で下ろした。最低限食い逃げはされそうにない。
「そうそう、ここはちゃんとシンに奢ってもらうから安心して!」
「おい」
フェリーは「冗談だよぉ~」とけたけたと笑いながらと言うが、目が本気だった。
むしろ、支払い能力がないのにそれ以外の手段があるというのだろうか? とカイルは首を傾げる。
「あたし、こう見えても賞金稼ぎやってるんだよね」
「へー……。ねえちゃん賞金稼ぎなんだ」
フェリーが得意げに胸を張る。
「だからさ、ちょっと賞金首の情報があったら教えてくれない?」
賞金稼ぎが旅をしている事自体はそう珍しくもない。
治安維持のために地元の賞金首を捕まえる人もいるが、冒険者と兼任している人の方が多いぐらいだ。
冒険者は老若男女問わず人気だ。この二人もその類なんだろうとカイルは推測した。
だけど、彼女の計画にはひとつ問題がある。
「……いないよ」
目を合わせることなく、カイルが答えた。
「えっ?」
予想外の返答に、フェリーは思わず聞き返す。
「…………賞金首なんてこの村にはいないよ」
「ちょっ、ほんとに? えぇ?」
「……?」
アテが外れたフェリーは動揺を隠せない。「そんなコトある?」とぶつぶつと呟いているが、隣で聞いていたシンは違和感を覚える。
賞金首が「いない」と言い切る割には、やけに歯切れが悪い。
「本当だよ、ほら」
カイルは壁に掛けられたコルクボードへ視線を誘導する。
通常、賞金首や冒険者への依頼は冒険者ギルドの支部を通して受注するものだが、小さな村にまで支部を配置するような余裕はない。
故に人が集まりやすい酒場等に貼りだされることが多い……のだが、一面コルクの樹皮が広がるそれは、何も貼られていない事を意味していた。
「うっそー……」
フェリーが凝視するが、もちろんそれで依頼が現れるはずもない。
冷や汗が頬を伝う。
「じゃ、じゃあ魔物退治とか!」
「だから、そんな依頼があったらボードに貼られてるってば」
魔物討伐も賞金稼ぎの分野だ。ボードに貼られていない以上、村を困らせるような魔物がいない事を意味している。
「だ、だったらここでちょっと働かせてくれない!?」
「いや、そういうの募集してないから……」
無銭飲食には皿洗い! と言えるような余裕がこの店にはない。
食べた分はきっちりお金という形で対価を貰いたいという意思を伝えると、フェリーの視線が泳いだ。
あたふたするフェリーに様子を、呆れた顔でシンは眺めていた。
どうやらフェリーは万策尽きてしまったらしい。「そこを何とか!」と食い下がるがカイルも決して首を縦に振ることはない。
挙句には、カイルの方から助けを求めるような表情を向けられてしまう。
村の規模を見た段階で薄々勘付いてはいたものの、思った通りの展開になってしまった。
このまま初めて会ったばかりの子供に迷惑をかけ続けるわけにもいかない。
第一、いい年をした大人として恥ずかしい。
「フェリー」
コマ送りのようにゆっくりと、フェリーの首がシンの方を向く。
いい機会だから、ついでに彼女を嗜めようと目論む。
「それで、金はどうするつもりなんだ?」
「う……」
彼女はとにかく金勘定が下手すぎる。金が手に入り次第、後先考えずに気に入ったものを買ってしまう。
たまに金が残ったと思えば、すぐに自分へ殺しの依頼をする。宵越しの銭を持たない事に美学でも感じているのだろうかと思う程に。
楽観的な思考で皮算用をするのが悪いと嗜めようとするが、それがフェリーに追い打ちをかける形となる。
「これに懲りたら、もう少し金の使い方をだな――」
「……もん」
フェリーがぽつりと呟く。
「毎回言わなくても、わかってるもん! シンにそんなコト言われなくても、わかってるもん!」
小言を言われるのが大嫌いな彼女は、シンにこれ以上喋らせまいと言葉を遮る。
こうなったフェリーは、もう人の話を聞き入れるだけの余裕がない。
「言われなくてもすぐ稼いでくるよ!」
矢継ぎ早に啖呵を切り、シンに言葉を発する隙を与えない。
「見ててよ! あたしにかかればお金なんてあっという間に稼げるんだからね!!」
そう言い残すと、彼女は店を飛び出した。
このパターンでまともに稼げた事がないというのをシンは経験則で理解している。
「え、えーっと……」
呼び鈴だけが存在を主張する空間に耐え切れず、カイルが声を上げた。
正直、シン自身も非常に気まずい。
向こうが気を遣って言い辛そうにしている内容が手に取るように分かる。
「にいちゃん、とりあえず二人分払ってもらっていい……?」
「……あぁ。迷惑かける」
どうせ稼げないだろうから、せめて早く戻ってきてくれないだろうか。
二人分の食事代を払いながら、シンは切に願った。